日本の保守は2016年ではなく2011年に終わっていた―育鵬社歴史教科書盗作問題と日本国紀コピペ問題

日本国紀コピペ問題を知る

 1月31日、上京した。疲れのため、1日と2日は横になって過ごし、休養にあてた。
 疲れだけではなく、31日の朝以来、元気が出ない。31日の朝、東京行の前にパソコンを開き、私のところに届いているツイッターを見た。びっくりした。『日本国紀』にコピペ問題、又は盗作乃至著作権侵害問題が持ち上がっていることを初めて知ったからだ。

 『日本国紀』については読む暇もないので読んでいないが、ベストセラーになっていることを喜ばしく思っていた。だが、コピペ個所に関するツイッター上の対照表を見ると、平成23年版育鵬社歴史教科書ほどではないかもしれないが、育鵬社に匹敵するほどのコピペ個所が多数存在することを知った。ツイッター上の対照表が嘘でなければ、この『日本国紀』コピペ問題は深刻な問題である。従って、問題の存在自体に、私は消耗した。

 コピペ問題自体と同じくらい消耗したのは、『日本国紀』の一部に関して事実上監修したと称する某氏のツイッターを読んだことであった。氏は、本ブログ記事のURLを貼り付けたうえで、扶桑社教科書と類似した育鵬社教科書は著作権侵害でないと判定されたのだから、『日本国紀』も著作権侵害ではないとしていたのだ。氏は、育鵬社歴史教科書盗作問題の時には育鵬社側の人間だったようだから、余計に「あーあ」という感じだった。被害者側の一員である私としては、加害者側から再度被害を受けた感じがした。いわば二次被害であろうか。

 2011(平成23)年に育鵬社盗作問題が起きて育鵬社側が居直ったとき、保守派の腐敗堕落を予想したものだが、その通りの展開になっているなと私は思った。2011年当時、謝罪ができれば保守は大丈夫だが、できなければ終わっていくだろうと思った。しかし、誰一人謝罪しなかった。

 それゆえ、3回ほど前の記事で「日本の左翼は1974年に終わり、保守は2016年に終わった」と書いたが、保守は2011年に終わっていたのだな、と認識を改めることにした。

育鵬社盗作問題隠蔽同盟の分裂

 また、もう一つのことを思った。2011年以来5年間、私は、ある意味ほとんど一人で(もちろん、私以外にも何名かは真剣に育鵬社の告発を行ったが)育鵬社盗作問題を告発し続けたが、保守系の多数派も左翼リベラルも全て沈黙を貫いた。左翼リベラルと保守の多数派は、一緒に「つくる会」攻撃を行い、「つくる会」つぶしの目的を達したのである。もちろん、「つくる会」は存続しつづけているし、存続し続けるだろうが、2011年の壊滅的打撃の痛手は残り続けている。いわば、両者は、共通の敵を叩くために、育鵬社盗作問題隠蔽同盟を結んでいたのである。
 *新しい歴史教科書をつくる会編著『歴史教科書盗作事件の真実』自由社、2012年、参照。

 従って、私は、『日本国紀』以上のコピペ問題であった育鵬社盗作問題を共に見逃すことについて協同していた保守派多数派と左翼リベラルは、今回は分裂したのだなと感じた。自分が当事者でもない人たちが、『日本国紀』に関する対照表を作った情熱に驚いたが、ならば、事は多数の中学生が使う教科書のことだけにより深刻な問題であった育鵬社歴史教科書盗作問題に、彼らは何ゆえに注意を払わなかったのか、と感じている。
 
 著作権法の問題以前に言論界のマナーとしての問題が重要である

  前置きはこれくらいにして、本題に入ろう。コピペ問題に関するやり取りは知らないが、明確に言えることは、『日本国紀』の作り方は言論界のマナーを守っていないものであることだ。その点を居直らない方がよい。もっとも、今の力関係から言えば、居直りに成功してしまう可能性は高いだろう。だが、居直りが成功すれば、更に所謂保守派の腐敗堕落は更に極まることになろう。2011年以来、腐臭がしていることに気付くべきである。

 問題は著作権法に違反しているかどうかではない。それ以前に言論界のマナーやルールを守っているか否かである。この問題をすっ飛ばして、育鵬社問題が著作権侵害ではなかったのだから『日本国紀』問題も大丈夫だという問題の立て方は誤っていると思う。すぐに法律がどうか、判例がどうかという話しをする人が多いが、それ以前に言論の在り方との関係でマナーはどうあるべきか、そのマナーを守っているかという形で議論すべきではないか。同じことを2011年の育鵬社盗作問題の時も思ったものである。

育鵬社盗作事件二審判決についての補足 

  それで次に法的問題のほうであるが、この問題に関しては、某氏に育鵬社歴史教科書盗作事件及びこの判決を引き合いに出されたので、この事件の二審判決について、補足的な説明をしておこう。恐らく、私しか補足説明はできないと思うので。
 
 詳しくは拙著『歴史教科書と著作権』(三恵社、2016年12月)を参照されたいが、著作権法について法曹界で分かっている人は数少ない。裁判を担当する裁判官自身もよくわかっていない感じである。そのことは、育鵬社歴史教科書盗作事件二審判決(平成27年9月10日知財高裁判決)を読んで、骨身にしみて学習したところである。

 平成23年版育鵬社歴史教科書――盗作個所47件、デッドコピー個所8か所

 では、平成23年版の育鵬社歴史教科書とはどういうものだったか。育鵬社の『新しい日本の歴史』には、『新しい歴史教科書』(平成17年版)と酷似した部分が47か所存在した。単元全体を『新しい歴史教科書』から盗んでいるケースさえも存在した。そのうち、デッドコピーといえる例が最低8か所存在した。例えば、「国分寺建立」に関する『新しい歴史教科書』と『新しい日本の歴史』を並べて引用しよう。

○『新しい歴史教科書』(平成17年版、扶桑社)
聖武天皇は、国ごとに国分寺と国分尼寺を置き、日本のすみずみにまで仏教の心を行き渡らせることによって、国家の平安をもたらそうとした。都には全国の国分寺の中心として東大寺を建て、

○『新しい日本の歴史』(平成23年版、育鵬社)
聖武天皇は、国ごとに国分寺と国分尼寺を建て、日本のすみずみに仏教をゆきわたらせることで、政治や社会の不安をしずめ、国家に平安をもたらそうとしました。また、都には全国の国分の中心と寺して東大寺を建立し、」


 こういうデッドコピーといえる例も含めて、一審も二審も、一件も著作権侵害を認めなかったのである。一審判決の時は、少しは予想していたこととはいえ、「つくる会」の多くの人たちは嘘だろうという気持ちを抱いたようだ。

 なぜ、著作権侵害が認められなかったのか

 では、なぜ、こんな例も含めて著作権侵害が認められなかったのか。その理由はいろいろあるが、もう一度言うが、著作権法の理論をきちんと把握している人間は、ゼロではないだろうが、ほとんどいない。これが第一の理由である。言い換えれば、理論が未確立なのが第一の理由である。

 理論が未確立であり(感覚的な表現をとるならば)ふわふわしているから、何よりも弱い政治勢力が裁判に勝つことは難しくなる。左翼と保守多数派を敵としていた2011年から2015年までのつくる会が勝つことには、政治的に困難が付きまとったといえる。また、同じ理由から、事案自体が内包する論理からではなく、弁護士の数や能力・熱意や裁判官の性格、政治的志向などに左右される可能性が高くなる。今になってよくわかるが、この点でも、「つくる会」は不利だったと言える。

 しかし、以上に述べた事柄は、きわめてふわふわした感じのものである。論理的に言って一番大きな理由は、数々の原告側の失敗であった。前に2年ほど前の記事で書いたことがあるが、裁判に関しては、ああすればよかったと感じる点が多々存在する。

 その中でも一番重要な失敗は、著作権法裁判に関する無知から、一審で複製権侵害による侵害を主張しなかったことである。もっぱら翻案権侵害だけを主張したものだから、一審裁判所は、翻案権侵害の判決として最高の権威である江差追分事件最高裁判決の論理だけをもっぱら適用することとなった。著作権侵害を認めなかった江差追分事件最高裁判決の論理を用いることは、必然的に育鵬社歴史教科書事件においても著作権侵害を認めないこととなったのである。

 また、著作権侵害が認められなくても不法行為が認められた判例が一つだけとはいえ存在するから、一審では一般不法行為も主張すべきであった。だが、これも、無知ゆえに我々は行わなかった。

 一審で負けた論理的な理由は、複製権侵害を主張しなかったことに尽きていると言える。付け加えれば、一審では、複製権侵害を問題にしなかったから、特にデッドコピーの存在をきちんと主張することもしなかった。さすがに、二審では、複製権侵害も、関連してデッドコピーも、不法行為も主張したが、時すでに遅しであった。一般的に言って、日本の裁判では一審で負けた側が二審でひっくり返すのは困難である。だが、それどころではなく、二審では、新たに主張した複製権及びデッドコピーの問題、不法行為の問題は全く審理されなかったのである。それゆえ、二審判決は、翻案権侵害に関する判例とはいえるが、複製権侵害に関する判例たりえないのである。

 今書いていて、本当にとんでもない判決であったと思う。付言すれば、扶桑社版(平成17年)の創作性を否定するにあたって、裁判所は、平成25年の一般著作物でも同様のことが書かれているから扶桑社版には創作性・著作物性はないと述べている。つまり事後法を適用したのである。二審裁判官は、事後法を適用した東京裁判と同じ考え方をしているのである。明らかに、育鵬社歴史教科書盗作事件の二審判決は、違法裁判であった。

 複製権侵害は翻案権侵害よりも認められやすい
 
  さて複製権侵害の件であるが、複製権侵害は、実は翻案権侵害よりも認められやすいのである。複製権侵害については次のような判決がある。

 「著作物の複製(著作権法21条、2条1項15号)とは、既存の著作物に依拠し、その内容及び形式を覚知させるに足りるものを再製することをいう(最高裁昭和50年(オ)第324号同53年9月7日第一小法廷判決・民集32巻6号1145頁参照)。ここで、再製とは、既存の著作物と同一性のあるものを作成することをいうと解すべきであるが、同一性の程度については、完全に同一である場合のみではなく、多少の修正増減があっても著作物の同一性を損なうことのない、すなわち実質的に同一である場合も含むと解すべきである。」(通勤大学法律書コース事件一審判決《平成17年5月17日》、二審判決《平成18年3月15日》)


  二番目の傍線部から知られるように、複製権侵害は、デッドコピーの場合はもちろんのこと、酷似している場合には十分に主張できる。それどころか、数々の裁判を検討してみると、酷似と類似との中間ぐらいの場合も複製権侵害が認められるケースがあるのである。

 育鵬社事件以外の問題への応用という点では、ノンフィクションや歴史関係書物に関する裁判例が参考になる。いくつか、例を挙げておこう。

 『破天荒力』事件一審判決が著作権(複製権)侵害と判断した記述 

   一つは、『破天荒力』事件一審判決である。これは、当時神奈川県知事であった松沢成文氏が著した『破天荒力──箱根に命を吹き込んだ「奇妙人」たち 』(2007年5月、講談社) が、山口由美氏の『箱根富士屋ホテル物語【新装版】』(2002年4月、トラベルジャーナル) の著作権を侵害したものではないかとして、争われたものである。
 原告は30数か所の著作権侵害を主張したが、結局、認められたのは次の一件だけであった。

○『箱根富士屋ホテル物語【新装版】』 
のちに孝子は、スコットランド人実業家メートランドと再婚し、メートランド・孝子となる。(150頁)
 孝子と別れた正造は生涯、独身を通した。(略)二度と結婚をしなかったのは、正造が富士屋ホテルを結婚相手だと考えていたからではないかと私は思う。そう、正造が結婚したのは、最初から孝子というより富士屋ホテルだったのかもしれない。 (152頁)

○『破天荒力』 
のちに孝子は、スコットランド人実業家と再婚したが、正造が再婚することはなかった。彼は、富士屋ホテルと結婚したようなものだったのかもしれない。 (218頁)
 富士屋ホテルと結婚した男    (217頁)
 

  複製権侵害とされ 削除を命令されたのは、「彼は、富士屋ホテルと結婚したようなものだったのかもしれない。」という2行である。この2行が『箱根富士屋ホテル物語【新装版】』にある「正造が結婚したのは、最初から孝子というより富士屋ホテルだったのかもしれない。」という具体的文章表現の著作権を侵害しているとみなされた。

 しかし、この文章表現は、余りにも短く、それほど特殊なものではないように思える。そこで、第二審では、この一件も著作権侵害ではないとされた。二審判決の方が妥当であるが、上記程度のものさえも、裁判所が著作権(複製権)侵害と認めることがあるということに注意すべきであろう。

 『風にそよぐ墓標』事件二審判決が著作権侵害と認めた記述

 また、『風にそよぐ墓標』事件二審判決が著作権侵害と認めた記述も掲げておこう。『風にそよぐ墓標』事件とは、ノンフィクションライター門田隆将氏の作品が著作権侵害として訴えられた事件である。平成22(2010)年8月、集英社から門田氏の『風にそよぐ墓標――父と息子の日航機墜落事故』(集英社)というノンフィクションが出版された。タイトル通り、日航機墜落事故をテーマにした作品である。この作品は、事故の被害者遺族である池田知加恵氏からも取材し、その著書 『雪解けの尾根』(ほおずき書籍、1996年)も参考にして作成されたものであり、きちんと池田氏の著書を参考文献に掲げてもいた。つまり、少なくとも一応のマナーを門田氏は守っていた。
 *ちなみに、育鵬社盗作問題の検討をしていた際、門田氏の著書も、池田氏の著書も読ませていただいたが、共に読み応えのある書物であった。 

  池田氏は、翌年10月、門田氏の作品が自己の著作権を侵害しているとして、東京地裁に提訴した。一審判決は平成25年3月14日、二審判決は同年9月30日に言い渡された。いずれも、原告が基本的には勝利した。一審では、原告が著作権侵害だと指摘した26箇所のうち17箇所で著作権侵害を認定され、二審では、そのうち14箇所で著作権(複製権又は翻案権)侵害が認定された。著作権侵害とされた14件の記述を見ると、文章が酷似したケースがほとんどではあるが、これを著作権侵害と見なすのは少々厳しすぎるのではないかという例もある。例えばNO.5の例を以下に掲げる。 

NO.5 
『雪解けの尾根』19頁
 みなさすがに不安と疲労の色濃く、敗残兵のようにバスから降り立った。
 
『風にそよぐ墓標』134頁
 不安と疲労のために、家族たちは“敗残兵”のようにバスから降り立った


 「敗残兵のようにバスから降り立った」という表現が印象的なので、裁判所は著作権侵害を認めたのであろう。だが、この表現はそれほど特殊な表現でもないし、原告書籍の下線部は20字強にすぎない。
 このようなケースさえも著作権侵害であるとの判決が出ていることに注目すべきである。

 終わっていない育鵬社盗作問題 

  最後に補足するならば、育鵬社盗作問題はまだ終わっていない。ほとんどの盗作個所は、平成27年版で直されはしたが、一部の盗作個所が残っているからだ。今度の検定申請本で直されることを期待している。ところが、二審判決は、すべての個所が直されたと勘違いしてしまった。この勘違いも、育鵬社側が勝利した一因となっている。



 補記――愛国労働者党と愛国自由党の必要性 

 2015年12月の日韓合意以来、安倍政権の劣化が止まらない。そのグローバリズムへの屈服ぶりはとどまるところを知らず、日本売りに狂奔している。安倍氏の劣化は、少なくとも2011年に始まっていたのだろう。そして、安倍氏を担ぐ人たちの劣化も同時期に始まったのだと思われる。劣化は、育鵬社歴史教科書という偽物を安倍氏及び氏に繋がる人たちが擁護した瞬間から始まったのだ。そして、日本国紀というコピペ本を擁護することによって、更に劣化は極まっていくのであろう。
 
  というようなことを感じるとともに、本当に日本には民族派政党が存在しないなということを痛感する。しかし、客観情勢からすれば、今こそ、本来の左翼の時代ではないか。今一番日本に必要なものは、愛国労働者党である(歴史上のモデルとしてはかつての民社党があてはまるか)。デフレで賃金が上がらないところに、安倍政権が外国人労働者を大量流入させて更に日本の労働者の生活を破壊しようとしているとき、なぜ、「日本の労働者の権利を守れ」と野党は言わないのか。日本人労働者の利害を守る政党は、日本には存在しない。日本人労働者の利害及び権利を守る愛国労働者党とでもいうべき存在が必要だと思われてならない。
  
  同時に気付くのが、日本の民族資本と日本国家そのものを擁護する政党も存在しないことである。政府の政策は、外国企業の利益を擁護することが第一となっている。日本に根付いた民族企業の利益も、日本国家自身の安全保障をはかることも後回しにされているし、国家安全保障と民族資本の擁護を掲げる政党も存在しない。その意味では、愛国自由党又は愛国党といったものが必要ではないか。そして、今は、愛国自由党と愛国労働者党が連携して、グローバリズムと戦う時ではないか。

 それゆえ、愛国労働者党と愛国自由党の誕生を願うものである。

 ただし、なかなか愛国労働者党も愛国自由党も現れないだろう。なぜならば、左翼はもちろん、保守も恐ろしく歴史も法も知らず、恐ろしいほどに自虐史観に染まっているからだ。

 というようことを考えてくると、私は早く戦時国際法の研究に戻らなければならないということになるのであろう。

 とはいえ、また、すぐに教科書制作に戻らなければならない。


補記2--5月27日記

  正直、日本国紀コピペ問題は腹立たしい限りである。その腹立ちは、日本国紀問題自体だけではなく、育鵬社歴史教科書盗作問題の時に育鵬社側を弁護した人たちが育鵬社歴史教科書裁判の判決を判例として引用しようとしている問題に対するものでもある。

  その後、折に触れて考え続けたが、この記事では、二つの重要なことを書き忘れたことを思い出した。それは、内容面以前に、特に二審判決が著作権裁判として当然必要な手続きを欠いた違法裁判だったことである。
 
 本ブログに掲載した「育鵬社盗作問題 二審判決の不当性を論ずる」から、一部を転載することにする。
  https://tamatsunemi.at.webry.info/201510/article_2.html


 実際の執筆者に対する証人尋問申請を却下した不当判決

 今回の判決は、内容面だけではなく、手続面でも不当なものである。「国分寺建立」や「稲作開始」の例のようなデッドコピーは、なにゆえに発生したのであろうか。当然、誰もが感じる疑問である。この点を解明するためには、実際に文章を執筆した中学校教員から『新しい日本の歴史』の作成方法について問いただす必要があった。そこで、控訴人側は中学校教員の証人申請を行った。証人申請は4月14日にすぐに却下された。依拠性の問題を検討するためにも、二審で新たに主張した不法行為成立の可能性を検討するためにも、当然に現実に執筆した教員がどういう執筆の仕方をしたのか追求しなければならない。だが、高裁は、ほとんど理由らしきことを述べずに証人申請を却下した。この時に、既に我々の敗訴は決まっていたのだと推測される。

 中学校教員の尋問は、デッドコピーと不法行為の論点が加えられた以上、どうしても必要な裁判の核心的手続であったと言える。この核心的手続きを省略してなされた今回の判決は、手続き面から見ても著しく不当なものであることを確認しておきたい。

事後法を認める不当判決

  手続面と言えば、『新しい歴史教科書』の21箇所の記述の創作性を個々に否定していく仕方も、極めて不当である。例えば、「リットン調査団」の箇所で検証してみよう。この箇所では、『新しい歴史教科書』は、A《調査団が、満州の日本人の権益がおびやかされていたことを認めたこと》と、B《調査団が日本軍の撤兵を勧告したこと》を記すとともに、C《日本と中国との間で停戦協定が結ばれたこと》という事項も選択した。

  他社の場合は、日本側に不利なBだけを取り上げ、日本側に有利なAとCの歴史事実は無視してしまう。日本側が一方的に悪いから満州事変以降の戦いが起きたのだという構図を生徒に植え付けるためである。これに対して、『新しい歴史教科書』は、唯一、日本側に有利なAとCをも取り上げた。極めて個性的、創作的な【事項の選択】である。そして『新しい日本の歴史』は、この個性的な【事項の選択】を模倣しているのである。

  しかし、知財高裁は、そもそも『新しい歴史教科書』の【事項の選択】の創作性を認めなかった。Aの選択については平成23年版教育出版にも書かれていることを理由に、その個性をみとめなかった。そして、『新しい歴史教科書』の出版された17年より後の出版物であっても、『新しい歴史教科書』の創作性を否定する「資料」として使える(50頁)と判決が記している所にはびっくりした。後に出版された教科書に書かれているから、その前に出された教科書に創作性がないというのである。とんでもないことをいうものである。いわば、事後法を認める精神の発露である。

  また、Cの選択についても、山川出版の高校教科書『詳説日本史B』(平成18年版)に記述があることを理由にして、『新しい歴史教科書』の個性を認めなかった。『詳説日本史B』は高校教科書であるし、『新しい歴史教科書』より後に出された出版物である。ここでも、事後法を認める精神が発露されているのである。二審裁判官には法の精神の欠片もないと言うべきであろう。

  なぜ、判決は、こんなとんでもないことを述べるのか。控訴に当たって、控訴人側は、平成23年版教科書に書かれていることを理由にして平成17年版の『新しい歴史教科書』の創作性を否定することは出来ないのではないか、と指摘した。また、控訴審中においても、育鵬社側が『新しい歴史教科書』の創作性を否定するために、例えば平成25年出版の著書を証拠として数多く出していたので、控訴人側は出版年の問題をつとに指摘しておいた。これは、控訴人側のこの指摘に対するトンデモ回答なのである。
 

  転載自由




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この記事へのコメント

高木正雄
2019年02月08日 20:56
日本国紀は小説でも教科書でもありません。小説のような独創性が求められてるわけでもないし、教科書のような独自の説明を求められてるわけでもありません。歴史書を編纂すると言いますが、編纂とは「多くの材料を集め、またはそれに手を加えて、書物の内容をまとめること。編集。」であり、伝統的に歴史書の基本はコピペなのです。魏の曹操が書いた『魏武帝註孫子』は、孫子を丸ごとコピペして独自の解説を加えたものです。コピペしたと批判されてる箇所は独創性は必要ないと判断された箇所に過ぎないのです。

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