「日本国憲法」、公民教科書、歴史教科書

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zoom RSS 歴史戦の中の歴史・公民教科書(1)――指導要領改訂問題と学び舎問題

<<   作成日時 : 2017/06/22 01:33   >>

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  はじめに

 一月前、「歴史戦の中の歴史・公民教科書」という演題で二つの講演を行った。正確には一つは《歴史戦の中の歴史・公民教科書――指導要領改訂問題を切り口として》というタイトル、もう一つは《歴史戦の中の歴史・公民教科書――慰安婦、「南京事件」「強制連行」、沖縄、アイヌ、家族、国家》というタイトルであった。7割方同じ内容であったが、副題の違いから分かるように、3割程度は内容にズレがあった。

 講演で自分が話した内容を覚えているうちに文章化しておこうと思っていたが、安倍偽改憲構想への批判を考えているうちに、時間が1月経過してしまった。いや、それ以上に、安倍偽改憲発表と所謂保守派の多数が偽改憲構想になびいてしまったことにショックを受けて(所謂保守派の動きはヘイト法の時と同じで予想通りではあるが)、体調を崩してしまつたため、なかなか文章化に取り掛かれなかった。だが、これ以上遅れてしまうと完全に忘れてしまうので、1月前の講演のレジュメを基にして文章化しておきたい。文章化に当たっては、必要に応じて、講演で話さなかった内容も付け加えていくこととする。

 なお、「歴史戦の中の歴史・公民教科書」というタイトルには、いかなる意味があるのか。教科書採択戦及び安倍談話のあった平成27(2015)年以前ならば、恐らく「歴史戦と歴史・公民教科書」というタイトルを付けたものと思われる。しかし、『安倍談話と歴史・公民教科書』を執筆する中で2015年までの歴史を振り返っていくと、歴史・公民教科書、特に歴史教科書の内容をめぐる攻防は歴史戦の中の主要戦線の一つであったという認識が私の中で深まった。それゆえ、「歴史戦の中の歴史・公民教科書」というタイトルの下に講演を行い、更にブログ記事を認めようというのである。

まず、目次を示しておこう。
一、学習指導要領改訂問題
二、学び舎問題
三、歴史教科書と公民教科書の特徴 
四、歴史教科書の歴史――教科書内容こそが歴史戦の帰趨を決してきた
五、歴史教科書の変遷と内閣の考え方……内閣の考え方は、歴史教育の大枠と一致。
六、『捕虜収容所服務規程』としての「日本国憲法」


 今回は、一と二を掲げることにする。
 
一、学習指導要領改訂問題

 「歴史戦の中の歴史・公民教科書」という認識からすれば、今年の学習指導要領改訂問題は、歴史戦の中の一局面として、極めて大きな意味があった。「つくる会」が主導して、聖徳太子抹殺策動を何とか阻止することに成功した。だが、単に阻止したに過ぎない。もしも、聖徳太子抹殺に代表される一連の指導要領改訂案が通っていたらと思うと、ぞっする。

 聖徳太子等抹殺計画の阻止

 今年、平成29(2017)年2月14日、小中学校の学習指導要領案が示された。特に中学校指導要領案を見ると、歴史的分野で二つの点が目についた。一つは、大和朝廷、聖徳太子、元寇、鎖国の抹殺計画である。

 大和朝廷から見れば、現行の平成20年版指導要領では「大和朝廷」と記されているが、2月14日に発表された29年版指導要領原案では「大和政権(大和朝廷)」とされていた。聖徳太子については、現行では「聖徳太子」と記されているが、29年版要領原案では「厩戸王(聖徳太子)」とされていた。それぞれ、大和朝廷については「大和政権」を、聖徳太子については「厩戸王」を、基本的な名称として定着させようとする試みであった。

 次に元寇については、現行では「元寇」と記されているが、29年版要領原案では「モンゴルの襲来(元寇)」とされていた。鎖国については、鎖国という言葉は完全に消され、「対外政策」「対外関係」とのみ表現されていた。
 「元寇」という名称は中華帝国による日本「侵略」という意味合いをもつ。それゆえ、「元寇」という表記は、中華帝国に対峙する日本の国家意識を表現するとともに、その対外膨張に対する警戒意識につながるものである。「モンゴルの襲来」への転換は、この国家意識、警戒意識を解体していくことにつながるものである。

 鎖国について言えば、日本は鎖国政策をとることによって、16世紀末から17初頭に存在した植民地化の危険を回避したと捉えることもできるし、維新政府は、逆に積極的開国政策をとり、次いで富国強兵政策をとることによって、植民地化の危機を逃れたと捉えることが出来る。と考えると、鎖国という言葉の追放は、元寇という言葉の追放と同じく、対外防衛の観点を歴史から追放することを意味するのである。

 そこで、「つくる会」をはじめとした多くの国民は、大和朝廷、聖徳太子、元寇、鎖国の抹殺計画に反対した。その結果、29年指導要領成案では、四つの用語は、総て基本的な用語として復活した。すなわち、成案では、「大和朝廷(大和政権)」「聖徳太子」「元寇(モンゴル帝国の襲来)」「鎖国」となったのである。ただし、聖徳太子については、《なお、「聖徳太子の政治」を取り上げる際には、聖徳太子が古事記や日本書紀においては、「厩戸皇子」などと表記され、後に「聖徳太子」と称されるようになったことに触れること》と注意書きが付されることになった。あくまで、聖徳太子の抹殺へ向けての布石のために、このような注意書きを文科省は付記したのであった。

 アイヌ、沖縄の強調

 指導要領案の歴史的分野で二つ目に目についたのは、アイヌと「琉球」の強調である。中世の個所では、新しく「琉球の文化についても触れること」と記されるし、近世の個所でも新しく「アイヌの文化についても触れること」と記されている。

 このように記すこと自身は別に悪いことではないので批判しなかったが、このように記されたことによって、教科書がどう変わるかは、十分に予想される。アイヌや「琉球」の文化と本土の文化を対立的に捉え、アイヌや「琉球」の各種文化が本土に与えた影響だけが特筆されることになろう。アイヌや「琉球」が本土から受けた文化的影響、アイヌや「琉球」と本土との文化的同質性は決して書かれないだろう。そして、アイヌ先住民族論どころか、沖縄独立論を後押しする教科書記述が増加する危険性が高くなるであろう。そうなれば、教科書問題は歴史戦を超えて、日本の安全保障問題の性格を持つこととなろう。歴史教科書の内容史を追いかけてきた私には、そのように予想されるのである。

 家族が消えたままの公民的分野指導要領

 ここまで歴史的分野における指導要領改悪の試みとその阻止について見てきたが、公民的分野の指導要領は、既に平成20年版指導要領で著しく改悪されていた。「つくる会」は、平成20年版指導要領案に対するパブリツクコメントで、指導要領案改悪に反対していた。その反対意見は私が書いたものである。今回も、前回と同様のコメントを寄せた。だが、一顧だにされず、20年版における改悪点は、そのまま維持されることになった。

 では、20年版要領の改悪とは何だったのか。時代を遡って説明しておきたい。平成18(2006)年、教育基本法が改正され、第2条「教育の目標」で「公共の精神」と「郷土を愛する」ことがうたわれ、地域社会の大切さと「公共の精神」の重要さが確認された。第10条1項で「父母その他の保護者は、子の教育について第一義的責任を有するものであって、生活のために必要な習慣を身に付けさせる」と規定され、改めて家族の重要さも確認された。

 ところが、平成20年に改訂された指導要領には、「公共の精神」という言葉は、公民的分野の「目標」の箇所にさえも載っていなかった。これにも驚かされたが、もっと驚かされたのが、「家族」と「地域社会」という単語が20年版指導要領から削除されていたことである。平成10年版では「家族や地域社会などの機能を扱い、人間は本来社会的存在であること」と記されていたが、「家族や地域社会などの機能を扱い」の部分が消えたのである。

 当時、「つくる会」以外は、この指導要領改悪を問題にした者はいなかった。その結果、平成22年度検定の公民教科書では、多数派教科書から家族論も地域社会論も消えてしまった。「公共の精神」という言葉自体も、ほとんどの教科書には存在しなかった。26年度検定の現行公民教科書でも、「公共の精神」については少しはましになったが、家族や地域社会については全く改善の跡が見られない。改訂案のような教育をしていたのでは、国家の基礎である家族と地域社会の解体が更に進行していくだろう。家族、私有財産、国家の解体は共産主義者の願望として存在するが、その願望が実現しているのが、公民教科書の世界なのである。公民教科書には私有財産の意義は説かれていないし、国家論も全く存在しないからである。

 無視された4点の要望

  ともあれ、「つくる会」は、歴史的分野の改悪反対の立場を表明すると共に、公民的分野の指導要領案の改善を、文科省に対して要望した。何よりも、改正教育基本法を重視する立場から、2点の改善を要望した。

 1、目標(3)に「公共の精神」を入れること

 「(3)現代の社会的事象について,現代社会に見られる課題の解決を視野に、公共の精神に基づき、主体的に社会に関わろうとする態度を養う……」

 2、内容A「(2)現代代社会を捉える枠組み」のアの(イ)に「家族」「地域社会」「公共の精神」を入れること

 「(イ) 家族や地域社会などの機能を扱い、人間は本来社会的存在であることに着目させ、公共の精神、個人の尊厳と両性の本質的平等,契約の重要性やそれを守ることの意義及び個人の責任について理解すること。」

 傍線部は、29年版指導要領案に付け加える事を要望した部分である。そして、更に《「国家と国民」という項目を置くこと》、《「国益」を入れること》という2点の要望も、パブリツクコメントの中で行った。

 《「国家と国民」という項目を置くこと》を要望したのは、教科書がこのような単元を置いて、ここで国家とは何か、国家の役割とは何か、国家と国民はどういう関係に立つか、といったことについて書くようになることを期待してのことだった。

 《「国益」を入れること》を要望したのは、指導要領にも公民教科書にも、国際協調ばかりが説かれ、国益の観点が存在しない極めてバランスの悪い状態を改善したいとの想いからである。

 しかし、4点の要望は全て無視された。改めて、文科省は、家族、地域社会、国家の解体を進める教育を選択したのである。

 人は、歴史教科書問題ばかり一生懸命になる。「つくる会」の95%の人達もそうだ。しかし、歴史的分野の指導要領も歴史教科書も、公民的分野の指導要領や公民教科書に比べれば、はるかにまともである。家族、地域社会、国家の解体を進める教育を目指しているのであるから、左翼的、というよりも極左の思想を注入しようというのが、公民的分野の指導要領であり、公民教科書であるということになろう。

二、学び舎問題

 29年指導要領改訂原案は教科書の学び舎化を狙うもの 

  こうして、公民的分野に関しては我々の主張は全く無視されたが、歴史的分野に関しては、8割方主張が通ったと言ってよい。しかし、2月に出された29年指導要領の歴史的分野改訂原案は、一体何だったのであろうか。一言で言えば、この改訂原案は、歴史教科書の学び舎化を狙うものだったと言ってよい。新しく平成28年度から使用され出した学び舎の教科書とは、平成14年から中学校歴史教科書として使用され出した『新しい歴史教科書』と最も先鋭に対立し、平成18〜23年度版を最後に消えていった共産党系の日本書籍・日本書籍新社の思想を受け継ぐものであった。

 そのことは、改訂原案が抹殺しようとしていた大和朝廷、聖徳太子、元寇、鎖国に関する学び舎の記述を読んでみると、一目瞭然である。学び舎の教科書は、大和朝廷については「大和政権」と記し、聖徳太子については初出の時だけ「厩戸皇子(のちに聖徳太子とよばれる)」とするが、その後は全て「厩戸皇子」と表記している。元寇の個所では、元寇という言葉を既に削除しており、モンゴルの襲来、という言葉さえもなくなっている。そして、鎖国についても、既に「鎖国」という言葉を消し去っている。つまり、指導要領の改訂原案とは、歴史教科書の学び舎化を狙うものだったのである。

 時代の主役は聖徳太子ではなく蘇我馬子
 
  ここでは、教科書の学び舎化とはどういうことを指すのか、学び舎の聖徳太子の時代に関する記述を紹介する中で考えていきたい。学び舎は、聖徳太子の時代については、第1部第2章「日本の古代国家」単元3【蘇我氏と二人の皇子−飛鳥時代−】で記している。最初に「そびえ立つ五重の塔」という小見出しの下、蘇我氏の建てた飛鳥寺について記している。単元のタイトルにある二人の皇子とは、聖徳太子と中大兄皇子のことであるが、単元タイトル自体に蘇我氏に比重が置かれている。しかも、聖徳太子ゆかりの法隆寺ではなく、蘇我氏の飛鳥寺に焦点を当てて説明していることに注目されたい。明らかに、この時代の中心が蘇我氏とされていることが分かるのである。

 倭国(日本)は偉大な隋に対して失礼な国 

  次に2番目の小見出しとして、「厩戸皇子の登場」というものが置かれ、ここで次のように記されている。

 厩戸皇子(のちに聖徳太子とよばれる)も、仏教に強い関心をもっていました。……
 589年に隋が中国を統一すると、朝鮮の百済・新羅・高句麗は、すぐに隋の皇帝に使者を送りました。蘇我馬子と厩戸皇子は、この動きを見て、600年に隋に使者を送りました(遣隋使)。このとき、隋から政治に対する考えを改めるように助言されました。こののち倭国では、冠位十二階を制定しました。これは、役人の地位の高さを冠の色であらわすものです。607年、小野妹子は高い地位の冠をつけて、遣隋使として派遣されました。また、十七条の憲法によって、政治をおこなう役人の心がまえをしめしました。これらは、蘇我馬子と厩戸皇子が協力して実行しました。(39頁)


 ここでは、遣隋使の派遣も、冠位十二階の制定も、十七条の憲法の制定さえも、いずれかと言えば、蘇我馬子主導の作業にされていることが際立っている。

 更にもう一点、注目される点がある。冠位十二階の制定などの改革が、隋からの助言に基づくものだとされていることである。学び舎は、第一に政治外交の主導者を蘇我馬子に設定し、第二に隋からの助言を強調し、隋が日本よりはるかに文化的に優れた国であると強調しようとしている。そればかりか、小コラム「遣隋使と中国皇帝は何を語ったか」では、次のように日本を冷笑する記述を行っている。

 最初の遣隋使は、隋の皇帝から倭国のようすを聞かれ、「倭の王は天を兄とし、日を弟としています。夜が明けないうちに、宮殿で足を組んですわり、政治を行います。日がのぼると、あとは弟に任せます」と答えた。皇帝は、とても理解できないと言い、使者に政治のやり方を改めるようにさとした。
 二度目の遣隋使・小野妹子がもっていった国書には、「日がのぼる国の天子が、日が没する国の天子に書を送ります。ご機嫌いかがですか」とあった。これを見た皇帝は、「蛮夷の書は無礼である。もうとりつぐな」と命じた。これらのことは中国の歴史書『隋書』に書かれている。このころ、中国を中心とする東アジアでは、天子はこの世界に一人しかいないとするのが常識だった。(39頁)


 このように、学び舎は、倭国と言うばかりか、偉大な隋に対して失礼な外交を行う非常識な国だったというイメージ作りに励んでいる。

 要するに、蘇我氏主導で時代を捉えること、日本への冷笑、という二点に於いて、学び舎は極めて特異な教科書だと言えよう。この特異な、左翼的、自虐的教科書をスタンダードにしようというのが、今回の指導要領改訂案だったと言えよう。

 数々の検定基準違反で検定不合格にすべきだった学び舎

 さて、この学び舎は、実は数々の義務教育諸学校教科用図書検定基準(以下、検定基準と略記)違反を犯しており、明らかに検定不合格にすべきだった代物である。何しろ、現実に読んでいただければ分かるが、学び舎の教科書によっては、歴史の系統的学習が不可能である。この教科書は、教科書とはとても言えるものではなく、反天皇制反日資料集でしかない。そもそも、単元の最初の小見出し部分を読んでも、そもそも何をテーマにしたものか分からないことが多い。読んでいるうちに一応分かってくるが、結局、各時代の要点が分からないし、次の単元に話しがうまくつながらない。各時代の始期と終期が少なくとも単元本文に書かれていないことが多く、時代の名称の由来もよく分からない。要するに、繰り返すが、歴史の系統的学習が不可能なのである。

 しかし、検定基準の「第2章 各教科共通の条件」のうち「2 選択・扱い及び構成・排列」の(11)項には、「図書の内容は、全体として系統的、発展的に構成されており、網羅的、羅列的になっているところはなく、その組織及び相互の関連は適切であること」と規定されている。明らかに、学び舎は、この(11)項違反である。

 また、検定基準第2章2(1)項には、「図書の内容の選択及び扱いには、学習指導要領の総則に示す教育の方針、学習指導要領に示す目標、学習指導要領に示す内容及び学習指導要領に示す内容の取扱いに照らして不適切なところその他児童又は生徒が学習する上に支障を生ずるおそれのあるところはないこと」とある。この項にも、学び舎は明白に違反している。

 指導要領から逸脱しているわけだから、学び舎は、他にも多くの検定基準違反を犯している。筆者が検討しただけでも、上記二点の違反を含めて、八点の検定基準違反を犯している。こんな出鱈目な教科書とは言えないものが、検定合格したことには驚きを禁じ得ないのである。一体、当時の文科大臣下村博文氏は、何をしていたのであろうか。

 朝日新聞2015年4月24日の記事「教科書検定『密室の内側』」 

  学び舎を検定合格させた事情について、教科用図書検定調査審議会第2部会歴史小委員会委員長を平成27年3月まで務めていた上山和雄氏が、朝日新聞によるインタビュー記事の中で説明している。次のように上山氏は、自由社とセットにして、学び舎の検定合格について説明している。

 検定が厳格になったとは思っていません。むしろストライクゾーンが広がったと感じます。日本のいいところばかり書こうとする『自由社』と、歴史の具体的な場面から書き起こす新しいスタイルですが、学習指導要領の枠に沿っていない『学び舎』。この2冊とも、いったん不合格になりながら結局、合格したのですから。

 普通に考えれば、「学習指導要領の枠に沿っていない『学び舎』」は、その思想的性格を云々する以前に当然に不合格になるべきものである。その当然に不合格になるべき「教科書」と自由社がセットにされてしまったのである。

 自由社の教科書はこれまで何度も合格してきた教科書である。それゆえ、自由社と1セットにされることにより、学び舎の検定合格に対する抗議の声はほとんど起きなかった。逆に、当然に不合格になるべき学び舎と1セットにされることにより、思想的評価以前に、自由社に対する教科書としての評価は著しく下落した。しかも、思想的評価の面で見ても、各教育委員会では、左の学び舎と右の自由社は最初から採択候補から外しましょう、という了解が出来てしまうことになった。その結果、自由社は採択戦で見事一敗地にまみれることになったし、安倍晋三氏が支持した育鵬社の教科書は、採択数を増加させていったのである。学び舎が検定合格していなければ、違う採択結果が出たかもしれないのである。 

 兎も角、安倍政権は、本来不合格にすべき学び舎を検定合格させて自由社を惨敗に追い込んだのである。しかも、学び舎検定合格の場合とは異なり、今度は、意図的ではないだろうが、学び舎を教科書のスタンダードにせんとする指導要領改悪を行おうとしたのであった。

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