歴史教科書の著作権を否定し、「コピペ教科書」に道を開く不当判決を批判する--「つくる会」声明転載

  既報のように、平成27年9月10日、知財高裁(東京高裁)は、育鵬社盗作問題に関する「つくる会」側の控訴を棄却した。9月30日、「つくる会」は、この不当判決を批判し、この判決に対して言論戦で闘っていくことを表明した。以下に、簡単な説明を加えたうえで、声明を転載する。


歴史教科書の著作権否定の原理を築いたトンデモ判決

  二審判決について少し解説を加えるならば、これは、法の精神のかけらもない、法常識に真っ向から反するトンデモ判決である。この判決の非常識性は、声明も引用している次の文言に現れている。

  歴史教科書は、簡潔に歴史全般を説明する歴史書に属するものであって、一般の歴史書と同様に、……創作性があるか否かを問題にすべきである。すなわち他社の歴史教科書とのみ対比して創作性を判断すべきものではなく、一般の簡潔な歴史書としても創作性が要するものと解される。

  傍線部に注意されたい。歴史教科書の創作性は、他社教科書と対比して判断されるだけではなく、「一般の簡潔な歴史書」と対比しても判断されるというのである。「一般の簡潔な歴史書」とは具体的に何を指すのか曖昧であるが、一審判決は、『国史大辞典』や全集『日本の歴史』、全集『天皇の歴史』、あるいは北村稔『「南京事件」の探求』などに既に記載されているから、47箇所の記述には創作性はないという論理を用いていた。『国史大辞典』等の書物のことを指しているのであろう。

  しかし、歴史教科書は、『国史大辞典』や日本史全集などの歴史関係図書においてありふれて書かれている事項を選択し、ありふれた表現で表わすものである。二審判決のように定義されたら、歴史教科書が創作性を発揮することは不可能となる。声明も述べているように、二審判決は、歴史教科書の著作権を原理的に否定した、非常識で法の精神の欠如した、トンデモ判決というべきである。歴史教科書の著作権を原理的に否定する判決を出して、この裁判官は恥ずかしくないのであろうか。

  今回の判決には、これが法の番人の言う事かと疑われる言葉や理屈が多数散見される。いずれ、それらを全て明らかにしていきたい。

 盗作だが著作権侵害ではないという論理

  今回の判決は、一審判決も同様だが、47箇所について『新しい歴史教科書』と『新しい日本の歴史』との同一性を認め、『新しい日本の歴史』が『新しい歴史教科書』を参照して作られたことを認めながら、『新しい歴史教科書』には創作性がなく著作権がないから著作権侵害ではない、とした。盗作だが著作権侵害ではないという論理である。この論理は珍しいものではないが、盗作、それも47箇所も盗作した人たちが、しかも半ばは自白している人たちが、何のペナルティーも受けないとしたら、盗作が蔓延し、著作権と言う権利は意味を失くしていくことになろう。

  育鵬社は、『つくる会』側の執筆者たちが苦労してつくり上げた教科書の内容と文章を盗むことによって自分たちの教科書を作成した。いわゆるフリーライド(ただ乗り)である。フリーライドを防ぐことも、著作権という権利を認める一つの理由だったはずである。ところが、二審判決は、このフリーライドを容認し、育鵬社らを無罪放免したのである。

  正気を失った裁判官

  最近の裁判官は、明らかに正気を失っている。「専門バカ」なのか、「専門もバカ」なのか分からないが、文章を記述するということはどういう事なのか、著作権という権利が何のためにあるのか、といったことを一般常識、法常識に従って一から考え直す必要があるのではないだろうか。

  ともかく、上記引用文を読んだとき、この判決を書いた裁判官は大丈夫なのかと思った。よほど法常識の乏しい人なのだろうと思った。しかし、知財畑の裁判官には著作権侵害を極端に認めない大きなグループが形成されている。このグループ全体が正気を失っていると捉えた方がよいのであろう。

  また、上記引用文を読んだとき、私の中で笑いがおきた。ここまで恥ずかしい原理をこしらえてまで育鵬社を勝たせたいのかと思ったからである。9月10日に判決を聞いたとき、落胆とともに私の中で笑いが起きたが、その時と同じ質の笑いである。可笑しさと苦々しさのまじりあった、乾いた笑いである。ここまで法の精神に反する出鱈目なことを、育鵬社及びそれにつながる一定の政治勢力を利するために(?!)裁判所はやってしまうのか、とつくづく思うものである。

  ただし、こんなデタラメな原理=《歴史教科書の単元本文には著作権はない》を認めるわけにはいかない。一般の法常識に訴えて、歴史教科書の著作権を取り戻していきたいと考えるものである。




    歴史教科書の著作権を否定し、「コピペ教科書」に道を開く不当判決を批判する

                                              平成27年9月30日

                                            新しい歴史教科書をつくる会



著作権侵害を否定した一審判決

 平成23(2011)年、新たに検定合格した育鵬社の伊藤隆他『新しい日本の歴史』には、藤岡信勝他『新しい歴史教科書』(平成17年版)と酷似した部分がデッドコピー(丸写し)も含めて多数存在した。例えば、次のような例を見ていただきたい。「国分寺建立」の例である。『新しい歴史教科書』と『新しい日本の歴史』を並べて引用しよう。


○『新しい歴史教科書』(平成17年版、扶桑社)
聖武天皇は、国ごとに国分寺と国分尼寺を置き、日本のすみずみにまで仏教の心を行き渡らせることによって、国家の平安をもたらそうとした。都には全国の国分寺の中心として東大寺を建て、」


○『新しい日本の歴史』(平成23年版、育鵬社)
聖武天皇は、国ごとに国分寺と国分尼寺を建て、日本のすみずみに仏教をゆきわたらせることで、政治や社会の不安をしずめ、国家に平安をもたらそうとしました。また、都には全国の国分寺の中心として東大寺を建立し、」


  両者は類似とか、酷似というレベルを超えてデッドコピーと言えるほど似ている。辞書や年表のように創作性の低い表現物であってもデッドコピーは許されないし、著作権侵害に当たるというのが、世の中の常識であり、法常識であるはずである。

   そこで、「つくる会」は著作権秩序を守り、社会公共の利益を守るために育鵬社側との話し合いを申し込んだ。いくつかの曲折を経て、ようやく実現した話し合いでは、「つくる会」は、育鵬社側の謝罪があれば、著作権の使用を遡って認め、そのことによって著作権侵害の法的状況の解消を図る案さえも提案した。しかし、育鵬社側がこの提案を拒否したので、平成25年4月15日、「つくる会」はやむなく、代表執筆者の藤岡信勝氏を原告として東京地裁に訴えた。

  ところが、昨年12月19日、第一審判決は、原告が主張する47箇所については、『新しい日本の歴史』の記述が『新しい歴史教科書』の記述と同一であることを認めながら、著作権侵害を認めず我々の訴えを全面的に却下した。一審判決は、そもそも『新しい歴史教科書』の47箇所の記述はありふれたものであり、著作権法上保護の対象となる創作性はないとした。従って、これらの記述に著作権は存在せず、これらの記述と同一の記述を行っても著作権侵害には当たらないという結論を出したのである。盗作かもしれないが、著作権侵害ではない、という論理である。ちなみに、育鵬社は、今回検定合格した平成27年版では、47箇所の盗作部分の多くを大幅に書き直した。自ら盗作していたことを認めたのである。 



歴史教科書の著作権を原理的に否定した控訴審判決
 
 
 この一審判決に対しては、控訴で応じた。だが、平成27年9月10日、知財高裁は、東京地裁判決の趣旨を大筋においてそのままなぞる判決を下しただけではない。二審判決は、「歴史教科書は、簡潔に歴史全般を説明する歴史書に属するものであって、一般の歴史書と同様に、……創作性があるか否かを問題にすべきである。すなわち他社の歴史教科書とのみ対比して創作性を判断すべきものではなく、一般の簡潔な歴史書としても創作性が要するものと解される。」(二審判決16頁)と判示した。歴史教科書に著作権が認められるためには、一般の簡潔な歴史書と同様の創作性が必要だというのである。

 しかし、そもそも歴史教科書は、新しい学説を書く場ではない。歴史教科書の創作性は、教科書として独自の事項の選択があるか、教科書として独自の表現の工夫があるか、といったことで判断されるべきである。二審判決のように定義されたら、歴史教科書に創作性を発見することは初めから不可能となる。二審判決は、歴史教科書の著作権を原理的に否定した、法常識のかけらもない不当判決である。


今後の教科書はコピペで作れることになる

  さて、今回の判決を受けて、著作権秩序はどうなっていくであろうか。『新しい歴史教科書』は教科書として、いや簡易な歴史書としても、極めて個性あふれるものである。その教科書の単元本文(側注も含む)の著作権が否定されたのだから、まして他社の歴史教科書には更に著作権は認められないことになろう。今後は、歴史教科書は、他社の教科書と同一の事項を選択し同じ順序で表現しても、更には文章もそのまま盗んでも著作権侵害ではないということになっていく。

  これは、日本の検定教科書制度にとって深刻な事態である。教科書執筆者の時間と労力の掛け方は半端なものではない。研究者が一つの論文を仕上げるよりも一単元分の本文を仕上げる方が大変である。その単元本文に著作権が認められないとしたら、誰も、教科書執筆の準備として必要な学説研究に時間をかけたり、文章執筆に頭を悩ませたりしなくなる。教科書作成のインセンティブが与えられなくなろう。その結果、各社教科書の単元本文が酷似して教科書の質も低下していき、指導要領の範囲内で各社が競い合って多様で優れた教科書を生み出そうという趣旨の下につくられた検定制度の趣旨が踏みにじられていくことになろう。



歴史教科書の著作権を守る為、「つくる会」は言論戦で闘う

  このところ、小保方晴子氏のSTAP細胞の研究不正問題、佐村河内守氏のゴーストライター問題、佐野研二郎氏による2020年東京五輪エンブレムの盗作疑惑問題など、日本人の美的感覚や規範意識を置き去りにした不祥事が相次いでいる。これらの不祥事に対する厳しい批判の声が高まる中で、歴史教科書の著作権を否定した今回の判決は、世の動きと逆行するものであり、その点でも不当な判決であることがわかる。

  この不当極まりない判決を「つくる会」は放置するわけにはいかない。従って、上告も考えられなくはないが、上告での逆転は難しく、現在の「つくる会」の置かれている状況を含めて総合的に判断した。そこで上告は行わず、言論で闘うという方針を理事会は決定した。

  今後は、世の中の一般常識、法常識に訴えて、正義の実現を図っていくこととする。歴史教科書の著作権と教科書検定制度を守るため、ひいては国民の権利でもある著作権の秩序を守るため、この不当判決と闘い続けることをここに表明する。


   転載歓迎




ブログ気持玉

クリックして気持ちを伝えよう!

ログインしてクリックすれば、自分のブログへのリンクが付きます。

→ログインへ

なるほど(納得、参考になった、ヘー)
驚いた
面白い
ナイス
ガッツ(がんばれ!)
かわいい

気持玉数 : 3

ナイス ナイス ナイス

この記事へのコメント

この記事へのトラックバック