資料・平成18~23年度中学校公民教科書分析(9)――大日本帝国憲法

Ⅱ、国内政治編

(9)――大日本帝国憲法

○分析項目
①自由民権と政府
②明治憲法上の政治体制……三権分立。天皇を政治権力とするか、権威とするか
③明治憲法上の権利のとらえ方
④アジアで初の立憲国家、憲法
⑤ベルツの日記―――誰も憲法内容を知らぬと書かれているか
⑥その他


○日本書籍新社
  ①自由民権と政府……対立的。
②明治憲法上の政治体制……三権分立なし
天皇を政治権力者とする。「主権者」とする。
③明治憲法上の権利のとらえ方……否定的
④アジアで初の立憲国家、憲法……なし

「第3章 人間尊重と現代の民主政治」「1.人間の尊重と日本国憲法の原則」の節見出し下、「日本国憲法の制定」の単元見出し、「あたえられた明治憲法」→「明治憲法下の権利」の小見出し下、
・「あたえられた明治憲法」の小見出し下、「日本でも、明治維新によって成立した明治政府に対して自由民権運動がおこり、民主主義と人権を求めて、憲法制定の運動を展開した。こうした声におされて政府は憲法制定を約束したが、国民の声を聞かず、政府だけで秘密裏につくって、天皇の名前で憲法を国民に発布した。政府は、憲法で民主主義や人権が強く保障されてしまって、政府の活動が制約されてしまうことをおそれた。そのため、1889(明治22)年に制定された大日本帝国憲法(明治憲法)には、議会の設置が認められ、いくつかの自由や権利が保障されてはいたが、問題があった」(94頁)。
・続けて、「明治憲法下の権利」の小見出し下、「上の表は、明治憲法と日本国憲法を比較している。これを見ながら考えてみよう。
 まず、明治憲法では、主権者は国民ではなく天皇であると定められ、議会や政府も天皇の政治を助け機関とされた。自由民権運動が主張した国民主権や民主主義の考えは、とり入れられなかった。天皇は、軍事や外交などについては議会に相談することなく進めることができた。また、緊急の場合には議会にかけないで命令を出すこともできた。
 明治憲法で保障された権利や自由は、数が少なかっただけではなく、ただ「法律の範囲内」でのみ認められていた。明治憲法下では政府につごうの悪い思想や出版物は、出版法や治安維持法などの法律によって取り締まられた」(94~95頁)。
  この後に、「日本国憲法の成立」
・94頁に「大日本帝国憲法と日本国憲法の比較」の表

○東京書籍
 ①自由民権と政府の憲法構想
②明治憲法上の政治体制……三権分立なし
天皇を政治権力とする。「主権者」とする。
③明治憲法上の権利のとらえ方……否定的
④アジアで初の立憲国家、憲法……あり

「第2章 人間の尊重と日本国憲法」「2 人権と日本国憲法」の節見出し下、「2 人権の歴史」の単元見出し下、「日本の人権のめばえ」の小見出し下、
・「日本では、明治時代に、ヨーロッパから人権の思想がもちこまれました。人権を最初に保障したのは、大日本帝国憲法(明治憲法)です。しかし、そこでは、天皇が主権者と定められる一方で、人権は天皇が恩恵によってあたえた「臣民ノ権利」とされ、法律によって制限されるものとしました。実際の社会でも、政府を批判する政治活動や自由な言論が抑圧されました。人々が生まれながらに人権をもっているという真の人権思想が確立するのは、日本国憲法の制定まで待たなけれはなりませんでした」(37頁)。
・「大日本帝国憲法」の写真説明で「憲法にもとづいて帝国議会が開設され、日本はアジア最初の近代的な立憲制国家となりました」(37頁)。

○大阪書籍
 ①自由民権と政府の憲法構想……記述なし
②明治憲法上の政治体制……三権分立なし
天皇を主権者とする
③明治憲法上の権利のとらえ方……「法律の範囲内で権利を定める」
④アジアで初の立憲国家、憲法……なし

「第1章 個人の尊重と日本国憲法」「1 法に基づく政治と日本国憲法」の節見出し下、「法に基づく政治と憲法」の単元見出し下、「日本国憲法の制定」の小見出し下、本文になし。
・「大日本帝国憲法と日本国憲法の比較」の表、有り(33頁)。

○教育出版
 ①自由民権と政府の憲法構想……記述なし
②明治憲法上の政治体制……三権分立なし
天皇を政治権力とする。「主権者」とする。
③明治憲法上の権利のとらえ方……否定的
④アジアで初の立憲国家、憲法……なし

「第2章 わたしたちの暮らしと民主政治」「暮らしのなかに生きる憲法」の節見出し下、「2 日本国憲法のあゆみ」の単元見出し下、「大日本帝国憲法の内容」の小見出し下、
「日本は、明治維新をへて近代化をすすめてきましたが、その手本はヨーロッパの法制度でした。1889年に制定された大日本帝国憲法は、君主の権力が強いドイツ(プロイセン)憲法を参考にしたものでした。天皇が主権をもち、その地位は神聖なものとされ、軍隊の指揮権をはじめ大きな権限をもっていました。国民の権利については、いくつかの権利を認めていましたが、その自由や権利の範囲は、法律によっていつでも制限できるとされていました。実際、言論の自由や集会の自由は、厳しく制限されました。また、令状によらない逮捕や拷問による自白の強制がおこなわれるなど、人権の保障は十分ではありませんでした」(32頁)。
・「制限された国民の自由」の写真説明で「1925年に制定された治安維持法により、国民の自由は大きく制限されていました」(33頁)。

○清水書院
 ①自由民権と政府の憲法構想……記述なし
②明治憲法上の政治体制……三権分立なし。
天皇を政治権力(主権)有りとする
③明治憲法上の権利のとらえ方……半ば肯定的
④アジアで初の立憲国家、憲法……なし

「第1編 私たちの生活と政治」「第1章 人権の尊重と日本国憲法」「日本国憲法の成立と基本原理」の単元見出し下、「日本の憲法のあゆみ」の小見出し下、
「日本でも政治への参加と人権の保障を求める声の高まった明治時代のなかば、1889年に天皇が定めて国民にあたえというかたちで、大日本帝国憲法(明治憲法)が発布された。
 この憲法では、国家の最高の権力(主権)は天皇にあり、天皇は神聖にして侵すことができないものとされ、軍隊の指揮権をはじめ絶大な権限をもつことが定められた
 それでも、この憲法によって、かたちのうえでは立憲主義が実現し、議会が開かれて国民が政治に参加できるようになった。また、国民の権利も、法律で定められた範囲内に限定されてはいたが、保障されるようになった。
 けれども、1930年代に入ると、しだいに軍部が権力をにぎって政治を動かすようになり、日本は第二次世界大戦に突入して、1945年8月の敗戦をむかえた」(38頁)。

○帝国書院
 ①自由民権と政府の憲法構想……記述なし
②明治憲法上の政治体制……三権分立なし、
天皇は「国の政治を最終的に決める力(主権)をもつ」
③明治憲法上の権利のとらえ方……否定的
  ④アジアで初の立憲国家、憲法……なし

「第3部 私たちの民主政治」「第1章 日本国憲法について考えよう」「②日本国憲法とは」の単元見出し下、「日本国憲法の成立」の小見出し下、
「1889(明治22)年に発布された大日本帝国憲法のもとの社会では、国民の権利は限定的な範囲でしか認められていませんでした。そのため、たとえば図①のように、政府に批判的な言動は弾圧の対象とされ、逮捕されたり、出版物の発行が禁止されたりすることもありした。また、天皇は神聖でおかしてはならない存在とされ、国の政治を最終的に決める力(主権)をもつとされました。議会や内閣も天皇をささえる機関として位置付けられていました。選挙で投票できるのは男性だけで、女性に参政権はありませんでした。さらに、軍部が力をもち、戦争が引きおこされ、多くの被害を生みました」(88頁)。

○日本文教出版
   ①自由民権と政府の憲法構想……記述なし
  ②明治憲法上の政治体制……三権分立なし
                  天皇を政治権力、天皇主権とする
  ③明治憲法上の権利のとらえ方……半ば肯定的
  ④アジアで初の立憲国家、憲法……有り

「第3章 人間の尊重と日本国憲法」「①日本国憲法の原則」の節見出し下、「人権思想の発達」の単元見出し下、「日本における人権思想の歩み」の小見出し下、
「人権尊重の思想はヨーロッパから世界に広まり、日本でも、明治政府は欧米の法律や政治制度を手本に近代化を進めた。1889(明治22)年につくられた大日本帝国憲法は、アジアで最初の近代的な憲法であった。そこでは、欧米の近代憲法に定められた自由や人権をそのままとり入れたわけではなく、天皇が国を統治すると定めた。この憲法では人権は天皇の恩恵による『臣民の権利』ととらえられており、法律によって制限されたが、国民は居住の自由や信教の自由を得た」(43頁)。
・「大日本帝国憲法と日本国憲法」の比較表で、「天皇主権」」(43頁)。

○扶桑社
   ①自由民権と政府……対立的ではないが、民権派中心。
  ②明治憲法上の政治体制……三権分立なし。
                   天皇を「統治権の総攬者」とする。権威的になっていない。
  ③明治憲法上の権利のとらえ方……肯定的
  ④アジアで初の立憲国家、憲法……有り

「第3章 現代の民主政治とこれからの社会」「第1節 日本国憲法の基本原則」の節見出し下、「23 大日本帝国憲法と日本国憲法」の単元見出し下、「大日本帝国憲法の制定」の小見出し下、
「明治維新をむかえた日本は、自由民権運動のもり上がりもあり、欧米と対等な国家をつくるため、近代的な憲法を制定する必要に迫られた。政府は伊藤博文らを中心に、欧米の憲法を調査研究した上で憲法案をつくり、1889(明治22)年、大日本帝国憲法として公布した。これにより、日本はアジアで初めての立憲国家となった。
 この憲法は、当時の厳しい国際情勢を反映し、さらに強い力で国をたばねていく必要から、政府の権限が強いものであった。しかし、できるだけ国民の権利や自由をもりこみ、同時に伝統文化を反映させようとする努力が注がれた憲法でもあった。
 国の元首は天皇であり、統治権の総攬者とされたものの、大臣の助言や議会の承認に基づき、憲法の規定に従って統治権を行使するものと定められていた。国民には法律の範囲内で権利や自由が認められた
 大日本帝国憲法は大正時代に入ると、政党政治の定着、普通選挙法実現など、民主主義を前進させようとする護憲運動のよりどころともなった。しかし昭和をむかえるころから、憲法の不備をついた軍部が政治への介入を強めていった結果、天皇の下で国民が暮らしやすい社会をつくるという憲法の理想は、大きくそこなわれていくことになった」(72~73頁)。
・「国民にたたえられた大日本帝国憲法」の小コラム下、
「政府の7年半におよぶ研究の結果、帝国憲法草案はできあがった。
 発布された憲法はそれまで政府攻撃をくり返してきた新聞にも『聞きしにまさる良憲法』とたたえられるものであり、発布の日の東京は祝賀行事一色となった。またこの憲法は明治の初めに発表した五箇条の御誓文を具体的な形に表したものでもあった」(72頁)。
  *①②の点で、歴史教科書と少し違う感じ。例えば天皇無答責が書かれない。公民教科書では、紙面が少ないのでしょうがない面もあるが。

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