『新しい公民教科書』検定過程について(1)--報告の事始め

  この一年間、私は何もできなかった。ひたすら、育鵬社歴史教科書盗作事件を追いかけてきた。怒りで髪を逆立ててきた。頭には血が上り続け、肩に力を入れ続けてきた。ようやく、6月になって、「つくる会」本体が盗作問題について戦う方向でまとまった。まとまらなくても、一人でも育鵬社追及を続けるつもりであったが、戦う方向でまとまったことはともかく非常に良かった。
  
  本来ならば、今ごろは、「つくる会」関係だけで二つの仕事を終えているはずだった。一つは、『新しい公民教科書』の検定過程で経験したことについての報告である。二つは、平成24~27年度中学校歴史教科書と公民教科書に対する総合的な評価を行い、育鵬社歴史教科書と公民教科書が偽装教科書であること、平成24~27年度版『新しい歴史教科書』と『新しい公民教科書』の歴史的意義とは何かを明らかにする作業であった。この二つの仕事をしなければならないと1年間考え続けてきた。しかも、どう考えても、二つの仕事は、半年もあれば充分であった。ところが、育鵬社のような全面的な盗作教科書事件が起きてしまった。こんな大規模な盗作がまかり通れば、日本は終わりである。極めてむなしい仕事ではあるが、この盗作事件について知らないふりはできなかった。そこで、二つの仕事を後回しにするしかなくなった。もはや、二つの仕事をやりとげる時間は、私にはない。どちらかをあきらめるしかなくなった。

  来週から授業が始まる。まとまった時間は無くなってしまう。そこで、一つ目の仕事を一挙にやってしまおうと考えた。何回で終わるか分からないが、忘れてしまわないうちに書き留めておこうと思う。


    『新しい公民教科書』検定過程について--報告の事始め   

  なぜ、『新しい公民教科書』の検定過程について記しておかなければならないと考え続けてきたか。この検定過程で驚いたことが何点かある。もう一つまとまりがないが、三点だけ記しておこう。

  ①教科書調査官には、国家論に対する敵意は思ったよりもなかった
  ……戦後の公民教育では、一貫して、まとまった国家論は展開されず、国家の役割をまとめて展開することも行われてこなかった。恐らく、『新しい公民教科書』は、戦後教育史上初めて国家論・国家の役割論をまとまって展開した教科書である。だから、国家論を展開すること自体に対する批判が、調査官から行われるかもしれないと思っていた。だが、思ったよりは、国家論に対する注文はつかなかった。あえて言えば、国家の第一の役割は防衛ではなく権利の保障だと調査官が言っていたことが思い出される。しかし、決して国家の役割として防衛を挙げるなというような発言はなかった。
  そこで思ったことがある。戦後公民教育において国家論が展開されなかった最大の理由は、文科省側にあるのではなく執筆者側にあったのであろう、と。  

②にもかかわらず、教科書調査官には天皇および天皇制への批判的意思が感じられた
  ……一番驚いたのは、日本が君主国であるという表現がすべて消されたことである。戦後日本ならまだ分かるが、戦前日本でも、古代から近世までの日本でも、いつの時代であろうと君主国、君主と書くことを調査官は許さなかった。現代日本でも、天皇=君主、元首、権威という表現は十分に成り立つものである。だが、君主という表現だけではなく、権威という表現も少なくとも戦後日本に関しては消されてしまった。元首という表現も、基本的に消されてしまった。我々が一番残したかったのは立憲君主制という表現であるが、これも最終的に消されてしまった。
  これは、本当におかしな話である。公権解釈の上でも現実の上でも、天皇は元首である。また、公権解釈は、戦後日本をも立憲君主制としている。この公権解釈が検定では否定されてしまうのである。これは、検閲ではないかと何度も思った次第である。
  もちろん、検定の意義は認めるし、検定過程で教科書記述が改良された点は否めない。でも、だからと言って、公権解釈さえも否定する検定とは、偏ったものであり、検閲に堕してしまっているのではないだろうか。

③立憲主義をめぐる調査官と我々との捉え方の違い
  ……我々は、立憲主義の重要な構成要素として、特に君主制国家における立憲主義の重要な構成要素として、権威と権力の分離を捉えていた。だが、調査官によれば、権威と権力の分離は立憲主義と関係ないということであった。これには驚かされた。権威と権力の分離なくして、君主国家が立憲国家になることは困難だからである。
  更に立憲主義に関して言えば、日本歴史の中に立憲主義の要素(権威と権力の分離、合議の精神)が育っていたことを指摘する我々と、そんものはないと考える調査官とが対立した点も挙げておきたい。

  
  この三点のうち、世の中に最も伝えなければならないと考え続けてきたのは、②の点である。こういう文章を書く以上、②の点だけではなく、我々と調査官との相違が際立った点を中心に、検定過程を振り返っていこうと考える。
   



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