令和元年11月の雑感――学者は惰弱であってはならない

 この間、本ブログにも記してきたように、三つのことを感じてきた。

一、 東京裁判は連合国による極悪非道の戦争犯罪であること

 ・東京裁判は戦時国際法違反の戦争犯罪である。映画「主戦場」問題も愛知トリエンナーレ問題も東京裁判を未完と捉え、完成させたいと考える勢力による策動である。

 ・従って、日本側からの打ち返しが必要ではないか。最低限、日本側の冤罪を晴らす再審・東京裁判が必要ではないか。いや、それでは足りぬ。連合国の戦争犯罪を裁くか東京裁判そのものを裁く新・東京裁判といった試みが必要ではないか。少なくとも思想上・観念上必要ではないか。

 ・というようなことを考え出している。私にとっては、まだまだ先のことだが、再審・東京裁判、新・東京裁判という試みをしようと考える人が現れることを期待する。

二、「日本国憲法」改正論は論外、これまでの無効論では甘すぎる
 
・よく、「日本国憲法」を放置してきたのは日本の責任だという人がいる。私も、反感を感じながらも、そう思ってきた。日本の責任という人は、だから無効ではないと続けるのが多数派である。

・しかし、東京裁判についてまとめていく中で、日本の責任なんて言えないと思うようになった。東京裁判には、一片の法的正当性もなかった。東京裁判は、ポツダム宣言にさえも根拠がないにもかかわらず、いわば騙し討ちとして行われた。単にだまし討ちであるだけではなく、極悪非道で無法の限りを尽くす形で、東京裁判は行われた。その結果、日本の指導層は呆然自失して正気を失い、正邪を判断するまともな頭を失ってしまった。いやまともな頭を維持した人は、追放された。ずっと、日本の指導層は、正気を失ったままである。この20年ほどでようやく正気を回復しつつあるが、それでも、マスコミ、学界、教育界、政治の世界は、基本的に正気を失ったままである。

・正気を失い続けさせた最悪の代物が「日本国憲法」である。「日本国憲法」は、東京裁判と公職追放によって日本の指導層を脅しつけながら、連合国が押し付けたものである。

 東京裁判によって、東條を初めとした連合国の復讐対象となった人たちは、処刑されるか、監禁された。東京裁判という脅しに屈しなかった、あるいは屈しそうもない人たちも、被告にされずとも公職追放の憂き目にあった。「日本国憲法」は、このように骨のある指導層を全面的に追放したうえで、作られたものだったのである。

 ・東京裁判と「日本国憲法」は一体のものである。東京裁判の実態を知れば、さらに公職追放の点を加味すれば、日本の責任など、本当に微々たるものとなろう。

 また、「日本国憲法」作成と並行して東京裁判が強行されていた事実に目を向ければ、日本側の自由意思はゼロであるというしかなく、到底、「日本国憲法」有効論は成り立たないというべきである。論外である。「日本国憲法」が条約だとか、講和条約だとかいう説も到底成り立たないだろう。更には、私の唱えてきた「日本国憲法」無効論も大甘すぎるのではないかと考えるようになった。

三、日本の文系学問、特に憲法学と歴史学は日本を衰退させる使命を連合国によって与えられた

 連合国による占領によって、骨のある指導層は、総て殺されるか追放された。生き残った指導層は、命惜しさに、或いは自分の生活を優先して、連合国に尻尾を振った。ホワイトパージが解除された後、ある程度指導層にふさわしい人が各界に戻ってきたが、文系学界だけは違った。

 昭和21年2月13日、自己の生活を守るために国家を売ることを決意した男がいた。宮沢俊義である。宮沢は、戦後の憲法学界を牽引し、日本の防衛力、自己決定力を根こそぎ奪うことに多大な貢献をした。連合国にとっては勲一等の功績である。歴史学界でも同様の動きが起きた。その結果、日本は、自虐史観を植え付けられ、国家意識を徹底して破壊されてきた。そして、今、存亡の危機を迎えているわけである。

 惰弱すぎる学者

 ここまで書いてきて、杉原誠四郎氏との共著『憲法及び皇室典範論――日本の危機は『憲法学』が作った』(自由社、2017年)の中で、杉原氏が述べていたことを思い出した。この書物は宮沢俊義批判の本でもあるが、杉原氏は、宮沢のことを痛烈に批判しながら、学者一般の批判も行っている。引用しよう。

杉原 それで思うんです。少し長くなるけれど喋らせてください。
 私はね、つくづく、学者とか研究者という者は、いかに心性において惰弱かと思うんです。生き延びるために、平気で愛国心を捨てます。かの戦争がたとえ誤った戦争だと見えるとしても、大勢の若い人たちが国を守ろうとして戦って死んでいったのです。その人たちの戦いの後に残った日本を、自分が生きるために、平気で愛国心を捨ててしまう。
 日本にとって初めての敗戦で、この敗戦という事実に対してどのように対応してよいか分からなかったということについては、私も理解できるんだけれども、学者としての社会的立場を維持するために、占領軍に無原則に妥協し、迎合する
 彼らがもう少し優秀であれば、占領下でも、できる限り戦前との一貫性を維持することに努力するでしょうが、能力が低いから、そのような道を歩む力がない。そのためにやすやすと愛国心を捨てて、占領軍の言いなりになる。
 先ほども少し触れたことで、今からの対談の重要な内容となると思われるけれど、憲法学については、占領軍の意図を超えて劣悪な解釈を作り、社会に広めた。これは犯罪の域に達している。
 これには、官僚や政治家が追随し、是正しなかったことも大きいんだけど、特に安全保障問題で、占領下で長く首相を務めた吉田茂の責任が大きいのだけれど、これら重要な立場にいた人には、愛国心を持たなかった人が多く、その人たちが占領軍に必要以上に迎合してしまい、敗戦という被害を、敗戦という客観的事実の被害よりも、さらに大きくした。そして、大きな害毒を今日の日本国民に及ぼしてきた。
 ついでに言うけれど「新しい歴史教科書をつくる会」が奮戦している歴史問題ね、歴史に関わる歴史学者もひどかった。愛国心を捨てて、自虐史観に走り、それを大きく作り上げた。
 考えてみると、法学と歴史学は、いずれも当事者が心を込めて為すものだよね。そこに他の学問とは違うところがある。だから、かの戦争が終わって、最も愛国心に満ちて対応しなければならない学問でなければならないのに、彼らはその学問で平気で愛国心を捨てた。
 日本にあっては、日本全体が、初めての敗戦に遭い、どのように対応してよいか分からない状況ではあったけれど、心を込めてなさなければならない法学や歴史学が愛国心を失った人たちによって占められたことは、今日に甚大な被害を及ぼしている。 
 残念だね。


小山 これからの新しい世代に期待する以外にないですね。

杉原 もう少し言います。宮澤は、昭和三十年に『コンメンタール・日本国憲法』(日本評論社)という憲法解釈書を書いています。その中で、第三条の趣旨は、天皇を「ただ内閣の指示にしたがって機械的に『めくら判』を押すだけのロボット的存在にすること」であると述べた。昭和三十年ですから、占領軍はとっくにいなかった。にもかかわらず、占領軍が予定していた以上に、劣悪な解釈をした。
 彼を始めとして彼の周辺の一部の人たちは、国を守るために散っていった人たちの思いを、かくもやすやすと蔑ろにした。先ほども言ったように、かの戦争に対して、たとえ批判を持ったとしても、ここまで天皇を貶めるとは、彼とその周辺の一部の人たちは、いかに心情において卑劣で卑怯か分かりませんね。
 その宮澤を、昭和四十四年、第二次佐藤内閣のとき、勲一等瑞宝章を与えるんだよね。勲章は機械的に授与するところがあるので、一面仕方がないのだけれど、これだけ天皇を貶めておりながら、よく受け取ったよね。

小山 杉原先生は宮澤俊義に厳しいね。

杉原 私はやはり、こういった裏切りは、日本の長い歴史の中で、明示しておかなければならないと思うわけです。                    (59~61頁)


 『ドキュメント 皇室典範』を読み、上記杉原氏の言葉を読み返して思った。学者は惰弱であってはならない。惰弱に陥りそうな私が云うのもなんだが、そのように感じた。

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