西欧の立憲主義―――『新しい公民教科書』検定過程(10)

 教科書調査官と我々とが一番対立したのは、立憲主義をめぐってであった。まず、西欧で成立した立憲主義をめぐる違いについて見ていきたい。

西欧の立憲主義で書くべき5つのポイント 

  西欧で成立した立憲主義とはどういうものであろうか。第一に、最も本質的な特徴は法に基づき政治・統治が行われることである。この考え方は、英国では法の支配、大陸諸国では法治主義と言う形で成立した。法の支配あるいは法治主義という考え方においては、国家の政治権力を担う者も、法の下に位置し、法を守ると共に法に制約されなければならない。

 政治権力が法に制約されるようにするためには、国家機関相互の抑制均衡のシステムが有効である。それゆえ、第二に、権力を分立させ、相互に抑制均衡させる権力分立の考え方が現れた。また第三に、同じく抑制均衡の思想から、権威と権力を分離させて、それぞれ別の機関に分担させることが行われていく。権威と権力の分離は、君主国が立憲主義を取り入れていく出発点となるものである。第四に、国家権力に法を守らせる為に、権力が尊重すべき国民個々人の自由権を法で確認するようになる。第五に、国民を代表する議会が法を制定するようになる。

  すなわち、立憲主義は、法の支配あるいは法治主義、権力分立、権威と権力の分離、基本的人権の尊重、議会制民主主義、という五点でとらえることができる。更に言えば、第六に、一般的には、権力分立のシステムや特に重要な自由権を成文化した憲法に記すことも行われた。もっとも、英国では成文憲法は存在しないことは周知のことである。

  西欧の立憲主義については、単元14「立憲主義の誕生」で取り扱った。明確に立憲主義の特徴として以上の5点を挙げたわけではないが、5点の内容をすべて記した。この単元については8つもの検定意見がついたが、多くは表現の仕方や叙述順序の問題だったので現実の対立点は2点のみであった。一つは、権威と権力の分離についてである。我々は権威と権力の分離を立憲主義の重要な要素であると捉えるのに対し、調査官によれば、両者は無関係とのことであった。二つは「臣民」という言葉をめぐってである。我々は国家の政治に服従する立場の国民の事を「臣民」と記していたのに対し、調査官によれば、「臣民」という立場に触れなくてよいという事だった。

 「臣民」を削除させられる 

  二つ目の点からふれておこう。単元14は三部分から成り立っているが、それぞれ「自由と平等」「民主主義と国民国家」「立憲主義の成立」という小見出しを付けていた。検定申請本は、「民主主義と国民国家」の小見出しの下、次のように記していた。
 
  市民革命は、人々に政治活動の自由を与え、国家を構成するすべての人々(国民)が国家の政治に参加する可能性を開きました。そして国民は、単に国家の政治に従う受動的な臣民であるだけではなく、国家の政治に参加する公民ともなりました。こうして、自由で平等な国民の政治参加によって運営される国民国家が成立したのです。(40頁)
 
 この傍線部分に対して、「公民について誤解するおそれのある表現である」という検定意見が付いた(意見番号35番)。12月6日、教科書調査官は、検定意見について次のように説明した。

  「国家の政治に従う受動的な臣民であるだけではなく、」ということで、依然として臣民と言う受動的な立場を引きずっているかの如く誤解する恐れがあるということ 

   もう一つ趣旨が明確ではないが、「臣民」という立場を書かせたくないという意思は読み取れたし、「臣民」という表現が嫌なのだということも分かった。我々としても、何としても「臣民」についてここで書かなければなららないわけではなかった。そこで、「国家の政治に従う受動的な臣民であるだけではなく」の部分は削除することにした。

 権威と権力の分離は立憲主義と関係なし―――教科書調査官の考え 

  一つ目の権威と権力の分離の問題であるが、申請本は「自由と平等」の小見出し下、「イギリス国民の権利を確認し、権威と権力の分離を明確にした名誉革命」と記していた。これに対して「名誉革命について、誤解するおそれのある表現である」との意見が付いた(意見番号34番)。12月6日、教科書調査官は、34番の意見について次のように説明した。
 
 名誉革命は、国王の権力が法の支配下に置かれたということであって、権力が分離されたというのは
(執筆者の「もう少し後」という言葉があり、)
 ええ、そうです。
 権力が全く奪われたわけではなく、それを法の支配下に置いたということ。
 

  この名誉革命に対する調査官の指摘は正しいものであった。確かに、権威と権力の分離が完成するのは、18世紀になってのことである。もともとの原稿ではそのように記していたのだが、最後に原稿を短くする段階になって申請本のような記述になったのであった。それはともかく、調査官の指摘を受けて、「イギリス国民の権利を確認し、権威と権力の分離を明確にした名誉革命」という記述を、最終的に「王の政治権力も法に従わなければならないという法の支配を確立した名誉革命」に変更した。

  しかし、我々の考え方としては、権威と権力の分離についての記述を単元14「立憲主義の誕生」の所で記しておく必要があった。そこで、この単元の「立憲主義の成立」の小見出しの下、「また、18世紀のイギリスなどでは、国王が権威を、内閣が権力を分け持つ権威と権力の分離が確立しました。これらの考え方を立憲主義といいます」という文章を入れ、この単元を締めくくることにした。1月12日に調査官と執筆者の話し合いが持たれたが、そのとき、執筆者側は次のように述べている。

 権威と権力も、我々の教科書として非常に骨格になっているところです。権力というものが狂暴化するのをいかに抑えるかというところに、国家の歴史がある。それをまだ達成できていないのが、中国であるわけだから、そういう意味では、権威と権力の分離という概念の提示の仕方は、非常に基礎的にして重要なアプローチの仕方だと思うんです。

  しかし、調査官にとっては、権威と権力の分離と言う点と立憲主義との関連がピンと来ないようであった。従って、同日の話し合いでは、権威と権力の分離と言う点を立憲主義の定義の中に入れることにクレームが付いた。その結果、最終的には、次のような記述となった。

   国民国家は、従来、王や貴族が独占していた政治権力を、どのようなしくみにかえればよいのかという課題に直面します。政治権力を本当に国民のためのものとするために、法の支配(法治主義)が重要です。そして、それまで政治権力がまとめてもっていた立法、司法、行政の3つの役割を三権分立として、それぞれ独立した機関に分けあたえて、相互に抑制し均衡させることが重要です。そのことを、憲法という国家の最も重要な決まりをつくって成文化しておくことがよいと考えられるようになりました。こうした考え方を立憲主義といいます。こうして、18世紀のイギリスなどの立憲君主制の国では、国王が権威を、内閣が実際に国民を統治する権力を分けもつという、権威と権力の分離が確立しました。(41頁) 

  この部分は、申請本の内容に、傍線部の記述が付加されたものである。結局、立憲主義の定義の中から権威と権力の分離は切りはなされたが、申請本の記述よりは権威と権力の分離が強調された感じとなり、結果的に内容が良くなったと言える。

  権威と権力の分離の問題をめぐっては、我々と調査官は、いろんなところで衝突することになった。次には、日本歴史の中に立憲主義の要素(権威と権力の分離、合議の精神)が育っていたことを指摘する我々と、そんものはないと考える調査官とが対立したことを見ていこう。




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