平成24公民教科書資料Ⅲ(1)西欧米国政治史・西欧政治思想史、東書、日文、教出

          Ⅲ、立憲主義か全体主義か 

  連合国は、第二次世界大戦を全体主義(日独伊)VS民主主義(米英ソ中)の戦いと規定した。そして、日本を占領するや、このような捉え方を日本の知識人と学校教育に植え付けた。以来、歴史教科書も公民教科書も、このような捉え方を踏襲してきた。

  だが、この捉え方は全くの誤りである。日本は全体主義国家ではなかったし、中国国民党政権は、ナチス・ドイツの指導を受けており、全体主義の代表とされるファシズムの政権であったし、ソ連はもう一方の全体主義の代表である共産主義国家であった。

  また、民主主義という点に注目すると、全体主義と言える独伊ソ中の四か国のうち、少なくとも独ソ中の三カ国は、実は人民主権あるいは国民主権を思想的根源とする民主主義国家であった。イタリアの場合は王国であったから、このようには明確にいえないが、ムッソリーニは、元々は社会主義者であり、直接民主主義的手法と国民の支持を背景に権力を掌握した。英国と日本は君主制国家であり、その思想的根源は人民主権あるいは国民主権・民主主義といったものにはない。だが、両国とも、近代政治の不可欠な要素として民主主義を取り入れていたことは確かなことである。

 要するに、全体主義に位置付けられた日独伊も、民主主義に位置付けられた米英ソ中も全て民主主義国家だったのである。私に言わせれば、この六か国のうち、独伊とソ中は全体主義国家になってしまった。なぜ、そうなったのか。

  大雑把にいって、権力分立、法治主義(法の支配)、権威と権力の分離(これは君主制国家で特に重要となる)等といった立憲主義が欠如していたからである。また、自由と平等のうち、自由を無視し平等というものに偏してしまったからである

  要するに、民主主義には、全体主義的な民主主義と立憲主義的な民主主義があるのである。あえて現在の日本政界に当てはめれば、権力分立を無視し国民主権を強調する民主党は、全体主義的民主主義の傾向が強い。同じ傾向にあるのが、社民党と共産党であろう。これに対して比較的権力分立を重視する自民党は、日本政界の中では立憲主義的民主主義の傾向が強いとはいえよう。ただし、自民党も含めて、日本の政党は全体主義的民主主義の思想にきわめて毒されている。

  そこで、この第Ⅲ部では、国民主権、間接民主制、権力分立、法治主義(法の支配)、権威と権力の分離、自由と平等、といった問題について各社がどのように記しているか、比較材料を掲げておこう。


              (1)西欧米国政治史・西欧政治思想史、東書、日文、教出

    まずは、「日本国憲法」の背景にある西欧政治史・政治思想史について各社がどう記しているか、掲げておこう。 


○分析項目
 ①英国か、米国か、仏国か、いずれを強調しているか
 ②立憲主義中心か民主主義・人権中心か……モンテスキュー、ロック、ルソー
 ③国民主権の捉え方……権威的意味か権力的意味
   *直接民主主義の危険、国民主権の危険を捉えているか、と関連。
 ④権利、人権の捉え方……「国民の権利」の思想か「人間の権利」の思想か
 備考⑤「法治主義」あるいは「法の支配」、「立憲主義」の言葉



○東京書籍……
 ①仏国
 ②モンテスキュー、ロック、ルソー……「人権思想と憲法の歴史」の年表コーナーで、三者について簡単な説明(34頁)。
ロックの説明……「抵抗権を唱えた」
モンテスキューの説明……「三権分立を唱えた」
ルソーの説明……「人民主権を唱えた」
 ③国民主権の捉え方……権威的意味か権力的意味か、ここでは不明
 ④「人間の権利」の思想のみ
 ⑤「法治主義」あるいは「法の支配」、「立憲主義」……有り
①②③④「第2章 人間の尊重と日本国憲法」「1 人権と日本国憲法」の節見出し下、単元2「人権の歴史」下、「人権思想の成立」→「人権思想の発展と広がり」の小見出し下、全文引用。
・①④「人権思想の成立」の小見出し下、「人権とは、人が生まれながらにして持っている人間としての権利のことです。人間は、個人として尊重され、自由に生き、安らかな生活を送ることができなければなりません。それを権利として保障したのが人権(基本的人権)です。
人権の保障が宣言されるまでには、人々の長年にわたる努力がありました。国王などの権力者の支配とたたかい、自由を勝ち取っていきました。特に近代革命のときには、人権の思想が、国王の支配を打ち破り、革命を成功させるうえで大きな力になりました。そのため、近代革命ののちにつくられた人権宣言や憲法では、人権が保障されました。」(34頁)
34頁左側注欄に「フランス人権宣言」の絵が掲げられ、以下の説明文。「前文と17条からなります。古い制度の鎖を断ち、理性の光を照らすという意味を表した絵がえがかれています」。
・④続けて「人権思想の発展と広がり」の小見出し下、「近代の人権宣言で保障されたのは、表現の自由や信教の自由などの自由権でした。そして、19世紀には、財産権の保障にもとづく自由な経済活動がさかんになり、資本主義経済が発展しました。しかし、それとともに、社会のなかの貧富の差が広がり、労働者は長時間労働、低賃金をしいられました。
 そこで、普通選挙運動や労働運動が高まりました。20世紀に入ると、各国で普通選挙権が認められ、また、人々の社会生活を経済的に保障しようとする社会権が人権規定の中に取り入れられるようになります。1919年のドイツのワイマール憲法は、『人間に値する生存』(生存権)などの社会権を保障した最初の憲法として有名です。
 第二次世界大戦後、人権は各国の憲法で広く保障されるようになりました。さらに、人権の思想は国境をこえて広がり、国際連合の世界人権宣言などのように国際的に保障されてきています。今日、人権は、世界共通の普遍的な理念となっています」(34~35頁)。
⑤単元3「日本国憲法の基本原理」の下、「憲法と立憲主義」の小見出し下、
 「憲法は、政府の権力を制限して国民の人権を保障するという立憲主義の思想にもとづいて、政治権力の乱用を防いで、国民の自由や権利を守ります。立憲主義の考えは、政治が人の支配によってではなく、法によって行われることを要求する法の支配の思想とほぼ同じものです。」(36頁)……この書き方自身は別に問題ない。だが、東書は、政治権力の必要性を認めていないから、権力は権利を侵害するものだという書き方になっている。

○日本文教出版……最も充実した記述
①英国、米国、仏国すべて紹介。字数は英国が多いが、原理的には米国とフランスに力点。
②政治思想史……民主主義よりも、立憲主義と人権に力点
 次いで、年表で以下の説明。
 ロックの説明……「自然権思想と社会契約説を説きました。」(46頁)
   モンテスキューの説明……「権力分立論を説きました。」(46頁)
   ルソーの説明……「人民主権による共和制をとなえました。」(46頁)
 ③国民主権の捉え方……ここでは、権威的意味か権力的意味か、明確ではない。
 ④権利、人権の捉え方……「国民の権利」思想にふれるが、強烈に「人間の権利」思想中心
 ⑤「立憲主義」が一番キーワード。法治主義または法の支配はなし。
①②④「第2編 わたしたちの生活と政治」「第1章 個人の尊重と日本国憲法」「1 法に基づく政治と日本国憲法」の節見出し下、単元「1 法に基づく政治と憲法」下、「法に基づく政治」の小見出し下、全文引用
「社会で生活するわたしたちの希望をみたしながら、社会の秩序を守り、安心できる生活を維持していくはたらきを、政治といいます。政治には、人々の利害を調整し、ルールをつくり、ルールに反する行為をとりしまり、命令し、強制する力が必要です。この力を政治権力といいます。
  政治権力は、ヨーロッパの絶対王政のころのように、権力者の思いのままに使われることがありました。そこで、ロックをはじめとする思想家たちは、国家が人々の合意によってつくられたものであり、政治権力は人が生まれながらにもっている権利を侵害してはならないと考え、政治権力も法に従わなければならないと主張しました。
こうした考えを文書の形ではっきり打ち出したのが、1776年のアメリカ独立宣言とその前後に制定されたアメリカ諸州の憲法や、1789年のフランス人権宣言でした」(38頁)。
・①④続けて、「人権規範としての憲法」の小見出し下、
「憲法は、私たちの人権を守るために政治権力を制限するしくみを定めたものです。まず、憲法は、人がその人らしく生きていく(個人の尊重)ために必要な自由を人権として明記しています。
  そして、政治権力が1か所に集中して人々の自由を踏みにじることがないように、政治権力を立法権(国会)・行政権(内閣)・司法権(裁判所)に分けて、それぞれを別の組織に分担させる権力分立制を採用しています。このように、国民の自由を守り、権力分立制を採用している憲法を立憲主義の憲法といいます」(39頁)。
・続けて「最高規範としての憲法」の小見出し下、「立憲主義の憲法のもとでは、国会も内閣も裁判所も、憲法の規定に基づいて割り当てられた仕事をするように求められています。国会がつくる法律も、内閣が制定する政令も、憲法に違反してはならず、国家の法は、憲法を頂点として構成されることになります。憲法は、国家の最高規範として最も強い力をもっているのです。
憲法が国家の最高規範であるのは、憲法が国民の人権を守るためのものだからです。現代では多くの国々が、このような特色からなりたつ立憲主義の憲法をもっています」(39頁)。
  ……その後、「日本国憲法の制定」の話が続く。
・39頁上段にフランス人権宣言と38頁上段に米国独立宣言の絵、39頁上段に米国独立宣言引用の欄。
・さらに、39頁側注欄に「⑤立憲主義の憲法」と題し、「人権保障と権力分立は目的と手段の関係で、どちらが欠けても私たち一人一人の人権を守ることができません」(39頁)
①③④「ズームイン 世界の憲法のあゆみ」で、英国、米国、フランスを紹介
・①④「イギリス 立憲主義の始まり」の小見出し下、全文引用
 「イギリスには、日本国憲法のような一つの文書にまとめられた憲法(成文憲法)はありません。しかし、イギリスが憲法的な文書をもたないわけではありません。権力濫用を十分に抑止できる法律や文書が、国の歴史を通じてつくられ、現在もそれらが憲法の役割を果たしています。
  イギリスでは、中世以降、貴族と市民階級の代表からなる議会が存在していました。また、比較的早くから議会による国王の権力の制限が行われてきました。
 1215年のマグナ=カルタは、国王の権力を初めて制限しました。その後、名誉革命において制定された1689年の権利の章典によって、国王は、議会の同意なく、法律や税金といった政治の重要な要素を決める権限を行使できなくなり、国民の権利と自由を守る約束をしました。このようにイギリスでは、国王から議会への権力の移行が、比較的おだやかに行われました。
 これらの文書が保障していたのは、人類の普遍的な人権ではなく、イギリス国民のための権利と自由でした。しかし、これらのイギリスで生まれた権利と自由は、後に『人権』へと成長していくことや、議会による国家権力の制限を定めていたことから、立憲主義の始まりであったといえます」(44頁)。
   「イギリス議会」の写真(44頁)
・「アメリカ 世界最初の成文憲法」の小見出し下、全文引用
 「世界最初の成文憲法は、1776年6月のアメリカのバージニア権利章典です。この章典で初めて、すべての人が生まれながらにもつ権利や国民主権が明記され、以後の成文憲法の手本となりました。同様に、1776年7月のアメリカ独立宣言も、『生命、自由および幸福の追求』の権利が、人が生まれながらにもつ権利であると宣言しています。
 これらの文書はとつぜん生まれたのではありません。すでに本国イギリスと同じ権利と自由を、植民地であるアメリカの人々がもっていたことと、本国で迫害されて、アメリカに信仰の自由を求めて移民した人々も多くいたことが、文書の制定に大きく影響しています。
 1787年には、アメリカ合衆国憲法が制定されました。この憲法は、その後も修正を加えられながら現在も使われています」(45頁)。
  「自由の女神」の写真(45頁)。「リンカーン」の写真(44頁)
・「フランス 憲法を世界に広げる」の小見出し下、全文引用
 「中世以来、国王が強大な権力をもっていたフランスでは、経済の発展にともない力をつけてきた市民階級が、自由を制限する制度に不満を感じ始めていました。また、イギリスの立憲主義の発展や、アメリカ独立の影響で、自由を求める機運が高まっていました。
 これらを背景に、1789年、革命が起きました。国王が強大な権力をもつ政治体制は一変し、主権は国民の手に移りました。当時は、ほとんどの国で国王が主権を有していたことを考えると、その衝撃は大変なものでした。
 1789年に出されたフランス人権宣言は、『人は、生まれながらに、自由で平等である』と宣言し、また、国民主権の原理を明らかにしました。革命の象徴である人権宣言は、のちにヨーロッパ諸国の憲法に大きな影響をおよぼしました。フランスの憲法はその後、何度かつくり直されましたが、このフランス人権宣言は現在もなお効力をもっています」(45頁)。
   「ナポレオン」の写真(45頁)。
④「2 日本国憲法と基本的人権」の節見出し下、単元「1 人権思想のあゆみと日本国憲法」下、「人権思想の誕生」→「人権思想の発展」の小見出し下、全文引用
・④「人権思想の誕生」の小見出し下、
人は生まれながらに等しく、侵されることのない生まれながらの権利をもっているという考え方は、アメリカ独立宣言(1776年)に取り入れられ、その後、フランス人権宣言(1789年)にも取り入れられ、各国の憲法の柱になりました。
 基本的人権(または人権)という言葉は、「人の権利」、すなわち「人であれば、無条件にもっている権利」のことをさします。何よりも一人一人をかけがえのない個人としてたいせつにして、人がその人らしく生きていく(「個人の尊重」)ために必要な権利や自由のことです。人権尊重の考えが世界じゅうに広まったのは、この思想が広く支持されたことのあらわれです。」(46頁)
・④「人権思想の発展」の小見出し下、
 「19世紀までの国家では、財産権など自由権の保障がもっとも重要なことでした。国家は、むやみに国民の生活に立ち入るべきではなく、国民がどのような生活を営むかは各自の自由と責任に任せておくべきだ、とされました。国家は、犯罪をとりしまったり、戦争にそなえたりするだけでよい、と考えられたのです。
 自由な経済活動が保障された結果、資本主義経済が、産業革命を通じてめざましい発展をとげました。しかし同時に、それは、富める人とそうでない人とのあいだに格差を生み、貧困や失業などの大きな社会問題を引き起こしました。
 そこで、貧富の差などの不平等を是正しながら、すべての人が人間らしく生活できるように保障することも、国家の役割だと考えられるようになり、国家に対して人間らしい生活を求める権利(社会権)も、人権の仲間入りをしました。」(46~47頁)。
 この後に、「日本国憲法の人権保障」
④「人権思想のあゆみ」という年表コーナーを置き、ロック、モンテスキュー、ルソーの簡単な説明(46頁)。
 ロック……「自然権思想と社会契約説を説きました」
 モンテスキュー……「権力分立説を説きました」
 ルソー……「人民主権による共和制をとなえました」
  *問題……国民主権か人民主権か。君主制を必ずしも否定していないのではないか。

○教育出版……
 ①米国とフランス、強調
 ②モンテスキュー、ロック、ルソー……三者を「人権思想の歴史」の年表コーナーで
  ロックの説明……「専制政治を批判し、民主政治を主張した」
  モンテスキューの説明……「権力分立を主張した」
  ルソーの説明……「人民主権を主張した」(34頁)
 ③国民主権出てこないが、権力的意味で理解していることがうかがわれる。
    年表コーナーでルソーの説明で「人民主権」(34頁)
 ④権利、人権の捉え方……「人間の権利」の思想
 ⑤立憲主義、法の支配
⑤「第2章 人間を尊重する日本国憲法」「1 民主政治を支える憲法」の節見出し下、単元「① 憲法とは何だろう 憲法を学ぶにあたって」下、「わたしたちと憲法」の小見出し下、「社会が安全で、人々が安心して暮らすことのできる政治が行われるためには、政治を動かす権力(政治権力)が必要となります。政治権力はさまざまなルールをもとに、国を動かします。
 しかし、政治権力はとても大きな力をもっているので、人々に対してそれが濫用されることのないように、政治権力を制限する必要があります。憲法は、そのしくみ(原理・原則)を定めたものです。政治権力は、その憲法に従って、そのルールを判断したり運用したりしなければなりません。
わたしたちが憲法を学ぶのは、政治権力からわたしたち自身を守るということを理解することが、とても大切だからです」(32頁)。
・側注①「このような考え方を、立憲主義といいます」(32頁)。
④同単元下、「憲法で示されていること」の小見出し下、「憲法は、大きく分けて二つの内容から構成されています。一つは、国民の権利を保障する内容です。わたしたちは、だれもが生まれながらにして自由かつ平等であり、個人として尊重される権利があります。そのことは、『日本国憲法』では、現在および将来の国民に対して、『侵すことのできない永久の権利』として定められています。……二つめは……このような二つの内容をもった憲法を、立憲主義の憲法といいます」(32~33頁)
⑤同単元下、「憲法のもつ意義」の小見出し下、「憲法を国の基本法とし、その憲法を頂点とする法によって、すべての決定が行われる国家を法治国家といい、そのようなあり方を法の支配といいます。」(33頁)
①③④
 「第2章 人間を尊重する日本国憲法」「1 民主政治を支える憲法」の節見出し下、単元2「侵すことのできない永久の権利 人権思想の歴史」下、「人権思想の誕生」の小見出し下、「政治とは、本来、わたしたち国民の権利や幸せを守るために行われるものです。しかし、かつて近代以前のヨーロッパの絶対王政にみられたように、強大な権力をもつ支配者によって、人々の意思を無視した政治が行われたこともありました。こうした専制政治に苦しむ人々の間に、「人権」という考え方がめばえ、国民の意思に基づいた政治や個人の人権を尊重する政治を求める声が、しだいに高まるようになりました。
 人権とは、人が生まれながらにもっている権利のことをいいます。人権尊重の思想は、人々に大きな勇気を与えるとともに、アメリカの独立やフランス革命などを支え、社会を変えることにつながりました。さらに、わたしたちが生活する現代社会においても、人権思想の土台になっています。」(34頁)
・人権宣言の絵(34頁)




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