宮中祭祀・国事行為・公的行為------『新しい公民教科書』検定過程(18)

  前二回の記事から知られるように、我々は、歴代の天皇と国民を主権者と捉える立場から、日本歴史をふまえた最高権威として天皇を位置づけてきた。これに対して、調査官は、徹頭徹尾、天皇以外の現在生きている国民を主権者と捉える立場から、日本歴史と切り離された単なる「象徴」として天皇を位置づけようとしていた。我々の立場は歴史を重視するものであり、調査官の立場は「日本国憲法」の条文だけを重視するものだといえる。
  
  このような基本的な違いから、天皇論としては、更に宮中祭祀、国事行為、公的行為の三点をめぐって両者は対立した。検定の結果かえって妥当な記述となったと思われるが、両者の対立を検証していくと、検定する側が「天皇は単なる象徴に過ぎない」という思想に囚われていることが良くわかる。今回は、宮中祭祀、国事行為、公的行為の三点をめぐる検定過程を追いかけていきたい。

  日本歴史とのつながりを重視する我々は、検定申請本の単元20「天皇の役割と国民主権」下、「歴史に基づく天皇の役割」の小見出し下、冒頭に次のように記していた。

天皇は、国家の平穏と国民の幸福を神々に祈る祭祀王としての役割を務め、 長い歴史を通じて国民の信頼と敬愛を集めてきました。日本の歴史において、権威と権力が分離するようになったのちは、天皇はみずから権力をふるうことなく、幕府などそのときどきの政治権力に正統性をあたえる権威としての役割を果たしてきました。
 
日本国憲法のもとでの天皇も権威としての役割を果たしています。天皇は「国政に関する権能」すなわち政治権力を行使する権能をもちません(4 条)。しかし、内閣の助言と承認に基づいて、さまざまの国事行為をとり行います(6条、7条)。この天皇の国事行為によってはじめて、国会の決定、政府の行政および裁判所の判決に、正しい政治権力の行使としての正統性があたえられます。  (58頁)

  最初の傍線部には、「象徴天皇の役割について、学習上の支障を生ずる恐れがある」との検定意見が付いた(58番)。日本歴史における天皇の本質を祭祀王と位置づける記述が問題にされたのである。同じ観点から、大コラム「もっと知りたい 天皇のお仕事」の「天皇の第一の務めとは何か」の部分にも、「学習指導要領『内容』(3)ア『日本国及び日本国民統合の象徴としての天皇の地位と天皇の国事に関する行為について理解させる。』に照らして、扱いが不適切である」との検定意見が付いた(62番)。「天皇の第一の務め」として宮中祭祀を取上げたことが不適切だというのである。

  次いで二番目の傍線部には、「国事行為について、誤解するおそれのある表現である」との検定意見が付いた(59番)。同じ観点から、上記大コラムの「国事行為やそのほかのお仕事(公的行為)」の部分にも同一の検定意見が付いた(63番)。すなわち、以下の文章の最初の傍線部が、「国事行為について、誤解するおそれのある表現である」とされた。

  立憲君主国であるわが国は、天皇の署名がなければ政府や国会の決定が有効にならない。文章にたとえると、最後に句点(ピリオド)を打って完結させる行為が天皇の署名である。

  そのほかにも、外国の要人とのご会見や地方のご視察、全国レベルの各種行事や大会に臨席されるなど、象徴という地位でなければ行い得ない「公的行為」を精力的にこなされている。    (61頁)
  

  公的行為について記していた上記二番目の傍線部に対しても、検定意見が付いた(64番)。「象徴について、誤解する恐れのある表現である」というのである。

  12月6日

  以上のように、調査官と我々との間には、宮中祭祀、国事行為、公的行為、という三点をめぐる対立があった。12月6日には、国事行為と公的行為の問題についてのみ検定意見の説明を聞いた。調査官は、国事行為について次のように述べた。

(59番) 国事行為は形式的儀礼的な行為であるということで、これがなくても効力が生ずるというのが一般的解釈だと思う。また、この中で国会の決定というのは恐らく法律の公布につながると思うんですが、行政及び裁判所の判決に関する国事行為というのは何を指すのか分かりませんので、確認いただければと思います。

(63番) これは一つは天皇が立憲君主と扱われていること(が問題だということ)。署名がなければ有効にならないと書いているが、形式的に署名がなくても有効だという説が通説だと思います


  傍線部以外の59番をめぐる疑問は当然であったが、国事行為がなくても効力が発生するという傍線部の発言には驚かされた。調査官は、公的行為についても次のように述べた。

  「この地位でなければ行い得ない」というと、象徴に公的行為を行う権能が認められているかのように誤解する恐れがあるということ(が問題である)。単に公的行為を精力的にこなされています、ではかまわないと思いますが、行い得ないというと、そういう権能が与えられていると(誤解される)。

  傍線部は、おかしな意見である。公的行為は、「象徴としての地位」に基づき行われているからである。調査官は、ここでは公的行為を否定しているわけではない。だが、どうも否定説的な立場から検定をおこなっているようである。事実、平成22年度検定を受けた現行教科書では、東京書籍など四社が公的行為否定説の立場を示している。例えば、東京書籍は、「天皇は、……憲法の定める国事行為のみを行います」(37頁)と記している。だが、この記述には全く検定意見は付かなかったのである。

   1月12日

  ともあれ、意見の付いた箇所は全て修正を施すことにした。祭祀の件から見れば、58番の意見を受けて、単元20の冒頭文から「祭祀王としての役割を務め」の部分を削除し、「天皇は、国家の平穏と国民の幸福を神々に祈ることにより、長い歴史を通じて国民の信頼と敬愛を集めてきました」と修正した。

  また、大コラム「もっと知りたい 天皇のお仕事」では、最初に「天皇の第1のおつとめとは」の中で祭祀を、次いで「国事行為やそのほかのお仕事(公的行為)」の中で国事行為と公的行為を取上げていたが、62番の検定意見を受けて、順番を入れ替えることにした。すなわち、最初に「天皇の第1のおつとめとは」の小見出し下で国事行為と公的行為を取上げ、二番目の「古来から続く天皇のおつとめとは」の小見出し下で祭祀を記すことにした。 1月12日には、62番については「結構です」ということだったが、25日になって、「天皇の象徴としてのお仕事と古来からのおつとめと言葉の上で違いをもたせて書いていただけたらと思います」との指摘を受けた。

  その結果、最終的には、大コラムの本文では国事行為と公的行為だけを記すことにし、祭祀については大コラムの中に小コラムを設けてその中で記している。そして、「言葉の上で違いをもたせ」るために、国事行為と公的行為は「天皇の第一のお仕事」と位置づけ、祭祀を「古来から続く天皇のおつとめ」と位置づけることになった。

  62番については特に議論はなく、調査官の指摘を受け入れていったわけであるが、58番については政教分離との関係でかなり議論されている。以下に、議論を掲げよう。

調査官 (検定意見58番)「神々に祈る」というのは政教分離ということで(問題ではないか)

執筆者 「神々」というのは宗教学的にいえば古代から伝わっているんですね。

調査官 「祈る」(だけ)でニュアンスはとれるのではないか。

執筆者 「祈る」というと幸福を期待するという意味にしかなりませんね。日本を守っている何らかのものに対して国民を幸せにしてやってほしいということで、これはまさに天皇の儀式としては否定できないものになっている。

調査官 「神々」というのは、宗教行為にかかわる問題であるから、ない方が良いのではないか。天皇は個人として祈るのはかまわないと思うんですが、教科書では、象徴天皇という憲法上の地位をもったものですから、宗教的要素というのはここには入らない方が(よいのではないか)。私的な生活の中で天皇が神に祈るというのはかまわないと思う。

調査官 (「神々に祈る」を)長い歴史の中で述べるのはいいんですが、今の制度として・・・誤解なんですよ。

執筆者 しかし天皇自身はそれが天皇の仕事であると思い、行なっており、そういうことをしていることによって、象徴の意味が出てくるわけですね。

調査官 ただ、政教分離という観点からこうしたらいいというこちらの意向だけを伝えたということで。

執筆者 この問題は政教分離の中の問題ではないと思いますよ。


 結局、政教分離の問題ではないという我々と政教分離の問題だという調査官との間で議論が平行線をたどっている。次いで国事行為については、1月12日には、以下の文章を作って話し合いに臨んでいる。

59番 この天皇の国事行為によって、国会の決定、政府の決定などが、国家の決定として権威づけられます。

63番 立憲君主国であるわが国では憲法の規定により、天皇の署名によって、政府や国会の決定が完結する。


  これらの文章に対しては、次のような議論が展開された。
 
調査官 (59番) 国事行為の中で天皇が関わられるのは法律の公布、条約のあたりなどだけで、これだと国会の決定や政府の決定などすべてが天皇の国事行為の対象になっているように読めてしまうのではないかということを、ちょっと検討していただきたい。

編集者 「国家の決定として権威づけられます」は大丈夫ですか。

調査官 権威づけられるかどうかという所は、うーん、権威というのは抽象的なのでできればない方がいいとは思いますが。

編集者 「国家の決定となります」ぐらい

調査官 えーえー。ただ、法律の公布などが国事行為となっているのはそれなりに意味があると思いますので。

調査官 (63番) 立憲君主国というのを検討させていただきたいのと、政府や国会の決定などというのは(問題だ)。


  傍線部のような調査官の意見はもっともなものである。そこで、1月17日修正表では59番の文を「この天皇の国事行為によって、法律、条約、政令などが、国家の決定として権威づけられます」と修正して提出した。だが、上記のように、調査官が権威という言葉を忌避していることに注目されたい。1月25日にも調査官は、「『天皇の国事行為によって権威づけられます』とありますが、この間も「権威づけ」という言葉は問題になったが、それを権威と感じる者にとっては権威であるけれども、そうではない者にとっては、ただの手続きであって権威ではないという主観的な言葉で(あり)、工夫していただければ」と述べた。結局、検定合格本では、次のようになった。

 法律、条約、政令なども、この天皇の国事行為としての署名によって、国家の手続きが完了します。  (58頁)

  また、63番の文も、17日修正表では12日の話し合いの時と同一文であったが、検定合格本では「立憲君主国である」という言葉を削除して、次のようになった。

 わが国では、憲法の規定により、天皇の国事行為によって法律の公布などの手続きが完了する。 (60頁)

 最後に64番の公的行為に関してであるが、12月6日の調査官の意見をふまえて、次のように修正した。

 象徴という地位にふさわしい仕事として、「公的行為」を精力的にこなされている。 (61頁)

  この記述に対しては、1月12日、調査官は「結構だと思います」と答えた。そして、この修正文がそのまま検定合格本にも採用されている。この記述は、検定申請本よりは適切なものになったと言える。12月6日の調査官の意見は極端ではあったが、公的行為の記述は、検定によって改良されたと言えよう。

   1月25日

  1月17日の修正表について話し合われた25日、政教分離との関連で、58頁2行目の「神々に祈る」という言葉について、議論が行われた。

調査官 (58頁1−2行目の)「国民の幸福を神々に祈る」のところは「神々に」の部分がないほうがよい。

執筆者 (これまでの戦後の教育は)政教分離を拡大して解釈して教育から宗教を取り去っていって、最後は給食の時にですね。そこまで教育から宗教をとったんですよ。そうではなくて、いまの(平成18年に改正された)教育基本法は教え込み、特定の信仰に導く方向でやってはいけないけれど、触れさせるとか見させるとかは積極的にやりなさいと変わってきている。そこでここのところで「神々に」のところを取れというのは、無理だなと思います。

調査官  天皇が個人として神々に祈ることは全然かまわないと思うんですが、象徴としての天皇が「神々に祈る」というのは・・・

執筆者 「象徴」というのは歴史的にそうあったから、初めて「象徴」になれたんですね。ですから、そういうことを含めて、天皇がいてそれが憲法の象徴という規定になったわけですから、天皇のしていることを事実としてそのまま述べると、「神々に祈る」と記すことは問題ない。

調査官 「神々に」を削ることを了承していただけるのであれば、「国家の平穏と国民の幸福を願うこと」で、これを願っていることは間違いないことですから。


  ともかく、「神々」を削れと調査官は主張したのである。結局、検定合格本では、単元20の冒頭文は以下のようになった。

  天皇は、国家の平穏と国民の幸福を祈ることにより、 長い歴史を通じて国民の信頼と敬愛を集めてきました。日本の歴史において、権威と権力が分離するようになったのちは、天皇はみずから権力をふるうことなく、幕府などそのときどきの政治権力に正統性をあたえる権威としての役割を果たしてきました。
                     
  日本国憲法のもとでの天皇も、日本の政治的伝統にならった役割を果たしています。天皇は「国政に関する権能」すなわち政治権力を行使する権能をもちません(4 条)。しかし、内閣の助言と承認に基づいて、さまざまの国事行為をとり行います(6条、7条)。法律、条約、政令なども、この天皇の国事行為としての署名によって、国家の手続きが完了します。  (58頁)


  単元20では「神々に」が削除されてしまったが、大コラムの中の小コラム「古来から続く天皇のおつとめ」の中では、「古代から伝わる天皇の大切な仕事は、神々に祈りを捧げることである」と記されている。ここでは、「神々に」が残ったのである。1月25日の「天皇のしていることを事実としてそのまま述べると、「神々に祈る」と記すことは問題ない」といった執筆者の発言が功を奏したものと見ることが出来るのかもしれない。



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