核抑止論をめぐって―――『新しい公民教科書』検定過程(20)

   核抑止論――「核の傘」政策とを展開した申請本

  申請本は、終章の単元64「日本の安全と世界の安全」で、核兵器の問題を中心に扱った。この単元については133番から135番まで3つの検定意見が付いた。このうち最も重要な意見が核抑止論などをめぐる135番であった。検定申請本は、「核兵器廃絶とわが国」の小見出し下、核抑止論に基づく「核の傘」に入る政策について次のように説明した。

  日本は世界で最初の被爆国です。その惨劇を繰り返さないため、わが国は一貫して核廃絶を基本政策として掲げ、核兵器を保有していません。しかし、わが国の隣国である中国や北朝鮮は核兵器を保有し、わが国に核攻撃をする能力を備えています。

  核兵器は強力な大量破壊兵器です。そのため核兵器を保有している国があれば、それに対抗して核兵器を保有することによって、戦争を抑止することができます。第二次世界大戦後、アメリカを中心とする自由主義陣営と旧ソ連を中心とする社会主義陣営とが激しく対立しました。この対立が第三次世界大戦に至らなかったのは、両陣営とも、この核兵器を大量に保有していたからだといわれています。

  わが国の場合、アメリカと安全保障条約を結び、アメリカの「核の傘」に入って安全を確保しています。核廃絶の政策を掲げながら、他国の「核の傘」に入ることは、一見、矛盾のようにみえますが、わが国が核兵器によって守られていなければ、わが国を中心とする極東アジアが不安定になり、かえって戦争を誘発する危険があります。

  わが国は世界で最初に核兵器の惨劇にみまわれた国であり、その点では、さらなる核攻撃を抑止するため、核兵器を保有する資格をもっているともいえます。しかし、核兵器を保有しないで、世界の平和のために核兵器の廃絶を訴えています。 (180~181頁)


   調査官による三点の要求 

  この部分全体に対して、129番、130番と同じく、学習指導要領に「照らして、扱いが不適切である」という意見が付いた(135番)。12月6日、調査官は、135番について次のように説明した。

調査官 「わが国は世界で最初に核兵器の惨劇にみまわれた国であり、……核兵器を保有する資格をもっているともいえます」は、やはりいかがなもんでしょうか。
 併せてお考えいただきたいのは、左側の頁の核抑止力が書かれている、これは冷戦華やかなりし頃は理論としてあったが、しかし昨今、特にテロリストたちの核の問題が出て来た時に、こういう核抑止力というものがそのままストレートに通用しなくなっている時代になっているということ。それから又、核抑止自体に対する反論も又根強くあるということ。こういうことも併せて考えてください。
 それから「核の傘」ということを書いておりますが、これは、自分から政策的に我が国が「核の傘」に入っているんだということは控えていただきたい。

執筆者 きれい事で行っちゃうと、中学生の教育にならない。
 

  上記のように、調査官は、第一に、「核兵器を保有する資格」云々の文を削れと言った。第二に、核抑止論を相対化する形で記せと言った。第三に、単元59に対して述べた意見とと同じく、「核の傘」に触れるのはかまわないが、政策として選択したという形でなく「核の傘」について記せ、と言った。

  第一、第三の点は受け入れることにしたが、第二の核抑止論の点を受け入れることには抵抗感があった。そこで、核兵器を保有する資格を持つという記述は削除することにし、更に「核の傘」の下に居ることが正式の政策であると読めないように書く方針を定め、「核兵器廃絶とわが国」の小見出しの下、以下のような文章を作り、1月17日の修正表に記した。

  
  日本は世界で唯一の被爆国です。その惨劇を繰り返さないため、わが国は一貫して非核三原則を掲げ、核廃絶を世界に訴え、核兵器を保有していません。しかし、わが国の隣国である中国や北朝鮮は核兵器を保有し、わが国に核攻撃をする能力を備えています。

 核兵器は強力な大量破壊兵器です。そのため核兵器を保有している国が出現すれば、それに対抗して核兵器を保有することによって、その国の核攻撃を抑止することができるといわれています。第二次世界大戦後、アメリカを中心とする自由主義陣営と旧ソ連を中心とする社会主義陣営とが激しく対立しました。この対立が第三次世界大戦に至らなかったのは、両陣営とも、この核兵器を大量に保有していたからだといわれています。

  わが国の場合、アメリカと安全保障条約を結び、アメリカの「核の傘」のもとで安全が確保されているといわれています。わが国が核兵器によって守られていると他国が思えば、わが国を核攻撃しようとしたり、核で恫喝することができなくなり、わが国の安全が確保され、わが国を中心とする極東アジアが不安定にならず、平和が保持されると考えられています。

  わが国は世界で唯一、核兵器の惨劇にみまわれた国です。しかし自国の核兵器を保有しないで、世界の平和のために核兵器の廃絶を訴えています。


   「少しリアリティーが勝ちすぎている」 
   これと同一の文章に対して、1月12日、調査官は「少しリアリティーが勝ちすぎているな。これは今後調整していきたい」と述べ、難色を示した。12日は特に議論されていないが、25日には、上記記述について議論が繰り広げられている。その議論を拾っておこう。

調査官 この前、少し申し上げたが、やはり、学習指導要領もそうであるし、中学校の学習として、核に関しては、我が国は廃絶というものを理想として、それに向かっているのだということを全面に押し出していただきたいということなんです。
  「核兵器廃絶とわが国」というところで、修正分の最初の3行はこれでよいと思うんですが、まずくりかえし申し上げていることは核抑止論というのは議論としてあってよいし、当然ある時期まで核抑止によって、全面的核戦争が行われなかったのだという議論も当然あります。
  しかしそれと同時に、それとは全く反対の議論もまた存在しているわけですね。それから昨今はテロリストによる核使用ということを考えあわせると、やはり核抑止が有効であるのと同じくらい有効に異論が述べられているということに触れていいただきたいということなんです
  じゃ、我が国は、唯一の被爆国として、どういう立場で、核に向かっているかといえば、一つは日米同盟による平和、それは憲法9条との関係で当然なわけですが、それともう一つは、その時大切なのは、アメリカが核をもっているから、日米同盟をむすぶということではけっしてなくて、ある種の我が国の国連中心主義というような平和外交、それを踏まえた上で、アメリカと軍事同盟を結んで我が国の平和を確保していこうとしているわけだから、この部分には、「わが国の場合」というところからは、そのあたりを少し格調高く謳い上げていただきたいということなんです。

執筆者 「核の傘」を政策としては表向きやっていないけれど。リアリティーとして現実の問題として。

調査官 この前言われたように、現実というものを教えないできれいごとだけによってきたというのも、またわかる。分かるけれども我々は現実だけを教えれば良いのかといえば、また違うと思う。だとすればいまだに現実が勝ちすぎているよというのが私たちの立場なんです。
 そのあたり、理想を高くし、くりかえしになるが、唯一の被爆国として世界に向けて胸をはってアピールできる部分というのを格調高く書いていただきたいということです。
 

  要するに、調査官は、まず、テロリストによる核使用の危険性登場に伴い核抑止論が弱体化してきたことを記せと言った。次いで、平和外交で核の問題に立ち向かってきたことを格調高く記せと言った。この二点をそのまま受け入れる以下の文章を作り、ようやく検定合格となった。

 日本は世界で唯一の被爆国です。その惨劇を繰り返さないため、わが国は一貫して非核三原則を掲げ、核廃絶を世界に訴え、核兵器を保有していません。

   核兵器は強力な大量破壊兵器です。核兵器を保有した国の核攻撃を抑止するには、自ら核保有国となるという核抑止論が主張されてきました。自由主義陣営と社会主義陣営との激しい対立が第三次世界大戦に至らなかったのも、両陣営とも、核兵器を大量に保有していたからだといわれています。

   一方、こうした核抑止論がアメリカと旧ソ連を中心とした核拡散に結びついたのも事実です。また現代では、テロリストが核兵器をもつ危険性が出てきています。こうした国際情勢のなかで、核兵器不拡散の必要性が強くなり、アメリカやロシアなどの核大国も核兵器の軍縮を始めています。

   わが国の場合、国際協調を進めつつ、日米安全保障条約を結び、安全を確保してきました。こうすることで、わが国を含めた極東アジアの平和も保持されていると考えられています。

   わが国は世界で唯一、核兵器の惨劇にみまわれた国です。そこで、非核三原則を掲げて自国の核兵器を保有せず、世界の平和のため、そして核兵器を世界中に拡散させないため、核兵器の廃絶を国際社会に訴えています。  (180~181頁)
 

  以上の経過から知られるように、検定が目指す思想は、国連中心主義による平和主義-非核三原則といった絵空事であり、我々が強調したのは、核抑止論に基づく「核の傘」と日米同盟という現実の方であったと言えよう。



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