『新しい公民教科書』の画期性とは何か1――「日本国憲法」成立過程の真実を書いた

 『新しい公民教科書』は、不当な検定意見を数多く付けられ、多くの箇所を全面削除させられたり大幅修正したりして検定合格した。その出来上がった教科書の内容はどういうものであろうか。数ある公民教科書の中でどういう特徴を持っているであろうか。前回は総論的な文章を掲載したが、今回から各論的な文章を載せていくこととする。

議会審議さえもGHQによって完全統制されていた

何といっても、真っ先に挙げるべき特徴は、「日本国憲法」成立過程の真実を書いたことであろう。

国家の解体を進める公民教育から脱却すべく最初に行うべき作業は、現代日本国家の大枠をデザインしてきた「日本国憲法」の成立過程について真実の歴史を語ることである。

成立過程については、単元19「日本国憲法の成立」で2頁使って説明した。まず、「GHQ案の提示」との小見出しの下、現行版を受け継ぎ、マッカーサーによる憲法改正の指示とGHQ案の押し付けを記した。ここまでは、それほど画期的なことを記しているわけではない。

しかし、次に「議員の追放と憲法改正の審議」の小見出しの下、帝国議会での「日本国憲法」審議がGHQによって統制されていた事実を史上初めて記述した。

英文の新憲法案を基礎に日本政府は 政府案を作成し、3月6日に発表し、4月10日、衆議院議員の選挙を行いました。1月にGHQは戦争の遂行に協力した者を公職から追放するという公職追放を発令していました。そのため、この選挙のときは現職の82%の議員は追放されていて、立候補できませんでした。さらに5 月から7月にかけて、議会審議中にも貴族院と衆議院の多くの議員が公職追放され、新たな議員に代わりました。これらの議員が憲法審議を行いました。

また、当時は、GHQによって、軍国主義の復活を防ぐという目的から、信書(手紙)の検閲や新聞・雑誌の事前検閲が厳しく行われました。GHQへの批判記事は掲載がいっさい認められず、 特にGHQが新憲法の原案をつくったということに関する記事は掲載しないよう、厳しくとりしまられました。したがって、憲 法審議中、国民は新憲法の原案がGHQから出たものであることを知りませんでした。

このような状況のなかで憲法改正の政府案は6月から10月にかけて帝国議会で審議されました。帝国議会では、主として衆議院の憲法改正特別委員会小委員会の審議を通じて、いくつかの重要な修正が行われました。たとえば、当初、政府案の前文は「ここに国民の総意が至高なものであることを宣言し」と記していました。小委員会もこの案をそのまま承認するつもりでしたが、国民主権を明記せよというGHQの要求があり、「ここに主権が国民に存することを宣言し」と修正しました。小委員会の審議は、一 般議員の傍聴も新聞記者の入場も認められない密室の審議でした。  

こうして可決された日本国憲法は、11月3日に公布され、翌 年5月3日より施行されました。  (58~59頁)



傍線部は現行版には存在しない。今回の教科書で新たに書き加えられた文章である。傍線部のように、議会審議中にもGHQから憲法改正案の修正要求が出されており、帝国議会の憲法改正審議さえもGHQに完全統制されていた。このことを教科書史上初めて明らかに記したことは非常に意義深いといえる。

フランス憲法の占領下での憲法改正禁止の規定を紹介した

他にも、『新しい公民教科書』には、成立過程をめぐって公民教科書史上初めて書かれたことが数多い。側注②では、戦時国際法が占領下の法改正を禁止していることを明記するとともに、史上初めて、フランス憲法に占領下での憲法改正禁止の規定があることを紹介した。検定申請本段階の文章から紹介しよう。
 
 独立国の憲法は、その国の政府や議会、国民の自由意思によってつくられる。したがって、外国に占領されているような時期には、つくるべきものではない。それゆえ、戦時国 際法は、占領軍は被占領地の現行法規を尊重すべきであるとしている。また、同じ考え方から、フランスは、1958年制定の憲法第89条第5項で「 領土が侵されている場合、改正手続に着手しまたはこれを追求することはできない」と規定している。それゆえ、成立過程からして日本国憲法 は憲法としては無効であり、新しい憲法は大日本帝国憲法の改正という形で行うべきだとする 議論が根強く存在する。 

 この傍線部に対して、検定意見49番が付いた。49番は〈日本国憲法の成立について生徒が誤解するおそれのある表現である〉と記されていた。最初のうちは教科書調査官の態度が柔らかかったが、それは「日本国憲法」無効論のことがよくわからなかったからのようであった。結局、傍線部は全面削除された。だが、戦時国際法だけではなく、フランス憲法の占領下での憲法改正禁止の規定を紹介できたことも、非常に意義深いと言える。

 「日本国憲法」論に関する深い考察を
  
  今回の教科書では、学習上の工夫も行った。58頁の上欄に成立過程の年表を置き、59頁の側注欄に〈やってみよう 日本国憲法の成立過程で気になる出来事を3つ、年表から選んで調べてみよう〉という課題を新設した。この課題に答えることを通じて、生徒たちが「日本国憲法」とは何なのか深く考察していくことを狙っている。

 〈ミニ知識 手紙の検閲を行ったGHQ検閲官の証言〉は削除された

 なお、検定申請本には、次のような〈ミニ知識 手紙の検閲を行ったGHQ検閲官の証言〉を掲載していた。

  新聞などの事前検閲を行った米軍民間検閲支隊(CCD)は、英語に堪能な日本人を8千名から1万名雇用し、手紙の検閲も行った。CCDに勤務した甲斐弦は、日本国憲法成立に関して次のように記した。 「読んだ手紙の八割から九割までが悲惨極まりないものであった。憲法への反響には特に注意せよ、と指示されていたのだが、私の読んだ限りでは、新憲法万歳と記した手紙などお目にかかった記憶はないし、 日記にも全く記載はない。繰り返して言うが、どうして生き延びるかが当時は皆の最大の関心事であった。憲法改正だなんて、当時の一般庶民には別世界の出来事だったのである。……戦争の悲惨をこの身で味わい、多くの肉親や友人を失った私など、平和を念じる点においては誰にも負けないと思うのだけれども、あの憲法が当時の国民の総意によって、自由意思によって、成立したなどというのはやはり詭弁だと断ぜずにはおれない。はっきり言ってアメリカの押しつけ憲法である。……戦時中は国賊のように言われ、右翼の銃弾まで受けた美濃部達吉博士が、『これでは独立国とは言えぬ』と新憲法に最後まで反対したこと、枢密院議長の清水澄博士が責めを負って入水自殺を遂げたこと、衆議院での採決に当たって反対票を投じたのは野坂参三を始めとする共産党員であったことなど、今の多くの政治家(いや、政治屋か)や文化人たちは果して知っているのだろうか」(『GHQ検閲官』)。

  しかし、このミニ知識に対して検定意見50番が付いた。調査官は、この記述は「日本国憲法」の成立過程と関係ないと言い続けた。おかしなことを言うと思いつつ何度も修正したが、調査官の了解を得られず、全面削除する羽目になった。ちなみに、削除してできた58頁上欄の余白には、成立過程の年表が置かれることになった。

  傍線部にあるように、このミニ知識には、一般庶民が憲法改正に関心がなかったこと、美濃部達吉と共産党が「日本国憲法」に反対であったこと、清水澄が入水自殺したことが書かれていた。すべて、誰も否定しない史実である。「日本国憲法」成立後74年も経過しても、未だに成立過程の真実を隠そうとする検定が行われているのである。

  このタブーに、もっと多くの公民教科書や歴史教科書が挑戦してくれることを願うものである。


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