検定基準改正問題の補説---目先に囚われず、原理のレベルでの闘いを

    目先に囚われず、原理のレベルでの闘いを   

  今回の検定基準改正案を見ると、日本人の根本的欠陥が浮かびあがってくる。それは、物事の原理というものを軽視することだ。論争において原理を握ったものは強い。検定基準のレベルでの原理は、近隣諸国条項に現れている。この条項がある限り、教科書における反日主義は已まない。にもかわらず、安倍政権は、この原理を排除する努力をしない。ただ領土教育の小さな改善という目先の利益を求めて、更に近隣諸国条項を補強する政府見解・最高裁判例条項を新設しようとしている。

  思えば、目先の利益を求めて、原理のレベルでは相手側の主張と闘わずそのまま受け入れてしまうのは、日本人の悪い癖である。その態度は、古くは占領解除後に帝国憲法復元改正論ではなく、「日本国憲法」改正論の立場を取ったところに現れている。帝国憲法復元改正論こそ法学や政治学の原理的に正しい立場であるということが分かっていながら、日本人は米国が怖かったからか、「日本国憲法」改正論の立場から「日本国憲法」に向き合ってきた。その結果、国民主権(それも人民主権的な)などの破壊的な思想が拡大し、何よりも、「日本国憲法」の孕む反日主義思想が拡大してきた。そしてまた、「日本国憲法」成立過程の歴史偽造が極端な形で進行した。

  私は、日本が滅んでいく根源には、正しい原理を無視し目先の小さな「利益」に飛びつく習性があると思っている。近隣諸国条項をつくった時も、とりあえず中国他の反日運動をおさめるという目先の利益を求めてであった。また、河野談話の場合も、とりあえず韓国との関係を修復するという目先の利益のために、「従軍慰安婦」という非人道的な制度を日本が作ったという、事実に反する間違った原理が国際的に作られてしまった。

  原理のレベルでの闘いをきちんと行う姿勢が、日本人には求められているのである。米国や中国は原理を築いてから攻めてくる。彼らの原理重視の態度を日本も見習わなけれはならない。原理ではなく、目先の利益を優先する習性は、「憲法」ではない「日本国憲法」を「憲法」と位置付け、「日本国憲法」無効論を弾圧し続けてきたところに始まる。それゆえ、「日本国憲法」無効論-帝国憲法復元改正論の立場から、「日本国憲法」に立ち向かう必要があるのである。

  無効論に立ち、原理のレベルでの闘いをきちんと行う姿勢を確立しない限り、思想的・精神的に日本及び日本人は滅んでいくだろう。

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