『新しい公民教科書』検定過程について(4)―――執筆者からの「意見及び質問書」

   前回予告しておいたように、まずこちら側が提出した「意見及び質問書」を掲げる。ブログ掲載にあたって、段落ごとに丸番号と小見出しを付した。とりあえず、一読されたい。「意見及び質問書」には、立憲主義と国家の思想の再建という『新しい公民教科書』の課題が詰め込まれている。



                   意見及び質問書
                                         
平成22年12月20日
                                         自由社版教科書執筆者

はじめに、

  12月6日、検定意見書についていろいろご説明いただきまして、ありがとうございました。誤りあるいは不十分な点に気付くことができましたので、修正いたしたいと考えています。ですが、何点か、疑問に感じることがありましたので、その点に関して私たちの考え方をご説明させていただくとともに、質問させていただきます。



一、立憲主義、権威と権力の分離、主権、象徴他について

Ⅰ、権威と権力の分離は立憲主義の要素ではないと言われましたが、私たちは、権威と権力の分離を立憲主義の重要な要素として捉えています。……「14 立憲主義の誕生」――意見番号(34) 

①立憲主義理解のためには、権威と権力の分離の説明が必要
  学習指導要領公民的分野の「内容の取扱い」(1)アでは「地理的分野及び歴史的分野の学習の成果を活用するとともに、これらの分野で育成された能力や態度が、更に高まり発展するようにすること」という取扱い上の配慮が規定してありますが、歴史的分野で「立憲国家」や「立憲君主制」、また政党名で「立憲改進党」など、立憲主義にかかわることを学習していますが、この世界共通に見られる「立憲主義」を改めて深く理論的に理解するためには、「権威と権力」の分離についての説明は不可避と考えます。

②「日本国憲法」前文も権威と権力の分離の思想を表明している
  日本国憲法前文には「国政は国民の厳粛な信託によるものであって、その権威は国民に由来し」とあり、国家権力はその権威が国民に由来することを記しています。それは国家権力たる政治権力が権力を行使する場合、権威に基づいて行使しなければならないことを意味しています。もし、政治権力が権威に支えられていないならば、政治権力はその存続のために、警察力や軍事力などに頼る以外になく、中国の歴史における「易姓革命」の政治理論に基づく政治権力を彷彿とさせ、国民を不幸にし、悲惨な歴史を展開させる原因になるといわなければなりません。

③名誉革命に関する指摘は受け入れます
  私たちのこの教科書の単元14〈立憲主義の誕生〉で、「権威と権力」の分離はイギリスの名誉革命で誕生したと述べたのはご指摘通り不正確な記述でしたし、更に王が「法に従う」ことになったという指摘がありましたが、このことは確かなことであり、この事実は記載されるべきです。

④君主国が立憲主義を取り入れていく出発点が権威と権力の分離
  しかし、王が「法に従う」ということが確かなものになるには、18世紀になって「権威と権力」の分離が確立することが必要でした。君主は、政治権力を行使しなくなり、大臣が君主の名で行使するようになります。そうなると、議会も国民一般も、無答責である君主に代わって政治権力を行使する大臣の責任を追及することが可能になります。こうして、権威と権力が分離することによって初めて、王が「法に従う」ということが確かなものになったのです。すなわち、専制君主制から立憲君主制に移行していくことができたのです。そして、この延長上に、議院内閣制も成立していくのです。君主国が立憲政体あるいは立憲主義をとり入れていく場合の出発点が、権威と権力の分離なのです。

⑤易姓革命の理論では、立憲君主制も法治主義(法の支配)も生まれない 
  王の「法に従う」ということでいえば、中国の「易姓革命」の政治理論では、皇帝(天子)はたえず法の外にあり、皇帝はいつでもどこでも任意に行動できるというものでした。その結果、たとえ秦の始皇帝のように、皇帝が法治主義を強調しようと、それは統治のための手段としての法治主義であり、立憲君主制の下でいう法治主義とは似て非なるものです。
 
Ⅱ、近代以前の日本歴史の中に立憲主義的なものがなかったと考えておられるようですが、私たちは、少なくとも立憲主義を受け入れる土台があったとみています。それは、権威と権力の分離と合議の精神です。……「もっと知りたい 日本史にみる立憲主義」――検定番号(49)
 
①日本の場合は、鎌倉幕府の成立で「権威と権力」の分離
  「権威と権力」の分離は、日本の場合、形の上では鎌倉幕府の成立にあると生徒に教えることができます。史実として細かく見れば、もっと以前から「権威と権力」の分離は進んでいたと考えられますが、また、鎌倉幕府成立の場合、天皇が自ら好んで、政治のための権力を手放したわけでもありませんが、鎌倉幕府の成立によって、中学生徒にもわかるような形で政治権力は天皇の外に成立しました。しかしこうして誕生した鎌倉幕府という政治権力は、恣に権力を行使するのではなく、結果的に天皇の権威の下に権力を行使する形をとりました。

②政治権力は、古い文化を尊重し、国民を過酷に扱わなかった
  その結果はどんなことが起こったでしょうか。まずその政治権力が最少の戦乱で誕生し、社会の秩序も大いに乱れるということもありませんでした。中国や韓国で見られるように新しい政治権力が誕生すると、仏教寺院など古い文化遺産が徹底して破壊されるというようなことが起こらず、また国民(民)を過酷に扱うということも起こりませんでした。

③日本歴史は平和的に推移した  
  このようにして日本では、一貫して天皇の権威の下に政治権力の権力行使が行われたため、諸外国と比べると、戦乱がはるかに少なく、あっても規模は小さく、そのために社会の秩序はよく維持され、江戸時代末期にはアジアで唯一、欧米諸国に勝るとも劣らない識字率を誇る社会となっていました。

④立憲主義の背景に日本の歴史がある 
  そのような歴史的背景の下に、明治政府樹立に当たって逸早く「五箇条の御誓文」を出すことができ、その御誓文の最初にあるごとく「広く会議を興し、万機公論に決すべし」と宣することが可能であったと考えられるのです。そしてどのような抵抗もなく、天皇の下に、アジアで最初の憲法として、立憲主義の大日本帝国憲法が制定され、発布されるというようなことが可能であったと考えられます。

⑤大日本帝国憲法下でも、権威と権力の分離の政治的慣習があった 
  さらに言えば、私たちは、大日本帝国憲法下の日本でも、権威と権力の分離の政治的慣習があったと見ています。天皇が政治的権力を行使する存在でなかったことは、今日の歴史学界では多数説であるといえます。かつて盛んだった外見的立憲君主制論や絶対主義天皇制論を唱える学者はほとんどいません。

⑥日本の国体が、権威と権力の分離の政治的慣習を進めた
  では、その政治的慣習を成立させたのは、何でしょうか。憲法に規定されていた大臣責任論と君主無答責論です。西欧立憲君主制に倣って、無答責の天皇ではなく責任を負うとされた大臣こそが政治権力行使の中心となっていきました。しかし、もっと強力に権威と権力の分離を進めたものは、天皇を政治に巻き込んではいけないという歴史的な政治文化(国体)なのです。
 
⑦日本の合議の伝統が、近代の立憲主義につながった 
  次に「合議の精神」に関してですが、検定意見書説明に際し、合議は上下階級の間で行われたものではないから立憲主義と関係ないとの意見がありました。ですが、世界の全てにおいて農業国を経て近代国家に発展していく場合、例外なくひとしく階級社会の時代があり、その過程を経て、国民平等の国民国家が誕生するのはほぼ法則的なものです。したがって上下階級の間で合議の精神があったわけではないというのは歴史に対して無理な注文です。そのことはイギリスで立憲主義の発展に重要なかかわりをもっているマグナカルタが、王と庶民の間でできたものではなく、王と貴族の間でできたものであることからも容易にわかります。そのことよりも、たとえ同一階級の間だけの合議の精神であったとしても、私たちがここで指摘しているように、合議によってものごとを決めれば多くの人が納得する結論で決まりやすい、という事実が重要です。

Ⅲ、「日本国憲法」が規定する国民主権とは何でしょうか。国民主権とは、天皇以外の現在生きている日本国民が最高の権力をもつという意味であるとお考えのようですが、私たちは、日本肇国以来代々の天皇を含む国民全体が最高の権威を有することを定めたものであると考えています。……「18 日本国憲法の原則」「20 天皇の役割と国民主権」―――(54)(55)(56)

①ボーダンの君主主権論 
  まず私たちは、国民主権という場合の主権とは国家権力を正統化する権威であると考えています。なぜそう考えるのか、主権論の歴史をふりかえってみましょう。主権という概念を提唱したのは十六世紀フランスのジャン・ボーダンです。ボーダンは、王権は神によって授けられたものであり、神に対してのみ責任をとるとしました。ですから、王は、法律や慣習法に縛られず神の定めた自然法(神法)にのみしたがうとされました。この神が君主に授けた無制限で絶対の権力、すなわち「最高の権力」を「主権」と呼びました。これが、君主主権論です。

   ②フランス革命の国民主権論 
  だが、この君主主権論は、専制政治を生み出しました。そのためフランス革命を引き起こすことになりましたが、フランス革命は、国民が無制限で絶対の主権をもつという「国民主権」の考え方を生み出し、世界に広めました。

  ③君主主権論も国民主権論も専制政治を生み出した 
   しかし、このような国民に主権があるという考え方では、とくに議会で実権を握った人物が、国民の代表と称して無制限の権力を握り、専制政治や独裁政治を行うことを防ぐことができません。以後、19世紀を通じて君主主権論と国民主権論は相争い続けることになりますが、この二つの主権論は、ともに、専制政治を招いてしまいました。それゆえ、国民主権国家の場合も、権力分立などの立憲主義の考え方を必要とするようになりました。

  ④立憲主義を重視し、主権論を忌避するようになった 
   そこで、一旦、国民国家が形成され安定期に入ると、専制政治を防ぐために立憲主義の方が重視され、主権論は忌避されるようになっていきます。「日本国憲法」のように国民主権を強調する例は、フランスなど少数の例しか見られなくなっています。

  ⑤国家主権説の誕生
   ドイツや日本では、「主権」の言葉が用いられる場合でも、「主権」の考え方は、立憲主義の考え方と両立できるように解釈し直されるようになりました。「最高権力」という意味の本来の「主権」は、もはや君主にも国民にも帰属しないものとなり、国家に専属するものとされるようになりました。国家主権説の誕生です。

  ⑥主権=権威説 
  この国家主権説においては、君主制国家では君主が、共和制国家では国民が「国家の中での最高のもの」すなわち最高機関として位置づけられることになりました。そして、この「最高のもの」のことを「主権」と呼ぶ用法が生まれました。この場合の「主権」は、国家の政治権力を生む源泉、すなわち最高の権威を意味することになります。現代の「国民主権」の考え方では、国民が担っているのは、この最高の権威であります。そして、この国民の権威に基づいて、国民の代表からなる議会などに、国家の政治権力を行使する正当な機関としての地位が与えられていることになります。

   ⑦「国民主権」の「国民」の中に天皇が含まれる
  次に、私たちは、国民主権といわれる国民の中に天皇が含まれると考えています。昭和21(1946)年6月26日衆議院本会議の場で、金森徳次郎憲法改正担当大臣は、 社会党の鈴木義男の質問に対し、「この憲法の改正案を起案致しまする基礎としての考え方は、主権は天皇を含みたる国民全体に在り(傍線部は引用者、以下同じ)と云うこと」(清水伸『日本国憲法審議録』第1巻、1976年、原書房、210頁)と答えています。

  ⑧「天皇を含んだ国民全体に主権が存する」―――憲法改正の帝国議会
  また、7月25日に開かれた第一回衆議院憲法改正特別委員会内小委員会では、自由党の北昤吉は、前文の中に国民主権を明記するため、「ここに主権が国民に存することを宣言し、この憲法を確定する」に改める修正案を提出し、「人民を避けて、天皇を含んだ国民全体に主権が存する、之をはっきり此処で述べた方が宜しからう」(衆議院事務局編『衆議院帝国憲法改正案委員小委員会速記録』1995年9月、衆栄会発行、8頁)と説明しました。
  
  ⑨「国民」の中には過去から未来までの天皇と国民が含まれる
  このように「日本国憲法」の立場は、本来、天皇・国民共同主権説ですが、その天皇と国民とは、現在の天皇と国民だけを指すのでしょうか。言うまでもなく、国家の継続性を考える立場からすれば、日本肇国以来代々の天皇を含む国民全体と解するべきです。さらに言えば、「国民」の中には、過去の世代だけではなく、未来世代も含まれると解するのは当然ではないでしょうか。

  ⑩戦後の通説は主権=権威説(宮沢俊義説)
  それでは、天皇と国民が共同所有する「主権」とはいかなるものでしょうか、改めて整理しておきます。戦後憲法学の第一人者であり続けた宮沢俊義は、「国の政治のあり方を終局的に決定する権威である」(『憲法』1962年改訂版、71頁)と述べています。宮沢は主権者としての「国民」から天皇を追放したけれども、「主権」を権力ではなく権威として定義したのです。

  ⑪「日本国憲法」の解釈として、主権=権威説は正しい
  この宮沢説は、「日本国憲法」の解釈として正しいものです。「日本国憲法」前文の第1段第2文を見ると、「そもそも国政は、国民の厳粛な信託によるものであつて、その権威は国民に由来し、その権力は国民の代表者がこれを行使し、その福利は国民がこれを享受する」と規定して、権威は国民自体、権力は議員などの国民代表というふうに振り分けています。そして、「日本国憲法」は直接民主制を退け、間接民主制を政体の原理として定めているのです。

  ⑫日本誕生以来代々の天皇を含む国民全体が最高の権威を有する
  以上のような理由から、私たちは、日本誕生以来代々の天皇を含む国民全体が最高の権威を有することを定めたものであると考えています。


Ⅳ、〈天皇は象徴でしかない〉という立場から、天皇は権威、元首、君主ではない、現在の日本は立憲君主制ではなく君主国ではないという説明がありましたが、私たちは、天皇を象徴であるとともに権威であるととらえ、元首、君主であると考えています。そして、現在の日本は立憲君主制の国家であり、君主国であると考えています。……「18 日本国憲法の原則」「20 天皇の役割と国民主権」―――(54)(55)(56)(60)(61)(63)

  ①「日本国憲法」は天皇が権威、君主、元首であることを否定していない
  前述のように、大日本帝国憲法下では、規定上天皇は政治的権威であるとともに政治的権力でしたが、政治慣習として権威と権力の分離が確立し、天皇は政治的権威の役割を果たしてきました。この政治的慣習を確かなものにするために、日本国憲法第4条が規定されたと考えられます。4条は「国政に関する権能を有しない」と規定していますから、政治的権力であることは否定されたと捉えられます。しかし、権威であることは否定されていません。それゆえ、現在も、天皇は政治的権威の役割を果たしているといえます。だからこそ、日本国憲法第6条では、天皇に、総理大臣と最高裁判所長官の任命権を天皇に与えているのです。三権のうち二権の長の上に立って任命するわけですから、天皇は君主である、元首であるといえます。

  ②「象徴」規定は君主、元首の最も重要な本質を表したもの
  日本国憲法の第1条で天皇の事を「象徴」と規定していますが、これは君主、元首という存在の最も重要な本質をつかんで表現したものととらえられます。ですから、「象徴」と規定しているから権威、元首、君主ではないとする見解は皮相なものと言わなければなりません。

  ③実例上、天皇は君主であり元首である
   実例を見ますと、諸外国は、天皇を君主であり、元首と見ています。国際的儀礼では、天皇は皇帝として扱われ、ローマ法王と同格の敬意を払われます。政府委員の国会答弁(昭和48年6月28日、吉国一郎の答弁、その他)を見ても、立憲君主制であることは明確に肯定されていますし、元首ともいえるとしています。

  ④立法者意思や、政治慣習等から見て、日本の元首は天皇
   それに、法の解釈を行う場合、規定からすれば意味が不明確である、あるいは曖昧な場合には、立法者意思や、政治慣習、日本の歴史を背景にした国体、世界的な普遍性などを考慮して行うものです。前述のように、日本国憲法を審議した帝国議会では天皇・国民共同主権説を採用しています。また、古来からの日本歴史上、天皇は常に君主として遇されてきました。そして、ほとんどの諸外国では、元首を置いています。わが国の中で元首を探せば、天皇以上にふさわしい存在はないでしょう。

  ⑤天皇は象徴、権威、君主、元首
  やはり、「日本国憲法」の規定自体、立法者意思や、政治慣習、日本の歴史を背景にした国体、世界的な普遍性などを考慮して考えれば、天皇は象徴、権威、君主、元首であるといえますし、日本は立憲君主制の国家です。決して天皇は象徴でしかない存在ではありません。

  ⑥天皇は政府の解釈ではむしろ君主又は元首である 
  なお、現在の学界において天皇は君主や元首ではないという説が有力にあることは私たちも承知していますが、政府の解釈ではむしろ君主又は元首であることを肯定する傾向にあることの指摘は、中学校の公民教科書に記載することは許されなければならないと、私たちは考えています。
  
Ⅴ、天皇の署名等の行為がなくても国家の行為は有効だとお考えのようですが、私たちは、天皇が権威であるかどうかにかかわりなく、天皇の署名がなくても有効だという考え方はとりません。この考え方は、単に天皇を軽んずるだけでなく、国家の法秩序を崩壊させていくものだと考えます。……「20 天皇の役割と国民主権」「もっと知りたい 天皇のお仕事」―――(59)(63)



二、「国体」という言葉について……単元「16 大日本帝国憲法」―――意見番号(47)

Ⅰ、「国体」という言葉は歴史的な用語だから使うべきではないという検定意見がつきましたが、私たちは使うべきだと考えています。

  ①「日本国憲法」も国体(伝統的な政治文化)に基づき解釈すべき
  法規一般にあてはまることですが、大日本帝国憲法や日本国憲法などの憲法は言葉で規定されたものであり、その解釈は言葉の意味によって解釈するのが中心となります。しかし法規というものは、極めて少ない言葉で極めて短く言い表すものでありますから、言葉の機能の限界を伴っていることも事実です。つまり憲法の解釈は、言葉を中心にしながらも、規定の対象となるものの条理に基づいて解釈しなければ正しい解釈は取り出せないことになります。そしてその条理には、憲法がそれぞれ一国の最高法規として位置づく以上、その国の歴史や文化が入ってくるのは当然です。この歴史的な伝統的政治文化のことを「国体」といいます。

   ②国体=constitution=憲法
   「国体」は英語では「constitution」と表しますし、「constitution」の翻訳語として「憲法」という近代日本語が生まれました。このように、「国体」というものと憲法というものとは密接な関係にありますから、国体に基づいて憲法解釈を行うことは極めて自然なことと言えます。

  ③国体は普遍的に使える言葉
  この歴史的な伝統的政治文化のことを「国体」として、「政体」とは区別して表記することは、他国の場合でもできることで、「国体」は普遍的に使える言葉です。新しいできたばかりの国では「国体」というのは認識しがたいということがあるかもしれませんが、しかし一定の古い国ではつねに「政体」とは区別された「国体」というものがあります。

   ④「国体」を使うなというのは言葉狩り
  もし、「国体」なる言葉を公民教科書で使ってはならないということになれば、これは占領下で占領軍によって行われた一種の言葉狩りであり、自由な民主主義国としてはあってはならないことであると思われます。因みに、歴史教科書では占領下で使用を禁止された「大東亜戦争」という言葉が、単に過去に使われた言葉として紹介されているだけではなく、説明のための言葉としても使われています。
 
   ⑤伝統や文化を尊重する観点からも、「国体」使用を認めるべき
  「国体」という言葉の使用に関しては、次のような点からも問題があります。
 平成18年、教育基本法が改正されました。その第2条「教育の目標」の5番目に「伝統と文化を尊重し」とあります。次代を担う子供に伝統と文化を尊重した教育を行うことは当然ですが、この規定を受ける形で学習指導要領公民的分野の「内容」(1)アの規定で「我が国の伝統と文化に関心をもたせ、文化の継承と創造の意義に気付かせる」とあります。このときに「伝統」とか「文化」といものは芸術的な文化だけではなく、社会や政治に関わる文化も含んでいることは明らかであり、こうした観点からも伝統的な政治文化を「国体」として言い表すことは、伝統や文化を尊重するという観点からも認められるべきです。


三、核の傘について……単元「59 核兵器の脅威と向き合う」――意見番号(128)(129)(130)

Ⅰ、「核の傘」についてはあまり触れないようにというご意見でしたが、私たちはこの問題にふれる必要があると考えています。

   ①「核の傘」は現実に重要問題
  「核の傘」は我が国の政策ではないとの指摘がありましたが、核兵器にかかわる現実の重要な問題ですから、正式の政策ではないことを前提にしながら、「核の傘」の問題は触れなければならないと私たちは考えております。

  ②「核の傘」を教えることは指導要領の趣旨に合致する
  そうでなければ、学習指導要領公民的分野の「内容」(4)アの規定にある「核兵器などの脅威に着目させ、戦争を防止し、世界平和を確立するための熱意と協力の態度を育てる」ということはできず、また「目標」(2)にある「社会の諸問題に着目させ、自ら考えようとする態度を育てる」ということは不可能であり、「目標」(4)に規定してある「現代の社会的事象に対する関心を高め、事実を正確にとらえ、公正に判断する」ように育てることは不可能であると考えます。


四、「国家にかかわる国民の4つの立場」について……単元「12 国家と私たち国民」――意見番号(26)(27)(28)(29)

Ⅰ、ご意見は〈私人という面があるのはわかる。しかし、私人という面を中学生に説明するのは難しい。教えなくてよい〉という理解でよろしいでしょうか。

Ⅱ、とすれば、公民、臣民、受益者という3つの立場から国家と国民の関係を説明しなければならなくなりますが、私たちは、4つの立場から説明すべきだと考えています。

  ①国家との関係で、国民には4つの立場がある  国家にかかわり国民に4つの立場があることは、憲法学においても広く指摘されていることです。例えば清宮四郎『憲法Ⅰ』(有斐閣 昭和54年第3版、平成2年第16刷)129~130頁でも、「国民の国家に対する関係」と題してこの4つの立場について説明してあります。

  ②自由民主主義国家では、私人という側面を教育すべきである
  また、日本のような自由民主主義の国家においては、自由権はきわめて重要なものであり、国民個々人のもつ私人という側面を是非とも中学生に教えるべきだと考えます。


五、「持続可能」という言葉について……単元「1 人類の歴史と国家」「4 現代日本の課題」、終章タイトル「持続可能な国家と社会を目指して」――意見番号(1)

Ⅰ、「持続可能」という言葉は、自然環境、社会、世界には使えるが、国家には使えないということでしたが、それは何故でしょうか。

Ⅱ、私たちは、持続可能な日本国家をつくることが持続可能な自然環境、世界を形成していくことにつながると考えています


   ①「持続可能な社会を形成する」とは極めて重要なこと 
   私たちは、学習指導要領公民的分野の「内容」(4)イの「よりよい社会を目指して」の規定にある「持続可能な社会を形成する」とは極めて重要なことと考えています。

  ②自然環境も社会も持続可能性を高める必要 
   持続可能性の問題は自然環境だけの問題ではなく、まさに社会も持続可能性を高めていかなければならないと考えています。自然環境とともに社会においても持続可能性を高め、そのような自然環境と社会を日本国民の子々孫々に手渡していくことは現代に生きる公民としての日本国民の極めて神聖な務めであると私たちは考えています。

  ③社会は国家というまとまりをもって初めて社会としての力を発揮します
  そして私たちの教科書の〈公民を学ぶ目的〉(ⅹ頁)というところで述べていますが、社会は国家というまとまりをもって初めて社会としての力を発揮します。国民の社会的立場には、国家の政治権力とは直接にはかかわらない自由な立場もあり、日本国民はその立場でも社会をよくしていく努力をしていかなければなりませんが、社会をよくしていくためには、その多くの部分は国家との関係で、国家をよくしていく努力によって社会をよくしていくことができるといえます。持続可能な自然環境と社会を維持し、強化していく努力もその大きな部分は国家に対してよくしていくための努力から生まれます。そのために、学習指導要領公民的分野の「目標」(3)において従来からあるところの「自国を愛し」という規定は重要であるということになります。自国を愛し、そのことによって、持続可能な自然環境と社会を形成し、それを日本国民の子々孫々に手渡していくことができるのだと、私たちは考えています。

  ④「自国を愛し」とは世界平和や人類の福祉を実現するためでもある 
  念のためにいえば、「自国を愛し」とは自国のことのみに専念するということではありません。自国を愛し、持続可能な自然環境と社会を日本国民の子々孫々に手渡そうと努めることによって、「内容」(4)アに規定してある「世界平和と人類の福祉の増大」に寄与する日本国民の基礎ができあがると、私たちは考えています。自国を愛し、自国のために持続可能性の高い自然環境と社会を日本国民の子々孫々に手渡すために努めることが、ひとえに我々日本国民のためにだけではなく、それを超えて世界平和と人類の福祉の増大に向けての努力につながるものと、私たちは考えています。学習指導要領公民的分野の「目標」(3)には従来から「自国を愛し」と規定されていましたが、平成18年教育基本法が改正され、その第2条「教育の目標」の5番目に「我が国・・・を愛し」と愛国心が謳われたのは、かような意味であると私たちは考えています。


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