育鵬社の出鱈目証拠乙45号の作り方(1)ベトナム戦争のケース--米軍悪者論を隠せ

前回記事では、被告側の最大の勝因ともなった乙45号証の総体的な問題点を記した。今回は、この出鱈目証拠がどのように作られているか、幾つかのケースを紹介しておこう。今回は、項目(47)「ベトナム戦争」のケースを紹介する。

 ベトナム戦争のケースでは、乙45号の第一の立証趣旨「各教科書とも、本文部分については、概ね同様の歴史的事実を選択し、配列しており、本件部分特有の個性など特に見受けられないこと。」に合致するように、育鵬社は、徹底的に米軍悪玉論を隠す作戦に出た。なせなら、扶桑社も育鵬社も、アメリカ悪玉論とは全く異なる立場から書かれていたからである。参考までに、扶桑社の記述をまず掲げよう。扶桑社平成17年版は、単元80【米ソ冷戦下の日本と世界】下、「冷戦の進行」の小見出し下、次のように記していた。

 1965年、アメリカは、インドシナ半島の共産主義化を警戒し、南ベトナムを支えるため、直接軍隊を派遣し、中国やソ連が支援する北ベトナム軍や南ベトナムの反政府勢力と戦った(ベトナム戦争)。しかし、勝利を収めることができず、1973年、アメリカ軍はベトナムから撤退した。2年後には、北ベトナムが南ベトナムを軍事力で併合し、ベトナム社会主義共和国が成立した。

 平成17年版日本書籍新社を削除

 これだけ見るとさして特色のない記述のように見えないこともない。だが、同じ平成17年版としては、日本書籍新社の次のような記述があった。日本書籍新社は、第6章2節の【新安保条約が結ばれる】という単元で、「日韓基本条約とベトナム戦争」という小見出しの下、次のように記していた。

 フランスとの独立戦争を戦ったベトナムはその後、南北に分断されていたが、アメリカは南ベトナム政府を支援して、独立と統一を求める南の反政府勢力と戦った。つづいて1965年からはソ連・中国の支援する北ベトナムを爆撃して戦争は長期化した(ベトナム戦争)。しかし、アメリカは北ベトナムなどを打ち負かすことができず、内外のきびしい批判におされて1973年にベトナムから撤退した

 ところが、この日本書籍新社の記述は、乙45号には全く掲載されていない。傍線部から明らかなように、日本書籍新社は明らかに、南ベトナム解放民族戦線を独立と統一を求める善玉として描き、アメリカを世界世論から批判された悪玉として描いている。この日本書籍新社の記述と比べると、扶桑社は、「アメリカは、インドシナ半島の共産主義化を警戒し」という部分に見られるように、全社の中では比較的アメリカ擁護的な記述を行っていると評価できよう。

 平成13年版教育出版の半分も削除

 次いで平成13年版に目を移すと、教育出版は、第6章3節単元4で「ベトナム戦争」の小見出し下、次のように記していた。

 フランスとの戦争が続いていたベトナムでは、1954年、ジュネーヴ休戦協定によって南北の統一が約束された。しかし、ソ連や中国は北ベトナムを、アメリカは南ベトナム政府を支持して対立した。統一を求める南ベトナムの人々は、南ベトナム解放民族戦線を結成し、中国・ソ連・北ベトナムの支援を受けながら、南ベトナム政府軍と米軍を相手に抵抗を続けた。
 1965年、アメリカが大軍を送って北ベトナムに無差別爆撃を開始したため、アメリカは内外からの厳しい批判をあびた。日本政府はアメリカの立場を支持し、沖縄の米軍基地からは、北ベトナムに向けて爆撃機が出撃した。戦争の影響を受けて、日本の経済はうるおったが、アメリカは軍事費の増大に苦しみ、1973年にはベトナムから撤退した。1976年には、南北は統一され、ベトナム社会主義共和国が成立した。

 ところが、育鵬社側は、小見出しと赤字部分の文章を乙45号証から削除している。赤字部分には、統一を求める南ベトナム解放民族戦線とそれを妨げるアメリカ軍という図式が書かれており、扶桑社版の記述とは対立する記述であった。そこで、育鵬社は、「ベトナム戦争」というテーマで記した教育出版の文章を半分も削除するという暴挙に出たのである。

  平成13年版大阪書籍の場合――枯葉剤は隠せ

 更にひどい削除は、平成13年版大阪書籍の場合である。大阪書籍は、第4編第3章3節の単元「二つの世界から多極化へ」の箇所に「ベトナム戦争」というコラムを置いて、次のように記していた。
 
 フランス領インドシナでは大戦後、ベトナム民主共和国が独立を宣言しました。フランスはこれを認めずに戦争になりましたが、フランスが敗れて、1954年、南北の統一が約束された休戦協定が結ばれました。
 しかし、翌年、アメリカの支援で南にベトナム共和国がつくられました。
統一を願う人々は、ベトナム民主共和国(北ベトナム)の指導のもと、1960年、政府軍と戦いを始めました。アメリカは北ベトナムに無差別爆撃を加え、50万人以上の大軍を送って南の政府軍を助けました。
 これに対して、ベトナムの人々はソ連・中国の支援を受けてねばり強く戦い、世界に起こった反戦運動はアメリカ国内にも広がりました。
 こうして、1973年にベトナム和平協定が結ばれ、1976年には南北を統一してベトナム社会主義共和国が成立しました。
 

「枯葉剤による被害」写真キャプション
  べトナム戦争中、アメリカ軍は森林や田畑に大量の枯葉剤を散布しました。そのため、森林や作物だけでなく、ベトナムの人々やアメリカ兵士の人体にまで大きな被害が出ました。


  大阪書籍の場合も、育鵬社は、赤字部分を削除し、更にはコラム名まで隠すとともに、「枯葉剤による被害」という写真キャプションも隠した。育鵬社が隠した部分も併せて読めば、平成13年版の大阪書籍は、アメリカは,1,954年の休戦協定を無視してベトナムの統一を妨げ続け、大量の枯葉剤を撒くような悪行を続けたという物語を描いている。徹底的なアメリカ悪論である。写真キャプションは本来は入れるべきものではないので、「枯葉剤による被害」というキャプションを隠したことは不当なことではない。だが、育鵬社は、扶桑社と似た記述だと言えそうな時には平気で写真キャプションを乙45号に入れ込んでいる。だから、「枯葉剤による被害」というキャプションを入れていないことは、乙45号証のダブルスタンダード性を示すものである。

 ともあれ、アメリカ悪論を出来るだけ隠して、各社ともベトナム戦争というテーマについて扶桑社と同じような記述をしているとのイメージを作ろうとしているのが、乙45号証である。

  他にも、平成8年版の大阪書籍と日本書籍、平成17年版の教育出版と大阪書籍で大幅な削除が行われている。例えば、平成8年版の日本書籍は、「民族統一を達成した。」の後に「アメリカは50万の大軍を投入しながら、国際的なベトナム戦争反対の声にもおされ、ついにベトナムに勝つことができなかった。」と記していた。

 しかし、育鵬社は、余りにも扶桑社版の「思想・感情」と対立する記述の存在を放置することは出来ず、隠してしまったのである。余りにも出鱈目な証拠の作り方である。


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