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zoom RSS 指導要領改訂案に対するパブリック・コメントを−−「聖徳太子」「元寇」「鎖国」を守ろう

<<   作成日時 : 2017/03/08 11:02   >>

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  なかなか暇がとれず、自分自身が指導要領案にパブリック・コメントを出すことが出来なかったが、本日ようやく歴史について3件、公民について3件提出した。歴史については、聖徳太子、元寇、鎖国の三件について提出した。今回は、参考までに、その3件を掲げよう。

  以下に記してあるように、聖徳太子と鎖国に関しては、歴史学と歴史教育の双方の立場から、指導要領を変えずに、そのまま「聖徳太子」「鎖国」と使い続けた方がよいと言える。元寇に関しては、歴史学の立場からは「文永・弘安の役」という表記が一番正しそうである。「モンゴルの襲来」も「元寇」も歴史学上間違いではない。これに対して、歴史教育の立場からは、「元寇」が一番ふさわしい。結局、歴史学、歴史教育の二つの立場を総合的に考えれば、「元寇」を維持すべきであるということになろう。

  ところで、意見を出す場合には、以下のようなことに注意が必要です。詳しくは、意見公募要領を見てください。

1、中学校学習指導要領とか、小学校学習指導要領とか、幼稚園教育要領とか、コメントの対象を明記する事
2、論点を掲げること
3、1論点1000字以内にすること
4、使える文字に多少限定があること


  コメント対象を明記しないと、無視されるようです。私の場合は、1のことをきちんと記さずに一旦提出したため、もう一度出しなおしました。

  ともあれ、特に「聖徳太子」「元寇」「鎖国」を守るため、パブリック・コメントを多数お寄せ下さい。

   http://search.e-gov.go.jp/servlet/Public?CLASSNAME=PCMMSTDETAIL&id=185000878&Mode=0

   上記URLをクリックし、意見公募要領も見たうえで、パブリック・コメントを記してください。

中学校学習指導要領歴史的分野
 聖徳太子の呼称について


 現行指導要領では「聖徳太子」と表記していますが、改訂案では「厩戸王(聖徳太子)」と変化させられています。しかし、歴史学の世界では、「聖徳太子」という呼称を使うのが通説です。手元の『国史大辞典』を見ても、「聖徳太子」という見出しの下に人物の説明が行われています。また、「厩戸王」への転換の動きを主導した大山誠一氏の聖徳太子虚構論は完全な少数説です。歴史学界では、聖徳太子は、後に「聖徳太子」と言われるだけの傑出した人物として生前から認められていたと捉えられております。
 しかも、何よりも、指導要領改訂案の歴史的分野の「目標」の(3)に「我が国の歴史に対する愛情、国民としての自覚、国家及び社会並びに文化の発展や人々の生活の向上に尽くした歴史上の人物(傍線部は引用者)と現在に伝わる文化遺産を尊重しようとすることの大切さについての自覚などを深め」と記されています。
 傍線部に当てはまる歴史上の人物とは誰かと考えれば、聖徳太子は真っ先に挙がる人物ではないでしょうか。聖徳太子は、中国との対等外交を目指し、日本の古代国家建設の方向付けをした人物です。そして、近代紙幣の表紙に最も多く登場した人物ですし、近代日本国家にとっても極めて重要な人物です。明らかに、聖徳太子は、日本史上最も偉大な人物です。その偉大さ、重要さは「厩戸王」では決して表すことは出来ないと考えます。目標(3)を尊重するならば、決して、歴史教育の世界では、聖徳太子から「厩戸王」への転換は行ってはならないと考えます。


 中学校学習指導要領歴史的分野
 元寇の呼称について


 現行指導要領では「元寇」と表記していますが、改訂案では「モンゴルの襲来(元寇)」となっています。「元寇」という名称は中華帝国による日本「侵略」という意味合いをもちます。ですから、「元寇」と表記することは、中華帝国に対峙する日本の国家意識を表すとともに、その対外膨張に対する警戒意識につながるものです。「モンゴルの襲来」へ転換すれば、この国家意識、警戒意識が解体されていくであろうことを怖れます。
 ですから、「モンゴルの襲来」への転換は、「目標」の(3)に掲げられている「我が国の歴史に対する愛情、国民としての自覚」を育成するのに相応しくない改訂だと捉えられます。
 それから、邪推でなければよろしいのですが、今回の改訂案は、指導要領から逸脱しているにもかかわらず検定合格した特定の教科書に大きな思想的影響を受けているように感じられます。その教科書は、現行指導要領に「元寇」と明記されているのに「元寇」という言葉を全く使わずに検定合格しました(おかしな話です)。「元寇」から「モンゴルの襲来」への転換は、その特定の教科書の後追いだと思われます。
 その特定の教科書とは学び舎のことですが、聖徳太子についても、8社中ただ1社だけ「厩戸王(聖徳太子)」と表記しています。聖徳太子に関しても、改訂案は学び舎を後追いしているものなのです。


 中学校学習指導要領歴史的分野
 「鎖国」の文言を削除したことについて
 

  現行指導要領では「鎖国政策」「鎖国下の対外関係」との文言がありますが、改訂案では「対外政策」「対外関係」と変化し、「鎖国」という言葉が消えました。是非とも、現行版のように、「鎖国政策」「鎖国下の対外関係」と表現していただきたいと考えます。
 「鎖国」という表現は、そのイメージが拡大しすぎて、日本と外国との間で全く交流していなかった、江戸幕府も国際情勢についてほとんど知らなかった、といった錯覚を広げてきたというマイナスはあります。しかし、江戸時代には、現実に、日本人は海外に行けませんでしたし、外国からも基本的に日本に来れませんでした。江戸時代の外国人から見ても、日本人自身から見ても、「鎖国」という実態が実際に存在したのです。山本博文氏も『東大流 よみなおし日本史講義』(PHP研究所)の「江戸時代の日本は鎖国をしていたのですか?」の項目で、「歴史の流れを理解するためには、江戸時代の日本が『鎖国』と呼ばれるにふさわしい体制をとっていた、と考えた方がいいように思います」と述べています。ですから、歴史学の立場から言って、「鎖国」という言葉をそのまま使い続ける方がよいと考えます。
 さらに言えば、巨視的には、江戸幕府は、鎖国政策をとることによって植民地化の危険を回避したと捉えることができますし、維新政府は、逆に積極的開国政策をとり、次いで富国強兵政策をとることによって、植民地化の危機を逃れたのです。歴史の流れを大掴みするには、セットで使われてきた「鎖国」と「開国」という言葉をそのまま使い続ける方がよいと考えます。改訂案でも「開国」という言葉はそのまま使われていますから、「鎖国」という言葉だけを追放しようとするのはおかしなことと思われます。そして、「目標」の(3)に掲げられている「我が国の歴史に対する愛情、国民としての自覚」を育成するためには、「鎖国」と「開国」を共に使い続けるに如くはないと考えます。


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