教科書執筆とはどういうものか--小山常実陳述書 付、育鵬社盗作実行者○○氏の陳述書

自由社と育鵬社の教科書執筆方法の違い  

  9月10日の判決を受けて、二審の過程を振り返っている。前回の記事では、盗作実行者の○○氏の証人尋問問題を取り上げ、証人申請を行った書面を掲載した。次には、原告である藤岡信勝氏の陳述書と私自身の陳述書を掲載することにする。藤岡陳述書は、訴訟に至る経過と一審判決批判に加えて、自己の教科書執筆をするにあたって気を付けたことを「稲作伝来」のケースに即して展開している。小山陳述書は、自己の公民教科書と歴史教科書執筆の経験に基づき、教科書執筆とはどういうものか、説明している。

 二つの陳述書を読むと、育鵬社側の教科書執筆方法が、いかに異常なものだったか、よく分かる。ブログ記事の流れから行けば、○○氏の陳述書に対する批判を意識して書かれた私の陳述書から掲載した方が分かりやすいので、小山陳述書を今回掲載することにする。最後に、もう一度、○○氏の陳述書を載せるので、両者を読み比べていただきたい。自由社と育鵬社の教科書づくりに対する姿勢の違いが浮き彫りになるだろう。

他社は、自分の頭で文章を紡いでいる 
  
  なお、付言すれば、当たり前のことだが、他社の教科書執筆方法は、育鵬社ではなく、自由社の方に近い。今回の訴訟で、平成8年版、13年版、17年版、23年版の教科書記述を47箇所について比較検証したし、平成27年版についても分析項目ごとに文章を打ち込む作業を行った。その作業を通じて、「あれ同じ文章だな」という経験をすることはなかった。もちろん、記述が1~2行程度定番化しているケースはあるのだが、そういう場合でもデッドコピーではないかと思うことはなかった。

  「あれ同じ文章だな」という経験は、平成23年版育鵬社歴史教科書で初めてしたものである(27年版にも盗作箇所はそのまま残っている箇所が少しある)。しかも、数十箇所でそういう経験をしたのである。育鵬社は、3行程度のデッドコピーなどよくあることと言ったが、これは他の教科書会社及び執筆者に対する著しい侮辱である。
 
  また付言すれば、他社は、似たような思想傾向の教科書をつくっている会社同士でも、独自の事項の選択をしている。今回の訴訟を経験するまでは、各教科書の【事項の選択】は似たようなものだと思っていた。ところが、教科書によって、随分書いている事項が違うのである。また、同様の事項を選択した場合でも、配列が微妙に違っているし、選択と配列が同じであっても、それでも各社の文章は違うものになっていた。このことを発見できたことは、私にとって一つの勉強になった。
 
  今の歴史教科書が反日的なことは有名な話である。この点について勿論私は批判的であるが、今回の訴訟を通じて、東書等自虐5社の教科書を見直すようにもなった。学び舎については資料集としか思えないので外しておくが、東書や帝国等5社は、自分の頭で考え時間をかけて教科書執筆を行っている。扶桑社版を中心に他社の教科書から模倣し盗作して執筆した育鵬社とは雲泥の差である。

  しかし、今回の一審二審判決を通じて、歴史教科書は著作権を否定されてしまった。これからはコピペ教科書でOKとなる。盗まれ放題となる。他の教科書会社は、3年前に『歴史教科書盗作事件の真実』(自由社、2012年)が発行されても、この問題について声を上げなかった。そして未だに声を上げない。極めて不思議である。
 
 縷々書いてきたが、ともあれ、小山陳述書を○○氏陳述書と読み比べていただきたい。


     

         小山常実陳述書
              
                                    平成27年3月23日                                           
                       
                        
 (1)中学校歴史教科書及び公民教科書をなぜ執筆したか

 私は、昨年3月まで大月短期大学に教授として奉職し、研究と教育に携わってきました。 主として研究してきたのは、戦前戦後の憲法学説史と、同じく戦前戦後の小中学校の教科書内容史です。特に、平成に入った頃からは、戦後の中学校歴史教科書と公民教科書の内容史について最も力を割いて研究してきました。

 その関係から、平成19年6月、「新しい歴史教科書をつくる会」(以下、「つくる会」と略す)の理事になるや、同22年度検定に申請する『新しい公民教科書』3版の代表執筆者に指名され、この教科書の構想を練り、主要な著者の一人として執筆する仕事に携わることになりました。

 また、平成25年4月、同26年度検定に申請する『新しい歴史教科書』5版の執筆者となり、一部のコラムを分担執筆することになりました。

 以下に、この二回の教科書執筆の経験を紹介し、教科書の執筆とはどういうものか、分かっていただきたいと考え、筆をとった次第です。

 (2)『新しい公民教科書』執筆作業について

 最初に『新しい公民教科書』3版の執筆作業について説明したいと思います。平成19年6月の「つくる会」理事会で代表執筆者に指名された私は、早速、教科書の構想に取り掛かりました。構想は、全く一から立てなければなりませんでした。通常ならば、三版ともなれば、全体の単元構成だけではなく、単元の中の小見出しや具体的文章に至るまで、前の版を基にして作成することができます。

 しかし、前の版である『新しい公民教科書』2版の著者たちは、代表執筆者である被告八木秀次氏を初めとしてほとんどの著者たちが、「つくる会」を離れ、八木氏が理事長を務める「日本教育再生機構」と被告屋山太郎氏が代表世話人を務める「改正教育基本法に基づく教科書改善を進める会」が進める教科書運動に参加していきました。また、初版の著者たちも、代表執筆者である西部邁氏を初めとして多くの著者たちが既に「つくる会」を離れていました。ちなみに、乙42号証として陳述書を提出している○○○○氏は、『新しい公民教科書』の初版、2版とも執筆者として名前を連ねています。

 したがって、我々には、『新しい公民教科書』の初版と2版に関する著作権は全くありませんでしたから、初版や2版の単元構成、小見出し、具体的文章を基にしてつくることは許されませんでした。一から教科書全体について構想し、一から起稿しなければなりませんでした。

 このことは、育鵬社版の『新しい日本の歴史』にも当てはまることです。『新しい公民教科書』の執筆者がほとんど「つくる会」を離れたのとは反対に、『新しい歴史教科書』の執筆者はほとんど「つくる会」を離れませんでしたので、育鵬社側には『新しい歴史教科書』初版及び2版の単元本文に関する著作権は、7単元を除けば、全く存在しませんでした。ですから、『新しい日本の歴史』をつくる場合にも、一から単元構成、小見出しを考え、一から文章を起稿する必要があったことになります。しかし、実際に出来あがった『新しい日本の歴史』を読むと、育鵬社側は単元構成や小見出しどころか、具体的文章さえも『新しい歴史教科書』2版を下敷きにして作成していたのです。まことに残念なことです。


 さて、話を進めますと、代表執筆者となった私は、6月末から7月にかけて二度開かれた歴史・公民合同執筆者会議で、『新しい公民教科書』も含めた従来の公民教科書の欠陥を説明し、平成10年版中学校学習指導要領が規定する社会科公民的分野の内容について説明し、仮の目次案・章節及び単元案を示しました。この二度の会議を経て、主要な執筆者を決定し、8月22日に第1回公民教科書執筆者会議を開催し、執筆分担を決定しました。

 これ以後、平成21年11月15日まで、15回、ほぼ丸一日をかけた会議を続けました。一からの教科書づくりであったため、そして平成20年3月に新学習指導要領が出されたため、何度も目次及び章節構成からして練り直され、何度も各単元の執筆分量も変更されました。また、構成案の変更に関わりなく、原稿については何度も検討を行い、平均して数回の書きなおしを行いました。私の場合は、多いところでは5回ほど書き直しましたし、私の分担ではありませんでしたが、家族関係の原稿は7、8回の書き直しがされたように記憶しております。原稿は会議前に予め読んでおくのが原則でしたから、代表執筆者であった私は他の執筆者の原稿に目を通し、すべきコメントを考えた上で毎回会議に臨んでいました。

 こうして同年12月まで、2年半ほど、私は公民教科書執筆に携わりました。この間に私が行った作業は、憲法制定200年を記念して出されたアメリカの公民教科書や新学習指導要領の分析把握などの調査研究、全体構想の立案とその修正案の作成、自己の分担分(単元)の執筆とそのための研究、会議の主催とまとめ、他の執筆者の原稿へのコメントなどですが、実際に私が執筆した原稿は、単元本文とコラムを合わせて17本、400字原稿に換算しておおよそ40枚強に過ぎません。それでも、2年半のうち1年半ほどの間は、当時勤めていた大月短期大学における仕事と教科書作成作業に完全に忙殺されました。

 このような教科書作成の経験に照らし、○○氏がわずか1年9か月ほどの間に単元本文とコラムなどを合せて120本もの原稿を執筆したと同氏陳述書で述べていることを知り、そのことが到底信じられませんでした。

 それはともかく、私は、○○氏とは異なり、執筆に際しては、参考にすれば著作権侵害の行為を誘発しやすい『新しい公民教科書』はもちろん、他社の教科書もほとんど見ませんでした。もちろん、公民教科書史の研究者でもある私は、『新しい公民教科書』や他社の教科書が記している内容についてはおおよそ把握していましたが、特に文章を具体的に記すに際して、それらの教科書を見ることは全くありませんでした。論文を執筆するに当たっても、他者の論文の文章を見ながら或いは参考にしながら執筆することはありません。そういう論文の書き方をすれば、たとえ悪意がなくても著作権侵害を行う可能性が高くなるからです。もちろん、自分が文章を書き出す前には、関連する論文を読み、内容をきちんと把握する作業を行いますし、文章を書いた後にはもう一度その関連論文を読むということはあり得ますが、あくまで文章を紡ぐ際には他者の論文などを見ることはありません。

 ですから、○○氏の「他社の教科書記述を参考にしながら、教科書にふさわしいものとなるよう文章を紡いでいきました。」という陳述には、本当に驚きました。こういう書き方をしていたのでは、他社教科書の内容だけではなく、文章さえも図らずも盗んでしまう事態が生じやすいのではないかと感じました。

(3)『新しい歴史教科書』の執筆作業について

 次に、『新しい歴史教科書』5版の執筆作業について説明したいと思います。『新しい歴史教科書』については、私は1頁大コラム(1000字程度)を2本と小コラム1本(500字程度)を担当しました。私は主要な執筆者ではありませんでしたから、公民教科書作成の場合のように多くの時間を割くことはありませんでした。しかし、それでも、執筆だけでも40数時間を費やしましたから、他に本務を抱える身としては、少なめに見ても2週間程度この作業に没頭したことになります。

 歴史教科書の執筆に際しても、他社教科書を見ることはありませんでした。もちろん他社の記載内容の把握は、自分の原稿にとりかかかる前や、原稿を書いてしまった後に行うことはありましたが、文章を実際に記すときには全く他社の記述を見ることはありませんでした。

 (4)教科書執筆を経験してわかったこと

 以上の二回の教科書執筆経験を通じて、教科書執筆という作業について感じたこと、分かったことを述べさせていただきます。

 第一に、当たり前のことではありますが、教科書には既成の文献に書かれていない事項は書けないということです。『新しい公民教科書』の平成22年度検定過程においても、『新しい歴史教科書』の26年度検定過程においても、しばしば根拠となる資料の提示を厳しく求められました。仮に正しいことを書いていたとしても、根拠資料を提示できなければ、検定合格できません。教科書は、新しい学説を発表する研究論文とは性格が異なるからです。

 にもかかわらず、原判決は、「ある歴史教科書に、他の歴史教科書には記載のない事項が取り上げられて記載されている場合でも、その事項が歴史文献等に記載されている一般的な歴史上の事実又は歴史認識にすぎないときは、それを当該歴史教科書の中の関連する単元で取り上げ、一般的に歴史教科書に記載される歴史的事項に関連して、その説明のために、又はそれを敷行するものとして、付加して記述することは、歴史学習のための教科書としては通常のことであるから、当該歴史教科書にそのような他の歴史教科書に記載のない事項があるというだけでは、そこに歴史教科書としての個性が表れていると解することはできないというべきである。」と述べています。この文章を読んだ時、教科書執筆者としては、絶望的な気分になりました。原判決のような考え方がまかり通れば、よい教科書をつくるべく、真面目に研究を行い、真面目に【事項の選択】を行う人が報われない世の中がこれからやってくるように思われます。

 
 第二に、教科書執筆は、特に単元本文の執筆は極めて苦労の多い作業だということです。作業時間からいっても、私自身の例で言えば、公民教科書の場合は教科書作成のために検定過程における作業を含めて800時間以上費やしましたし、私が分担した原稿の執筆だけでも350時間以上費やしました。これだけの時間を使えば、1冊乃至2冊の単著を執筆することは十分に可能です。また、私が『新しい歴史教科書』のコラム3本のために費やした40数時間あれば、すなわち2週間程度の時間があれば、論文1本を執筆することは十分出来ます。

 このように作業時間が多いこともあり、端的に言って、一つの単元を仕上げることは、数十枚の論文を書くよりも大変だという感じがしております。もちろん、純粋な時間は1本の論文の方が掛かるでしょうが、一つの単元やコラムを仕上げるには、論文の場合とは異なる苦労があります。

 通常の教科書執筆者は、少なくとも初版作成の際には、全体の章節構成までは考えないとしても、やはり、教科書執筆のためには1つの単元の中にどういう事項を盛り込み、どういう順序で並べるか、考えなければなりません。教科書単元本文の場合は、通常3個程度の小見出しに相当する3個の大項目を挙げた上で、更に各大項目の中に3~4個の小項目を入れなければなりません。

 すると、全体がわずか1000字程度ですから、1小項目に割く分量は平均100字程度となります。文としてはせいぜい2文程度です。そのわずかの分量で、簡潔に的確に小項目を記述することが求められるのです。論文の場合には、上手く説明できていないのでもう少し敷衍して説明しようということで更に文字数を重ねることが許されます。論文の場合は、通常、原稿用紙400字詰め換算で30枚とか50枚という分量の制約があるだけだからです。しかし、教科書の場合にそんなことをしていたら、すぐにその単元に割り当てられている分量を越えてしまいます。ですから、教科書執筆者は、【事項の選択・配列】を考えるだけではなく、各小項目の記述、1文2文単位の細かい表現にまで気を配らなければならないのです。

 盛り込むべき事項が定められていたとしても、執筆者は、その単元のテーマと盛り込まれる事項について、一定の研究をしなければなりません。そのために、そのテーマに関する主要な文献や教科書に盛り込もうと思っている事項を記した文献に目を通しておく必要があります。

 更に言えば、詳しい分野や自分の専門分野について記す場合であっても、執筆者には苦労がつきまといます。詳しくよく分かっていると思っているテーマや事項でも、いざ生徒に分かるように簡潔に書こうと思うとなかなかそれができないことに気付くことは何度もありました。論文等では先述のように説明を詳しくして読者に分かってもらうこともできますが、分量の限られた教科書ではそのやり方は通用しません。短い分量という制限の中で、より簡潔で的確な表現を見付けるために頭を絞らなければならないのです。

 更に頭を絞らなければならない背景に、歴史教科書及び公民教科書は7社乃至8社が競い合う世界だということがあります。通常の書物よりは【事項の選択】の幅は狭いけれども、6つも7つもライバルのいる世界は、少なくとも文系の研究論文の世界よりははるかに競争の激しい世界です。その競争の中で勝ち抜くべく、個性を発揮することが求められるのが、歴史教科書や公民教科書の世界なのです。ですから、部外者が勝手に想像するのとは違って、教科書の内容とその表現は多様なのです(特に歴史教科書)。そのことは、教科書内容史研究者として実感しているところです。


 以上のように、教科書執筆という作業は、時間の上でも、頭の使い方の上でも、苦労の多い、その割に評価されない仕事だと思います。教科書執筆者としては、単元本文やコラム本文の著作権を十分に保護していただきたいと考えています。 




       ○○氏陳述書

一、 原稿執筆に至るまで

(1)扶桑社との関わり
  私 は現在 、 上 記 の 中学 校 で 社 会 科 を 教 え て い ま す 。
  私 が 扶 桑 社 と か か わ り を 持 つ よ う に な っ た の は 、 平 成 11 年 11 月 、 同 社 に歴 史 教 科 書 ( 初 版 ) の ゲ ラ 校 正 を 依 頼 さ れ て か ら の こ と で す 。 前 年 12 月 に 「 新 し い 歴 史 教 科 書 を つ く る 会 ( 以 後 「 つ く る 会 」 と 表 記 ) 」 に入 会 し 、 愛 媛 県 支 部 立 ち 上 げ に 奔 走 し た り 、 産 経 新 聞 の依 頼 で 「 教 科 書 の通 信 簿 」 を 執 筆 し て い た り し た た め 、 社 会 科 担 当の現 場 教 員 と し て 指 名 さ れ た も の と 思 わ れま す 。 ま た 、 執 筆 に つ い て は 公 民 教 科 書 ( 初 版 ) に 2 ペ - ジ の 課 題 学 習 を 掲 載 し て い た だ い た の が 嚆矢 と 記 憶 し ま す 。

  翌 12 年 7 月 に 初 め て 扶 桑 社 を 訪 問 し 、 公 民 の 指 導 書 編 集 会 議 に 出席 、 以 後 約1 年 半 に わ た り 同書 の 執 筆 に あ た り ま し た 。 14 年 か ら は 新 た に公 民 教 科 書 ( 改 訂 版 ) の 作 成に 携 わ る こ と と な り 、 政 治 分 野 を 中心 と し て 16 年 2 月 ま で 執 筆 を 続 け ま し た 。 ま た 、 17 年 度 は 同 書 指 導 書 の 執 筆 も 行 い ま し た 。

(2)「つくる会」との関わり
 こ の 問 、 私 は 「 つ く る 会 」 の 愛 媛 県 支 部 役 員 、 ま た 全 国評 議 員 と し て 活 動 を 続 け 、 東 京 で の総 会 や 評 議 員 会 に も 何 度 か 出 席 し ま し た 。 原 告 で あ る 藤 岡信 勝 氏 の著 書 や 講 演 か ら は 多 く を 学 び 、 ま た 県 支 部 も 教 科 書 採 択 活 動 に お い て 同 氏 に は ひ と か た な ら ぬ 尽 力 を い た だ い た 経 緯 も あ り ま す 。 そ れ だ け に今 回 の 訴 訟 は痛 恨 の極 み と 言 わ ざ る を え ま せ ん 。

(3)「つくる会」の「狭量さ」に失望した
  「 つ く る 会 」 の あ い つ ぐ 内 紛 と そ の 激 化 の た め 、 18 年 7 月 に 愛 媛 県 支 部は 事 実 上 の 解 散 を 迎 え ま し た 。私 は 保 守 系 メ- リ ン グ リ ス ト を 通 し て 「 つ く る 会 J と 日本 教 育 再 生機 構 ( 理 事 長 ・ 八 木 秀 次 氏 ) が 歩 み 寄 る 必 要 性を く り 返 し 訴 え ま し た が 、 「 つ く る 会 J の 一 部 会 員 か ら 猛 烈 な 非 難 と 中傷 を 浴 び る 結 果 と な り ま し た 。 そ の あ ま り に硬 直 し た 原 理 主 義 的 体 質 、 ま た 訴 状 に も あ る 「 内容 、 形 式 及 び 理 念 の い ず れ の 面 か ら 見 て も 、 模 倣 と は認め ら れ な い も の と す る よ う 」 と い う 教 科 書 の 偏 向被 害 に 直 面 し て い る 肝 心 の 生 徒 を 一 顧 だ に し な い 「 つ く る 会 」 の 狭 量さ に深 い 失 望 を 覚 え ま し た 。 藤 岡氏 か ら 「 つ く る 会 」 サ イ ド の 編 集 委 員 会へ の お誘 い も あ り ま し た が 、 以 上 の よ う な 理 由で お 断 り し 、 新 た に設 立 さ れ た 育鵬 社 の 教 科 書 事 業 に全 面 協 力 さ せ て い た だ く こ と に な り ま し た 。

(4)育鵬社へ現場教員が執筆することを提案
   19 年 11 月 に育 鵬 社 の 「 夢 の 教 科 書 プ ロ ジ ェ ク ト 」 ( 編 集 会 議 の 別 称 ) に 初 め て 参 加 し 、 歴 史 分 野 につ い て 実 験 的な 原 稿 ( 本 文 以 外 ) を 何 本 か 執筆 し ま し た 。
   今 ま で の扶 桑 社 版 教 科 書 を 現 場 教 員 の 眼 で 見 た 場 合 、 歴 史 観 や 信 条 は画 期 的 で あ る も の の 、 中学 生 が 使 う に は あ ま り に 高度 で 難 解 な 内容 が 多 い こ と 、 ま た 、 そ の 筆 致 も 様 々 な 著 者 に よ る “パッ チ ワーク 状 態 ” に な っ て い る こ と に 問題 が あ る と 思われ ま し た 。 そ の た め 20 年 4 月 の 編 集 会 議 で 、ベ - ス の 執 筆 を 従 来 の よ う に 学 者 サ イ ド で は な く 現 場 教 員 、 し か も な る べ く 少 な い 人 数 で 行 う こ と 、 さ ら に本 文 の 記 述 は 自分た ち の 主 張 を 控 え め に し 、 訴 え る べ き 点 は コ ラ ム や 側 注 、 課 題 学 習 等 に色 濃 く 反 映さ せ る こ と 等 を 提 案 し まし た 。 提 案 は 認 め ら れ ま し た が 、 そ の執 筆 自体 を 私 が 行 う と い う 想 定 外 の 事 態と な り 、 以 後 手 探 り 状 態 で 執 筆 に没 頭 す る こ と と な り ま し た 。

二、原稿執筆の仕方

(1)執筆→編集会議→手直し
  翌 21 年 12 月 ま で の 2 年 近 く は 、 一 定 量 の 執 筆 を し て は メ -ル で 送 る と と も に 、 編 集 会 議 で 出 た 意 見 を も と に 手 直 し し た 原 稿 を 再 送 付 す る と い う 作 業 の く り 返 し と な り ま し た 。 そ の 間 17 回 上 京 し 、 育 鵬 社 に こ も っ て3日間執 筆 に追 わ れ る と い う 強行 日程 も 2 度 経 験 し ま し た 。

(2)単元本文70時間分を執筆した
  執 筆 分 は 文 化 の 領 域 の 一 部 や 江 戸 時代 の 大 半 、 ど う し て も 思 い つ か な い 部分 を 除 き 、 本 文 約 70 時 間 分 及 び扉 、 コ ラ ム ( ミ ニ コ ラ ム 含 む )、 課 題 学 習約 50 本 で し た 。 ま た 、 本 文 は 育 鵬 社 か ら 台 割 り が 示 さ れ て い た た め 、 そ れ に基 づ い て 執 筆 し ま し た 。

(3)各社本文を参考に文章を紡いだ
  執 筆 方 法 と し て は 、 ま ず 各 社 教 科 書 の 本 文 記 述 に 目を 通 し 、 大 ま か な 内 容 と 重 要 語 句 、 分 量 を 把 握 し た 後 、 一か ら 文 章 を 「 一 太 郎 J の ソ フ ト を 用 い て 入 力 す る と い う 方 法 を と り ま し た 。 執 筆 に あ た っ て は 、 こ れ ま で 長 年 自分が 授 業 で お こ な っ て き た 展 開方 法 や自作 の 予 習 プ リ ン ト、 板 書 図 な ど を ベ- ス と し て 、 そ の上 で 他 社 の 教 科 書 記 述 を 参 考 に し な が ら 、 教 科 書 に ふ さ わ し い も の と な る よ う 文 章 を 紡 い で い き ま し た

(4)データはもらわなかった
  そ の 問 、 育 鵬 社 側 か ら は扶 桑 社 版 の デ-タ 等 、 執 筆の 補 助 と な る 材 料 の 提 供 は一 切 あ り ま せ ん で し た ( そ の よ う な も の が あ っ た と す れ ば私 の 労 苦 は大 幅に 軽 減さ れ 、 予 定 よ り は る か に短 時 間 で 執 筆 が 完 了 し た で し ょ う。 ま た 、 現 在 に 至 る ま で 私 の パ ソ コ ン に は ワード も エ ク セ ル も イ ン ス ト-ル さ れ て お ら ず 、 常 に一太 郎 で 送 付 し て い た こ と を 附記 し ま す ) 。

(5)それゆえ、データは流用していない
 従っ て 、 訴 状 に あ る よ う な 「 被 告 扶 桑 社 が 被 侵 害 書籍 の 本 文 デ - タ を 保 有 し て い た も の で あ る こ と を 奇 貨 と し て 被 侵 害 書 籍の 本 文 記 述 を 流 用 す る こ と を 企 て た 」 と い う 指 弾 は ま っ た く の 事 実 無 根と 言 わ ざ る を え ま せ ん 。

(6)大部分は歴史的事実又はそれに対する一般的解釈に過ぎぬ
 実 際 に 台 割 り に 従っ て 執 筆 し た 場 合 、 一授 業 時 間 ( 原 則 と し て 見 聞 き 2 ペ ジ ) に収 ま る 文 章 量 は ほ ぼ一定 に 限 ら れ ま す し 、 そ こ に盛 り 込 む記 述 も 学 習 指 導 要 領 を は じ め 、 重 要 語 句 の 挿 入 や 受 験 対 策の た め に 多 く の 内容 的 制 約 を 受 け ま す 。 大 部 分 は歴 史 的事 実 そ の も の か 歴 史 的 事 実 に対 す る 常識 的 な 解 釈 ・ 認 識 を 記 載 し た 内容 と な ら ざ る を え ず 、 そ れ は ま た 前 述 し た「 本 文 記 述 は 抑 え め 」 と い う 育 鵬 社 の 編 集 方 針 に も 合 致 す る も の で し た 。

(7)検定・採択があるから教科書に大きな違いはない
 実 際 、 執 筆 の過 程 で 心 が け て い た こ と は 、 歴 史 と 伝 統 を 尊 重 す る 立場 に立 ち な が ら も 、 教 科 書 と し て ス タ ン ダード な 内容 で あ る こ と 、 偏 り の な い記 述 を す る こ と で し た 。 各 社 の 本 文 の 記 述 内容 に結果 的に 大 き な 違 い が 見 ら れ な い の は 、 そ も そ も そ れ が 一 般 書 籍 で は な く 、 検 定 ・採 択 を 前 提 と し た 教 科 書 で あ る こ と に由来 し て い る と 思 われ ま す。

(8)歴史認識が似ているから記述が類似したに過ぎぬ
 ま た 、 当然 の こ と な が ら 扶 桑 社 版 と 育 鵬 社 版 は そ の 歴 史 認 識 に お い て き わ め て 似 通 っ た 思 想 性 を 帯 び て お り 、 と も に 「 保 守 」 で く く ら れ る 陣営 に 属 し て い ま す 。 そ れ ゆ え 私 も か つ て は 扶 桑 社 版 の 執 筆 や啓 発 活 動 に肩 入 れ し た わ け で す し 、 先 に述 べ た よ う に私 の 歴 史 認 識 を 形 成す る に あ た っ て は「 つ く る 会 J に属 し て い る ( い た ) 諸 先 生 の 影 響 を 長期 間 に わ た り 強く 受 け て い ま す 。 執筆 に あ た り 、 そ の よ う な 方 々 の 著 書 の 内容 が 念 頭 に あ っ た こ と は 当然 で す し 、 記 述 に類 似 点 が あ る と い う な ら そ の よ う な 思 想 の 近 さ が 内容 に も 反 映 し て い る 点 が あ る も の と 思 わ れ ま す 。 無論 、 一 度 私 の 中で咀嚼し 血 肉化 さ れ た 歴 史 認 識に 基 づ く 文 章 は 、 そ の 素材が だ れ の も の で あ れ 私 自身 の 作 品 で あ る こ と は論 を 待 ち ま せ ん 。

(9)編集会議や検定の結果、私の原稿と違うところもある
 な お 、 原 稿 は そ の 後 、 編 集 会 議メ ン バ ーの 意 見 を 取 り 入 れ た り、 文 科 省 の 検 定 に対 応 する た め の 加 筆 ・ 修 正 を 受 け た た め、 結 果 的 に私 が 執 筆 し た も の と は異 な る 文 章と な っ た も の も 少 な く あ り ま せ ん 。

(10)原告が指摘した箇所は全て、ありふれた歴史記述の一表現
  最 後 に も う 一 度 申 し 上 げ ま す が 、 育 鵬 社 の歴 史 教 科 書 は 他 社 本 と 同様 、 一 般 的 な 史 実 や 解 釈 を 一 般 的 な 表 現 を 用 い て 記 述 し た も の で す 。 原 告 が 著 作権 の 侵 害 を 主 張 す る 個 所 につ い て も 、 すべ て あ り ふれ た 歴 史 記 述 の 表 現 にす ぎ ま せ ん。 も し も 原 告 の 主 張 す る 著 作 権 侵 害 の 認定 を 一 部 分 で も 受 け る よ う な こ と に な れ ば 、 以後 、 ど の よ う な 歴 史 教 科 書 も 執 筆 で き な く な る の で は な い か と 危 倶 し て お り ま す 。 私 は 現 場 教 員 と し て 、 教 育 界 に そ の よ う な 大 き な 混 乱 を 招く 事 態は 避 け ね ば な ら な い と 考 え ま す 。

                                                            以 上 

 *見出しと傍線は、掲載に当たって私が付したものである。


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