立憲君主制は認めない---『新しい公民教科書』検定過程(16)

   前回記事の最後に触れたように、単元18「日本国憲法の原則」では一応7原則と記すことができたが、立憲君主制の原則は、象徴天皇の原則に変えられてしまった。何故にそうなったのか、調査官と我々との間の論争を振り返っていこう。我々は、検定申請本の中で、「立憲主義が支える7原則」の小見出し下、立憲君主制の原則について次のように記していた。
 
 このような3原則の他にも、日本国憲法は立憲主義の憲法としてさらに4つの原則に基づいています。その上で通常いわれる憲法の3原則が支えられています。  
 第1に、権威と権力を分離した立憲君主制の原則にのっとっています。天皇は政治権力はもちませんが、「象徴」(1条)であり、国民を代表する最高権威として位置づいています。この権威に基づいて、天皇は、権力機関の長である最高裁判所長官や内閣総理大臣を任命します。また、諸外国では、天皇を国家の元首とみています。 (53頁)
 

前述のように、上記記述を含む52頁2行目から53頁20行目に対して、「日本国憲法を学ぶ上で、学習上の支障を生ずるおそれがある」という意見が付いた(55番)。上記記述のように、第一に、我々の基本的立場は、権威と権力の分離を立憲主義にとって極めて重要なものと捉え、現在の日本も立憲君主制であるとするものである。第二に、天皇を象徴兼最高権威とするものである。第三に、弱々しい言い方ではあるが、権威である天皇を元首とするものである。第四に、元首である天皇を君主と捉えるものである。
 これに対して、調査官の立場は、第一に、権威と権力の分離は必ずしも立憲主義の要素ではないと捉え、現在の日本は象徴天皇制であると捉える。第二に、天皇を「象徴に過ぎない」と捉える。それゆえ、第三に、天皇元首論を否定し、第四に天皇は君主ではないとする。端的に言えば、我々の立場は立憲君主制論であるのに対して、調査官の立場は象徴天皇制論である。象徴天皇制論の立場から、調査官は意見を付けていたのである。
 ここでは、第一の立憲君主制か否かをめぐるやり取りを見ていきたい。また、立憲君主制か否かの議論は、特に元首論と密接なので、第三の点をめぐる議論も併せて見ていくことにする。第四の点は既に触れているし、第二の権威か否かをめぐる議論については、次回見ていくことにする。

 天皇は元首ではない

 12月6日、調査官は、他の箇所についてであるが、天皇元首論に修正を求めた。申請本は、単元20「天皇の役割と国民主権」で次のように記していた。
 
 また、対外的には、天皇は日本国を代表する元首の役割を果たしています。(58頁) 

この記述に対して、「象徴天皇について、学習上の支障を生ずるおそれがある」との意見が付いた(60番)。この60番について、6日、調査官は次のように説明した。

 元首として、例えば信任状みたいなもので扱われることはありますが、「元首の役割を果たしています」となると、(天皇は)政治的権能をもつ元首であると誤解される恐れがある。 

 結局、12月6日、調査官は、我々が記した立憲君主制、天皇権威論、天皇元首論、天皇君主論の四点のうち、立憲君主制以外の三点を明確に否定した。そして、調査官の立場が、天皇が権威、元首、君主であることを否定するものである以上、立憲君主制という言葉を使うなと言われることは明らかであった。

12月20日のやり取り

立憲君主制の本質は、我々によれば、権威と権力の分離の体制にある。だが、その点が、なかなか調査官には理解できなかったようである。よく、立憲主義には米国型と英国型があると言われる。米国型は権力分立を、英国型は議院内閣制を最大の特徴とすると一般に言われる。だが、英国で議院内閣制が成立する前提には、国王が政治権力から離れてもっぱら権威の役割を果たすようになり、権威と権力の分離の体制が成立したことがある。この分離の体制ができて初めて、政治を現実に執り行う大臣に対する議会による監視・監督が可能となり、「法の支配」に基づく大臣による責任政治が確立したのである。つまり、英国において立憲主義を成立させた根幹には、権威と権力の分離の体制があったのである。

我が国が西欧由来の立憲主義を受け入れることが出来たのも、権威と権力の分離の体制が既に確立していたことが大きい。この体制が確立していたからこそ、現実の政治は大臣が法に基づき行い、大臣が責任をとる責任政治が確立したのである。

そして、立憲君主国で成立したこの分離の体制の影響を受けて、今日の共和制国家でも、大統領が権力の一部と権威の役割を、首相が権力を受け持つ体制がとられていることを忘れてはならない。したがって、天皇をいただく国家である日本の公民教科書では、権威と権力の分離体制に関する記述は、教科書の根幹をなすものでなければならない。

そこで、12月20日、立憲主義をめぐる我々の見解を中心に述べた「意見及び質問書」を基にして、上記のようなことを説明した。この日、我々の代表者は冒頭で次のように発言した。

執筆者 打ち合わせをしまして、私たちはもしかすると、(検定の在り方によっては)教科書出版を断念することもありうるかなということは若干心得ています。

 当然、この発言に対して、調査官は「どうしてですか」と質問する。代表者は、次のように言う。

 いや、若干のへだたりがある。しかし、(調査官の話を)よく聞いた上でのことではないものですから、よく聞いて直せるところは直して(考えます)。 

この日は、立憲主義にとって、権威と権力の分離が極めて重要だと言うことを熱心に説明した。我々は、権威と権力の分離が重要であることを、次のような言い方でも説明している

執筆者 権力というものは、それ自体だけで存在している状態では、非常に凶暴なんです。だから、何らかの権威に従っていると時に平和は来る。

執筆者 日本の歴史は戦争が少なかったと言っても信じない人が一杯いるんですよ。よその国の戦争の規模と残虐さと比べると(規模も小さいし、残虐なことも少ない)。
 なんでかというとまた、権威と権力の分離があったからですね。権力の抑制が効いたんですね。というようなことについて、我々のように少し前の教育を受けた者は常識として持ち合わせていないんです。

執筆者 権力と権威と兼ねていると、下品になるんですね。そうすると権威としてダメになる。分けると、権威も権力もうまくいく。

執筆者 日本の歴史を見るとき、そのことを自覚しなければならない。そのことを教えてないんです。

執筆者 立憲主義には合議の精神もあるし権威と権力の分離、そして三権分立があり、さまざまな工夫をして危害を加えない国家権力をつくるという人類の叡智がその中に入っている。 


権威と権力の分離の重要さ、いや、権威の重要さを一定程度分かってもらえたとも思われるが、結局は通じなかったようにも思われる。それはともかく、この日、我々は、権威と権力の分離の重要さを説いた上で、現在の日本の政治体制が立憲君主制であると述べた。そして、その根拠として、吉国一郎内閣法制局長官による国会答弁に触れた。

公権解釈の中では、国会答弁の中で吉国一郎さんなんかは君主と言えるとか立憲君主制と言えると言っている。だから、公権解釈を土台とすれば、我々の教科書が一番現実に近い書き方をしていると思います。

 公権解釈による立憲君主制論・天皇元首論

 このように述べた我々は、1月12日、吉国法制局長官の発言を根拠にして、天皇元首論と立憲君主制論を強く主張することにした。昭和48(1973)年6月28日、参議院内閣委員会で、吉国一郎内閣法制局長官は、内藤誉三郎議員の「日本国は……立憲君主制の国であると理解してよろしいでしょうか」という質問に対し、次のように、日本は立憲君主制の国だと説明している。

 国家の形態を君主制と共和制とに分けまして、わが国がそのいずれに属するかということが、まず問題になるわけでございますが、公選による大統領その他の元首を持つことが共和制の顕著な特色であるということが一般の学説でございまするので、わが国は共和制ではないことはまず明らかであろうと思います。

 それでは、君主制を専制君主制と立憲君主制に分けるといたしますならば、わが国は近代的な意味の憲法を持っておりますし、その憲法に従つて政治を行なう国家でございます以上、立憲君主制と言っても差し支えないであろうと思います。もっとも、明治憲法下におきまするような統治権の総攬者としての天皇をいただくという意味での立憲君主制でないことは、これまた明らかでございます。
 

立憲君主制については肯定論と否定論とを並べて説明しているわけだが、否定論については「もつとも」という接続詞の後に述べている。また、内藤議員の質問に対する答えとしてまず肯定論でもって答えている。全体としては、明らかに、肯定論に比重をかけた書き方をしていることに注目されたい。

その後、二人の間でやりとりがあった後、内藤議員は「天皇が日本国の元首であるということを政府の公式見解とすることに御異存はないと思いますが、いかがでしょうか」と質問する。この質問に対して、吉国長官は次のように回答している。

 先ほど申し上げました内閣の憲法調査会は、その報告書におきまして、天皇は、対外関係において一般に国を代表するものとしての元首たる地位にあると解釈することができるということは、委員のほとんど全員の一致した見解であったという旨を報告いたしております。もつとも、天皇が元首であるかどうかは、要するに元首の定義のいかんに帰する問題であると思います。この点は、先般、衆議院の内閣委員会においても私申し上げたところでございますが、かつてのように、元首とは内治外交のすべてを通じて国を代表して、行政権を掌握する存在であるという定義によりまするならば、現在の憲法のもとにおきましては天皇は元首ではないということになりますが、今日では、実質的な国家統治の大権を持たなくても、国家におけるいわゆるヘッドの地位にある者を元首とするような見解も有力になつてきております。この定義によりますならば、天皇は、現憲法下においても元首であると言つて差しつかえないと存じます。

 天皇元首論についても、肯定論と否定論をともに紹介しているが、肯定論に比重をおいた答え方をしている。否定論の旧説を紹介した後に、肯定論の最近の説を紹介しているからである。

 我々は、上記の吉国法制局長官の発言を根拠に、立憲君主制の原則という言葉を用いるとともに、天皇元首論を展開したのである。そして、1月17日の修正表では、単元本文を以下のように修正した。

立憲主義が支える日本国憲法の原則
このような3原則を支えているのは、立憲主義の憲法としての原則です。
その第1に、権威と権力を分離した立憲君主制の原則にのっとっています。天皇は、政治権力はもちませんが、「日本国の象徴」(1条)です。そして、武家政治の時代に征夷大将軍を任命したように、日本の伝統的政治文化にしたがい、権力機関の長である最高裁判所長官や内閣総理大臣を任命します。また、諸外国では、天皇を国家の元首とみています。(53頁)


 そして、53頁側注④「元首とは、外国に向けて国家を代表する者をいう」を次のような文章に修正した。

 元首とは、外国に向けて国家を代表する者をいう。1973(昭和48)年6月28日参議院内閣委員会で、吉国一郎内閣法制局長官は「天皇は、現憲法下においても元首であると言ってさしつかえない」と説明している。

この側注④は、「諸外国では、天皇を国家の元首とみています」に対するものであった。立憲君主制の原則云々を述べた箇所に対する修正は、この側注④のみである。

1月12日のやり取り 

1月12日には、側注④に記した吉国発言に即して、天皇は元首と言えるかどうか、激しい議論が展開された。

執筆者 昭和48年の時に(内閣の)法制局の長官は日本の天皇は元首といえると言ったんですね。そのときの前提は、今までの元首は総覧権を実際に行使しうる可能性をもった上の君主であったのであるが、今の憲法では、条文からしてそのようなものはない。ですけれども、世界の君主国を見ていくと、すべて日本の憲法に近い状態になっていっている。
 そうすると、「元首」という言葉を古い時代に適用して使うのではなくて、新しいそういう元首の在り方を求めれば「元首」といってよい。そういうような意味のことを法制局長官はいった。

調査官 今の時代では、天皇が元首か元首でないかではなくて、「元首」という言葉をどう定義するかということで、元首かどうかということも変わってくるというのが、今の見解である。

執筆者 憲法のそういう規定は否定してはいけないが、しかし解釈において、歴史的流れを押さえながら考えることは、日本の憲法だから、日本国民としては、失ってはならない。

調査官 内閣法制局の答弁というのは、天皇が元首であるかどうかというのは、元首の定義いかんだから、昔ながらの「元首」の定義によれば、天皇は元首ではない。けれども象徴という形での元首というものがあれば、それは元首と呼んで差しつかえないということですから、(天皇は元首とは言えない)。


 上記のように、執筆者側は、新しい元首概念に基づき「元首」と言えるとし、調査官側は古い元首概念に基づき「元首」とは言えないとする。しかし、前述のように、吉国発言は、二つの定義を示しながらも結論的には元首であることを肯定しているものである。調査官は、公権解釈を歪曲しているのだ。

 1月25日のやり取り 

次いで、1月17日の修正表をめぐって、25日に調査官と執筆者は議論した。今度は、吉国発言の中にある立憲君主制論を基にして、立憲君主制か象徴天皇制か、激しい議論が展開された。

調査官 「第一に権威と権力を分離した立憲君主制」ということですが、日本が君主制かどうかというのは議論のあるところであるし、立憲主義ということを第一に権威と権力の分離で説明するのもいかがかということで。

調査官 端的に日本の体制を立憲君主制として説明するのは適切ではないという判断ですので、その点を言ってあげないと。

執筆者 「象徴天皇制」というのは、よその国の君主も全部そうなっていっているわけですね。それで君主として存在しているわけで共和制でないことは明らかである。そうすると、立憲君主か専制君主しかないわけですね。そうすると立憲君主だという考え方があるということを。

調査官 確かに似たような存在であるけれど、立憲君主制というところの憲法は君主なり、元首なりを憲法で国王だという形できちんと定めておりますから
 

最初の発言に注目していただきたい。我々の説明が不十分だったこともあろうが、調査官には、権威と権力の分離の重要さ、その立憲主義との関連がどうしても理解できなかったようだ。また、君主は国王であると規定するような条文は見たことないが、調査官が傍線部のように述べていることに注目されたい。調査官には、制定法だけを重視し、歴史・慣習や条理を軽視・無視する傾向があるが、ここにもその点が現れている。

 また、録音を聴くと、執筆者と調査官は、立憲君主制と記すか否かについては、激しく対立している。その激しさは、執筆者の次の言葉にも現れている。

執筆者 ここのことを呑めというのは無理だということだ。もしこれで(検定が)通らなかったら、通らなかったで社会問題ですよ。
  いままで言われていたことも本当になるほどと思うこともいっぱいある。
(私たちの)教科書は確かに著しくよくなっているのは、事実である。しかし、やはり根幹のところは譲れない。
(ここのところは)我々の単純な解釈だけで強引に言っているわけではなくて、国会審議の中に、根拠がある。それを触れてはいけないというのは(検定の)逸脱だと思う。

 
   この後更に議論が行われ、調査官は、言葉狩りはしない、「立憲君主制」という言葉をある脈絡の中で出すことはよいと述べた。そこで、我々は、次のような単元本文をつくって調査官に示すことにした。

立憲主義が支える日本国憲法の原則
このような3原則を支えているのは、立憲主義の憲法としての原則です。
その第1に、天皇が政治権力をもたない象徴天皇の原則にのっとっています。憲法に規定する天皇は、象徴であり、政治権力はもちませんが、政府は、天皇を象徴とするわが国を立憲君主制の国とみることができるとしています。象徴である天皇は、日本の伝統的政治文化にしたがい、権力機関の長である内閣総理大臣を国会の指名に基づいて任命し、さらに内閣の指名に基づいて最高裁判所長官を任命します。それゆえに、諸外国では天皇を国家の元首とみています。(53頁)
 

   そして、この部分に側注②を付けた。側注②とは、前に掲げた1月17日修正表の側注④を次のように大幅修正したものである。

 1973(昭和48)年、参議院内閣委員会で吉国一郎内閣法制局長官は、天皇は統治権の総攬者ではないが、憲法に規定する天皇を象徴とするわが国の制度は、共和制ではなく、立憲君主制とみることができると答えている。また、日本の元首について、国家のヘッドの地位にあるものという意味で、天皇は元首であるといってさしつかえないと答えている。


  2月15日のやり取り

  しかし、2月8日、「立憲君主制」という言葉の表記も、53頁側注②の吉国答弁も記載不可と口頭で指示してきた。この2月8日の再変更要請に対して、執筆者側は、2月14日に反論書を送ったが、2月15日、編集者が呼ばれ、以下のように申し渡された。

(52頁)左上に「象徴天皇(立憲君主制)」とある、立憲君主制は象徴天皇制に対して誤解を与える恐れがあるということで、これは削除していただきたい。
(52頁6~7行目)「政府は、天皇を象徴とするわが国を立憲君主制とみることができるとしています。」をとっていただいて、その前、「天皇は象徴であり、政治権力はもちません」で切っていただきたい。その段落の最後ですが、「それゆえに、諸外国では、天皇を国家の元首とみています」の「それゆえ」をとっていただいて、「諸外国では、天皇が元首とみられることもあります」と(していただきたい)。首相が元首として見られることもありますので。
で、あの注(53頁側注②)はとっていただいた方が。

(単元20、58頁)14~15行目で「元首としての待遇を受けることもあります」と(修正してください)。

編集者 政府の解釈をとらなければならない理由とは何でしょう。

担当調査官 象徴天皇を君主と捉えれば立憲君主制とみることが出来るが、伝統的な意味での君主とすればそうは言えないという答弁で、片方だけ出すというのは不正確であるということと、あの、それを丁寧に説明するよりはない方が良い。


  この後に調査官の責任者が対応する。

調査官 そもそも論で言いますと、中学生段階で、この種の国会答弁をその部分だけ出してきて、中学生では、その国会答弁が行われたある種の質問者がどこの党で、どういう流れの中で質問者が質問を行ったのか、そのときの政治状況で国会がどう動いていたのか、そこまで含めて国会答弁は理解されるべきですね。だとすると、公民学習において中学生は初めて勉強するんで、そういう部分はむしろ無くて説明できるんならその方がそれに越したことはない。じゃ、今申したように、じゃあ2つ書くというのは益々話が煩雑になってきますねっていうことで、これは削除していただきたいということなんです。

調査官 例えば、元首と諸外国で見られることもありますというのは、例えば、天皇陛下が外国に行った時、その国で日本の国旗をもって迎えてくれるということで、文字通り元首として迎えている、それを見た場合に、子供たちはあれーって思うこともあるから、場合もあると書いてもよいでしょう。総理大臣がそういうふうな待遇を受けることもありますよってことは、公民学習の内部であろう、という考え方です。

調査官 わが国の立憲君主制というのは、ある種の検定制度の延長上で、検定としての審議会のぶれは無いんです。その辺は、何も初めて出て来たからこれはダメというのではなくて、この種の立憲君主制という言葉をわが国の政体について使うというのは、これまでも許容していなかったところでございますんで、少なくともこれは厳しい、これがこのまま残っている限りは。極めて厳しい、あの恐らく審議会の判断になると思います。それはこれまでの踏襲の延長線上になります。
 

  2月21日提出原稿 

   この15日のやり取りをふまえて、我々は16日の会議をふまえて、吉国発言を掲載した側注②を削除した。そして、単元本文は、「立憲主義が支える日本国憲法の原則」の小見出し下、以下のように修正した。

   その第1に、象徴天皇の原則にのっとっています。憲法に規定する天皇は象徴であり、政治権力はもちません。象徴である天皇は、日本の伝統的政治文化に従い、権力機関の長である内閣総理大臣を国会の指名に基づいて任命し、さらに、内閣の指名に基づいて最高裁判所長官を任命します。諸外国では、天皇が国家の元首とみられることがあります。
 
  これで終わりかと思ったが、その後、「日本の伝統的政治文化に従い」も削除させられることになった。天皇権威論、立憲君主制論などにつながると判断されたのであろう。



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