藤岡信勝氏陳述書――裁判官よ、教科書執筆の現実を学んでくれ

  今回は、藤岡信勝氏の陳述書を掲載する。前回には、私自身の陳述書を掲載した。掲載のため私自身の陳述書を読み直していくうちに、二審判決によって、私自身が教科書執筆に際して味わった苦労を全否定されたような悔しい感じが沸きあがってきた。当の『新しい歴史教科書』平成17年版を執筆したわけではない私でさえもこんな気持ちを抱いてしまうのだから、○○氏や育鵬社などに現実に文章を盗まれた藤岡信勝氏の悔しさ、怒りはいかばかりであろうか。

 藤岡陳述書の目次

1 経歴
2 扶桑社版『改訂版 新しい歴史教科書』執筆に至る経過
3 本件提訴に至る経過
4 一審判決の批判
5 教科書検定制度への無理解
6 歴史教科書は「我が国の歴史に対する愛情を育て,深める」ためにつくられる
7 『改訂版 新しい歴史教科書』に表現されている「思想・感情」
8 「稲作の始まり」の著作物性を否定した一審判決の誤り
9 判決に見る著作権否定の執念
10 おわりに


全体を熟読玩味していただきたい。藤岡陳述書は、一審判決批判とともに、検定制度下における教科書執筆というものの現実について、裁判官に学んでもらうために書かれたものである。一読されれば、『新しい歴史教科書』の作り方と育鵬社『新しい日本の歴史』の作り方の違いがよく分かると思う。また、歴史教科書単元本文の著作権を実質上否定する判決がいかに不当なものか、知ることができる。8の終わり頃から10までの個所からは、教科書執筆者としての悲痛な叫びが聞こえてくる。それとともに、裁判官の教科書についての無知に対するあきれとともに怒りが伝わってくる。




      藤岡信勝氏陳述書  

                                平成27年3月25日
                      

1 経歴 

  私は,昭和46年(1971年),北海道大学大学院教育学研究科博士課程を単位取得退学後,名寄女子短期大学講師,北海道教育大学助教授,東京大学教育学部教授,拓殖大学教授を歴任した後,現在,拓殖大学客員教授という立場にあります。専門は教育学(教育内容・方法)です。

  平成3年(1991年)の湾岸戦争の後,同年から1年間,文部省からアメリカで在外研究の機会を与えられました。ちょうどその時期にソ連共産党を中心とした社会主義体制の崩壊という出来事がありました。そうした中で,社会主義思想の強力な影響下につくられた戦後の歴史教科書の内容と記述の枠組みが到底維持できないものであることに気付き,平成7年に教師を中心とした自由主義史観研究会を組織し,新しい歴史教育のための教材と授業の開発に取り組み始めました。平成8年には,根拠のない従軍慰安婦強制連行の記述が中学校の全ての発行会社の教科書に新たに記載されたことがわかり,教科書から慰安婦の記述を削除させる運動を始めました。

 この流れのなかで,平成9年(1997年)1月,任意団体として「新しい歴史教科書をつくる会」(以下,「つくる会」。)が創立されました。この会の目的は,従来の教科書を批判するだけでは状況がかわらないことから,会の名称どおり,新たに歴史教科書を執筆し,中学生に届けることによって,日本の歴史教育を立て直すことです。私はこの会の副会長となり,その後,会長を務め,現在は理事として引き続き歴史教科書の改善運動に参加しています。

2 扶桑社版『改訂版 新しい歴史教科書』執筆に至る経過

「つくる会」が推進した『新しい歴史教科書』(扶桑社)の初版は,平成13年(2001年)に文科省の検定に合格しました。代表執筆者は西尾幹二氏でした。この教科書で,私は西尾氏とともに,教科書全体のコンセプト,章立て,単元などの基本方針を決めました。その上で,私が分担した部分について原稿を書きました。それに加えて,西尾氏とともに,全体の調整,図版の指定など,普通の教科書会社ではおよそ執筆者がやらないと思われる作業まで自分たちで行いました。

 それから4年後,改訂版を出すことになり,西尾氏が教科書執筆から手を引いたため,ある別の方がまとめて一から教科書を書き直しました。しかし,「つくる会」の幹部(この時の会長は被控訴人八木秀次氏)の間で検討した結果,教科書としての文章に適さないということになり,扶桑社編集部も同じ意向で,紆余曲折ののち,結局,私が全単元を通して書き直すことになりました。それで,改訂版の代表執筆者は私になったのです。

3 本件提訴に至る経過

  『改訂版 新しい歴史教科書』(甲3)が検定に合格したのは,平成17年(2005年)4月でした。翌年4月,八木秀次会長は「つくる会」を脱会し,日本教育再生機構という新組織をつくりました。そして,教科書の発行元の扶桑社は「つくる会」を脱会した八木氏らのグループを新たに著者に迎え,改訂版とは別の教科書を作りたいと言い出しました。八木氏が出版社側と初めから通じていたことは明らかでした。

   「つくる会」は従来の教科書の継続発行を求めて何度も折衝しましたが,扶桑社は平成19年2月,「つくる会」に対し絶縁通告をしてきました。その理由は折衝過程で明らかになったことですが,「教科書の内容が右寄り過ぎて採択が取れないから」というものでした。一般論として言えば,教科書会社としては,道義的問題はともかくとして,自社の営業方針に合わせた執筆者を選ぶ自由はあるといえるでしょう。

  そこで,「つくる会」としては,私と西尾氏の連名で弁護士を通じて内容証明(甲18の1)を送り,扶桑社が新たにつくる教科書が,『改訂版 新しい歴史教科書』を模倣することがないようにクギを刺しました。後に扶桑社の100パーセント子会社である育鵬社から教科書を出すことが決まると,育鵬社の支援組織としてつくられた「教科書改善の会」の屋山太郎代表は「全く新たに書き直すので,著作権上の問題が生じることはない」と書きました(甲31)。ですから,よもや絶縁した著者の作品から文章を盗むなどということが起こるとは想像もできませんでした。

  平成23年(2011年)4月,育鵬社の初の歴史教科書(甲2)が発行され,市販本(甲1)も発売されました。私はその内容を読んで驚愕しました。私たちの改訂版からの明らかな盗作箇所がたくさん見つかったからです。数えてみると,それは47箇所にものぼりました。

しかし,ちょうど採択戦の始まる時期でしたから,この事実の公表が育鵬社の教科書の採択に壊滅的な影響を与えるのを避けるため,「つくる会」は採択が終了するまでこの事実については一切発言せず,封印しました。路線の違い,編集方針の違い,その他から互いに袂を分けた間柄ですが,保守系の教科書として生き残ってもらいたいという思いがあったからです。

 ただ,このような盗作を見過ごすことは,社会正義に反し,許されることではありません。「つくる会」は綿密な調査に基づいて,平成24年10月『歴史教科書盗作事件の真実』(自由社)を公刊しました(甲4)。その上で,同社および関係者に,謝罪と責任の明確化を求めました。しかし,何度も交渉をした結果,育鵬社側がそれを拒否したため,やむなく「つくる会」側は私を原告として訴訟に踏み切ったという次第です。

4 一審判決の批判

 平成26年(2014年)12月9日,東京地裁で原告敗訴の判決が出されました。歴史教科書の著作権を否定するという驚くべき判決でした。同判決の論理は,歴史教科書はそもそも著作権法第2条のいう「著作物」ではないので保護の対象にならないというのと実質的に等しい内容でした。では,どういうわけで歴史教科書は著作物ではないことになるのでしょうか。判決の論理を検討してみたいと思います。

 判決は次のように言います。(以下,判決文からの引用は,【 】カッコで括り,通し番号を付けます。)

<1>【歴史上の事実や歴史上の人物に関する事実は,単なる事実にすぎないから,著作権法の保護の対象とならず,また,歴史上の事実等についての見解や歴史観といったものも,それ自体は思想又はアイデアであるから,同様に著作権法の保護の対象とはならないというべきである。】

裁判所は奇妙な用語を使うようです。「歴史上の事実」が著作権法の保護の対象にならないのは当たり前で,例えば「1603年,徳川家康が征夷大将軍に任命された」という事実が著作権で保護されるかどうかなど,およそ意味をなしません。正確には「歴史上の事実についての記述」が著作権法の保護の対象にならない,というべきでしょう。カテゴリーが間違っています。後半は,「歴史上の事実等についての見解や歴史観」も保護の対象とはならない,と言っていますが,これも,「頭の中に生じた思想」を著作権で保護出来ないのは当たり前です。では,「歴史上の事実等についての見解や歴史観の記述」はどうなのか,これは保護の対象となるのか,ならないのか。このように,カテゴリーの間違いから,誰も否定できない命題を掲げておきながら,いつの間にか,次のように「記述」の話にスリカエていきます。

<2>【書籍においてどのような事項を取り上げ,それらの事項をどのように組み合わせるかについては,著者による独自の創意や工夫の余地があるから,一般論としては,その具体的な選択の結果に,何らかの表現上の創作性が表れることはあり得るということができる。】

 ここでは,明らかに「記述」の話になっています。「事実」と「思想」は著作権法の保護の対象ではない,という,カテゴリー的に当たり前の命題が,「事実の記述」も「思想の記述」も著作権法の保護の対象でないことにすり替えられています。
 そして,ここでは,本来,事実を扱った歴史書は保護すべき著作物ではない,という雰囲気を漂わせながら,歴史の本を書くとき,【どのような事項を取り上げ,それらの事項をどのように組み合わせるかについては,著者による独自の創意や工夫の余地がある】から,そういう場合には著作物として認めてやろう,というわけです。ただし,これは一般論,つまり一般の歴史書についての話であり,歴史教科書は別だ,そんな贅沢は許されない,というのが,次の引用文です。

<3>【歴史教科書については,教科書の検定基準並びに学習指導要領及びその解説において,その記述内容及びその具体的な記述の方法が相当詳細に示されており,そこに記載できる事項は限定的であるというべきであるから,その中で著者の創意工夫が発揮される余地は大きいとはいえない。】

 ここでは,歴史教科書が著作物であることを否定するために,学習指導要領などを持ち出しています。しかし,ここに書かれていることは,真っ赤な嘘です。「教科書の検定基準」や「学習指導要領」及びその「解説」には,教科書の記述内容や記述方法が「相当詳細に示されて」などいません。例えば,どの教科書にも書かれている,日本における「稲作の始まり」について,学習指導要領で「内容」として指示されているのは,次のような記述だけです。

 「世界の古代文明や宗教のおこり,日本列島における農耕の広まりと生活の変化や当時の人々の信仰,大和朝廷の統一と東アジアとのかかわりなどを通して,世界の各地で文明が築かれ,東アジアの文明の影響を受けながら我が国で国家が形成されていったことを理解させる。」

 たったこれだけです。直接関連する記述は,「日本列島における農耕の広まりと生活の変化や当時の人々の信仰」という言葉があるだけで,要するにこういうテーマを取り上げよ,と言っているだけなのです。学習指導要領には「内容の取扱い」というパートもありますが,ここでも,「『日本列島における農耕の広まりと生活の変化」については,狩猟・採集を行っていた人々の生活が農耕の広まりとともに変化していったことに気付かせるようにすること」と書かれているだけです。この程度では,到底,教科書の記述内容や記述方法が「相当詳細に示されて」いるとはいえません。

  学習指導要領解説を開いても,事態はほとんど変わりません。関連する記述は次のとおりです。

 「『日本列島における農耕の広まりと生活の変化や当時の人々の信仰』については,日本の豊かな自然環境の中における生活が『農耕の広まりとともに変化していったこと』(内容の取扱い)や,自然崇拝や農耕儀礼などに基づく信仰が人々の中に生きていたことに気付かせる。その際,新たな遺跡や遺物の発見による『考古学などの成果の活用』(内容の取扱い(1)カ)を図るようにする。」

 これからすればテーマについて無数の書き方が成立します。

 教科書検定基準にいたっては,そのどこにも,稲作だとか農耕だとかの話は出てきません。「統計は最新のものを使うこと」などの注意書き,内容に関わりのない一般論が述べられているだけです。

 以上のとおり,判決が言及したどの文書にも,「教科書の記述内容や記述方法」が「相当詳細に示されて」いるわけではありません。一体,裁判官は学習指導要領や教科書検定基準を一度でも開いて真面目に読んだことがあるのでしょうか。一度でも真面目に見たことがあれば,恥ずかしくて上記のような判決文は書けなかったはずです。

<4>【検定基準及び学習指導要領に基づく歴史教科書としての上記制限に従った表現にならざるを得ないのであるから表現の選択の幅は極めて狭い。】

  判決文は前の文章に続けてこのように書き,ここから,歴史教科書は,どのように書いても相互に似たような表現にならざるをえず,従ってB社がA社の教科書と酷似しているからといって著作権を侵害したことにはならない,とする判決の結論が導かれるのです。しかし,これもまた,事実に反する言明です。裁判官は被告側が作成した乙45号証を読んだはずですが,そこでは,同じ「稲作の始まり」に関しても,各社の教科書が実に多様な表現や言い回しにより記述していることが分かります(甲42:平成27年3月20日付け報告書)。

5 教科書検定制度への無理解 

  内容,形式とも,何の制約もなく,自由に思想を表現出来る一般の書籍に比べて,検定教科書が一定の制度的制約のもとにおかれ,一般の書籍に比べると,相対的に自由度が制約された文書であることは確かです。しかし,ここから,それゆえ教科書はどれも同じ表現に落ち着かざるを得ない,などと思い込むのは,事実に反する空想に過ぎないことは,上記で論証したとおりです。

  しかも,「相対的に自由度が制約された」というところから,「従って工夫の余地がない」と推論することも,根本的な間違いです。制約があるからこそ,その制約の中で,教科書の記述を他社と差別化し,他社をしのぐ教科書をつくろうと各社の心ある執筆者はしのぎを削っているのです。表現の幅が狭いという共通の認識から,判決は,だから教科書に著作権はない,というのですが,話は逆だというべきです。これは,教科書を民間の教科書会社につくらせる教科書検定制度の本質からくるもので,教科書検定制度とは,民間の活力を相互の競争によって引き出すことを狙いとした制度なのです。判決は,このような教科書検定制度の趣旨を全く理解していません。

6 歴史教科書は「我が国の歴史に対する愛情を育て,深める」ためにつくられる

  著作権法第2条1項1号には,「著作物」を「思想又は感情を創作的に表現したものであって,文芸,学術,美術又は音楽の範囲に属するもの」と定義しています。

  そこで問題となるのは,文科省検定済みの歴史教科書が,「思想又は感情を創作的に表現したもの」であるかどうかです。この論点は2つの内容に分けることができます。まず,第1は「文科省検定済みの歴史教科書は本来どのようなものとして制度化されているのか」という問題です。第2は「事実として,歴史教科書の個々の記述が思想・感情の表現になっているかどうか」です。

 第1の教科書検定制度のもとにおける歴史教科書の性格に関する論点ですが,被控訴人ら及び一審判決は,歴史教科書を「思想・感情」の表現とは関係のない,無味乾燥な歴史事実を並べただけの文書とみなしています。

 しかし,それは根本的に間違っています。そもそも,教科書検定制度のもとで学校で使用する歴史教科書は,無味乾燥な歴史事実の羅列のようなものであることが求められているかといえば,そんなことはありません。それは当の学習指導要領を読めばすぐに判断できることです。

 学習指導要領には,中学校社会の歴史的分野の「目標」として,「我が国の歴史に対する愛情を深め,国民としての自覚を育てる」と書いています(乙21)。「愛情」も「自覚」も,「思想・感情」の部類に入るものであることは誰も否定できないでしょう。このような教科の目標の設定の仕方は,学習指導要領では系統的に構成されており,ちなみに小学校の歴史教育の目標は,「我が国の歴史に対する愛情を育て,国民としての自覚を育てる」となっています。小学校と中学校でどこが違うかというと,小学校では「愛情を育て」となっているのに対し,中学校では「愛情を深め」となっているところです。小学校教育が目標を達成していれば,子どもの中にはすでに,「我が国の歴史」に対する「愛情」が育っているので,中学校ではその土台の上に,愛情をさらに深めることが目標とされているのです。

 このように,学習指導要領は単に無味乾燥な歴史事実を教えることを歴史教科書に求めているのではなく,「我が国の歴史に対する愛情」や「国民としての自覚」といった「思想・感情」を育む内容の歴史教科書を求めているのです。こういうことを全く理解していない判決は,根本的な誤りを犯しています。

 では,上記のような学習指導要領に定められた「目標」をどのようにして達成し,それに見合った教科書をどのようにしてつくるのでしょうか。「愛情」も「自覚」も主観的なものでもありますから,どこかに客観的なひな形があってそれを写し取るようにして記述すれば良いというものではありません。とすれば,教科書の執筆者は,これを執筆者自身の我が国の歴史に対する「愛情」や,国民としての「自覚」として引き受けた上で,これを自分の言葉で教科書に表現する,という筋道をたどることになります。

  もう一度繰り返しますが,歴史教科書は単なる事実の記載にとどまらず,その事実を「愛情」や「自覚」を育てるように構成して表現・記述することが求められているのです。その記述の在り方は著者により多種多様ですから,そこに教科書執筆者の個性が現れるのは当然です。そして,もう一度言いますが,以上のことから,学習指導要領の制約のために教科書は全く個性のない,同じような事実を同じように記述したものにならざるを得ない,という類の話は成り立たず,それは事実にも合致しないのです。逆に,学習指導要領の規定があるからこそ,歴史教科書には著作物としての性格が本来求められている,というのが正しい理解です。

7 『改訂版 新しい歴史教科書』に表現されている「思想・感情」 

 次に第2の論点ですが,私が代表執筆者を務めた『改訂版 新しい歴史教科書』には,執筆者である私の「思想や感情」がどのような形で表現されているのか,「稲作の始まり」を例にして執筆体験記を書いてみることにします。

 私が歴史教科書の改善運動に取り組んだのは,従軍慰安婦の記述問題がキッカケですが,もともと,そういう「自虐史観」にかかわる個々のトピックの問題を越えて,戦後日本の歴史教科書には,日本の文化・文明の独自性を低く評価し,中国や朝鮮よりも劣位の地位にあった国である,などという中韓隷属史観とされる歴史観が支配的でした。自国を卑しめ,貶めることが多くの歴史教科書の執筆方針であったのです。

 これに対し,私は,改訂版の執筆に当たって,学習資料要領の「我が国の歴史に対する愛情」を深める教科書にしたいという強い願いをもって作業に当たりました。ただし,言うまでもなく,歴史は事実に基づいて書かれなければなりません。幸いにも,近年の考古学的研究は,古代において,日本は朝鮮半島から文化・文明を一方的に学んだのではなく,反対に日本の方が先に発達し,こちらから朝鮮半島に伝えたものがたくさんあることを証明してくれました。ここ20年ほどの間に,韓国の考古学の研究は飛躍的な進歩をとげましたが,皮肉にもその結果として,縄文式土器を初めとして前方後円墳にいたるまで,日本から伝わったものが多数あることがわかってきました。稲作も例外ではありません。

 そこで,「稲作の始まり」を執筆するにあたって,私が自らの課題としたのは,次のような三つの原則を実現することでした。

① 日本を,遅れた野蛮な地域であったとするような自虐的な歴史観を排し,日本の文化・文明を史実に基づき正当に評価すること
② 歴史事実の選択においても,最新の学説を取り入れること
③ 記述は,歴史の大きな流れがわかるようにするとともに,そのパートの記述のなかで,ダイナミックなわかりやすい記述をすること

 このうち,③に関して,特に方法的に意識したことは,記述の抽象度を意図的に変化させて,描写的な要素や,教科書としてぎりぎり許されるような口語的な文体の用語を可能な限り選び用いることでした。

 そして,私は,著者として,自分の内部で,読者である若い世代の日本人に最も伝えたいことは何か,それが具体的な言葉となって形をなすまで,執筆のペンを取ることはしませんでした。人をして文章を書かせるのは,その人の知識ではなく思想です。これは創造的な文章を執筆した人は,誰でも思い当たることでしょう。ですから,私は,執筆に当たっては先に教科書を並べて読むといったことを意図的に避けました。教科書を読めば,悪意がなくてもどうしてもその内容・表現から何らかの影響を受けてしまうからです。あくまでも,他社の教科書は,自分の文章が出来上がった後に,その過不足をチェックするために読むということにしました。

 私がこの教科書で,古代についてどうしても伝えたかったのは,稲作についての通説とされてきた,「紀元前1~2世紀に,朝鮮半島から伝えられた」という固定観念を覆すことでした。戦後の歴史教育で教えられてきたことが,近年の考古学の研究で覆されたことを,九州の菜畑遺跡を素材にして書きたい,と考えました。菜畑遺跡は2500年前の遺跡で,そこから水田稲作の遺構が昭和54年(1979年)に発見され,世界的なニュースとなりました。ここまで遡ると,朝鮮半島から稲作が伝わったという説は完全に否定されます。なぜなら,朝鮮半島にはこれより新しい遺跡しか存在しないからです。だから,通説の内容は話が逆で,日本列島から朝鮮半島に稲作技術が伝わっていったと考えなければならないのです。

 さて,それでは上記の内容を教科書にどのように盛り込めばよいのでしょうか。改訂版を執筆するにあたっては,次のことを作業の方針としました。

① 判型を大判にし,各単元を見開き2ページに統一するための字数の調整
② 著者によって異なっていた文体をある程度統一する
③ 新しい研究成果や知見,教科書としてのおもしろさをさらに増大させる記述を新たに工夫する

 これがもし,一般の歴史書などであったら,どう書くかということですが,字数の制約も内容の制限もなければ,上記稲作に関する学説史から書き始めるのが一番わかりやすい書き方です。しかし,教科書にこのような学説史を書くことはできません。内容の制約があり,字数の制約もある。そこで,「すでに縄文時代に・・・」という書き出しを考えついたのです。わずかこれだけのことでも長い時間をかけています。従来の通説は,「縄文時代=狩猟・採集の時代」,「弥生時代=農耕の時代」というパラダイムに基づいていましたが,これを意図的に打ち破るため,このような書き出しを考えたのです。この構文には,このような著者の思想が表現されており,事項の選択と配列や,論理展開のなかに,その苦心のあとが表現されているのです。

  この部分がそっくり,育鵬社の教科書で模倣されているのを見た私は,それが盗作であること,しかも,私が考え抜いたあげくにたどり着いた苦心の表現を盗んだものであることを,瞬時に理解しました。盗作においては,原著者と盗作者が一番よく盗作の事実を理解するのです。

 こうした説明をすると,一審判決は次のように書いてこれを混ぜっ返します。

<5>【稲作の開始を弥生時代におく従来の教科書記述を書き変えるとの「表現の視点」や,最新の研究結果に依拠して,渡来した人が稲作を伝えたとの書き方を避けるとする「表現の視点」は,著者の制作意図若しくはアイデアにすぎず,それ自体は著作権法で保護されるべき表現には当たらない。】

とんでもありません。「稲作の開始を弥生時代におく従来の教科書記述を書き変える」というのは,表現と密着した視点であり,上記の説明のとおり,現に教科書に表現されているのです。これを「著者の制作意図若しくはアイディアにすぎず」として切り捨て,議論の外に追いやってしまっては,一体,何を論じているのか,わけがわからなくなります。

 思想や歴史観のような言葉が出てくると,一審の裁判官は,条件反射のように,「それは著作権で保護されないアイディアに過ぎない」というご託宣を垂れる傾向がありますが,このような論理は,著作権法の読み方を間違っていると考えます。すでに引用したように,著作権法第2条にいう「著作物」の「表現」とは,他ならぬ「思想・感情」の表現なのです。ですから,議論するときには,どのような「思想・感情」が表現されているかを論じざるを得ないのです。

「稲作の始まり」には,以上のとおり,私の「思想・感情」が,他社の教科書とは全く異なる形で表現されているのです。それは究極的には,「我が国の歴史に対する愛情を深める」という,私(=学習指導要領)の「思想」に由来するものです。

8 「稲作の始まり」の著作物性を否定した一審判決の誤り
 

 一審判決は,「稲作の始まり」のケースについて,次のように書いています。

<6>【原告が同一と主張する共通の事項は,要するに,①縄文時代に大陸から稲がもたらされたこと,②初めは畑や自然の水たまりでの栽培が行われていたこと,③紀元前4世紀頃までに灌漑用水路をともなう水田稲作が九州北部に伝わったこと,④稲作が東北地方まで達したこと,(中略)であると認められるが,それらはいずれも歴史上の事実に過ぎず,また,他の歴史教科書にも取り上げられている一般的な事項であり(乙45),上記の点を表現しようとすれば,原告書籍のような表現にならざるを得ないのであって,表現の選択の幅は極めて狭いというべきであり,実際の表現自体も教科書の記述としてごくありふれた表現にすぎないから,上記共通の事項に関し,その選択及び表現に創作性を認めることはできない。】(傍線引用者)

 ここには,原告の教科書の記述が著作物であることを否定する理由として,
 ❶歴史上の事実に過ぎない
 ❷他の歴史教科書にも取り上げられている一般的な事項である。
 ❸上記の点を表現しようとすれば,原告書籍のような表現にならざるを得ない
 ❹表現は教科書としてごくありふれたものに過ぎない
の4点が挙げられています。この一つひとつに反論します。

 ❶取り上げられている事項が歴史上の事実であることは誰も否定しません。歴史教科書なのだから,当たり前のことです。もちろん,すでに見てきたように,このことから直ちに歴史教科書は著作物ではないという結論を導き出すことはできません。

 ❷は完全な事実誤認です。少なくとも①の事項は他社の教科書には書かれていません。

 ❸は事実に反します。同じ事項を選択しても,著者が自分の頭で考えて書けば,類似性のない教科書記述になります。

❹この「稲作の始まり」について,原告の教科書記述が,決して「ありふれた」ものでないことは,すでに説明したとおりです。それを越えて,裁判所が「ありふれた」というなら,どのような表現をすれば著作物と認められるような「ありふれていない」表現になるのか,一般理論をつくり,それに基づいて判別基準を示して欲しいものです。判決はそういう課題を完全にネグレクトして,ひたすら「ありふれている」と断定しているだけです。

9 判決に見る著作権否定の執念

   判決の論理をたどっていくと,歴史教科書の著作権を否定する裁判官の執念が伝わってきます。

 例えば,判決は歴史教科書における「事項の選択」について,【他の歴史教科書にも取り上げられている一般的な事項】の場合はその創作性が否定される,としています。そこで,乙45号証などにも依拠して,原告の教科書の記述が他の教科書にもあることを示して,創作性を否定していきます。

  それなら,「他の教科書に取り上げられていない」事項が選択されているならば,その教科書記述を著作物として認めてくれるのだろうと,判決文の読み手は当然期待します。『改訂版 新しい歴史教科書』には,他社の教科書にはない,ユニークなトピックが無数にあるのです。

 ところが,それでもダメなのです。判決は,【また,ある歴史教科書に,他の歴史教科書に記載のない事項が取り上げられて記載されている場合でも,その事項が歴史文献等に記載されている一般的な歴史上の事実又は歴史認識にすぎないときは】,やはり著作物として認められないというのです。

 これには笑ってしまいました。ここまで書かれれば,もう万事休すです。どこの世界に,歴史文献に載ってもいない事項を書く歴史教科書がありますか。そんなことをすれば,一発で文科省の検定の網に引っかかるのは必然です。

 要するに,一審判決はあり得ない非常識なことを歴史教科書に要求した上で,そうなっていないから著作物ではないという,初めに結論ありきの詭弁を展開しているのです。歴史教科書の著作権は何が何でも認めない,という執念だけが際立つ,異様な判決であると言わざるを得ません。

10 おわりに

 被告側は,実際に教科書を一人で書いたのは,現役の公立中学校の教師であるとして,その陳述書を裁判所に提出しました。育鵬社は,この中学教師に歴史教科書の執筆を丸投げしたのです。そうすると,奥付にある有名教授らは,単に名前を貸しただけ,あるいは,編集会議で原稿にコメントしただけということになります。実際,被控訴人八木秀次氏は,いざ裁判になると,自分は書いていないことを強調した陳述書を出しています。執筆者の中学校教師は,次のように書いています。

 「執筆方法としては,まず各社教科書の本文記述に目を通し,大まかな内容と重要語句,分量を把握した後,一から文章を「一太郎」のソフトを用いて入力するという方法をとりました。」

 他社の教科書を見ないで構想を練った私の方針と正反対です。それにしても,「一から」文章を紡ぎ出していったのであれば,なぜ,私が執筆した教科書のデッドコピーと言える文章が頻出するのか,控訴審の法廷でご当人に聞いてみたいものです。多忙な現職の中学校教員としての仕事をしながら,一冊の教科書を全て一人で書く。さぞかし大変であったことであろうと,個人的には同情しますが,こうした無茶苦茶な執筆体勢が盗作行為を誘引する土壌となったことは明白です。

 この度の東京地裁判決は,歴史教科書がすぐれて著作物であることを予定されているものであるというその性格を見誤り,教科書検定制度とその運用の実態にも無理解で,教科書執筆の現場にも無知のまま,誤った論理操作によって,「歴史教科書は著作物ではない。故に,歴史教科書においては著作権の侵害ということは成り立たない。従って,他者の教科書をどんなに盗んでも罪を問われない」という,およそ常識に反し,著作権という社会的に確立した権利を破壊する,驚くべき判決にいたったものであると私は考えています。控訴審において,厳正な審議が尽くされ,正しい判決が下されることを切にお願いする次第です。

                                                 以 上


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