フランス革命・共産主義批判の〈もっと知りたい 国民主権と立憲主義の対立〉は全面削除された

一応、前回記事で『新しい公民教科書』関係の記事を終えることにした。しかし、米中新冷戦のさなか、共産主義・グローバリズムと対峙していかなければならない世界情勢のことを考えると、どうしても、載せておきたい教科書の記載があることを思い出した。なかでも載せたいのが、検定申請本第2章46~47ページにあった〈もっと知りたい 国民主権と立憲主義の対立〉である。これはフランス革命批判-共産主義批判のコラムであり、『新しい公民教科書』のエッセンスともいうべきコラムであった。しかし、41番の検定意見が付けられ、結局、全面削除となった。『新しい公民教科書』が思想的に何と闘っているか、よくわかるコラムである。


41番 46~47ページ〈もっと知りたい 国民主権と立憲主義の対立〉

  フランス革命は、名誉革命やアメリカの独立革命とは異なり、なぜ恐怖政治を生み出したのだろうか。

フランス革命の恐怖政治

 フランス革命は近代的な国民国家を形成し、自由 や平等、基本的人権の思想と民主主義を世界中に広 めた。しかし、革命は混乱を極 め、恐怖政治を生み 出した。革命期には「反革命」として処刑された人 間だけでも約5万人存在した。処刑のきっかけは 友人や近親者による密告が多かった。それゆえ、フ ランス人は,身のまわりの人たちを信用できなくなり、 革命終了後も長い間、心の平安を得られなくなった。

 さらに、内乱で王政維持派およびカトリック教徒 を中心に60万人、対外戦争で40万人が死亡した。 合計100万人をこえる犠 牲者が出たことになる。 これにナポレオン戦争期の死者を加えると200万 人以上となる。フランス革命は、絶対王政以上の専 制政治を生み出し、国民の生命・身体・財産の権利 を侵害し続けたのである。

歴史・伝統・慣習・宗教の無視  

なぜ、恐怖政治が生み出されたのか。革命の同時代人であり、革命当初からその失敗を予見したイギ リス人のバークは、名誉革命とフランス革命を対比して論じた。バークによれば、名誉革命は、歴史的にイギリス国民が代々守り育て継承してきた生命、身体、財産の権利などを守るために行われた。それゆえ、イギリス人は、変えるべきものは変え、国王 や貴 き 族 ぞく 院 いん など残すべきものは残すという態度で革命 を行った。

フランス革命は、歴史とも神とも切り離され、頭 の中で考えただけの「人の権利」すなわち人権というものを守るために行われた。革命を担った人たちは、フランスの長い歴史、伝統、慣習、宗教などをすべて人権を侵害するものとしてみた。それゆえ、これらすべてを蔑視し破壊しようという態度で革命を行った。

立憲主義を排除した

 革命が進行するにつれ、歴史や伝統などを無視 する社会契約説の考え方が強くなっていく。革命 に影響をあたえたモンテスキューとルソーのうち、 社会契約説と国民主権説に基づき立法権の優位を 説いたルソーの思想が、立憲君主制を評価して権 力分立を説いたモンテスキューの思想を圧倒していく。そして、国民主権を代表するものとしてつくられた一 院制議会は、王政を廃止して行政権も 支配下においた。  

権力の中心となった立法部は、やがてロベスピエール個人の支配するところとなる。立法部独裁が個人独裁に転化したのである。それどころか、 行政機関が法の上に置かれたため、法治主義さえ も否定されてしまう。権力分立、立憲君主制とともに法治主義さえも否定されたわけだから、立憲主義が完全に否定され、国民の人権は踏みにじられることとなったのである。

フランス第三共和制  

この失敗から学んだフランスは、1875年の第 三共和制憲法の中に、イギリスの抑制と均衡の考え方を取り入れた。強大になりがちな立法部を二つに分ける二院制、権力分立、大統領と首相の分離といった原則を掲げたのである。こうして、フ ランスの立憲政治はようやく安定することとなった。フランス共和制の大統領とは、不本意にも無くしてしまった君主の代替物である。

主権論の暴力性、専制性  

ここまでみてきたように、恐怖政治を招いたものは国民主権説である。

そもそも主権とは何だろうか。主権という概念は、16世紀フランスの思想家ジャン・ボーダンが 提唱した。ボーダンによれば、王権は神が授けたものであり、神に対してのみ責任をとる。それゆえ、 王は、法律や慣習法に縛られず、神が定めた自然法(神法)にのみ従って政治を行えばよいとされた。この神によってあたえられた無制限で絶対の権力すなわち「最高の権力」のことを、ボーダンは「主権」とよんだ。君主主権説の誕生である。君主主 権説は、17世紀から18世紀にかけて、ヨーロッ パの絶対王政を支える理論となった。絶対王政は、 バラバラであった国家を一つにまとめ上げていったが、専制政治を生み出してしまった。

フランス革命は、専制政治をなくすために絶対王政を倒したものだが、こんどは、国民が無制限で絶対の権力をもつという国民主権説を生み出してしまった。しかし、このような国民主権説では、 議会や大衆運動の支持を受けた指導者が、主権者たる国民の代表であると称して無制限の権力を握り、暴力的に専制政治を行うことに対して、何の歯止めもなくなる。実際、フランス革命は、三権分立や法治主義などの立憲主義を排除し、専制政治どころか恐怖政治を生み出した。

主権論と立憲主義との両立  

そこで、国民国家が安定期に入っていくと、専制政治を防ぐために立憲主義の方が重視され、主権論は避けられるようになっていく。「主権」の言葉が用いられる場合でも、ドイツや戦前の日本では、立憲主義の考え方と両立できるように、「主権」の意味が解釈しなおされるようになった。「最高権 力」という意味の「主権」は、君主にも国民にも帰属せず、もっぱら、国家に専属するものとされるようになった。国家主権説の誕生である。

国家主権説によれば、君主制国家では君主が、共和制国家では国民が、国家における最高の存在 (最高機関)と位置づけられる。そして、この「最 高のもの」のことを「主権」とよぶ用法が生まれた。 この場合の「主権」は、国家の政治権力を生み出す源泉 、すなわち政治権力を正当化する最高の権威を意味する。したがって、君主に最高の権威を認めるものが君主主権説、国民に最高の権威を認めるものが国民主権説というふうに変化した。こうして、君主主権説も国民主権説も、その暴力性を失い、立憲主義と両立可能になった。

現代の恐怖政治

 しかし、現代でも、国民(人民)が無制限の権 力をもつという国民主権(人民主権)の思想が、 暴力性を発揮し、ファシズムと共産主義という全体主義を生み出した。そして、国民主権(人民主権) を代表すると称した党による独裁(一党独裁)を生み出し、百万人あるいは一千万人単位の虐殺を行った。ロシア革命及びスターリンの大虐殺、中 国の文化大革命、カンボジアの大虐殺、ナチスによるユダヤ人他の大虐殺などがその例である。

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