『新しい公民教科書』検定過程について(7)―――国家論2、国家と国民個々人の関係

 この間、育鵬社歴史教科書盗作事件の報告と南出偽無効論の批判に時間を費やしてきた。しかし、何としても、平成22年度公民教科書検定についての報告を済ませておきたい。再び、この作業に取り掛かることにしたい。今回は、国家と国民個々人との関係の在り方の記述をめぐる検定について報告しておきたい。


   『新しい公民教科書』検定過程について(7)―――国家論2、国家と国民個々人の関係

  国家論関係で最も調査官と我々で対立したのが、単元12「国家と私たち国民」をめぐってである。この単元は、タイトル通り、国家と国民個々人との関係を総論的に記した部分である。この単元は、全文修正させられた。

  「国民の四つの立場」

  国民は国家との関係で、国家の政治に参加する立場の公民、国家の政治に服従する立場の臣民、国家から利益を受ける立場の受益者、個人として自由に生きる私人、という四つの立場に立っている。『新しい公民教科書』の検定申請本では、リンカーンのゲティスバーグにおける演説を引用して、公民、臣民、受益者、私人という四つの立場について説明した。すなわち、「国民の四つの立場」の小見出しの下、以下のように記していた。

  第16 代アメリカ大統領リンカーンの演説「国民に対する、国民による、国民のための政治」は、国家と国民の基本的関係を簡潔に述べた言葉として有名です。
  まず、「国民に対する」とは、政治が国民を対象とするものであり、国民は国家の政治に服従しなければならないということを表しています。国民は、国家の定めた法に従う義務があり、国家の費用を負担するために納税の義務があります。このような、国家の政治に服従する立場の国民のことを、臣民と呼びます。
  次に、「国民による」とは、国民が公共の精神をもって国家の政治に参加することを表しています。国民は参政権をもち、議員など自分たちの代表を選挙で選ぶことができます。また、みずから議員や役人になって政治を行うことができます。このような、国家の政治に参加する立場の国民を公民といいます。
  また、「国民のための」とは、政治は国民の利益のためになされなければならない、ということです。国民は公共の福祉を享受し、自由と権利が侵されたとき、これを保障するよう国家に求めることができます。このように利益を受ける立場を受益者といいます。受益者として、国民は自由と権利を守るために裁判を受ける権利をもち、また、社会保障など人間として生きていくために必要な援助を国家に求めることができます。
  「国民のための」にはもう一つの意味があります。国民には、個人として自由に生きるという私人の立場があり、私人としての自由は国家が保障しています。国民は、私人としてだれからも干渉されず、精神活動の自由や経済活動の自由などの自由権をもっています。(34~35頁)


  この部分については、「リンカーンの著名な演説とそれに基づく国家と国民の関係について、一面的な見解を十分な配慮なく取り上げている」という検定意見がついた(検定番号26番)。12月6日における教科書調査官の態度をまとめておこう。調査官は、まず第一に、リンカーンの演説の翻訳が通常のものではないということを問題にした。of the peopleの翻訳である。

  of the peopleについては、二つの翻訳がある。一般に「国民の」と翻訳されるが、英語学の専門家は、「国民に対する」とするのが正しいという。だが、戦後の法学者や政治学者は、義務や責任を嫌い、国民が法や政治に服従するという側面を無視したがる傾向を持っている。それゆえ、正しい翻訳を無視し、敢えて「国民の」という翻訳を選択してきた。 調査官は、この法学者などの解釈を採用して本文で記すことを求め、「国民に対する」という翻訳は註で記してもかまわないという態度を示したのである。

  of the peopleについて一般的解釈を行う教科書調査官は、第二に、「臣民」という言葉は使うなと指示した。「臣民」という言葉は、学問用語として成立しているのだが、帝国憲法で使用されているから使用すべきではないと述べた。

  第三に、公民という言葉の定義をするな、定義を行うとそぎ落とされるものが出てくるから定義しない方が良いと述べた。

  更に第四に、「国家にかかわる国民の4つの立場」という図について、「国家」を「政府」または「政治」に変更せよ、と述べた。調査官は、国家と国民との関係という捉え方ではなく、政治または政府と国民との関係という捉え方から、このように述べたものと思われる。

  私人を削除せよ

  以上の四点の意見は、すべて受け入れることにした。だが、次の第5の意見は受け入れることは出来なかった。調査官は、次のように述べた。

   私人の説明は中学生には理解しがたい。
  あえて書かなくても、政府と国民の関係は、中学生にとって分かるのではないか。 
 

  自由主義的民主主義にとって、私人が持つ自由権は非常に重要なものである。自由主義的民主主義が全体主義に堕さないようにするためには、私人という立場と自由権の重要さをきちんと中学生に教育することが大切である。それゆえ、検定申請本では、註の③で次のように記していた。

  私 人という立場を尊重する点が、全体主義と異なるところである。全体主義は個人の自由よりも国家の利益を優先し、国民を国家の目的に総動員するので、私人としての自由はない。(35頁)

  上記のように、全体主義に堕さないためには、私人という立場に関する教育が是非とも必要である。ところが、調査官は、私人という立場についての教育は不要だというのである。結局、我々は、「私人の立場」に代えて「自主独立の立場」という言葉を使ったが、私人の立場について書くという原則は貫いた。しかし、註③は削除せざるを得なくなっていく。
     
   「愛国心と独立心」 

  検定申請本では、「国民の4つの立場」に次いで「愛国心と独立心」の小見出しの下、次のように記していた。

   4つの立場のなかで、公民としての立場は愛国心をとりわけ強く求められます。公民として国家の政治に参加するためには、自分のことのように国家のことを考えることができるように、愛国心を身につける必要があるからです。
  愛国心を身につけるには、個人は私人として自立していなければなりません。独立して初めて個人は、強い愛国心をもつことができるのです。(35頁)


  この部分に対しては、「愛国心について一面的で、理解し難い表現である」との検定意見が付いた(検定意見27番)。調査官の第6の要求である。それゆえ、独立心の重要さは説くことにするが、ここでは愛国心を書くことは諦めることにした。

  検定合格本の記述――――自主独立の立場(私人)を強調

   以上、6つの要求のうち、私人という立場について書くなという要求以外は受け入れることにした。検定合格本では、以下のような記述になった。まず、「国民と政治」との小見出しの下、以下のように記した。

  第16 代アメリカ大統領リンカーンの演説「国民の、国民による、国民のための政治」は、国家の政治と国民の基本的関係を簡潔に述べた言葉として有名です。

  はじめに「国民の」とは、国家の政治は国民に由来するという意味で、国民主権のことをさします。

  次に「国民による」とは、国民が公共の精神をもって国家の政治に参加することを表しています。国民は参政権をもち、議員など自分たちの代表を選挙で選ぶことができます。また、みずから議員や役人になって政治を行うことができます。この「国民による」政治は法を定め社会の秩序を維持します。国民は、法に従い社会の秩序に従う義務があり、政治のための費用を負担するために納税の義務があります。

  最後に「国民のための」とは、政治は国民の利益のためになされなければならない、ということです。国民は公共の福祉を享受し、自由と権利が侵されたとき、これを保障するよう国家の政治に求めることができます。国民は自由と権利を守るために裁判を受ける権利をもち、また、社会保障など人間として生きていくために必要な援助を政治に求めることができます。

  すなわち、国民は主権者の一人として、政治に参加する立場、政治に従う立場、政治から利益を受ける立場においては、国家のなかで政治と密接な関係に立ちます。(34~35頁)
 

  上記で注目されるのは、of the peopleを「国民の」と翻訳したうえで、これは「国家の政治は国民に由来するという意味で、国民主権のことをさします」としていることである。この部分は、調査官の意見に従った部分であるが、国民主権を権力的な意味ではなく、権威の意味で理解していることに注目されたい。

  それはともかく、続けて「自由を守る自主独立心」の小見出し下、 次のように記した。

  さらに国民と政治の関係の基礎として、国民には、国家のなかで、政治から自由な自主独立の立場もあります。国民には、個人として自由に生き、他人から干渉されない自由な生活があります。国民は、精神活動の自由や経済活動の自由などの自由権をもっています。

  自主独立な立場は、自由を守ることにつながります。自由を守り、自主独立して生きるとは、自分で自分のことを決めて、他人に頼らないで生きることです。そして自ら判断し、自ら自分の行動を決めることです。もし、自分で自分のことを決めることができず、ものごとの判断ができず、何ごとも他人にたより、国家や社会にたよるだけになれば、人々は活力を失い、そして国家の組織や制度は巨大化し、そのことによって、かえって人々は自由を奪われ、社会の活力も失われていきます。ですから、私たちは自主独立の生き方をして、自由を守っていかなければならないのです。(35頁)

 
上記引用のように、結局、独立心は残ったが、愛国心は消されてしまった。我々のように、国家と国民との関係と捉えるならば、愛国心は当然触れておかなければならないものとなる。しかし、調査官のように、政府または政治と国民との関係と捉えると、確かに愛国心を記す必要がなくなるわけである。



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