文科省擁護に失敗した勝岡寛次氏の論文

勝岡寛次「自由社教科書不合格問題と欠陥箇所の『二重申請』問題」を読んだ

 10月に入って、勝岡寛次「自由社教科書不合格問題と欠陥箇所の『二重申請』問題」(歴史認識問題研究会機関誌『歴史認識問題研究』第7号、令和2年9月18日発行)を読んだ。この論文は、『新しい歴史教科書』の検定不合格問題を取り上げ、検定不合格は自由社の杜撰な編集体制が原因であり、文科省の「不正検定」が原因ではないと結論付けたものである。
 
 この論文を読んで何重かの意味で、私はがっくりした、というか落胆した。勝岡論文は杜撰な構成で作られており優れた論文とは到底言えないものであるが、こういう論文にも影響力はあるもので、さっそく騙されて、不正検定などなかったと信ずる者が現れている。その意味では、勝岡論文は、「つくる会」に対して、教科書改善運動に対して大きな被害を与えるものである。

 また、そもそも、勝岡氏は育鵬社系の直系の学者であるが、すぐれた学者であり、育鵬社系の中では思想的にもしっかりした学者である。私自身も氏のこれまで書かれてきた色々な著書や論文から多くのことを学ばせていただいてきた。このように私自身が評価している学者が、杜撰な構成の論文を書いたことに、それも教科書改善運動に敵対する論文を書いたことに痛く落胆した。今回の論文は、氏にとって、学者的にも思想的にも、大きな汚点となるものである。
 
 以下、勝岡論文に対する批判をシンプルに行っていきたい。

 課題及び本論と結論とがずれている勝岡論文

 論文構成が杜撰だと私は書いたが、どういうことか。この論文は、三部構成となっているが、氏の記述通り、論文の目次をまず掲げよう。緑字の部分は私のネーミングである。

(第一部) 課題設定
はじめに
本稿執筆の意図と目的

(第二部) 本論
制度変更の背景
翌年度再申請制度の確立
今回の検定結果と、検定意見(欠陥箇所)数の比較
「前回と同じ誤り」を、自由社は何故に防げなかったのか?
➀単純ミスの事例 
⓶つくる会の歴史認識に関わる「二重申請」の事例

(第三部) 結論
果たして「不正検定」はあったのか――まとめに代えて 

 このように、第一部で課題が設定され、第二部で課題の検証がなされ、第三部で課題に対する結論が書かれるという構成になっている。何の変哲もない構成のように見える。

  しかし、第一部の課題設定および第二部の課題検証と第三部の結論がずれているのだ。第一部で設定された課題は、いろいろな読み方ができようが、つまるところ、〈文科省に自由社教科書を「初めから落とす意図」があったのか否か〉というふうに読める。第二部では、文科省に「初めから落とす意図」はなかったということを証明するために、大きく二点のことを展開している。

一 検定制度の変更(一発不合格制度の採用)は、平成26年度検定における学び舎と自由社に付けられた検定意見が多かったため、十分な審議時間を確保できなかったことが理由であり、審議時間確保のためになされたのだ。
二 自由社は173件もの単純ミスをしている。このように単純ミスを行う杜撰な編集体制こそが検定不合格の最大の要因である。

 この二点の主張が誤っているかどうか確言できないが、一については明確に疑問がある。平成26年度検定において『新しい歴史教科書』に358件もの検定意見が付けられたのは、一旦不合格にするしかなかった学び舎の教科書を何としても合格させるために、『新しい歴史教科書』も一旦不合格にする必要があったのではないかという疑いがあるからである(拙著『安倍談話と歴史・公民教科書』2016年、自由社、210~223頁参照)。

 しかし、二点が誤っているかどうかの問題は擱いておこう。第一部で設定した課題に沿ったことを、勝岡氏は第二部で展開しており、第一部から第二部にかけては一貫した論旨となっている。文科省には「初めから落とす意図」はなかったのだということを一貫して主張する形になっているからである。

 ここまでは、一応、基本的には、論文としておかしなことはないと言える。ところが、第三部になると、第二部の本論で展開したことは〈「初めから落とす意図」はなかった〉ということでしかないのに、〈不正検定はなかった〉、という結論に飛躍しているのである。それゆえ、論文全体として構成が杜撰であると言うしかないであろう。論文の整合性から言えば、〈文科省には「初めから落とす意図」はなかった〉という結論でとどめておくべきだったであろう。

 232件に関する検証を行わなければ文科省擁護は成立しない
 
 しかし、論文構成のことよりも問題なのは、氏が、『新しい歴史教科書』が「欠陥箇所」と認定された405件のうち、173件しか検証していないことである。氏は、なにゆえに、残りの232件について検証しないのか。少なくとも、「つくる会」が『教科書抹殺』の中で「不正検定」の例として主張した100件について検証すべきではないのか。100件又は232件の「欠陥箇所」に関する検証を行って初めて「不正検定」があったか否か判定できよう。その作業を行おうともしていないことは、この論文の最大の欠陥であるし、「果たして「不正検定」はあったのか――まとめに代えて」と銘打った結論部分のタイトルにも反するものである。それゆえ、今からでも、232件について検証する論文を書いていただきたいと願う。

 もしも、一件でも「欠陥箇所」として成立しないものがあれば、それは文科省による「不正検定」があったということになろう。そして29件見つかれば、検定不合格そのものが「不正」であったということになろう。
 結局、勝岡氏は、文科省擁護に失敗したのである。
 
公民教科書検定の問題

 以上で勝岡論文の批判は尽きているともいえるが、更に2点のことを述べておこう。勝岡氏は、第一部で、『新しい公民教科書』の検定問題に触れ、次のように述べている。

 文科省にもし、自由社教科書を「初めから落とす意図」があったのなら、普通に考えれば公民教科書も歴史教科書と同時に落とされていなければおかしい。ところが実際には、不合格になったのは歴史教科書だけであり、公民教科書の方は首尾よく合格しているのである。    9頁

 本ブログで何度も述べてきたように、文科省はあわよくば公民教科書の不合格も狙っていた。実際、多くの嫌がらせをされ、不合格となってもおかしくなかったというのが、検定過程を経験した私の実感である。よくも、検定の現実を知らないで勝手なことを言うな、と感じた次第である。

 また、文科省が公民教科書は合格させるが歴史教科書は不合格にするという計画をもったとしても、全く不自然ではないと考えるべきだろう。私からすれば公民教科書の方がかえって重要であるということになるが、一般には歴史教科書の方がはるかに重要であると考えられているからである。そして、安倍政権にとっても、左翼やグローバリストたちにとっても、『新しい歴史教科書』は『新しい公民教科書』よりもはるかに邪魔な存在であるからである。

ダブルスタンダード問題をどう捉えるのか 

 もう一点述べておきたいのは、ダブルスタンダード問題のことだ。本ブログで何度も述べてきたように、『新しい歴史教科書』は、他社と同じことを展開しても何件も「欠陥箇所」とされている。私自身は全面的な検証を終えていないが、少なくとも10数件のダブルスタンダード問題がある。

 例えば、『新しい歴史教科書』は、坂本龍馬が「土佐藩を通じて徳川慶喜に大政奉還をはたらきかけたともいわれます」と記していたが、これに対して文科省は、坂本は大政奉還に関与していないとするのが最近の学説状況だとして「欠陥箇所」と認定している。ところが、調べてみると、坂本龍馬が大政奉還に関与したと記す教科書は自由社以外に四社も存在することが判明した。教育出版、日本文教出版、帝国書院、育鵬社の四社である。ところが、この4社には何の検定意見も付かなかったのである。5社のうち1社だけを差別したのである。この一件の例に注意してみるだけでも、勝岡氏とは反対に、〈文科省に自由社教科書を「初めから落とす意図」があった〉と言えるし、坂本の件では不正検定が行われたのである。こういうダブルスタンダード問題を、勝岡氏はどう捉えるのであろうか。見解を伺いたいものである。

 ただし、言っておくならば、重要なのは〈文科省に自由社教科書を「初めから落とす意図」があったのか否か〉ではない。文科省の意図がどうであろうと、客観的に『新しい歴史教科書』に対する不正検定が行われたかどうかが問題なのである。もう一度言うが、一件でも「不正検定」があれば、『新しい歴史教科書』に対する検定は「不正検定」であったことになるし、これが29件以上になれば、『新しい歴史教科書』に対する不合格処分は取り消すべきものとなるのである。

   転載自由



 

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この記事へのコメント

濱田大三
2020年10月09日 22:15
小山先生、私達が手分けして展示会で各社見比べた結果、多くの不正検定の事実がはっきりしました。
その一つ、検定意見がついたオリンピックの参加国数についての差をご覧下さい。
1.自由社;“オリンピックには93か国5588人が参加しました。”・・・これで✕ (地域を数えていないからか?)
 自由社現行本の記述;「20競技163種目にわたり、93カ国5,588人が参加しました。」とあって〇。
 何と全く同じ参加国数です。これで検定を通過しています
2.東京書籍;“東京で第18回オリンピック大会が開催され.93の国と地域から5152人の選手が参加し・・”
 この場合、「93の国 と地域」「93の 国と地域」・・・誤解する恐れのある表現ではありませんか?
3.学び舎;。参加した国と地域には,新たに独立したアジア・アフリカの国々が加わり,それまでで最高の93となりました。
4.日本文教;「94か国」(これも地域を数えていません。)

 皆それぞれ違います。ですからどれかが合っていれば、他は不正解です。
 逆にもし自由社が不正解でも、正解は1社か2社でそれ以外は不正解です。でも検定は全部〇です。
 特に東書は、調査官お得意の「誤解する恐れのある表現」に相当します。
 調査官自身が正しい情報を持たずに、自由社排除の意向が先行した結果と言えます。
 濱田大三拝

小山
2020年10月10日 01:17
濱田様
その通りですね。
大変な作業、ありがとうございます。
こういうダブルスタンダードは、法の下の平等にストレートに反しますから、言い訳が効かないでしょうね。