不正検定問題検討7――聖徳太子の検定をめぐり特権的地位に立つ学び舎と育鵬社

 7回目は、3年前の指導要領改訂で抹殺されそうになった聖徳太子の呼称問題である。『教科書抹殺』の52番、欠陥箇所94番の件である。『新しい歴史教科書』は、聖徳太子について次のように記していた。

聖徳太子は皇族の一人として生まれ、古事記や日本書記では厩戸皇子などとも表記されています。 44頁18-19行

この記述は、〈後に「聖徳太子」と称されるようになったことに触れていないから、「学習指導要領に示す内容の取扱いに照らして,扱いが不適切である」とされ、欠陥箇所とされた。

平成29年中学校指学習指導領にみられる聖徳太子抹殺策動

 この聖徳太子呼称問題を検討するには、平成29(2017)年の中学校学習指導要領改訂問題に遡らなければならない。2月に発表された指導要領案では、次のように、「聖徳太子」ではなく、「厩戸王」を正式呼称にする案が示されていた。

「律令国家の確立に至るまでの過程」については,厩戸王(聖徳太子)の政治,大化の改新から律令国家の確立に至るまでの過程を,小学校での学習内容を活用して大きく捉えさせるようにすること。

 この呼称変更は、既に平成27年版学び舎で行われていた。学び舎は、「厩戸皇子(のちに聖徳太子とよばれる)」と記していた。すなわち、文科省は、教科書の学び舎化を目指して指導要領改訂案を発表したのであった。

 これに対しては、「つくる会」は、指導要領改訂を聖徳太子抹殺策動と捉えて、反対運動の先頭に立った。この運動は国民的な運動ともなり、一応、呼称変更を阻止することに成功した。

 しかし、確定した指導要領案は次のようなものであり、学び舎を教科書の標準に持っていこうとする勢力をある程度満足させる内容となった。

確定案
「律令国家の確立に至るまでの過程」については,聖徳太子の政治,大化の改新から律令国家の確立に至るまでの過程を,小学校での学習内容を活用して大きく捉えさせるようにすること。なお、「聖徳太子の政治」を取り上げる際には、聖徳太子が古事記や日本書紀においては「厩戸皇子」などと表記され、後に「聖徳太子」と称されるようになったことに触れること。

 正式名称こそ厩戸王から聖徳太子に戻ったが、「なお」以下の傍線部にあるように、➀聖徳太子が古事記や日本書紀においては「厩戸皇子」などと表記されたこと、②後に「聖徳太子」と称されるようになったこと、以上2点を記すことが指導要領に明記されたのである。

 しかし、こんな細かいことを指導要領が示すなんて、どうにもおかしい話である。その点をおいておいても、聖徳太子についてだけ、後に「聖徳太子」と称されるようになったことをわざわざ明記させようとこだわるのも、おかしな話である。次回指導要領では➀②とも削除すべきであろう。

 それはともかく、『新しい歴史教科書』は、上記二点のうち➀だけを記し、②を記さなかった。そこで、前述のような意見が付き、不合格となった。平成29年以来の聖徳太子抹殺運動が成功したのである。

 他社教科書における聖徳太子

 それでは、他社教科書は、聖徳太子を正式呼称としているであろうか、また上記➀②を記しているであろうか。順番に記しておこう。

第一のタイプ
 聖徳太子を正式呼称とし、➀②両方を記すもの……教育出版
・教出40頁本文……聖徳太子(厩戸皇子) 
40頁キャプション 『日本書紀』には厩戸皇子として、政治や文化面での業績が記されています。のちに、仏教を広めるなどした聖人として聖徳太子とよばれ  ➀②とも書く

第二のタイプ
  聖徳太子を正式呼称とし、➀を記さず、②だけ記すもの……東京書籍と日本文教出版
・東書36頁本文……聖徳太子(厩戸皇子) 36頁上欄キャプション……「聖徳太子」は、後の時代につけられた呼び名であり、古くは「厩戸皇子」などと呼ばれていたことが分かっています。  ➀を書かず、②のみ書いている。 *意見付かず

・日文40頁本文……聖徳太子(厩戸皇子) 
40頁側注②厩戸皇子は、死後に聖人として尊敬され、聖徳太子とよばれるようになりました。   ➀を書かず、②のみ書いている。 *意見付かず

第三のタイプ
 聖徳太子を正式呼称とし、➀②とも書かぬもの……帝国書院、育鵬社、山川出版
・帝国36頁本文……聖徳太子(厩戸皇子) 36頁キャプション 聖徳太子は、「厩戸王」ともよばれます。 
  ➀②とも書かず
 *自由社に対する意見と同じもの付く
 修正表 36頁キャプション 厩戸王は、後に聖徳太子と称されました。
 

・山川36頁……聖徳太子(厩戸王) ➀②とも書かず 
*自由社に対する意見と同じもの付く
 修正表 36頁側注➀新設 「聖徳太子」は、死後に用いられるようになった呼称であり、例えば『日本書紀』では「厩戸皇子」の名で記されている。


・育鵬社46頁……聖徳太子(厩戸皇子) 46頁キャプション 厩戸皇子とよばれた。
     ➀②とも書かず  *意見付かず

第四のタイプ
 厩戸皇子を正式呼称とし、➀を書かず、②のみ書くもの
・学び舎38頁…厩戸皇子(のちに聖徳太子とよばれる)
      ➀を書かず。 ②のみ書く。  *意見付かず


 第一、第二のタイプには検定意見が付かなかった


 以上四タイプを指導要領の立場から検討してみればどうなるであろうか。指導要領の立場からすれば、「聖徳太子」を正式呼称、基本的な呼称に用いることが求められるし、➀②のことも求められると言うことができる。

 とすれば、書くべき三点を全て記している第一のタイプの教育出版にだけは検定意見を付けようがないと言えよう。これに対して第二、第三、第四の3タイプには意見を付けるべきだということになろう。しかし、➀だけを記さない第二のタイプ、すなわち東京書籍と日本文教出版には、全く意見が付かなかった。これは、教科書調査官が②の方に重点を置いた読み方をしているからであろう。

 第三のタイプのうち育鵬社だけには検定意見が付かなかった

 これに対して、第三のタイプは➀②の二つとも書いていないから、帝国書院と山川出版には検定意見が付いた。自由社に対するのと同じく、〈後に「聖徳太子」と称されるようになったことに触れていないから、「学習指導要領に示す内容の取扱いに照らして,扱いが不適切である」〉とする指摘があった。

 だが、同じく➀②を記さない育鵬社には検定意見は付いていない。何ゆえであろうか。いかにも不思議である。見落としなのか、目こぼしなのか。いずれであろうか。

第四のタイプである学び舎にも意見は付かなかった

 また、第四のタイプである学び舎にも、検定意見は付かなかった。学び舎は、②こそ記しているが、第二のタイプと同じく『日本書紀』云々の➀を記さず、何よりも、指導要領の立場である「聖徳太子」ではなく、「厩戸皇子」を正式呼称として基本的呼称として用いている。それゆえ、初出でだけ「厩戸皇子(のちに聖徳太子とよばれる)」と記したうえで、その後はすべて「厩戸皇子」で通している。学び舎以外の全社は「聖徳太子」を正式ないし基本的呼称としているのに対し、学び舎だけは「厩戸皇子」を正式ないし基本的呼称として使うのである。聖徳太子に関しては、学び舎にこそ、真っ先に検定意見を付けるべきであろう。

 特権的地位にある学び舎と育鵬社

 以上から知られるのは、どうも育鵬社と学び舎は特権的地位にあるのではないかということだ。育鵬社は、帝国書院や山川出版と同じく、➀②とも書かなかったが、検定意見が付かなかった。対して、②を書かなかったが➀をきちんと記した自由社は、聖徳太子の部分を欠陥箇所にされた。何ともおかしな話である。

 もっとおかしいのは、②こそ書いているが、➀も書かず、「厩戸皇子」を正式呼称として用いている学び舎にまったく意見が付かなかったことだ。合格教科書の中では、いわゆる左右両翼に位置する両社が文科省によって手厚く保護されていることは、何を意味するのであろうか。その背後に、どういう政治的背景があるか興味深いところである。
 


付録 欠陥箇所100番 聖徳太子と律令国家

 聖徳太子の呼称問題を扱っているうちに、欠陥箇所100番すなわち『教科書抹殺』の24番に関して、面白いことが分かった。いや、既に『教科書抹殺』が明らかにしているように、前に引いたように、指導要領は次のように述べている。

「律令国家の確立に至るまでの過程」については,聖徳太子の政治,大化の改新から律令国家の確立に至るまでの過程を,小学校での学習内容を活用して大きく捉えさせるようにすること。

 そこで、『新しい歴史教科書』は、指導要領に忠実に、聖徳太子に関する記述の締めの部分で次のように記した。

聖徳太子は、内政でも外交でも、8世紀に完成する日本の古代律令国家建設の方向を示した指導者でした。 47頁19-20行

ところが、これに対して、〈「聖徳太子と古代律令国家建設との関係についての学説状況」から言って「生徒にとって理解し難い表現である」〉と指摘がされ、欠陥箇所となった。上記記述は、指導要領の立場通りのものとしか読めないにもかかわらず、欠陥箇所とされてしまったのである。

他社には自由社の記述に該当するものはなかったのでダブルスタンダード問題となりえないが、ついでに記しておくことにする。


転載自由








ブログ気持玉

クリックして気持ちを伝えよう!

ログインしてクリックすれば、自分のブログへのリンクが付きます。

→ログインへ

なるほど(納得、参考になった、ヘー)
驚いた
面白い
ナイス
ガッツ(がんばれ!)
かわいい

気持玉数 : 0

この記事へのコメント