「日本国憲法」、公民教科書、歴史教科書

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zoom RSS 歴史戦の中の歴史・公民教科書(2)――歴史教科書と公民教科書の思想 

<<   作成日時 : 2017/06/22 12:43   >>

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三、歴史教科書と公民教科書の特徴 

 歴史教科書の4つの特徴 

幸い、「つくる会」は、教科書改善運動を始めた平成9年以来20年の歴史を持っている。この経験から、今回の指導要領改悪阻止に立ち上がり、何とか阻止することに成功したのである。

 では、何故に、教科書改善運動が行われてきたのであろうか。それは、歴史教科書が多くの点で否定的特徴を有するようになっていたからである。『歴史教科書が隠してきたもの』(2009年、展転社)以来、私は、歴史教科書の否定的な特徴として、4点を指摘してきた。
即ち、
(1)日本解体の思想……日本歴史の流れが分からない
(2)華夷秩序の思想……日本は、中国と韓国・朝鮮の下位に属する国
(3)欧米又は米国追随史観……欧米を日本より上位に位置づける
(4)共産主義擁護、共産主義的な見方

という四点である。

  (1)日本解体の思想……日本歴史の流れが分からない

 一つ目の日本解体の思想から見ていくならば、戦後日本の歴史教科書、特に1980年代以降の歴史教科書を読み進めていっても、日本歴史の大きな流れを掴むことが出来ない。それも、中核部分の流れ、いわばメインストリート部分の流れが分からないのである。別の言い方をすれば、日本国家の論理が分からないのである。

 安全保障の観点がない 

なぜ、日本歴史の流れが分からないのか。それには、3つの理由がある。何よりも第一に、日本の歴史教科書には、安全保障の観点が存在しない。あっても、著しく、微弱である。

 例えば、明治維新時における植民地化の危機を書くのは、平成18〜23年度版では8社中3社しか存在しなかった。一貫して、1980年代以降、おおよそ3社程度であり続けた(拙著『歴史教科書の歴史』草思社、2001年)。ただ、この点は改善されてきており、平成28〜31年度版では、8社中5社に増加してきている。しかし、採択率が過半数を超える東京書籍は、全く植民地化の危機を記さない。また例えば、7世紀の隋唐帝国の登場が日本にもたらした対外的危機感について触れた教科書も、自由社と育鵬社しか存在しないのである。

 隋唐帝国に併呑されるも知れないという危機感こそが、7世紀の統一日本国家形成の原動力になったものである。また、19世紀半ばに於ける植民地化の危機とその危機に対する認識こそが、明治維新を進めた原動力になったものである。これらの危機を隠してしまったら、7世紀の国家形成も明治維新も理解することなど出来ないであろう。

 天皇という存在を隠す

 第二に、歴史教科書は、2千年にわたり日本国家の最高権威であり続けた天皇の存在を出来るだけ隠そうとする。隠そうという意図は、年代を西暦一本で表記し、検定基準が求める元号併記を行わない事に、端的に現れている。

 検定基準第3章の[社会科(「地図」を除く。)]の(7)には、「 日本の歴史の紀年について、重要なものには元号及び西暦を併記していること」という規定が存在する。この規定からすれば、元号原則西暦併記でもよいし、西暦原則元号併記でもよいことになる。実祭上、全社は西暦原則元号併記で年代表記を行っている。

 しかし、学び舎は、元号併記を行わないという基本方針をとる。前近代では大宝律令、承久の変、家康の征夷大将軍就任の3件で元号併記を行うだけである。近現代では、廃藩置県、大日本帝国憲法発布、東日本大震災等5件で元号併記をするだけである。学び舎は、あからさまに、検定基準第3章の[社会科(「地図」を除く。)]の(7)に違反していることに注目されたい。

 しかし、この(7)項違反を行うのは、学び舎だけではない。厳密には、東京書籍、日本文教出版、教育出版、清水書院、帝国書院の5社にもあてはまる。5社は、重要事項どころか、最重要事項とも言える関ヶ原の戦い、家康の征夷大将軍就任、ペリー来航、王政復古といった事項についてさえも西暦一本で記すのである(元号併記の無視問題については、拙著『安倍談話と歴史・公民教科書』自由社、2016年、参照)。

 また、歴史教科書は、征夷大将軍就任と天皇との関係を隠そうとする。例えば、源頼朝の征夷大将軍就任について、東京書籍等4社は朝廷による任命を隠すし、徳川家康の就任についても教育出版等4社は隠している。
 
 アイヌと「和人」の間、沖縄と「本土」の間に分裂のみを持ち込む 

第三に、歴史教科書は、アイヌと「和人」との間、沖縄と「本土」との間に分裂のみを持ち込んでいる。平成14〜17年度版から、アイヌと沖縄の記述量が格段に増加した。その増加分は、アイヌと「和人」の間、沖縄と「本土」の間を分裂させるような記述で埋められることになった。

 そもそも、アイヌも沖縄も「本土」も、縄文人という共通の祖先をもつ人間たちであるし、一定の文化的共通性をもつ存在である。アイヌと沖縄に関する記述を増加させるならば、先ずは、この共通性を記すべきである。ところが、歴史教科書は、増加分をこの共通性に関する記述に割こうとはしなかった。それどころか、アイヌ先住民族説という虚構さえも、学界における通説でさえないにもかかわらず、書き続けることとなった。沖縄に関しても、沖縄人も「本土」人も共に日本語を話す同一民族であり、沖縄人の主流が縄文時代に九州から渡っていった人たちであることを決して記そうとはしてこなかった。それどころか、教科書の世界の話ではないが、翁長知事などは、アイヌ先住民族説という虚構がまかり通っている現状をふまえて、沖縄先住民族説という大虚構までぶち上げるに至っている。

 ともかく、歴史教科書は、共通性ではなく、異質性を強調するのであるが、記述の増加分のほとんどを加害者としての「本土」VS被害者としてのアイヌ・沖縄という物語で埋めていく。それゆえ、アイヌに関しては、例えば1669(寛文9)年のシャクシャインの乱が異常に大きく取り上げられるようになり、シャクシャインがアイヌの英雄に祭り上げられていく。また、沖縄に関しては、例えば、琉球処分とは、沖縄の反対を押し切って武力で以て強引に「本土」に併合したものである、と説明される。

  しかし、シャクシャインの乱とは、そもそも松前藩とアイヌの対立ではなく、日高地方のアイヌの首長であったオニビシとシャクシャインの対立から始まったものである。シャクシャインに対する松前藩の騙し討ちが強調されるが、そもそもシャクシャインは、1668年に世話になってきたオニビシを騙し討ちにした。そこから、シャクシャイン派とオニビシ派の抗争が始まったのである。

 また、琉球処分について言えば、沖縄人すべてが琉球処分に反対したわけではない。明や清からの帰化人を中心とする支配層は反対であったが、庶民層を中心とする多数派は賛成であった。そして、庶民層が一種の解放感を味わったことは、伊波普猷の「琉球処分は一種の奴隷解放だ」という言葉からもうかがい知れるのである。

 ともかく、歴史教科書は、アイヌと「和人」、沖縄と「本土」との間に分裂を持ち込むむことに熱心である。その史実無視の書き方を見ていると、日本としての統一性を破壊することが、歴史教科書執筆者の狙いではないかと思われるほどである。

 以上、3つの理由から、今日の歴史教科書を読み進めても、日本歴史の大きな流れが掴めない、それも中核部分の流れが掴めないことになるのである。

(2)華夷秩序の思想……日本は、中国と韓国・朝鮮の下位に属する国

 二つ目の華夷秩序の思想について見ていこう。現在の歴史教科書の最大の特徴は、この華夷秩序の思想にあると言って良い。ほとんどの歴史教科書は、華夷秩序思想に基づき、日本を、中国と韓国・北朝鮮の下位に属する国として位置づけている。

 筆者は、『歴史教科書が隠してきたもの』(展転社、2009年)以来、歴史教科書が描く対中国、対韓国・朝鮮をめぐる日本歴史の物語を次のように要約した。

 1)中国と韓国・朝鮮から恩恵を受けてきた
 古代から、中国、韓国・朝鮮、日本の三国の間では、一番古い歴史をもち最上位の国家が中国、次いで古い歴史をもち中位の国家が韓国・朝鮮、一番歴史が浅く最下位の国家が日本、という上下関係が成立している。日本は、文化を輸入するだけの国家であり、一方的に中国と韓国・朝鮮から様々な文化を教えてもらってきた。

 2)韓国・朝鮮、中国からの恩を仇で返してきた
 中世でも、モンゴルの襲来時には、日本は韓国・朝鮮のおかげで撃退することに成功した。ところが、倭寇という日本の海賊が韓国・朝鮮と中国を襲い、秀吉が朝鮮侵略を行った。近代になると、文化的な恩人である中国と韓国に侵略し、南京大虐殺と朝鮮人強制連行に代表される数々の犯罪行為をしてきた。韓国・朝鮮と中国から受けた恩を仇で返してきたのである。

 3)韓国・朝鮮と中国に対する贖罪をしよう
 邪悪な犯罪国家日本は、敗戦後、アジア侵略を猛省した。そして、戦争・戦力放棄と人権を掲げる日本国憲法を制定した。我々は、日本国憲法を守り続け、在日韓国・朝鮮人等に対する差別をなくしていかねばならない。 

1)と関連する古代史に関して少し触れれば、「帰化人」という方がむしろ通説の位置を占めていると言われるが、歴史教科書では、30年以上前から、「渡来人」という表記がもっぱらされてきた。そして、「渡来人」による文化伝来のみが記されてきた。日本からの文化輸出の例は、絶対に記されてこなかった。@の物語に反するからである。

また、学問的にはほとんど成り立たないことがはっきりした《朝鮮半島から稲作が伝来した》とする説が、未だに多数派の歴史教科書で採られている。日本の文化は、中国→朝鮮半島→日本というルートで伝わってきたものだという、1)に記した物語のシェーマに反するからであろう。

 2)の物語について補足すれば、帝国書院、教育出版等5社は、元寇の箇所で、《高麗の御かげで、モンゴル襲来を切り抜けた》と記している。帝国書院の現行版の記述を引くならば、「高麗は30年にわたり抵抗を続けました。大越(現在のベトナム)もねばり強く戦いました。この抵抗が元軍の日本遠征をさまたげる要因となりました」(62頁)と記している。高麗という加害者が恩人にすり替えられていることに注意されたい。そればかりか、元の襲来が「日本遠征」と美化されていることにも、注目されたい。他にも、東京書籍、教育出版、清水書院の3社が「遠征」と表記している。それにしても、自国に侵入してきた軍隊について「遠征」という比較的美しいイメージのある言葉を用いるとは、それも国民教育を担う教科書の中で用いるとは、東京書籍や帝国書院の執筆者の頭の中は、どうなっているのだろうか。

  (3)欧米又は米国追随史観……欧米を日本より上位に位置づける
 
3つ目に、欧米又は米国追随史観とでも言うべき特徴がある。近代日本は、欧米から文化を学習した国でしかなく、なかなか欧米の域に達しない遅れた国であるという歴史観が存在する。端的に言えば、欧米を、特に米国を日本より上位に位置づける史観である。

 例えば、昔から伝えられてきたものだが、日本の歴史教科書は、欧米に学んで構築した明治憲法体制を冷笑する。6社は、帝国議会が出来たと言っても、《選挙権者が1.1%に過ぎぬ》と記すし、ようやく清水書院と学び舎の2社に減少したが、帝国憲法発布については、ベルツの日記を引き、「誰も憲法の内容をご存じないのだ」と揶揄させている。

 また、戦争関係については、連合国又は米国を持ち上げるために、帝国書院、日本文教出版、清水書院、学び舎の4社は、《日本が無条件降伏した》という嘘話を展開している。降伏以来72年経過しても、未だに、こんな嘘が堂々と展開されていることに注目されたい。本当に、この嘘は消えていかない。何しろ、大学で使用されている多くの憲法解釈書も、この嘘話を展開しているからである。この嘘話を大きな根拠にして、「日本国憲法」有効論や「新皇室典範」有効論が築かれていることに、想いを致してほしい。

 「日本国憲法」有効論のことに触れたが、本当はきちんと書くべきことなのに、「日本国憲法」の成立が国際法違反であるということを、ほとんどの歴史教科書は記さない。また、東京裁判の違法性も記さない。欧米対日本という関係では、欧米が正しく日本は間違っていると常に記すのが、日本の歴史教科書なのである。

  (4)共産主義擁護、共産主義的な見方 

周知のように、戦後日本における文系学問は、特に日本史学は、共産党系学者がリードしてきた。そのためもあり、ソ連が崩壊して26年も経過するのに、歴史教科書には、共産主義的な見方が残存しているし、共産主義擁護の姿勢が著しい。

 例えば、国家の成立の個所を見ると、未だに階級国家論が東京書籍等3社で展開されている。そのうち、1社は、泥棒国家論とでも言うべき成立過程史を語っている。すなわち、教育出版は、古代日本の「くに」の成立の箇所で、次のように記している。

 人々が稲作によってたくわえ(富)をもつようになると、社会のなかに、貧富による身分の差が生まれてきました。特に、むらの指導者は、人々を指し図して水を引き、田をつくり、むらの祭りをおこなううちに、人々を支配するようになりました。やがてそのなかには、むらの財産を自分のものにし、戦いでまわりのむらをしたがえて、各地に小さいくに(国)をつくる者もあらわれました。(19頁)

 また、未だに、自由社と育鵬社以外の6社は、ロシア革命を賛美することが著しい。例えば東京書籍は、次のように記している。

 社会主義は、資本主義がもたらした社会問題を解決しようとして生まれた思想でしたが、国境をこえた労働者の団結と理想社会を目指す運動になって、各国に広がりました。……
 革命政府は、銀行や鉄道、工場など重要な産業を国有化し、土地を農民に分配するなど、社会主義の政策を実行する一方で、民族自立を唱え、ドイツと単独で講和を結んで、第一次世界大戦から離脱しました。ロシア革命は、資本主義に不満を持ち、戦争に反対する人々に支持され、各国で社会主義の運動が高まりました。 (200〜201頁) 


 社会主義と戦争反対や平和主義とを結びつける記述に注目されたい。これらの記述は、明らかに、執筆者の日本共産党や社民党への親近感を感じさせるものである。ともあれ、未だに、ロシア革命が賛美されていることには、驚きを禁じ得ない。一体、この教科書を執筆している学者たちは、ソ連崩壊についてどのように考えているのだろうか。

 公民教科書の4つの特徴 

以上4つの否定的特徴を紹介してきたが、歴史戦の中の一戦線として歴史教科書を捉えた場合、最も重要なのは、2つ目の特徴として挙げた、日本を中国と韓国・朝鮮の下位に位置づける華夷秩序の思想である。この思想と関連して、「南京事件」や「強制連行」「慰安婦強制連行」などの虚構が語られ、これらの虚構に基き、日本は責め立てられてきたわけである。

 日本が一方的に責め立てられてきた背景には、実は、戦後の公民教育が存在する。私は、戦後の公民教科書については27年前ぐらいから研究しているが、『公民教育が抱える大問題』(2010年、自由社)を著した頃から、おおよそ、以下の4点で、公民教科書の特徴を捉えるようになった。 
 
 @共同社会解体の思想 

 公民教科書は、家族や地域社会などについてきちんとした教育をしなくなっている。家族に関して言えば、1980年代から家族に関する記述量がとみに少なくなっていく。昭和53〜55年度版では平均21頁の分量が家族に充てられていたが、56〜58年度版では7頁に激減し、その後更に少しずつ減少していく。平成18〜23年度版では平均3頁にまで減少してしまう。しかし、ここまでの時期では、必ず家族のための単元が置かれていた。しかし、平成24〜27年度版と28〜31年度版では、家族の為の単元を設けて2頁以上の分量を用いる教科書は、自由社、育鵬社、帝国書院の3社に激減してしまうのである。明らかに、日本の公民教科書は、家族解体を狙っていると言えよう。

A国家解体の思想 

@の特徴は最近30年間の傾向であると言えるが、国家解体の傾向は、昭和20年代以来、占領期以来の特徴である。ともかく、一貫して、公民教科書には、国家論が欠如し続けてきた。国家とは何か、国家の役割とは何かといったことについて、公民教科書は何の教育もしてこなかった。また、国際社会の箇所を見ても、そもそも「国益」という言葉が出てこないし、国益の観点が全く見られない。あるのは、ひたすら、国際協調の観点である。

 今日まで、国家論をきちんと展開した教科書は、平成24年度以降の『新しい公民教科書』だけである。『新しい公民教科書』は、国家の役割として、四つのことを指摘した。一つは国家の防衛である。二つは社会秩序、法秩序の維持である。第三に社会資本の整備、第四に国民一人一人の権利の保障である。

 ところが、このような国家論を学ばずに国際協調の観点だけ学んだ優等生が、大学教育を受け、官僚や政治家になっていく。大学教育でも国家論を学ばない。驚くべきことに、憲法学の教科書を見ても、国家論はないに等しい。国家論も国益という思想も身に付けないまま、官僚や政治家になっていくのである。これらの官僚や政治家が外交を担うわけだから、日本が慰安婦問題などで負け続けるのも当然なのである。
 
B全体主義的な民主主義思想 

Bの特徴は、一定、昭和20年代からあるものだが、時代が下るにつれ、強くなってきている。まず指摘すべきは、公民教科書が「日本国憲法」三原則説を例外なく採っていることである。「日本国憲法」三原則説は定説であるかのような誤認があるが、実は多数説ではあっても、通説又は定説ではない。公民教育の世界で広がった全体主義的な説である。

 例えば、昭和33年版中学校学習指導要領は、「基本的人権の尊重、平和主義、国民主権、三権分立、間接民主制、議院内閣制の六つを、原則として挙げていた。国民主権という権力集中を伴う民主主義的原則とともに、三権分立、間接民主制、議院内閣制という権力抑制的、立憲主義的原則が挙げられていたことに注目されたい。

 しかし、公民教科書は、指導要領を無視して、昭和30年代以来、三権分立等を全て排除し、基本的人権の尊重、平和主義、国民主権という三原則説をとるようになった。もう一度言うが、政治意思の決定という観点から見れば、三原則の中には、国民主権という権力集中の原則しか残っていない。必然的に三原則説は、全体主義的な思想傾向を帯びてくるのである。

 この全体主義的な三原則説を中学時代に学んだ憲法学者が多くなるにつれ、憲法学の世界でも、三原則説は多数説になっていく。つまり、三原則説とは、公民教科書から憲法学説へ広がっていったものなのである。

 しかも、特に平成5〜8年度版以降になると、公民教科書は、もっぱら、全体主義的な民主主義の元祖であるフランス革命を中心に西欧米国政治史を語るようになり、逆に立憲主義的な民主主義の元祖である英国政治史を書かなくなるのである。

 ついでに言えば、三原則説と同じく、公民教科書が広げた法学思想に平等権というものがある。憲法学界では全くの少数派であった平等権という思想は、いち早く、昭和40年代以降、大多数の公民教科書の中に広がっていく。そして、1980年代以降になって、憲法学説に於いても比較多数派になっていくのである。

  Cアジア、在日韓国・朝鮮人、アイヌ、沖縄への贖罪意識の植え付け 

   アジアへの贖罪意識の植え付けは、昭和20年代以来の公民教科書が狙ってきたものである。平成5〜8年版のあたりから、在日韓国・朝鮮人差別問題が大きく扱われるようになり、平成9〜13年度版以降では在日韓国・朝鮮人被強制連行者子孫説が多数派教科書で書かれるようになる。被強制連行者子孫説の嘘も強制連行の嘘も暴かれてしまったが、現行版でも、在日韓国・朝鮮人は徴用された人たちの子孫であるという嘘を書く教科書が、東京書籍、教育出版、清水書院と3社も存在する。

 さらに言えば、公民教科書にも、アイヌ先住民族論が登場している。そして、沖縄の米軍基地は日本全体の74%であるという偏った記述が、ほとんどの教科書で行われている。せめて「74%(23%)」と記すべきであろう。この偏った記述も、沖縄に対する贖罪意識を「本土」の中学生に抱かせるためなのであろう。

 歴史戦というと、歴史教科書だけが関連していると思われるかもしれないが、公民教科書も一定の関連性を持っているのである。私は、公民教科書のA国家解体の思想こそが、歴史戦で日本が負けつづる本質的、根本的な理由であると見ている。

 西欧も米国も、思想界は左翼が牛耳っており、自虐史観に染まっている。しかし、国家の思想は、左翼も含めて、国民全体に共有されている。これに対して、日本の場合は、保守派にも、国家の思想は共有されているとは言い難い。きちんと、国家論を中学校の公民教育や大学の憲法教育や国際法教育で教えてきていたならば、歴史戦で負け続けることはなかったはずである。その意味では、公民教科書改善の方が、歴史教科書改善よりも重大な課題だとも言えるのである。

四、歴史教科書の歴史――教科書内容こそが歴史戦の帰趨を決してきた

 以上見てきた歴史教科書と公民教科書の特徴をふまえて、歴史教科書の内容と歴史戦の関係について見ていきたい。或いは、歴史戦総体の中で、歴史教科書の内容をめぐる戦いは、どのような位置に在るのだろうか。

 2015年の安倍談話や「南京大虐殺」関係資料の「世界の記憶」への登録、日韓合意などを見て、「つくる会」も私自身も激怒したし、落胆した。そして、安倍首相の度胸のなさ、その自虐史観ぶりに落胆した。その後、少なくとも私の安倍政権への落胆度合いはどんどん拡大し、ヘイト法の通過、そして今回の安倍偽改憲構想に至って、頂点に達している。

 もちろん、安倍氏の自虐史観は糾弾されるべきである。また、その歴史戦における失敗の責任も追及されなければならない。しかし、同時に、『安倍談話と歴史・公民教科書』を執筆する中で冷静に歴史教科書の歴史を振り返り、その歴史を歴史戦と照らし合わせてみると、歴史教科書改善運動の限界が見えてきた。1995年の村山談話も、2015年の安倍談話も、同時代の歴史教科書の思想を忠実に反映していただけであった。つまり、歴史教科書の質こそが、歴史戦の帰趨を決定していたのである。

 前もって言うならば、確かに歴史教科書改善運動は大きな成果を挙げ、教科書の内容的改善に大きく寄与してきた。だが、一歩及ばなかったのである。もう少し教科書改善運動が深化拡大していれば、歴史戦の様相は少しはましなものになっていたかもしれないと想うのである。

  もっとも、教科書改善運動の進化を遅らせた大きな責任は安倍氏にある。氏が「つくる会」から脱落した育鵬社系の運動家たちの支持を決めたときに、教科書改善運動の深化拡大はブレーキを掛けられたからである。
 
  まえがき的なことはこれくらいにして、この「四 歴史教科書の歴史」では、タイトル通り、中学校歴史教科書の内容史を追いかけていこう。

 (1)中学校歴史教科書の歴史……侵略用語の変遷に注意して四期区分 

  まず、歴史教科書の歴史を大掴みで把握するために、特に侵略用語の変遷に注意して時期区分しておこう。そうすると、以下の四期に区分できることが分かった。

 第一期 昭和20年代から昭和36年度まで……侵略表記が3分の1

 3分の1強の教科書で、支那事変を「日華事変」と表記して「侵略」と位置づける。満州事変を「侵略」と位置づける教科書はごく少数である。

 国定教科書期のみ、「南京事件」はWGIPの一環として書かれる。しかし、例えば『日本歴史』は、「中国側の抗戦は南京における日本軍の残虐行為を契機にさらに激化」(204頁)と、簡単に記すだけである。

 第二期 昭和37年度から58年度まで……侵略表記の無い時代

 昭和37年度になると、「侵略」表記は急速に減少する。そして、昭和58年度まで、侵略表記がほとんどない時代が継続するのである。

 しかし、昭和50〜52年度版では、教育出版は、「四万二千の中国の住民を殺害するという事件がおこった」(300頁)と記すようになる。日本書籍も四万二千の殺害と記すようになる。30年ぶりに、「南京事件」が登場したのである。

 また、朝鮮人徴用の記述が、昭和53〜55年度版で徴用から「強制連行」へ転換したことも特筆される事態であった。

 第三期 昭和59年度から平成27年度まで……侵略表記が全社・多数派の時代
 
  昭和57(1982)年6月、教科書誤報事件が起きた。その影響は、ちょうど昭和57年度検定にかかっていた中学校歴史教科書にすぐに影響を及ぼす。すなわち、全社で満州事変及び日華事変が侵略と表記されるようになった。もちろん、大東亜戦争を侵略と表記する教科書も、徐々に多数派になっていく。

 「南京事件」についても、大きな転換がある。昭和62〜平成元(1989)年度版以降、単なる「南京事件」ではなく、「南京大虐殺」の位置付けに転換していく。ほとんどの教科書は、10数万から20万人が殺害されたと記すようになるのである。

 更に大きな転換は、日本人が虚構した「慰安婦」記述が、平成9(1997)〜13年度版の全7社に登場したことである。ここに、日本を悩まし続けた「侵略」、「南京大虐殺」、朝鮮人「強制連行」、「慰安婦」の四点セットが、教科書で展開される時代となったのである。

 第四期 平成28年度以降……侵略表記が少数派になる時代

  「慰安婦」記述の登場は、保守派の教科書改善運動に火を付けることになった。この「慰安婦」記述の抹消を目指して、「つくる会」が作られた。そして「つくる会」が主導して、『新しい歴史教科書』と『新しい公民教科書』が作られた。

 『新しい歴史教科書』は、他社の教科書に大きな影響を与え、歴史教科書の内容を改善していった。

 その結果、平成24〜27年度版では、「南京大虐殺」の位置付けを行う教科書が7社中3社に減少し、「南京事件」という位置付けの教科書が4社となる。そして、更に、平成28〜31年度版で、30年ぶりに「南京事件」を書かない教科書が誕生した。『新しい歴史教科書』のことである。

 (2)教科書改善運動の成果 

  以上見た第三期の後半から、「つくる会」の運動は行われてきたわけであるが、「つくる会」が主導した教科書改善運動は、その採択率が全く伸びなかったにもかかわらず、大きな成果を挙げてきた。歴史戦と密接な関係をもつ問題に関する成果を4点まとめておこう。

 @慰安婦記述を中学校歴史教科書から一旦、一掃したこと

 平成14(2002)〜18年度版では、新しく『新しい歴史教科書』が登場した。その成果は早速現れ、慰安婦記述を行う教科書は、平成18〜23年度版では2社に大減少し、24〜27年度版ではゼロとなった。
 ただし、今回の平成28〜31年度版では、学び舎が詳しく慰安婦問題を取り上げている。

 A朝鮮人徴用の記述の改善……平成18〜23年度版

 朝鮮人徴用については、平成9〜13年度版では、全社が強制連行の位置付けをしていた。しかし、平成14年度初登場の『新しい歴史教科書』が「徴用」という位置づけを行った。その影響は直ぐに現れ、平成18〜23年度版では、強制連行と位置付ける教科書が日本書籍新社、大阪書籍、清水書院の3社に激減する。24〜27年度版ではさらに減少して清水書院1社に、28〜31年度版では清水書院と新登場の学び舎の2社となる。

 教科書の平均的な記述を求めれば、平成18〜23年度版以降の時期では、東京書籍の記述がそれに当たることになろう。東京書籍の平成18〜23年度版と平成28〜31年度版の記述を、それぞれ掲げておこう。

〇東京書籍の平成18〜23年度版 
 日本に連れてこられて、意思に反して働かされた朝鮮人、中国人などもおり、その労働条件は過酷で、賃金も低く、きわめてきびしい生活をしいるものでした。 (193頁)

〇東京書籍の平成28〜31年度版
 多数の朝鮮人や中国人が、意思に反して日本に連れてこられ、鉱山や工場などで劣悪な条件下で労働を強いられました。 (227頁)

 平成18〜23年度版についてコメントするならば、「意思に反して働かされた」という部分が焦点であるが、これは「強制労働」を認めたとも認めていないともとれる書き方である。

 また、今回の平成28〜31年度版についてもコメントするならば、「意思に反して日本に連れてこられ」が焦点であるが、これは「強制連行」を認めたとも認めていないともとれる書き方である。

 「明治日本の産業革命遺産」の世界遺産登録問題では、韓国側は「強制労働 forced labor」と記すことを要求し、日本側は拒否していたが、結局、「意に反して働かされた forced to work」に落ち着いたという。結局、現在の平均的な歴史教科書の立場が、そのまま文言になったのである。もしも、教科書が「強制連行」を明記していた時代だったら、強制労働(forced labor)の言葉を受け入れていたと想像されよう。

 しかし、日本語の「強制労働」と「意に反して働かされた」とでは大きな違いがあるが、英語のforced laborとforced to workでは余り大きな違いはないといわれる。世界的には、韓国側の完勝だったわけである。日本外交の拙劣さが招いた事態ではあるが、日本側敗北の背景には、教科書改善運動の不十分さがあったと見なければならない。

 B「南京大虐殺」を「南京事件」に変化させてきたこと

 平成9〜13年度版では、7社中6社が20万虐殺、十数万虐殺と記していたし、残る帝国書院も虐殺数こそ示さないが「南京大虐殺」という言葉を用いていた。全社が「南京大虐殺」の位置付けを行っていたのである。

 しかし、『新しい歴史教科書』が登場した平成14〜17年度版では、大虐殺の位置付けをする教科書が一挙に8社中4社へ激減する。そして、前述のように、平成24〜27年度版では、「南京事件」という位置付けを行う教科書が7社中4社となり、多数派となる。そして、平成28〜31年度版では、『新しい歴史教科書』は、「南京事件」を書かずに検定合格した。

 平成28〜31年度版では、「南京大虐殺」が東書と清水の2社グループ、「南京事件」が育鵬社、日文、教出、帝国、学び舎の5社グループ(学び舎はかなりひどく、或る意味「南京大虐殺」とする教科書よりもひどい)、「南京事件」の記述をそもそもしない自由社一社、という構図となった。自由社の「南京事件」不掲載は、中国の「世界記憶遺産」登録への撃ち返しとして大きな意味を持つこととなろう。

 C「侵略」記述の大減少……平成28〜31年度版 

  振り返れば、平成9〜13年度版では、日清・日露戦争から満州事変以降の戦い全てを侵略戦争と位置付ける教科書が多数派となっていた。しかし、『新しい歴史教科書』が登場した平成14〜17年度版では、日清・日露戦争を侵略とするのは日本書籍新社一社に減少する。平成18〜23年度版では、満州事変と支那事変を「侵略」と表記する教科書は、8社中4社に半減する。そして、平成28〜31年度版では、満州事変以降の戦いを侵略とするのは東書、清水、学び舎の3社となる。大東亜戦争についていえば、「侵略」と明記するのは東京書籍1社となる。学び舎は「侵略」としていないし、清水の立場は微妙である。

  安倍談話が「侵略」という用語を使いながらも直接には満州事変以降の戦いを「侵略」と規定せずに済んだ背景には、侵略記述の減少という事態が在ったのである。とはいえ、安倍首相が記者会見で「侵略」発言をしてしまった背景には、安倍氏自身の自虐史観とともに、「侵略」記述を圧倒的な少数派に追い込むことに成功していない教科書改善運動の限界があったとみることが出来る。

  しかし、侵略記述を相対的な少数派に追い込むことに成功したのに、結局、安倍首相が「侵略」と認めてしまうとは、一歩遅かったという感じがしてならない。数年前に「侵略」記述を少数派に追い込んでいたならば、少しは、安倍談話自体の内容も変わっていたのではないかとも思われるのである。

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