育鵬社の出鱈目証拠乙45号の作り方(5)支那事変・「南京事件」

 前記事では、とんでもない文章の中抜き例を紹介したが、「ベトナム戦争」の箇所とともに、最も文章の削除が多いのが、標題に示した「35 支那事変・「南京事件」」のケースである。平成8年版でこそ文章削除の例は見られないが、13年版では7社中帝国出版、大阪書籍、日本文教出版、清水書院の4社、17年版では4社中帝国書院、教育出版、大阪書籍の3社で削除が行われている。二つだけ削除の例を挙げておこう。

 個性的な言い回しは削除する 

まず、平成13年版の清水書院では、第2編第1章6節単元【日中戦争と戦時体制】のサブ小見出し「日本軍と中国民衆」の下、次のように書かれている。

 とくに南京占領にさいしては、捕虜・武器を捨てた兵士、老人・女性・子どもまでふくめた民衆を無差別に殺害した。戦死した兵士もあわせたこのときの死者の数は、多数にのぼると推定されている。諸外国は、この南京大虐殺事件を強く非難したが、当時の日本人のほとんどはこの事実さえ知らなかった。こうした日本軍の行為は、中国民衆の日本への抵抗や憎悪をいっそう強めることになった。

 しかし、連続して書かれている赤字の「こうした日本軍の行為は、中国民衆の日本への抵抗や憎悪をいっそう強めることになった。」という、左翼的かつ個性的な文章表現が削除されている。

 帝国書院の文章を大幅削除 

次いで、平成17年版の帝国書院の例を見よう。帝国書院は、第6章2節単元3「おしすすむ日本と抵抗する中国」の小見出し「日中戦争」の下、次のように記している。

国際的に孤立するなか、日本は、続いて国際連盟を脱退したドイツに接近し、アメリカ・イギリスとの対立を深めていきました。また、日本軍は「満州」にとどまらず、資源を求めて中国北部にも軍隊を進めました。 

1937(昭和12)年7月、北京郊外で日中両軍が衝突した盧溝橋事件をきっかけに、日中戦争がはじまりました。日本軍は中国の南部からも侵攻し、上海や、当時首都であった南京を占領しました。南京では、兵士だけでなく、女性や子どもをふくむ多くの中国人を殺害し、諸外国から「日本軍の蛮行」と非難されました(南京大虐殺)。しかし、このことは、日本国民に知らされていませんでした。

 日本の侵攻のなか、中国では中国国民党の蒋介石と中国共産党の毛沢東が対立し、内戦が続いていましたが、対立を一時やめ、日本に共同して戦う抗日民族統一戦線をつくりました日本軍は、中国の大都市と鉄道を占領していきましたが、それは点 (都市)と線(鉄道)の支配であり、広い地域では抵抗が続いたため、長期戦になっていきました。

 しかし、育鵬社は、平成17年版の帝国書院と教育出版を互いに取り違え、上記記述を教育出版の記述として乙45号証に掲載していた。しかも、小見出し名も赤字で記した文章も勝手に削除して掲載していた。削除された赤字の、特に傍線部に注目すると、扶桑社が到底書かない日本悪玉論につながる記述が削除されていることに気付くであろう。

 「35 支那事変・「南京事件」」のケースでは、出だしの削除であれ、中抜きであれ、ともかく文章の削除が本当に目立つ。なぜ削除が多いかというと、「(35)支那事変・「南京事件」」の箇所は、多数派教科書の自虐性が最も露わになる箇所であり、したがって最も扶桑社との差異が大きくなる箇所だからである。扶桑社も他社も類似したことを書いているというイメージづくりのために、多くの文章を削除しているのである。


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