育鵬社の出鱈目証拠乙45号の作り方(3)縄文時代のケース  転載自由

 前記事で扱った「47 湾岸戦争」のケースでは、本来入れてはいけない写真キャプションが入れられていた例を取り上げた。「1 縄文時代」のケースでも同様の例があるので、今回はそれを取り上げたい。ただし、今回の例では、一審判決は、写真キャプションの記述を根拠にして、扶桑社版の縄文時代に関する記述の創作性を否定しているから、より深刻なケースである。

 《縄文土器は1万数千年前から作られ始めた世界最古の土器の一つであること》

 扶桑社の「1 縄文時代」の記述では、二つのポイントがあった。最大のポイントは、《縄文土器は1万数千年前から作られ始めた世界最古の土器の一つであること》を記したことである。もう一つは、《三内丸山遺跡からは、約5千年前の大きな集落跡が見つかったこと》を記したことである。扶桑社は、第1章1節単元2【縄文文化】の「縄文土器の時代」という小見出しの下、次のように記していた。
 
 今から1万数千年前も前から、日本列島の人々はすでに土器をつくりはじめていた。これは、世界で最古の土器の一つである。この時代の土器は、表面に縄目の文様がつけられたものが多いことから、縄文土器とよばれている。それらの多くは深い鉢で、煮炊きなどに用いられた。男たちは小動物の狩りと漁労に出かけ、女たちは植物の採集と栽培にいそしみ、年寄りは火のそばで煮炊きの番をするといった生活の場面が想像される。
 縄文土器が用いられていた、1万数千年前から紀元前4世紀ごろまでを縄文時代とよび、このころの文化を縄文文化とよぶ。 
 当時の人々は、数十人程度の集団で、小高い丘を選んで生活していた。住まいは、地面を掘って床をつくり、柱を立てて草ぶきの屋根をかけた、竪穴住居とよばれるものだった。人々が貝殻などの食べ物の残りかすをすてた跡である貝塚からは、土器の破片や石器が発見され、当時の生活のようすをうかがうことができる。青森県の三内丸山遺跡からは、約5千年前の大きな集落の跡が見つかっている。


 傍線部は、扶桑社以前には、決して見られないものだった。乙45号証によってみても、他社の記述を見ると、少なくとも単元本文や側注では、全くかけらも見られないものだった。したがって、普通の感覚からすれば、当然に、扶桑社版の【事項の選択】は個性的・創作的なものということになる。
 
 写真キャプションにミスリードされた東京地裁

  ところが、そうはならなかった。乙45号証にミスリードされた東京地裁判決は、扶桑社版の創作性を否定したのである。

 「1 縄文時代」については、乙45号証は比較的真面目な作られ方をしている。だが、それでも、帝国書院の平成8年版と13年版については、記載すべきではない縄文土器の写真キャプションを入れている。それぞれ、次のようなものだった。

平成8年版 【写真キャプション】
縄文時代の土器 縄文土器は、世界でもっとも早くからつくられはじめた土器です。(後略)


平成13年版 【写真キャプション】
縄文土器 日本の縄文土器は世界的にも古いものです。土器の表面に縄目の模様をつけたことから、その名前でよばれています。
 

  二つのうち平成8年版の写真キャプションは、地裁判決によって引用され、扶桑社の創作性を否定する決定的な証拠として使われた。すなわち、地裁判決は次のように言う。

 縄文土器が世界最古の土器の一つであることや約5千年以上前に大きな集落があったことは,それぞれ他の歴史教科書(帝国書院「縄文土器は,世界でもっとも早くからつくられはじめた土器です」,日本文教出版「6000年前ごろには,多くの住居からなるむらをかまえて,一か所に長く住むようになりました。」)にも同様に記載された一般的な事実があるから,これらの事項を歴史教科書の関連する単元で取り上げて記載したとしても,そこに個性が表れているということはできない。

 傍線部から知られるように、平成8年版帝国書院の写真キャプションを根拠に、《縄文土器は1万数千年前から作られ始めた世界最古の土器の一つであること》を初めて取り上げた扶桑社の創作性を否定したのである。
 しかし、そもそも単元本文の創作性が問題になっているときにキャプションを取り上げるのはおかしなことであるが、そのことを不問にしても、判決はおかしいのである。帝国書院8年版は、第1章2節単元2【縄文時代の日本】の「土器の登場」という小見出しの下、次のように記していた。

  人々の食生活はゆたかになり、食料を煮炊きするために土器がはじめてつくられました。縄目の模様をつけた土器(縄文土器)が多いことから、この時代の文化を縄文文化といい、紀元前3世紀ごろまでの約8000年間を、縄文時代といいます

 傍線部に注目すれば分かるように、帝国書院は、キャプションで「世界でもっとも早くからつくられはじめた土器です」と書いたか知らないが、1万年前から縄文土器、縄文時代が始まると考えているのである。1万数千年前から始まると捉える扶桑社とは全く異なる考え方をしているのである。それゆえ、キャプションを取り上げたことを不問にしても、地裁の判断は出鱈目だと言えよう。地裁は、乙45号証にミスリードされたのである。

 平成23年版の記述を以て17年版の創作性を否定する地裁判決 

  しかし、もっと出鱈目な判断を、実は東京地裁は行っている。それは、日本文教出版の「6000年前ごろには,多くの住居からなるむらをかまえて,一か所に長く住むようになりました。」という記述を基に、《三内丸山遺跡からは、約5千年前の大きな集落跡が見つかったこと》を記した創作性を否定したことである。最初、私はこの記述を探すのに苦労した。平成8年、13年、17年の各社全てをみても、上記記述は見つからなかったからである。まさかと思って、23年版の日本文教出版を見ると、上記記述が確かに存在する。しかし、おかしいではないか。
 平成17年版扶桑社の創作性を否定するのに、それよりも後に出た23年版の記述を根拠に出来るのであろうか。そんなことは出来るわけがないだろう。

   被告側が平成25年版の文献などを根拠に17年版扶桑社の創作性を否定しようとする出鱈目さを指摘してきたが、東京地裁も、被告と同じようなおかしな感覚の持ち主だったのである。言ってみれば、事後法を有効とする感覚を東京地裁も被告側も持っていることになろう。

 とはいえ、キャプションを取り上げることのおかしさ、23年版の記述を以て17年版の創作性を否定することのおかしさに地裁が気付いていたとしても、地裁が扶桑社記述の創作性を認めることは決してなかったであろう。気付いたとしても、地裁は、きっと、「縄文土器が世界最古の土器の一つであることや約5千年以上前に大きな集落があったことは、一般歴史書にも記載されている一般的な歴史的事実であるから、これらの事項を歴史教科書の関連する単元で取り上げて記載したとしても,そこに個性が表れているということはできない。」と述べて、扶桑社版の創作性を否定していただろう。

 いろいろ細かく、乙45号証や判決を検証していくと、本当に嫌になる。日本の法曹界は大丈夫なのであろうか。


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