忙しい日々に思う二つのこと

悲惨な日常はいつまで続くのか

 11月末から悲惨な日々が続いている。年末年始は一日も休めなかった。1月8日になってようやく一息ついたが、その後もつらい日々が続いている。とはいっても、夜は普通に眠り、昼寝を複数回行いながら仕事をしている。これは年の功であろうか。それでも、疲労は蓄積していっている。

 古希を過ぎてから、40代の人間が受け持つような仕事を続ける羽目になるとは思ってもみなかった。一生の中で今が一番辛い日々かもしれない。身体、頭、心のすべてでしんどい日々が続いている。身体だけなら、頭だけなら、心だけならはるかにしんどい日々は経験してきたが、三者とも辛い日々は初めてのような気がする。いや、一年前も三者とも辛かったのだが、今回はそれ以上のように思う。こういう日々は、まずは2月いっぱいから4月までは続きそうだ。いや、今年の8月ころまで続くかもしれない。心が持っても、身体と頭がパンクするかもしれない。いや逆に、身体と頭は持つが、心が耐えられず、その結果身体と頭がパンクするかもしれない。

 基本は、体力がない割に忙しすぎることだ。相変わらず、私は「縁の下の力持ち」の日々である。短大でもそうだったが、この10年間没頭してきた「つくる会」でも「縁の下の力持ち」ばかりやってきた。現行版の公民教科書の土台を作ったが、私の思うような教科書を最終的にはつくれなかった。採択戦のたびに歴史も公民も各社教科書の分析を行い比較対照する作業を行ってきた。その中で、育鵬社が「つくる会」の教科書から盗作している事実をつかみ、2011年から2016年まで5年少々追及し続けてきた。2017年の一年間だけは自分のやりたい仕事であった戦時国際法の研究に頭を使った。だが、また、2018年度の一年間は本来引き受けたくなかった『新しい公民教科書』作成の責任者として検定申請本を作った。責任者の引き受けに関しては、杉原誠四郎氏との共著『憲法及び皇室典範論』(自由社、2017年)に触れたとおりである。2018年度の一年間も、とりわけ2018年12月から2019年2月初旬のあたりは、今回と同じく身体的にも頭の上でも心の上でも地獄であった。2018年度も、2019年の11月末からも、私は体力の割に異常に働いている。こんな働き方は、身体的にも頭のスタミナの点でも、精神の上でも危険である。


 さて、頭や身体、精神の辛さを思うとき、最近二つのことを考えるようになった。一つは、私の人生は本当についていなかったなということである。それは、別に「縁の下の力持ち」であったことを嘆いているのではない。「縁の下の力持ち」で終わってもいいのだが、私の苦労はほとんど結果を伴っていない。2011年も2015年も『新しい公民教科書』の採択は本当に微々たるもので、ないに等しかったし、盗作追及の裁判も敗北したし、私の教科書分析を生かす動きはゼロではないが「つくる会」の中でさえもほとんど生まれなかった。そもそも私の仕事を知らない人が多数である。いや、一番嘆かわしいのは「つくる会」関係のことではない。何といっても『自衛戦力と交戦権を肯定せよ』(自由社、2017年)がほとんど何の影響も政治や社会に及ぼせなかったことである。何とも、思うようにいかない人生だったなと、公民教科書で忙殺され、自分の一番やりたいこと、やらなければならないことである戦時国際法の研究を中断している自己を振り返って、最近よく思うようになった。と同時に、何度も書いてきたように、日本の憲法学や国際法学のレベルの低さ、ガラパゴスぶりにため息をついてばかりである。

 50年以上前のある出来事

 もう一つは、1969(昭和44)年2月下旬のある情景である。2月26日だったと思うが、京大全共闘は時計台を封鎖したが、翌朝、京大当局の支持の下圧倒的多数の民青を中心にした行動隊に封鎖を実力解除された。その折、時計台の狭い入口のところで、私が属した部隊は、上がってくる多数の民青の部隊を阻止すべく、戦った。前の晩からほとんど飯を食べておらず腹が減って全然力が湧かなかったことを覚えているが、20人ほどの部隊で戦ったのは私一人だった。そもそもセクトに属していてガタイもよかった学生が部隊の指揮官を務めていたことを憶えているが、彼は、他の学生たちとともに固まってしまって全く戦おうとせず、指揮を全くとろうともしなかった。その部隊は寄せ集めで、そもそも訓練などほとんど受けたことはなかったから、ある意味当然だったのだが、私は、怖がって戦おうともしない学生たちを怒鳴りつけていた。

 比較的成り行きで部隊に属しただけの私が、民青の竹槍に口の端を斬られ血だらけになりながら戦った。この時の傷跡は、数年前になってようやく目立たなくなった。民青の部隊も、血だらけの私を怖がり、一挙に上がってくることはなかった。結局、誰も戦わず、民青も上がってこないから、その戦線は意味がなくなり、そこから引き上げたことを覚えている。

 私にとってはそれほど印象的な経験ではなかったが、その時のことを見ていた私の同級生はよく覚えていて、何人かの同級生から感心されたことを思い出す。噂話としても伝えられていったようだ。50年近くたってからも、その点を言われることがあった。

 他の人に何回か言われたことで、私の中でも印象的な出来事として記憶されるようになった。しかし、私にとっては良いこととしての思い出ではない。私がついていない人間であること、というよりも孤軍奮闘ばかりしてきたこと、劣勢になったときに逃げずに向かっていく情勢の読めない(情勢を読まない)人間であることを象徴する出来事として、この時計台の空間を思い出すのである。何となく、私という人間の原風景が、この19歳の終わり頃の出来事に見られるのではないかと時々思うのである。

 ただし、単に悪いことの象徴ではない。劣勢になったときに逃げずに向かっていく情勢の読めない(情勢を読まない)姿勢こそが、未来を切り開くのではないかと信じるようにもなっている。


補記、2020年1月27日 

  とりあえず、今日すべき第一弾を終えた。そのあと眠ろうとしたがすんなり眠れない。いろいろなこと、いや一つのことを考えてばかりだ。昼から首の治療に出かけ、夕方から夜にかけて、本日行うべき二つ目の仕事をこなすつもりだ。
  昨日から、頭と心が壊れそうだ。こん畜生と叫びたいが、老人にはそういう場も体力もない。
  この場で言葉を吐き捨てることによって心の平衡を保つしかない。
  とはいえ、何とか、苦難を乗り越えて今の仕事を完結するだけだ。

2020年1月30日……最悪な精神状態

  昨年11月末から年が明けて1月7日まではほとんど休みが取れなかったし、体と頭に無理をさせてきた。先週の水曜ぐらいから体や頭に対する負担のかけ方は減ったはずだが、今日は本当に体が辛くて朝から寝てばかりだ。

  原因は仕事量にもあるが、精神的なしんどさが絡んでいる。何度も書いてきたが、今私がすべき第一の仕事は、戦時国際法に基づき日本の冤罪を晴らす研究を行い論考にまとめることだ。だが、否応なくやらざるを得なくなった公民教科書の仕事に忙殺されて、ここまで1年半くらいの時間をつぶされた。しかも、今後どこまでつぶされるかよくわからないし、公民教育に関してどういう成果が生まれるかも分からない。いつ戦時国際法研究に戻れるかわからないというのが不満の一番の原因であり、精神の辛さの根源だ。

 公民教科書の仕事よりも恐らく戦時国際法に基づき冤罪を晴らす試みの方が意味があると確信していながら、公民教科書の仕事をやり続けるのは何ともしんどいものがある。そのことを考えると、爆発したくなる。
 いや、そうであっても、前の段落に書いたように、公民教育改善に明確な成果が期待できるならば、私の精神状態は落ち着いたものであることも可能であろう。だが、その点に関して悲観的に考えてしまいがちだから、本当に精神が平衡を失いがちである。

 とはいえ、迫った仕事を片付けていくしかないであろう。


  転載不可



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