『西洋の自死』を読み学んだこと――移民、ヘイト法、人種差別主義と反人種差別主義、自虐史観、国家の否定などについて

 前回記事では、ダグラス・マレー『西洋の自死』を読み、特に気になったことを長々とまとめてみた。今回は、私の問題意識に沿って、本書を読み学んだことを確認していきたい。

一、大量移民受け入れは悲惨な結果を招く

 移民犯罪の大幅増加

何よりも改めて確認したことは、ある程度知っていたことだが、大量移民の受け入れは悲惨な結果を招くことだ。まず分かりやすい例としては、犯罪の増加、特にレイプの増加がある。例えば、2015年の大晦日には、ドイツのケルンで大規模な集団的レイプ事件が起きた。「年越しを祝う人々で、街が1年のうちでも屈指の賑わいを見せていたその夜、2000人もの男たちが、ケルンの中央駅と大聖堂に接する広場や、その付近の街路で、約1200人の女性に対して性的暴行や強盗を働いた」(304頁)。同じような集団レイプ事件が、ハンブルクやシュトゥットガルトなどドイツの複数の都市で起こったことが、数日後になって発覚した。メディアが事件を報道しなかったからである。

最も悲惨な例は、スウェーデンであろう。特に日本において社会保障の行き届いた理想的な国家として喧伝されてきたスウェーデンは、自国にとって必要性がないにもかかわらず、人道主義の観点から大量移民を受け入れ、世界二位のレイプ大国となった。スウェーデンのレイプ事件は、警察に届け出たものだけでも、1975年の421件から2014年の6620件へ増加し、2015年には人口比でレソトに次いで世界二位の発生率となった。

 スウェーデンでも、ドイツと同じく、集団レイプ事件が2014年から2015年にかけて何件もの音楽祭の会場で起きている。しかし、例えば2014年のストックホルムの音楽祭の事件では、「地元の警察はそのことを隠蔽し、5日間の音楽祭に関する報告書に何ひとつ書かなかった。有罪になった者はなく、メディアもレイプに言及することを避けた」(383頁)という。

 ドイツ人はドイツから出ていけと主張する人たち

 しかし、犯罪の増加よりも更に恐ろしい事態は、ドイツの次の例である。2015年10月、ヘッセン州の小都市カッセルで開かれた住民集会で、この行政区の首長は、800人の移民を受け入れる政策に反対の者は「ドイツから出ていってかまわない」と述べた(486頁)。

 また、2016年10月、アラス・パチョという18歳のシリア移民は、ドイツの新聞で次のように主張した。

 「僕たち難民は、あなた方と同じ国に住みたくない。あなた方はドイツから出て行けるし、出て行くべきだと思う。ドイツはあなた方に似合わない。あなた方はなぜここに住んでいるの? 新たな住処を探したら?  486~487頁

 この少年の主観的思いは分からないが、客観的には移民による国の乗っ取り宣言である。行政区の首長の言葉と併せて考えれば、ドイツの権力者と移民によるドイツ人追放運動が潜在的にあることがよく分かる。

 イギリスでは、ヘイト法が議論されていた時に見た動画に、「エリザベス女王はイギリスから出ていけ」と叫ぶイスラム教徒のデモの姿があって信じられない思いをしたが、ドイツのこの例を見て、西欧では物事の筋道がとんでもなくおかしくなっていることを改めて知った。ちなみに、イギリスでは、バッキンガム宮殿をモスクにせよという運動があるようだ。日本のヘイト法の表現を使うならば、アラス・パチョという「本邦外出身者」がドイツ人という「本邦出身者」に対して出て行けと叫ぶ構図が、西欧では出来上がっていると言うことであろう。

 移民犯罪を隠蔽する権力とメディア、加害者を擁護する被害者

 移民犯罪の問題に戻るならば、移民犯罪が増加する大きな理由は、警察やマスコミが犯罪を犯した側の味方をすることだ。既にその例を挙げているが、この点については、特に「第12章 過激化するコミュニティと欧州の『狂気』」の〈隠されてきた犯罪〉の部分で取り上げられている。21世紀初頭には、移民による地元女性に対する集団的な性的暴行は公然の秘密になっていたが、例えばイギリスでは、当局がこの犯罪に触れることさえ恐れ、移民による性的暴行に何年も対処せずに来た。ドイツやスウェーデンなどの国でも同様であった。

 マスコミも当局と同じく、この問題をほとんど報道しなかったのである。ケルン事件の場合も、この集団レイプ事件はブログ記事によって事件発生から数日後になって初めて世界に知られることになったという。

 警察やマスコミの隠蔽行動も奇妙だが、もっと奇妙なのは、襲われた被害者の一部が、犯人の人種を隠そうとする現象があることだ。例えば、マンハイムで3人の移民にレイプされた若い女性の場合、犯人はドイツ人であると嘘の証言をしたばかりか、移民が犯人だと認めた後も、その犯人を非難しないだけでなく、「人種差別主義者と不安を抱えた市民」を攻撃したのである(305~306頁)。

 何ともおかしなことだが、同じようなことは、2015年夏、イタリアとフランスの国境ベンティミリアでも起きた。「ノーボーダーズ」(国境を無くせ)運動に従事していた若い女性活動家が、スーダン移民のグループから集団暴行を受けた。女性は届を出さないように説得されたが、最終的に届けると仲間から非難されたという。

二、大量移民受け入れと移民犯罪隠蔽の背景には自虐史観がある

 しかし、それにしても、何ゆえに、西欧は、大量移民を受け入れたのか。いや、そのことよりも、何ゆえに、西欧の権力者たちやマスコミは、移民の犯罪を隠蔽してきたのか。もともとは経済的な理由から移民を受け入れたかもしれないが、大量移民の今日では、一番の理由は自虐史観である。経済的に負担であろうと、世界に悪事を重ねてきた西欧は謝罪しなければならず、償わなければならないという自虐史観・贖罪史観が、西欧を完全に呪縛しており、移民が犯罪を犯しても、なかなかストレートに捕まえて処罰できないのである。この自虐史観から、西欧人は被害者となっても加害者を告発糾弾できない精神状態になっているのである。本書によれば、この自虐史観は、西欧だけでなく、アメリカやオーストラリアにも広がっている。

 自虐史観の中身

 では、自虐史観の中身とは何か。主なものとしては、ホロコーストの罪悪感、植民地主義の罪悪感、人種差別主義の罪悪感、特に奴隷制度の罪悪感、そしてオーストラリアやアメリカ及びイスラエルの「建国に伴う罪」への意識(先住民虐殺や追放)などが挙げられる。例えば、オーストラリアでは、子供たちは「この国は大量虐殺と盗みの上に建国された」と教えられる(第10章他)。ちなみに、アイヌ先住民族説は、完全に、アメリカやオーストラリアの「建国に伴う罪」と同類のものを日本に持ち込むために偽造されたものである。

 スウェーデンにまで拡大した自虐史観

 ドイツやフランス、イギリス、スペイン、イタリアといった西欧の主要国には、確かに自虐史観に陥る歴史的・客観的な根拠は存在するだろう。しかし、スウェーデンには、そんな根拠はほとんどないように思える。だが、このスウェーデンさえも、自虐史観に陥っているという。自虐史観を生み出す歴史的根拠は、次の三つである。

1、ナチスの戦闘継続を可能にする原材料をドイツに供給していたこと
2、スウェーデンの鉄道を使ってユダヤ人をナチスの死のキャンプに送ることを許してしまったこと (251頁)
3、終戦直後にソ連と戦ったバルト三国からの亡命兵士を引き渡したこと

 2の点は、ホロコーストに加担した罪と言ったことになるのかもしれないが、ほとんど悪いことをしていないスウェーデンが自虐史観に陥る必要はないと思われる。ところが、西欧の中でも、スウェーデンの自己否定の思想は強力であった。2006年、保守系穏健派の政党に属するラインフェルト首相は、「蛮行だけが純粋にスウェーデン的なものだ」と公言した。また、2014年のクリスマスイブの時、首相を退任したばかりのラインフェルトは、「スウェーデン人には面白みがない」「国境は仮想的な概念である」 と述べた。更には「スウェーデンは、そこに何世代も住んできた人々ではなく、より良い人生を送るためにそこにやって来た人々のものであると述べた」(385頁)。自虐史観に基づき、スウェーデン人を新来の何者かに置き換えようという主張である。

 このようにスウェーデンは、極端な自虐史観又は自己否定の思想に陥り、これを根拠にして大量移民を受け入れてきたばかりか、自国民がレイプされても、黒字国から赤字国に転落しても、それらを甘受してきたのである。

滑稽な自虐史観

 スウェーデンとは異なり、ドイツや英米などの場合には悪いことをした過去があるから、自虐史観が出てくるには客観的な根拠がある。しかし、明らかに拡大しすぎており異常なものと化している。自虐史観が出てくる根拠としては、前述のように、ホロコースト、植民地主義、人種差別主義、特に奴隷制度、「建国に伴う罪」といったものがあるが、この5点すべてにおいておかしなことになっている。

  例えば近代の奴隷制度は、西欧や米国が単独で作り上げたものではない。アフリカ内部で奴隷狩りを行い、西欧米国に輸出するアフリカ人がいたからこそ、奴隷狩りで栄えた国家があったからこそ成立した制度である。罪を問うならば、西欧米国とアフリカ自身に責任を問うべきものである。ところが、一方的に白人側が責任を取る形になっている。1998年、ウガンダを訪問したクリントン大統領は、またも奴隷貿易についてしつこく謝罪したという。

 更に極めつけは、アメリカ人の一行がアラファト議長のところへ十字軍のことを詫びに来たという話だ。アメリカと十字軍はなんの関係もないから、アラファトからこの話を聞いた記者によれば、アラファトと記者は、大笑いしたという。

 「罪悪感を抱え続けていたいという願望」

 何とも滑稽極まりない話だが、日本人もアメリカ人を笑うことはできないだろう。何しろ完全な冤罪である「従軍慰安婦問題」を自らでっちあげた国民なのだから。著者マレーは続けて次のように述べている。

 罪悪感を抱え続けていたいという願望は、リベラルな現代の欧州社会にその終着点を見出すらしい。そこは殴られた時に、自分が何をしたからそういう目に遭ったのかを問う、人類史上初めての社会だ。その種の満たされない歴史的な罪悪感は、現在へと引き継がれる。そのため欧州人は、実際に殴られたり、ひどいことをされたりした時にさえ、加害者の側に立ってしまう。   273頁

 この記述は、そのまま日本にも当てはまるであろう。最初の傍線部にある「罪悪感を抱え続けていたいという願望」は、恐らくは西欧以上のものがあろう。その願望は、文系学界を初め、官界・政界、そして各界のリーダーたち全般に広がっている。だからこそ、虚構の慰安婦強制連行説が捏造されたのである。

三、無敵の自虐史観……自虐史観は、女性差別反対などより優先される

 自虐史観は、同性愛差別反対思想より強い

 ここまで、自虐史観が大量移民をめぐる諸問題の背景にあることを述べてきたが、本書を読むと、自虐史観の無敵ぶりがうかがえる。例えば、ヨーロッパで最もリベラルでポリティカル・コレクトネスや平等主義が強いと思われるオランダでは、ピム・フォルトゥインという人が2002年の総選挙に出ようとして、選挙の数日前に頭を撃たれる事件が起きた。犯人は、極左の絶対菜食主義の活動家であった。ピム・フォルトゥインは、マルクス主義の大学教授で同性愛者であったが、イスラム教の生活様式と西欧の矛盾を指摘しだしたとたんに、「右翼」と攻撃され、人種差別主義者、ヒトラーと攻撃された。ポリティカル・コレクトネスの世界では、左翼で同性愛者であるフォルトゥインは、相当の強者である。それなのに、イスラム批判をしたとたんに、左翼と同性愛者という強みが無視されて人種差別主義者とされ、発言権を頭から奪われたわけである(214~217頁、第8章、第9章)。西欧は中東諸国に対して、キリスト教徒はイスラム教徒に対して悪いことをしたという自虐史観の思想は、同性愛差別はいけないといった思想よりも圧倒的に強いわけである。

 自虐史観は、反女性差別思想より強い

 また、対イスラム教における自虐史観は、反女性差別思想より強力である。やはりオランダの例であるが、フォルトゥインの友人である映画作家テオ・ファン・ゴッホは、2004年、イスラム内部における女性虐待を描いた映画を製作した。脚本は、ソマリア出身のアヤーン・ヒルシ・アリという若い女性が担当した。

 この映画が8月末にテレビで放送されると、映画製作者に対する脅迫が始まった。ゴッホは、2004年11月2日、銃とナイフで殺された。ゴッホの体に刺さったナイフには、アリへの殺害予告が記されていた(218~219頁)。

 アリは母国ソマリアでの強制結婚から逃れるためにオランダに渡り、10年ほどの間に政治学研究者となり、自由民主国民党(VVD)の国会議員となった人である。移民のサクセスストーリーの最も輝かしい例である(219~222頁)。

 にもかかわらず、ヒルシ・アリは、陸軍兵舎や政府の隠れ家での生活を経て、特別な警護付きの建物に住むことを許されたが、隣人たちに彼女の転居を求める訴訟を起こされ、まもなく、市民権を剥奪された。彼女はアメリカに移住し、「ホロコースト以降ではおそらく初めてとなる西欧からの難民」(243頁)となった。女性虐待を描いた移民出身の女性が、オランダから、自虐史観に陥ったオランダ人によって追放されたわけである。
   
四、人種差別主義と反人種差別主義、ヘイト法

 「人種差別主義」と言われることを恐れる権力とマスコミ

 フォルトゥインも、ゴッホも、アリも、人種差別主義者と非難され、殺害されたり追放されたりした。フォルトゥインは、マルクス主義左翼だったにもかかわらず、人種差別主義者と言われただけでなく、「右翼」やヒトラーとレッテル貼りされた。移民反対でなくても、移民のマイナス面を取り上げると、人種差別主義者と攻撃され、「右翼」と言われる。西欧各国の政治権力が移民の犯罪を隠すのも、マスコミが移民犯罪を報道しないのも、「人種差別主義者」と批判されることを恐れるからである。

 イギリスの例を取り上げるならば、2004年のころ、労働党のアン・クライアーは、英国北部の選挙区で未成年の少女へのレイプ問題を取り上げた。すると、「イスラム嫌悪」「人種差別主義者」のそしりを受け、「一時は警察の保護を受けたほどだ」(99頁)という。

 レイプ問題は隠蔽され続けた挙句、何年もかかってようやく取り上げられるようになると、ロザラムの町での捜査だけでも、「1997~2014年の間に1400人以上の子供が性的に搾取されていたことが判明した」(99頁)という。加害者は全員がパキスタン出身の男性であり、被害者は全員が地元出身の非イスラム教徒の白人少女であった。
 
反人種差別主義のグループは、差別問題の未解決を望む

 「人種差別主義」と権力者やマスコミを罵り委縮させる中心に反人種差別主義のグループがある。本書の第6章によれば、これらのグループは、当局と特定の民族コミュニティとの間を仲介し、地方や中央の政治家のために票を取りまとめる代わりに、地方議会などの金とともに、影響力やコネも獲得していった。そして、金などを獲得するためには、差別問題が未解決のままになっていなければならないことに、彼らは気付く。

 いや、未解決のままであるだけではなく、彼ら自身の利益から言っても、差別がますます悪化しているかのようにみせかける必要が出てくる。そこで、欧州の国々を人種差別主義的であるとして批判するために、ますますイスラム文化を筆頭に欧州以外の文化はほめそやされ、欧州の長所をたたえることさえもできなくなっていったのである。

 反人種差別主義者は「人種差別主義者」を嘘でも必要とする

  さらに反人種差別主義者たちは、自らの勢力拡大のために、「ファシスト」・「人種差別主義者」の存在を必要とする。本物の「ファシスト」・「人種差別主義者」がいなければ、作り出さなければならない。第14章「エリートと大衆の乖離」には、次のように興味深い記述がある。

 二度とファシズムの台頭を許すまいという反ファシズムの決意は、戦後政治の数少ない基盤の一つだった。ところが、……ファシズムが歴史の彼方へと遠のき、ファシストたちの姿が目に見えなくなっていくほど、反ファシストを自称する人々はファシズムを必要とするようになった。さもないと、自分たちには政治的価値や意義があるのだという見せかけを維持できないからだ。

 ファシストでない人をファシスト呼ばわりすることは、人種差別主義者ではない人々を人種差別主義者呼ばわりすることと同様に、政治的に有効であることが証明された
 370頁


 このように、「反ファシスト」「反人種差別主義者」にとっては、ファシストでない人、人種差別主義者ではない人を「ファシスト」「人種差別主義者」と非難することは極めて有効な政治手段である。

 それゆえ、例えば、スウェーデンでは、大量移民に反対し2016年の世論調査では支持率一位であったスウェーデン民主党を、メディアや他党は、「極右」「人種差別主義者」と呼び続け、ネオナチ扱いし続けた。このことによって、民主党の支持者を減らそうとしてきたのである。

 だが、2016年夏にスウェーデン民主党の地域大会を訪問したマレーによれば、到底「極右」やファシストとは言えないと報告している。どの国でも同じだが、移民政策遂行者は、政策を進めるために、虚構であっても、何とか「極右」「人種差別主義者」をこしらえる必要があるのである。「人種差別主義者」をこしらえ上げて叩き続けなければ、移民政策遂行は難しいということであろうか。
 
 ヘイト法で保守派を丸ごと潜在的な「人種差別主義者」とすることに成功した日本

 マレーの指摘は、ストレートに今日の日本にも当てはまる。日本の「反ファシスト」「反人種差別主義者」と自称する人たちは、安倍政権の協力を得て、この政治手段を最大限に使ってきた。その最大の成果が2016年のヘイト法(本邦外出身者に対する不当な差別的言動の解消に向けた取組の推進に関する法律)成立であろう。普通の国のヘイト法ならば、外国人に対するヘイトスピーチも自国人に対するヘイトスピーチも平等に規制するが、日本のヘイト法は法の下の平等を無視して、外国人に対するヘイトスピーチだけを許されないものとした。普通の国のヘイト法であっても、ヘイト法が適用され「人種差別主義」と認定されるのは圧倒的に自国民である。しかし、普通の国では、外国人も「人種差別主義」認定される法的可能性は存在するわけである。

 これに対して、日本のヘイト法下では、日本人の言論だけが問題にされるわけだから、日本人だけが「人種差別主義」認定されるわけである。日本人のうち、移民受け入れに賛成の人、自虐史観を推進する人などは、「人種差別主義」認定される危険はない。それ以外の日本人のうち、特に所謂保守派は、その移民受け入れに消極的な姿勢からして、それ以上に自虐史観否定の立場からして、「人種差別主義」認定される危険性が極めて高くなったわけである。端的に言えば、ヘイト法成立以来、保守派は、特に保守系団体所属者は、潜在的に「人種差別主義者」とされることになった。そして、このヘイト法による「移民に反対したり、自虐史観是正の動きをこれ以上進めたりすれば、人種差別主義者認定するぞ」という脅しが効いたのであろうが、保守派は、昨年の移民法通過に対してわずかな抵抗しかできなかった。そして、今回の教科書検定で露わになった教科書の自虐化に対しても抵抗できないどころか、所謂保守派はその推進者になってしまったわけである。

 エリートと大衆の乖離

  自虐史観の現れ方や移民政策に対する態度は、エリートと大衆とで乖離がある。エリート及び政治権力は、自虐史観に染まっており、移民政策を推し進める。対して大衆の方はそうでもない。大衆は暴力的又は反国家的な移民と対決するが、政治権力は、人種差別を防ぐためだとして移民の味方をする。エリートは移民と対決する大衆を非難し、ファシスト、人種差別主義者と非難する。この非難は大衆に対しても効果があるけれども、大衆の考え方はエリートとは異なる。例えば、それは、スウェーデン民主党の評価に表れている。2011年に行われたジャーナリストが共感する政党に関する調査によれば、スウェーデン民主党に共感すると答えたジャーナリストはわずか1%であったのに対して、2016年の世論調査ではスウェーデン民主党は支持率一位となっている。

 このエリートと大衆の乖離という問題にも注目しなければならない(第14章)。言ってみれば、グローバリズム・多文化共生(今日では、多信仰主義か)のエリートとナショナリズムの大衆との乖離である。だが、大衆も自虐史観に一定染まっており、結局は、エリートが大衆を抑え込んでいるという状態が続いている。

 日本の場合はどうなのであろうか。エリートの態度は西欧のものと同一であるし、ある程度西欧と同じことが言えようが、日本の大衆はどうなのであろうか。西欧よりはるかに自虐史観が大衆にも浸透し(西欧もなかなかのものだし、こう言い切れるか分からない)、それゆえに移民政策に反対できないという土壌があるようにも思われるからである。

最後に 国家を敵視する思想が今日の惨状を生んだ

 国家の敵視思想と脱構築が西洋の自死を加速化した

 とりあえず学んだこと、感じたこととしては以上のようなことが挙げられる。しかし、重要なことが抜けている。EUが国家を敵視する思想から生まれたことである。大量移民が生まれた背景の一つとしては、何よりも、EUを創設した人たちによる国家と国境の敵視を挙げなければならない。彼らは、国家があるからこそ戦争が起きるのだという誤った認識に基づき、国家を少しずつ解体してきた。国家の思想を敵視する発想からも移民が奨励されてきたのである(第11章)。

 また、背景には、欧州の基盤となってきたキリスト教の衰退もあるし、「脱構築」によって荒廃した思想と学問がある。脱構築の営みは、ついには「価値判断は誤りである」という価値判断をもたらすことになった。その結果、マレーによれば、学界では「歴史」「国家」「文化」といった言葉が使用できなくなってしまったという。そして、欧州人をして、例えば移民による女性器切断(割礼)を悪だと断定することさえできなくさせていった(第13章)。そして、思想的荒廃の結果、ニヒリズムが流行する結果をもたらした(第16章)。

西欧の自殺、健全な東欧諸国

  もう一点、最後に、EUの中の東欧諸国について述べておきたい。これまで見てきたことからわかるように、西欧の政治権力やエリートたちは、ますます自らを破壊していくであろうと想像できる。特にEU加盟の諸国家にそういうことは言える。

 もっとも、本書の「あとがき」を読むと、西欧の多くの政治家が、そしてアメリカやオーストラリアの政治家が、本書に賛成だと述べたという。ならば、なぜ、こんなことになったのか。マレーは言う。「現状を維持してそれに不平を言っている方が、短期的な批判を甘受して社会の長期的な幸福を図るよりも楽なのである」(509頁)と。要するに、西欧の政治家には、長期的・歴史的視点、言い換えれば国家百年の計がないのである。間違っていると分かっていながら正反対の行動をとり続けるのは、端的に言えば、勇気がないのである。日本のかなりの政治家、
いやほとんとの政治家?にも当てはまるのではないか。

  西欧とは異なり、EU加盟の東欧諸国の政治権力は健全である。「第13章 精神的・哲学的な疲れ」では、東欧諸国は自虐史観に染まっておらず、国家の思想が生きている。それゆえ、決然と国家を守るための決断ができる。

 2015年夏から現在に至るまで、ドイツ政府と欧州委員会からどんな脅しや呪いを受けようと、スロバキア、ポーランド、ハンガリー、チェコからなる「ビシェグラード・グループ」は、アンゲラ・メルケルやブリュッセルとは正反対の道を歩んだ。彼らはメルケルの近視眼を批判し、ベルリンとブリュッセルから命じられた移民の割り当てを頑として拒否した。
 349~350頁

 スロバキアの左派政権のロベルト・フィツォ首相は、捨て鉢にこう語った。「EUは儀式的自殺(切腹)を行っているように感じる。我々は傍観するだけだ」。 350頁 


 勝手に自殺しろ、我々は付き合わないと言っているのだ。他のハンガリーなどの「ビシェグラード・グループ」も同じ見解だという。

 2016年3月15日、ハンガリーのビクトル・オルバン首相は、「大量移民は……その本質は領土の占有に他なりません。そして彼らが領土を手に入れるということは、我々が領土を失うということなのです」(352頁)と述べた。スロバキアのフィツォ首相は、同年5月、 「スロバキアにイスラム教の居場所はない」「移民は我が国の性格を変える。我々はこの国の性格を変えたくない」(353頁)と述べている。

 こういう国民国家として健全なところを見ると、西洋が救われるとすれば、東欧が「希望の星」となるのかもしれない。あるいは、コロナ禍に遭って、国家の重要性が再認識されれば、そのことが西洋の生き残りにつながるのかもしれない。
 
 ともあれ、自虐史観の恐ろしさと国家の思想の大切さを再認識することができた。本書は、日本人が、移民、ヘイト法、人種差別主義と反人種差別主義、自虐史観、国家などについて考えるための恰好の参考文献だと言えよう。

 特に、西田昌司議員と長尾たかし議員にお勧めするものである。


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