ダグラス・マレー『西洋の自死』をお勧めする――自虐史観で自殺していく西欧

 日本の「自死」を予言する書

 先月、ダグラス・マレー『西洋の自死――移民・アイデンティティ・イスラム』(東洋経済新報社、原著ハードカバー版は2017年5月、ペーパーバック版は2018年1月、訳書は2018年12月)を読んだ。中野剛志氏が冒頭の「【解説】日本の「自死」を予言する書」で解説を書いているが、次のように記している。

 皮肉なことに、本書が日本で発売されるのは、本格的な移民受け入れのため出入国管理法の改正案が臨時国会で成立した直後、すなわち、日本の指導者たちが欧州の後を追って自死を決意した直後ということになる。  5頁 

 中野氏の言うように、日本の指導者たちは、少なくとも客観的には自死を決意したと私も見ている。ただし、その時期は、早く見れば、押し付けられた「日本国憲法」を有効なものとして扱った時と見るべきであろうし、また近隣諸国条項を作った1982(昭和57)年であろう。遅くとも、日本人を日本国家における最下層民として位置づけたヘイト法が成立した2016年であろう。少しずれるが、安倍真理教徒たちはもちろんのこと、左右を問わず、ほとんどの言論人がヘイト法を批判することをタブーにしている。私は、このことに腹を立て続けている。

 自死決意の時期の確定はともかくとして、本書で記されていることには、日本の話に置き換えてもおかしくないことが多数描かれている。

一、本書のポイント

 本書の内容をうまく整理したいと考えてきたが、本書が大部のものであり、本書自体が整理がそんなに良くないこともあり、うまく整理することはあきらめた。ともあれ、思いつくままに、本書のポイントを、できるだけ論理的につながるように挙げていこう。ポイントとなる言葉をゴチックで示していこう。

 移民受け入れの理屈

 周知のように、西欧は、大量の移民を積極的に受け入れてきた。移民を多く入れすぎたところから、白人の少数人種化へ向けた動きが始まり、それ以上にキリスト教徒の減少、西欧文化の危機が始まり、「西洋の自死」という状況が始まった。移民受け入れの理屈としては、以下のようなものがある。➀労働力不足で経済成長のために移民が必要である、②高齢化社会で若者を増やすために移民を受け入れるしかない、➂グローバル化が進む以上、移民は止められない、④多文化主義が素晴らしいから移民を受け入れるべきだ、⑤多文化主義に反対し移民に反対する人は人種差別主義者、極右であるから、これらの人の意見は聴く必要はない、聴いてはいけない、⑥欧州は世界の有色人種に対して悪いことをしてきたのだから、特にイスラムやアフリカ人に対して償わなければならず、積極的に移民を受け入れるべきである、といった6点の理屈が主なものである。もっと他にもあろうが、まずはこの6点を確認しておきたい(第2章、第3章)。

無敵の自虐史観

 ④⑤⑥というのはとりわけ思想的な問題だが、次に思想の強弱の問題である。思想の世界では、圧倒的に強いのが自虐史観である。⑥の自虐史観・欧州の償いを正当化するために④の多文化共生思想の鼓吹や⑤の極右というレッテル貼りが行われるわけである。⑥の圧倒的強さは、いろいろな場面で現れる。

 例えば、ヨーロッパで最もリベラルでポリティカル・コレクトネスや平等主義が強いと思われるオランダでは、ピム・フォルトゥインという人が2002年の総選挙に出ようとして、選挙の数日前に頭を撃たれる事件が起きた。犯人は、極左の絶対菜食主義の活動家であった。ピム・フォルトゥインは、マルクス主義の大学教授で同性愛者であったが、イスラム教の生活様式と西欧の矛盾を指摘しだしたとたんに、「右翼」と攻撃され、人種差別主義者、ヒトラーと攻撃された。ポリティカル・コレクトネスの世界では、左翼で同性愛者であるフォルトゥインは、相当の強者である。それなのに、イスラム批判をしたとたんに、左翼と同性愛者という強みが無視されて人種差別主義者とされ、発言権を頭から奪われる雰囲気がオランダにはあったわけである(214~217頁、第8章、第9章)。

 移民受け入れの理屈としては、前述のように、主に6点ある。➀経済成長のため、②高齢化社会だから、➂グローバル化が進むから、④多文化主義が素晴らしいから、⑤移民反対派は人種差別主義者、極右であるから、⑥自虐史観の5つである。全体を読むと、これら6点のうち、➀②はほぼ壊れてしまったことが知られる。④も多文化主義の旗を振ってきたメルケル独首相自身が誤りを認めてしまったし、➂⑤も多少とも疑われるようになった。まったく無傷で猛威を振るっているのが自虐史観である。

 レイプ等女性虐待の増加

 無敵の自虐史観・償い思想は、多くの暴力やレイプを生み、治安を悪化させてきた。治安悪化とともに、白人女性に対するレイプの大幅増加女性器切除(女子割礼)名誉の殺人(婚前や婚外の性交渉を行った女性を、家族が名誉のために殺害すること)といったことも、一つのポイントとして挙げておくべきだろう(第12章、第6章)。

 自虐史観の中身とは

 では、自虐史観の中身とは何か。主なものとしては、ホロコーストの罪悪感、植民地主義の罪悪感、人種差別主義の罪悪感、特に奴隷制度の罪悪感、そしてオーストラリアやアメリカ及びイスラエルの「建国に伴う罪」への意識(先住民虐殺や追放)などが挙げられる。例えば、オーストラリアでは、子供たちは「この国は大量虐殺と盗みの上に建国された」と教えられる(第10章他)。

 国家の敵視思想と脱構築が西洋の自死を加速化した

 移民が大幅に増加した背景には、自虐史観などの5点以外にいくつかのことが挙げられる。 何よりも、EUを創設した人たちによる国家と国境の敵視を挙げなければならない。彼らは、国家があるからこそ戦争が起きるのだという誤った認識に基づき、国家を少しずつ解体してきた。国家の思想を敵視する発想からも移民が奨励されてきたのである(第11章)。

 また、背景には、欧州の基盤となってきたキリスト教の衰退もあるし、「脱構築」によって荒廃した思想と学問がある。脱構築の営みは、ついには「価値判断は誤りである」という価値判断をもたらすことになり、欧州人をして、例えば移民による女性器切断を悪だと断定することさえできなくさせていった(第13章)。そして、思想的荒廃の結果、ニヒリズムが流行する結果をもたらした(第16章)。

 エリートと大衆の乖離

  自虐史観の現れ方は、エリートと大衆で乖離がある。エリート及び政治権力は、自虐史観に染まっている。大衆の方はそうでもない。大衆は暴力的又は反国家的な移民と対決するが、政治権力は、人種差別を防ぐためだとして移民の味方をする。エリートは移民と対決する大衆を非難し、ファシスト、人種差別主義者と非難する。このエリートと大衆の乖離という問題にも注目しなければならない(第14章)。言ってみれば、グローバリズム・多文化共生のエリートとナショナリズムの大衆との乖離である。

スウェーデンの例

 このように猖獗を極める自虐史観に基づき大量の移民を導入して最も国家を破壊された国がスウェーデンである。スウェーデンは、治安の点でも、文化の点でも、経済の点でさえも大失敗したのである(第15章)。スウェーデンの例には注目しておきたい。

 以上、本書のポイントとしては7点挙げることができるが、以下、特に気になった記述を取り上げ、思ったことを記していこう。まずは、章レベルの目次を掲げておこう。ただし、本書の内容を把握するのに便宜な小見出しも入れていくことにする。

目次

イントロダクション
第1章 移民受け入れ論議の始まり
第2章 いかにして我々は移民に取りつかれたのか
       
 根を張り始めた外国人労働者
懸念を表明する人々を攻撃する政治家              
「人種差別主義者」と批判されることを恐れて           
第3章 移民大量受け入れ正当化の「言い訳」
「経済成長に必要だ」という正当化
「高齢化社会では受け入れるしかない」という正当化     
「多様性は良いものだ」という道徳的・文化的な正当化 
「グローバル化が進む以上、移民は止められない」という正当化
第4章 欧州に居残る方法
第5章 水葬の墓場と化した地中海             
第6章 「多文化主義」の失敗

 メルケルたちが認めた「多文化主義」の失敗
 欧州の「自己放棄」時代 
 「多文化主義」から「多信仰主義」の時代へ       
 欧州の過去を書き換える                   
第7章 「多信仰主義」の時代へ   
 労働力不足と人口置き換えの議論                 
 『悪魔の詩』とスーザン・ソンタグ                 
 信仰と「コミュニティ政治」
第8章 栄誉なき預言者たち     
 警戒を感じ取っていた人々
 宗教への懐疑に極めてナーバスになったスピノザの母国
 イスラム教徒によってよみがえる反ユダヤ主義
 オリアーナ・ファラーチの怒り(イタリア)
 ブリジッド・バルドーがイスラム教の律法に則った屠畜法を批判したとして起訴
第9章 「早期警戒警報」を鳴らした者たちへの攻撃
 飛び火する「カートゥーン・クライシス」            
 繰り返されたテロ                        
第10章 西洋の道徳的麻薬と化した罪悪感 
 罪と恥の意識と道徳的自己陶酔               
 第二次世界大戦の償い                      
 歴史的罪悪感に苦しむ欧州人                   
 「高潔な野人」神話                        
 アメリカの「建国に伴う罪」                    
 イスラエルの「建国に伴う罪」               
 二重基準とマゾヒストの勝利                    
第11章 見せかけの送還と国民のガス抜き           
 国境と国民国家は戦争の原因なのか
第12章 過激化するコミュニティと欧州の『狂気』
 テロの原因を求める人々
 隠されてきた犯罪                 
 移民は良いものをもたらすのか?              
 金を払って自分たちを襲わせた史上初めての社会    
第13章 精神的・哲学的な疲れ                
 基盤となる物語を失った欧州                   
 信仰に代わる「欧州の価値」はあるのか
 20世紀欧州の知的・政治的な汚染               
 「脱構築」によって荒廃した思想と哲学            
 「価値判断は誤りである」という価値判断           
 東欧は西欧のような罪悪感を抱えていない
第14章 エリートと大衆の乖離         
 テロ事件の背後に潜むもの
 乖離するエリート政治家と大衆              
 批判の矛先は国民へ                      
 政治の失態と大衆の失態             
第15章 バックラッシュとしての「第二の問題」攻撃     
 「人道主義の超大国」スウェーデンの罪悪感
 性的被害を隠蔽するメディア
 黒字国から赤字国へ                 
 彼らは本当に「極右」なのか                
第16章 「世俗後の時代」の実存的ニヒリズム      
 イスラム教を「発見」する若者たち            
 啓蒙思想の申し子たちが信じた「進歩」               
 安直な脱構築ゲームに没頭している現代の芸術         
 「虚無主義者」ミシェル・ウェルベックの本はなぜベストセラーなのか
 訴訟の標的にされ、アイルランドに移住したウエルベック
 問題作『服従』の問いの深さと広がり             
第17章 西洋の終わり                   
 シナゴーグに通うのを避けるユダヤ人           
第18章 ありえたかもしれない欧州
 インクルージョン(包括)とエクスクルージョン(除外)
 意味が失われてしまったファシズムへの警告
第19章 人口学的予想が示す欧州の未来像
 それはもはや欧州ではない            
 人種問題をてこにした政治                
 「特に大きな事件もなく」               
あとがき                         
 誰もが認めないが、誰もが知っていること            
 2050年、イスラム教徒人口が3倍に 
 

二、本書のうち特に興味深い記述   


 「人種差別主義者」と批判されることを恐れて犯罪を隠す権力

 順番に素早く見ていきたいが、最初に「第2章 いかにして我々は移民に取りつかれたのか」の〈「人種差別主義者」と批判されることを恐れて〉の部分を取り上げたい。

 2011年1月、9人のイスラム教徒の一団(パキスタン人が7名、北アフリカ出身が2名)が、ロンドンの刑事裁判所で、子供の人身売買で有罪宣告を受けた。11歳から15歳の子供を性的目的のために人身売買したことに対する有罪宣告だった。11歳の少女は、彼女の「所有者」であるモハメッドのイニシャルである「M」を焼き印されていた。

 事件そのものは、2004年から12年にかけて、ロンドンから遠くないオックスフォードシャーで起きていたという。しかし、警察や地方議員らが、移民がらみの犯罪の報告を怠ってきた。メディアも同じで、パキスタンのイスラム教徒であることが分かっていたにもかかわらず、「アジア系」と報道していたという。少し前までの日本の話のようである。

 移民によるレイプ問題を取り上げると多文化主義により人種差別主義者と罵られる

 同様のことは「第3章 移民大量受け入れ正当化の「言い訳」」の〈「多様性は良いものだ」という道徳的・文化的な正当化〉の部分でも展開されている。イギリスの例を取り上げるならば、2004年のころ、労働党のアン・クライアーは、英国北部の選挙区で未成年の少女へのレイプ問題を取り上げた。すると、「イスラム嫌悪」「人種差別主義者」のそしりを受け、「一時は警察の保護を受けたほどだ」(99頁)という。

 レイプ問題は隠蔽され続けた挙句、何年もかかってようやく取り上げられるようになると、ロザラムの町での捜査だけでも、「1997~2014年の間に1400人以上の子供が性的に搾取されていたことが判明した」(99頁)という。加害者は全員がパキスタン出身の男性であり、被害者は全員が地元出身の非イスラム教徒の白人少女であった。

 差別問題の未解決を望む反差別グループ

 「第6章 「多文化主義」の失敗」の〈欧州の「自己放棄」時代 〉では、興味深い話が記されている。多文化主義は、多くのアイデンティ・グループを生み出した。本書は次のように記している。傍線は私が記したものである。

 ある種の利益誘導型の政治が社会に浸透した。様々な組織や利権団体が続々と誕生し、それぞれのアイデンティティ・グループを代弁すると主張した。野心的な者たちは自らこの役回りを買って出て、当局と特定のコミュニティを仲介した。こうした政治のあり方から利益を得たのは彼らだけではない。地方や中央の政治家もかなりの恩恵を受けた。電話を一本受ければ特定のコミュニティを味方にできたという印象だ。ある特定のコミュニティティに寄り添うことで、そのコミュニティ全体の票を獲得する可能済が生まれた。またある場合には、コミュニティの側で票を取りまとることもあった。

 必然的に地方議会などの金が特定の民族グループや宗教グループへと流れた。……差別問題に取り組もうとするグループは、次第に影響力やコネや資金を増大させようとし始めた。そし、そのためには問題が未解決のままになっていなければならないのだと気づいた
165頁


  このように、反差別グループにとっては、差別は未解決のまま残っていなければならない。それだけではなく、彼ら自身の利益から言っても、差別がますます悪化しているかのようにみせかける必要が出てくる。そこで、欧州の国々を人種差別主義であるとして批判するために、ますますイスラム文化を筆頭に欧州以外の文化はほめそやされ、欧州の長所をたたえることさえもできなくなっていったのである。ハンチントンが言うように、「多文化主義は本質的に欧州文明に敵対的」なのである(166頁)。

 多文化主義は、欧州で社会のコンセンサスを得ていたが、2000年代になると「名誉の殺人」や女性器切除までも許容するのかという批判にさらされていった。その結果、「多文化主義の時代」はしだいに「多信仰主義の時代」に変容していった。

 「コミュニティ政治」の害

 「第7章 「多信仰主義」の時代へ」でも、〈信仰と「コミュニティ政治」〉の部分で反差別コミュニティの問題が記されている。1989年のラシュディ事件(イランのホメイニ師が、イスラム教について批判的に記した『悪魔の詩』を書いたラシュディ他の関係者に死刑を宣告した事件)をきっかけにして、イギリスでは、イスラム教徒の代表とされる「英国ムスリム評議会=MCB」を生みだした。政府が交渉する相手を求めるようになったからである。

 このイギリスモデルは「コミュニティ政治」とよばれるようだが、西欧諸国一般に広がっていった。成功例だとみなされたからだ。だが、このモデルの欠陥を述べた部分が興味深い。本書は次のように記している。

 このモデルは、声の大きい人々や、過激な人々、腹を立てている人々、あるいはジャーナリストのようにすでに組織化されている人々を利した。そのため彼らの出身国では好まれない党派的な、政治手法が、欧州のイスラム教徒の代表組織では主流をなすことになった。
 209頁


 この部分は興味深い記述である。何よりも、本国では穏健なイスラム教徒が有力なのに、英国では過激イスラム教徒の声が大きくなり穏健派の声がかき消されていったわけである。英国としては、本来穏健なイスラム教徒こそ育てるべきであったろうに、逆のことをやってしまったわけだ。このあたり、所謂アイヌ問題で日本政府が行っている失敗と瓜二つであると感じた。

 移民問題に警鐘を鳴らした人たちの受難

 第8章・第9章は、移民問題に警鐘を鳴らした人たちに降りかかった受難が記されている。第8章では、「一 本書のポイント」でも触れたフォルトゥインの友人である映画作家テオ・ファン・ゴッホの受難が記されている。フォルトゥインと何度も一緒にテレビ出演していた人であるが、2004年、ゴッホは、イスラム内部における女性虐待を描いた映画を製作した。脚本は、ソマリア出身のアヤーン・ヒルシ・アリという若い女性が担当した。

 この映画が8月末にテレビで放送されると、映画製作者に対する脅迫が始まった。ゴッホは、2004年11月2日、銃とナイフで殺された。ゴッホの体に刺さったナイフには、アリへの殺害予告が記されていた(218~219頁)。

 アリは母国ソマリアでの強制結婚から逃れるためにオランダに渡り、10年ほどの間に政治学研究者となり、自由民主国民党(VVD)の国会議員となった人である。移民のサクセスストーリーの最も輝かしい例である(219~222頁)。

 ヒルシ・アリのその後は第9章の〈ホロコースト以降初の西欧から米国への「難民」〉という部分に記されている。引用しよう。

 オランダのアヤーン・ヒルシ・アリは陸軍兵舎や政府の隠れ家での生活を長いこと余儀なくされたあと、ようやく特別な警護付きの建物に住むことを許された。ところが新たな隣人たちは、この「トラブルメーカー」が近くにいては自分たちの命まで危うくなると考え、彼女の転居を求めて訴訟を起こした。その後程なく、ヒルシ・アリ自身の所属政党(VVD)の移民・統合相が、あるテレビ局による虚偽の主張に基づき、彼女の市民権を剥奪する。
数十万人のイスラム教徒を同化の見込みがないまま受け入れた国が、そして欧州で最も過激な説教師や過激分子を滞在させている国が、オランダに完全に同化した数少ない移民の1人から市民権を奪ったのだ。ヒルシ・アリは米国に居を移し、サルマン・ラシュディが後に語ったように、「ホロコースト以降ではおそらく初めてとなる西欧からの難民」」となった。   243頁


 寛容の精神から、いや自虐史観から多数のイスラム教徒を、それも過激なイスラム教徒を受け入れ続けた結果、オランダは最もオランダに同化した移民に対して最も不寛容となり、彼女を追放したのであった。

 ドイツ人よ、ドイツから出ていけ

 こういう倒錯した考え方というか、逆転した考え方は、ドイツではもっと恐ろしい形で表れているようだ。最終章である「第19章 人口学的予想が示す欧州の未来像」では、移民を受け入れようとする地方の首長による反ドイツ的な発言が紹介されている。

 2015年10月にドイツ、ヘッセン州の小都市カッセルで住民集会が開かたれた。800人の移民が到着するのを前に、懸念を抱いた住民が、自らの選んだ公職者に疑問点を質そうと集まったのだ。集会を録画したビデオを見ると、市民は冷静で礼儀正しいが、不安げだった。やがてある段階で、その行政区の首長のヴァルター・リュプケという人物が、静かに市民にこう告げた。この政策に賛成しない者は誰であれ「ドイツから出ていってかまわない」と。 486頁

 この首長は、特に反ドイツ的な人物、売国奴的な人物でもないのだろう。恐らくは、ただ職務に忠実なのであろう。しかし、常識的に考えれば怖ろしい話だ。日本の話に置き換えると、寒気のする話だ。日本で同じ状況が訪れれば、日本の官僚や首長たちは、ドイツの官僚や首長たち以上に淡々と職務に忠実に、日本人に対して「日本から出て行ってかまわない」と言い放つかもしれない。

 ただし、その後を読み進めると、少しホッとした。市民たちは怒りの叫びを上げたと書かれているからだ。

 ビデオの映像と音声に記録されているとおり、市民は息を呑み、驚いて失笑し、野次を飛ばし、最後に怒りの叫びを上げた。まったく新たな人々が自分たちの国に入ってくる一方で、自分たちは気に入らないならいつでも出て行っていいと言われるのか? 欧州の政治家たちには、欧州の大衆をこんなふうに扱い続けたらどうなるかわからないのだろうか? 486頁
 
 この後、政治家たちにはわからないだろうと記した後、本書は、移民たちも全く分かっていないと言う。そして、2016年10月、ドイツの新聞に載った、アラス・パチョという18歳のシリア移民の一文を紹介している。

 「僕たち難民は、あなた方と同じ国に住みたくない。あなた方はドイツから出て行けるし、出て行くべきだと思う。ドイツはあなた方に似合わない。あなた方はなぜここに住んでいるの? 新たな住処を探したら?」 

 「あなた方」とは、この少年の言う「人種差別主義者」のことだが、ドイツ人に対してドイツから出て行けと、シリア難民が主張するわけである。とんでもない逆転現象が起きているのである。

 以上のことは、つまりは、潜在的に、ドイツの権力者と移民によるドイツ人追放運動の存在を示唆している。移民は西欧に対する憎しみを晴らし、ドイツの権力者を中心にしたエリートたちは、自虐史観からくる贖罪意識を満たして恍惚として満足するというわけである。その代償は、ドイツの大衆が払い続けなければならないのであろう。何ともグロテスクな構図である。

 このようなエリートと大衆の乖離は、「第14章 エリートと大衆の乖離」で描かれている。注目してお読みいただきたい。 

 滑稽な自虐史観

 話の流れで最終章まで行ってしまったが、再び章の順番に見ていくこととしよう。結局、一番の西欧の問題は自虐史観である。この自虐史観については「第10章 西洋の道徳的麻薬と化した罪悪感」にまとまった記述がある。

 西欧や米国の場合には本当に悪いことをした過去があるから、自虐史観が出てくるには客観的な根拠があるといえる。しかし、明らかに拡大しすぎており異常なものと化している。自虐史観が出てくる根拠としては、前述のように、ホロコースト、植民地主義、人種差別主義、特に奴隷制度、「建国に伴う罪」といったものがあるが、この5点すべてにおいておかしなことになっているようだ。

 例えば近代の奴隷制度は、西欧や米国が単独で作り上げたものではない。アフリカ内部で奴隷狩りを行い、西欧米国に輸出するアフリカ人がいたからこそ成立した制度である。罪を問うならば、西欧米国とアフリカ自身に責任を問うべきものである。ところが、一方的に白人側が責任を取る形になっている。その点を、マレーは次のように記している。

 1998年にウガンダを訪問したクリントン大統領は、またもや奴隷貿易をしつこく謝罪した。彼や側近たちがそうすることで事を荒立てずにおけると考えたのなら、これ以上の誤りはなかった。奴隷貿易に関わった人々は、ウガンダ側にも、少なくともアメリカ側と同じぐらい大勢いたのだ。ところが欧州人の子孫だけが先祖の行為に罪悪感を覚え続けるべきだという考え方は、今や欧州以外のすべての国の人々に植えつけられ、利用されている。 263~264頁

 このような奴隷制の問題をめぐる異常さはまだわからないでもない。しかし、次の事例には、滑稽であるという感想しか出てこない。

 その昔、ある記者が……ヤセル・アラファト議長にインタビューを行った。取材が終わりに近づいた頃、アラファトの男性アシスタントの1人がオフィスにやって来て、アメリカの代表団が到着したと告げた。これは特ダネかもしれないと考え、記者は隣室にいるアメリカとは誰なのかと質問。するとアラファトは「十字軍のことを詫びるためにこの地域を旅しているアメリカの代表団だ」と答えた。そこでアラファトと記者は大笑いしたという。 273頁

 何とも滑稽極まりない話だが、日本人もアメリカ人を笑うことはできないだろう。何しろ完全な冤罪である「従軍慰安婦問題」を自らでっちあげた国民なのだから。著者マレーは続けて次のように述べている。

 罪悪感を抱え続けていたいという願望は、リベラルな現代の欧州社会にその終着点を見出すらしい。そこは殴られた時に、自分が何をしたからそういう目に遭ったのかを問う、人類史上初めての社会だ。その種の満たされない歴史的な罪悪感は、現在へと引き継がれる。そのため欧州人は、実際に殴られたり、ひどいことをされたりした時にさえ、加害者の側に立ってしまう。    273頁

 この記述は、そのまま日本にも当てはまるであろう。最初の傍線部にある「罪悪感を抱え続けていたいという願望」は、恐らくは西欧以上のものがあろう。その願望は、文系学界を初め、官界・政界、そして各界のリーダーたち全般に広がっている。だからこそ、虚構の慰安婦強制連行説が捏造されたのである。

 当局とマスコミは移民による犯罪を隠蔽する

 2番目の傍線部にある、被害を受けているときも「加害者の側に立ってしまう」傾向は日本にもあるだろうが、本書が挙げる西欧の例には痛ましいものがある。この件については、特に「第12章 過激化するコミュニティと欧州の『狂気』」の〈隠されてきた犯罪〉の部分で取り上げられている。重要な記述を抜き書きしていこう。

 2000年代を通じて、移民集団による地元女性への性的暴行の問題は公然の秘密になっていた。それは誰もが口にしたがらないことだった。……英国の当局はその種の犯罪に言及することにさえ恐れをなし、国内のすべての部局が何年もの間、蔓延する性的暴行に対処せずにいた。……
 近年欧州に来る移民の大半が若い男性だという事実に触れることさえ、2015年には非難を招くものとなった。 301頁


 2015年以降、ドイツでは毎日のように街路や公共施設、プールなどでのレイプが報告されている。同様の事案は、オーストリアやスウェーデンなど、他の国々でも報告された。だが、どの国でもレイプの問題は水面下に埋もれていた。当局には隠蔽され、また大半のマスコミからはまともなニュースネタではないと見なされたためだ。 303頁

 2015年頃、大規模集団レイプ事件の頻発

 2015年の大晦日には、ドイツのケルンで大規模な集団的レイプ事件が起きた。

 年越しを祝う人々で、街が1年のうちでも屈指の賑わいを見せていたその夜、2000人もの男たちが、ケルンの中央駅と大聖堂に接する広場や、その付近の街路で、約1200人の女性に対して性的暴行や強盗を働いた。程なく、ハンブルクから南はシュトゥットガルトに至るドイツの複数の都市で起こったことが発覚した。 304頁

 「発覚した」と書いているのは、当初大手メディアが事件を報道しなかったからである。事件を欧州が、世界が知ったのは数日後、それもブログによる報告によってであったという。警察も、犯人の素性を必死に隠した。ドイツの「反人種差別主義」団体が警察に圧力をかけ、容疑者の人種を示す記述を削除させていたのだ。

 被害者が加害者の擁護を行う倒錯

 警察やマスコミの行動も奇妙だが、もっと奇妙なのは、襲われた被害者の一部が、犯人の人種を隠そうとする現象があることだ。

 2016年1月にマンハイムで3人の移民にレイプされた24歳の女性のケースだ。彼女自身がトルコ系のハーフで、事件の当初は、犯人はドイツ人だと主張していた。ある左派系の若者たちの運動にも参加しているこの女性は後日、襲撃者の人種について嘘を言っていたことを認めた。理由は「激しい人種差別主義者をかきたてたくなかった」からだった。 
 
 襲撃者への公開書簡の中で、彼女は次のように詫びている。

 「私は開かれた欧州、友好的な欧州を望んでいた。私が喜んで暮らせる欧州を、そして私たち双方が安全に暮らせる欧州を。残念だ。私たち双方にとって、とてつもなく残念だ。

 あなたたちはここでは安全ではない。なぜなら人種差別主義的な社会に生きているからだ。私はここでは安全ではない。なぜなら私たちは性差別的な社会に生きているから。でも私が本当に残念に思うのは、私への性差別的で限度を超えた行為によって、あなたたちが増大し、攻撃性を増す人種差別主義にさらされることだ。

 約束しよう。私は抗議する。こんなことが続くのを、私は許さない。人種差別主義者と不安を抱えた市民があなたたちを問題視するのを、ただ傍観したりはしない。……」 305~306頁


 同じようなことは、2015年夏、イタリアとフランスの国境ベンティミリアでも起きた。「ノーボーダーズ」運動に従事していた若い女性活動家が、スーダン移民のグループから集団暴行を受けた。女性は届を出さないように説得されたが、最終的に届けると非難されたという。「ノーボーダーズ」運動にしても、トルコ系ハーフのドイツ人女性にしても、完全に正常な判断力を失ってしまっていると言えよう。というか、「ノーボーダーズ」運動やドイツ人女性の関与した左翼運動は、カルト化していると言うべきであろう。運動団体には良くありがちなことではあるが。

 西欧の自殺、健全な東欧諸国

 これまで見てきたことからわかるように、西欧の政治権力やエリートたちは、ますます自らを破壊していくであろうと想像できる。特にEU加盟の諸国家にそういうことは言える。対して、EU加盟の東欧諸国の政治権力は健全である。「第13章 精神的・哲学的な疲れ」では、東欧諸国は自虐史観に染まっておらず、それゆえ、決然と国家を守るための決断ができる。

 2015年夏から現在に至るまで、ドイツ政府と欧州委員会からどんな脅しや呪いを受けようと、スロバキア、ポーランド、ハンガリー、チェコからなる「ビシェグラード・グループ」は、アンゲラ・メルケルやブリュッセルとは正反対の道を歩んだ。彼らはメルケルの近視眼を批判し、ベルリンとブリュッセルから命じられた移民の割り当てを頑として拒否した。 349~350頁

 スロバキアの左派政権のロベルト・フィツォ首相は、捨て鉢にこう語った。「EUは儀式的自殺(切腹)を行っているように感じる。我々は傍観するだけだ」。 350頁

 勝手に自殺しろ、我々は付き合わないと言っているのだ。他のハンガリーなどの「ビシェグラード・グループ」も同じ見解だという。

 2016年3月15日、ハンガリーのビクトル・オルバン首相は、「大量移民は……その本質は領土の占有に他なりません。そして彼らが領土を手に入れるということは、我々が領土を失うということなのです」(352頁)と述べた。スロバキアのフィツォ首相は、同年5月、 「スロバキアにイスラム教の居場所はない」「移民は我が国の性格を変える。我々はこの国の性格を変えたくない」(353頁)と述べている。

 こういう国民国家として健全なところを見ると、西洋が救われるとすれば、東欧が「希望の星」となるのかもしれない。

 次に「第14章 エリートと大衆の乖離」を読むと、どうしようもなく意志力もなくなり、ポリティカル・コレクトネスと自虐史観に毒されてどうしようもなくなったエリートたちと違って、大衆の方はまだ健全な考え方をしている。その点が少しは救いであった。

 反ファシストは嘘でも「ファシスト」を必要とする
 
 この第14章で最も興味深い記述は次のものである。

二度とファシズムの台頭を許すまいという反ファシズムの決意は、戦後政治の数少ない基盤の一つだった。ところが、……ファシズムが歴史の彼方へと遠のき、ファシストたちの姿が目に見えなくなっていくほど、反ファシストを自称する人々はファシズムを必要とするようになった。さもないと、自分たちには政治的価値や意義があるのだという見せかけを維持できないからだ。

 ファシストでない人をファシスト呼ばわりすることは、人種差別主義者ではない人々を人種差別主義者呼ばわりすることと同様に、政治的に有効であることが証明された。 370頁


 この指摘は、ストレートに今日の日本にも当てはまるであろう。

 スウェーデンの自虐史観

 本書の紹介に随分疲れてきたが、最後にスウェーデンの事例を見ておきたい。スウェーデンの事例は第15章で書かれている。スウェーデンが大量に移民を受け入れた背景には、この国も陥っている自虐史観がある。自虐史観を生み出す歴史的根拠は、次の二つである。

1、ナチスの戦闘継続を可能にする原材料をドイツに供給していたこと
2、終戦直後にソ連と戦ったバルト三国からの亡命兵士を引き渡したこと


更に第10章を見ると、もう一点あるようだ。
3、スウェーデンの鉄道を使ってユダヤ人をナチスの死のキャンプに送ることを許してしまったこと (251頁)


 3の点は、ホロコーストに加担した罪と言ったことになるのかもしれないが、ドイツやフランス、イギリス、スペインなどとは異なり、ほとんど悪いことをしていないスウェーデンが自虐史観に陥る必要はないと思われる。にもかかわらず、自虐史観に陥り、これを根拠にして大量移民を受け入れてきたわけである。

 世界第二位のレイプ大国となったスウェーデン

 大量移民を受け入れたスウェーデンは、レソトに次ぐ世界二位のレイプ大国となった。

 2014年夏、「われらはストックホルム」と題する恒例の音楽祭が開催された。ところがその会場で、14歳を含む数十人の少女たちが、主としてアフガニスタン出身の移民集団に取り囲まれ、性的嫌がらせやレイプの被害を受けた。地元の警察はそのことを隠蔽し、5日間の音楽祭に関する報告書に何ひとつ書かなかった。有罪になった者はなく、メディアもレイプに言及することを避けた。移民による計画的なレイプ事件は、2015年にストックホルムやマルメなどで開かれた音楽祭でも同じように発生している。   383~384頁

 スウェーデンのレイプ事件は、警察に届け出たものだけでも、1975年の421件から2014年の6620件へ増加し、2015年には人口比でレソトに次いで世界二位の発生率となった。

 このようにレイプが増加するのは、メディアの意図的誤報が影響している。例えばソマリア人の犯行だったとしても、犯人はスウェーデン男性と報じられるからである。

 黒字国から赤字国へ   
              
 大量移民の到来は、スウェーデン財政を圧迫した。2015年には、人口1千万人の国に難民申請者16万3000人存在した。2016年の予算では、移民コスト504億スウェーデン・クローナになると予想された。防衛予算が480億、司法省予算が420億スウェーデン・クローナであり、防衛予算よりも多いことになる。そして、スウェーデンは黒字国から赤字国に転落した。

 スウェーデン民主党に「極右」とのレッテルを貼る

 どう考えても、無理で強引な政策である。この策の背景には自虐史観があった。あるいはこの策を推し進めるために、スウェーデン当局は自虐趣味を発揮した。2014年クリスマスイブの時、首相を退任したばかりのラインフェルトは、「スウェーデン人には面白みがない」「国境は仮想的な概念である」 と述べた。更には「スウェーデンは、そこに何世代も住んできた人々ではなく、より良い人生を送るためにそこにやって来た人々のものであると述べた」(385頁)。スウェーデン人を新来の何者かに置き換えようという主張である。狂気としか言いようがない主張である。そんなに滅びたいのか、と思わせる主張である。

 もちろん、これだけでは足りない。大量移民に反対し2016年の世論調査では支持率一位のスウェーデン民主党を、メディアや他党は、「極右」「人種差別主義者」と呼び続け、ネオナチ扱いし続けている。このことによって、民主党の支持者を減らそうとしてきたのである。

 だが、2016年夏にスウェーデン民主党の地域大会を訪問したマレーによれば、到底「極右」やファシストとは言えないと報告している。どの国でも同じだが、移民政策遂行者は、政策を進めるために、虚構であっても、何とか「極右」「人種差別主義者」をこしらえる必要があるのである。それをこしらえなければ、移民政策遂行は難しいということであろうか。

 振り返ってみれば、2016年の日本独特の「ヘイト法」によって、「本邦外出身者」に対するヘイトスピーチだけが問題とされ、「ヘイト法」適用者は自動的に「人種差別主義者」「極右」認定されることになった。つまり、ヘイト法は、日本にほとんど存在しない「極右」を作り出して、大量移民を導入するための布石だったのである。

 以上、マレーの『西洋の自死』を紹介してきた。まだまだ紹介したいことは多々あるが、このあたりで打ち止めとしたい。それにしても、自虐史観恐るべし、である。西欧もアメリカも日本も自虐史観を克服しない限り、生き残れないのではないだろうかと感じた次第である。

 日本政府も、もう一度、自虐史観克服のため、教科書改善に努める必要があると強く主張しておきたい。


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