育鵬社盗作問題二審判決の不当性を論ずる――事後法の精神、盗作実行者の証人尋問却下など

 前回、「つくる会」の判決批判の声明を掲載した。声明は、「歴史教科書に著作権が認められるためには、一般の簡潔な歴史書と同様の創作性が必要だ」とする不当性をもっぱら取り上げて批判した。しかし、二審判決の不当性は、これだけに止まらない。今回は、上記の不当性をより具体的に見ていくとともに、声明が取り上げていない判決の不当性を挙げていこう。

 もう一度振り返るならば、平成26年12月19日、第一審判決(東海林保裁判長)は、『新しい歴史教科書』の47箇所の記述はありふれたものであり、著作権法上保護の対象となる創作性はないから、『新しい日本の歴史』がこれら47箇所と同一の記述を行ったからと言って著作権侵害とはならないとして、我々の訴えを全面的に却下した。盗作だが著作権侵害ではないという論理である。

 こういう論理を目にすると変な感覚になる。だが、盗作とは言えなくても著作権侵害となる場合もあるし、盗作であっても著作権侵害ではないという場合があり得るから、この論理自体は珍しいものではない。

 当然に我々は控訴して闘ったが、平成27年9月10日、知財高裁(清水節裁判長)は、東京地裁判決の趣旨をそのまま繰り返し、控訴を棄却した。すなわち、二審でも原告(控訴人)側が著作権を侵害されたと主張した『新しい歴史教科書』(平成17年版)21箇所の記述は、いずれもありふれたもので創作性の認められるものではなく、したがって著作権法2条1項1号に規定する「著作物」ではないとした。そして、著作物ではないものについては、被告(被控訴人)側の育鵬社『新しい日本の歴史』との類似性があろうとも、著作権侵害は成立しないとするのである。

一般の簡潔な歴史書と同様の創作性を要求する不当判決

では、著作物であることを否定する論理はどういうものか。判決は、検定制度の下の歴史教科書は、指導要領や検定基準によって書くべき事項の選択、選択した事項の配列、具体的文章表現の幅が狭く、執筆者の個性が表れにくいと決めつけ、『新しい歴史教科書』が行った【事項の選択】、【事項の配列】、【具体的表現の形式】のすべてがありふれたものであり、創作性がないと判示した。

 これら3つのレベルにおける創作性を否定するために、二審判決はとんでもない原理を掲げるに至った。すなわち、「歴史教科書は、簡潔に歴史全般を説明する歴史書に属するものであって、一般の歴史書と同様に、……創作性があるか否かを問題にすべきである。すなわち他社の歴史教科書とのみ対比して創作性を判断すべきものではなく、一般の簡潔な歴史書としても創作性が要するものと解される。」(16頁)と述べたのである。

 一審判決は、他社の歴史教科書に記述がない場合でも、『国史大辞典』や『日本の歴史』等に既に記述があるから『新しい歴史教科書』の【事項の選択】には創作性がないとした。当然に控訴人側は、歴史教科書、特に中学校歴史教科書だけが対比の対象たるべきであると主張した。上記一般理論の提示は、この主張に対する回答である。

 このような原理を立てられたら、歴史教科書が創作性を発揮することは初めから不可能である。歴史教科書は、歴史関係図書においてありふれた事項を選択し、ありふれた表現で表わすものだからである。

 3つのレベルのうち裁判で一番の焦点となったのが、【事項の選択】のレベルである。このレベルについては多くの言葉を費やして検討しているが、【事項の配列】についても【具体的表現形式】についても、極めて簡単に片付ける。【事項の配列】については、「歴史的事項が、時系列・因果列に従って配列されているにすぎないから、ありふれたものである」として、【具体的表現形式】については「いずれも、歴史的事項を単純に説明するにすぎないものであるから、その具体的表現は、ありふれたものである」とわずか2行ずつで片付ける。21箇所全てについて、同じ文言で片付けている。これでは、歴史教科書の著作権は完全否定されたと理解するしかないであろう。

デッドコピーを容認する不当判決

  今回の判決の非常識さは、デッドコピーを複製権一般の問題に解消することによって結果的にデッドコピーを容認したところにも現れている。今回、控訴人は、一審で主張しなかった複製権侵害と不法行為を主張し、デッドコピーの存在を8箇所指摘した。辞書や年表のように創作性の低い表現物であってもデッドコピーは許されないし、著作権侵害に当たるという法常識があるからである。

  しかし、判決は、21箇所には創作性がないから翻案権侵害はないとしたうえで、同じ理由から複製権侵害も否定した。そして、デッドコピーの問題を特に取り上げることはせず、複製権一般の問題に解消した。創作性のない表現物なのだからどんなにデッドコピーしたとしても著作権侵害になりようがないと言いたいのであろう。

  だが、次の「稲作開始」の例を見ていただきたい。『新しい歴史教科書』と『新しい日本の歴史』を並べて引用しよう。傍線部は、私が付したものであり、文章表現が酷似ないし同一と思われる部分である。

○『新しい歴史教科書』(平成17年版、扶桑社)
 すでに日本列島には、縄文時代に大陸からイネがもたらされ、畑や自然の水たまりを用いて小規模な栽培が行われていたが、紀元前4世紀ごろまでには、灌漑用の水路をともなう水田を用いた稲作の技術が九州北部に伝わった。稲作は西日本一帯にもゆっくりと広がり、海づたいに東北地方にまで達した。」

○『新しい日本の歴史』(平成23年版、育鵬社)
 わが国には、すでに縄文時代末期に大陸からイネがもたらされ、畑や自然の湿地で栽培が行われていました。その後、紀元前4世紀ごろまでに、灌漑用の水路をともなう水田での稲作が、大陸や朝鮮半島から九州北部にもたらされると、稲作はしだいに広がり、東北地方にまで達しました。」

 此の例も、酷似のレベルを越えてデッドコピーと言えるほど類似している。しかし、この問題を特に取り上げることはせず、「稲作開始」の例について具体的文章の問題を全く検討もせずに、著作権侵害はないと結論付けたのである。こういう判断は、果たして、世の常識に、法常識にかなうものであろうか。
ところが、育鵬社は、今回の平成27年版では、同じ部分の表現を次のように全く変えてしまっていた。

○『新しい日本の歴史』(平成27年版、育鵬社) 
 「大陸や朝鮮半島から伝わった水田稲作は、縄文時代の終わりごろに、北九州で本格的に始められました。その後、水田稲作は、北海道や沖縄などを除く日本中に、しだいに広まりました。」

育鵬社は、稲作開始の箇所における盗作を自ら認めたのである。


実際の執筆者に対する証人尋問申請を却下した不当判決

 今回の判決は、内容面だけではなく、手続面でも不当なものである。「国分寺建立」や「稲作開始」の例のようなデッドコピーは、なにゆえに発生したのであろうか。当然、誰もが感じる疑問である。この点を解明するためには、実際に文章を執筆した中学校教員から『新しい日本の歴史』の作成方法について問いただす必要があった。そこで、控訴人側は中学校教員の証人申請を行った。証人申請は4月14日にすぐに却下された。依拠性の問題を検討するためにも、二審で新たに主張した不法行為成立の可能性を検討するためにも、当然に現実に執筆した教員がどういう執筆の仕方をしたのか追求しなければならない。だが、高裁は、ほとんど理由らしきことを述べずに証人申請を却下した。この時に、既に我々の敗訴は決まっていたのだと推測される。

 中学校教員の尋問は、デッドコピーと不法行為の論点が加えられた以上、どうしても必要な裁判の核心的手続であったと言える。この核心的手続きを省略してなされた今回の判決は、手続き面から見ても著しく不当なものであることを確認しておきたい。

事後法を認める不当判決

  手続面と言えば、『新しい歴史教科書』の21箇所の記述の創作性を個々に否定していく仕方も、極めて不当である。例えば、「リットン調査団」の箇所で検証してみよう。この箇所では、『新しい歴史教科書』は、A《調査団が、満州の日本人の権益がおびやかされていたことを認めたこと》と、B《調査団が日本軍の撤兵を勧告したこと》を記すとともに、C《日本と中国との間で停戦協定が結ばれたこと》という事項も選択した。

  他社の場合は、日本側に不利なBだけを取り上げ、日本側に有利なAとCの歴史事実は無視してしまう。日本側が一方的に悪いから満州事変以降の戦いが起きたのだという構図を生徒に植え付けるためである。これに対して、『新しい歴史教科書』は、唯一、日本側に有利なAとCをも取り上げた。極めて個性的、創作的な【事項の選択】である。そして『新しい日本の歴史』は、この個性的な【事項の選択】を模倣しているのである。

  しかし、知財高裁は、そもそも『新しい歴史教科書』の【事項の選択】の創作性を認めなかった。Aの選択については平成23年版教育出版にも書かれていることを理由に、その個性をみとめなかった。そして、『新しい歴史教科書』の出版された17年より後の出版物であっても、『新しい歴史教科書』の創作性を否定する「資料」として使える(50頁)と判決が記している所にはびっくりした。後に出版された教科書に書かれているから、その前に出された教科書に創作性がないというのである。とんでもないことをいうものである。いわば、事後法を認める精神の発露である。

  また、Cの選択についても、山川出版の高校教科書『詳説日本史B』(平成18年版)に記述があることを理由にして、『新しい歴史教科書』の個性を認めなかった。『詳説日本史B』は高校教科書であるし、『新しい歴史教科書』より後に出された出版物である。ここでも、事後法を認める精神が発露されているのである。二審裁判官には法の精神の欠片もないと言うべきであろう。

  なぜ、判決は、こんなとんでもないことを述べるのか。控訴に当たって、控訴人側は、平成23年版教科書に書かれていることを理由にして平成17年版の『新しい歴史教科書』の創作性を否定することは出来ないのではないか、と指摘した。また、控訴審中においても、育鵬社側が『新しい歴史教科書』の創作性を否定するために、例えば平成25年出版の著書を証拠として数多く出していたので、控訴人側は出版年の問題をつとに指摘しておいた。これは、控訴人側のこの指摘に対するトンデモ回答なのである。
 
教育を破壊する判決

  とりあえず、以上4点の不当性を指摘しておこう。他にも細かい点でおかしいと思われることが存在するが、今の所、放擲しておこう。

  最後に今後のことであるが、「つくる会」声明も述べているように、今後はコピペ教科書が合法となろう。また、今後は、例えば、学生が『新しい歴史教科書』や『新しい日本の歴史』等の歴史教科書からコピペしてレポートを作成しても、著作権侵害ではないのだから何の問題もないということになる。ともかく、教科書からは盗み放題となっていく。今回の判決は、教科書検定制度だけではなく、日本の教育界を破壊していく不当判決なのである。

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