「五輪エンブレム、大会組織委員会が撤回」のニュースを聞いて--育鵬社が盗用した動かしがたい証拠

  育鵬社盗作問題が不問に付されているのは理不尽である 

 この一月以上、70年談話とともに五輪エンブレムの盗作問題が話題になってきた。佐野研二郎氏の制作に関わる五輪エンブレムが、ベルギーのリェージュ劇場のロゴマークなど、幾つかのものと類似していることが指摘され、盗作ではないかと問題にされてきた。いろいろ批判されたため、昨日、大会組織委員会は、佐野氏製作の五輪エンブレムを使用中止とし、取り下げることを決定した。

  この問題について耳にするたび、私は、育鵬社丸ごと盗作問題について考えざるを得なかった。何とも、世の中は不公平なものだと思わざるを得なかった。なぜなら、佐野氏がベルギーのロゴマークなどを知っていたかどうか(依拠性が成立するか否か)は分からないが、素人目には著作権侵害に当たるほどの類似性があるとは思えなかったからである。これに対して、育鵬社歴史教科書は、誰が見ても、扶桑社教科書に類似している。依拠性も否定しようもないものである。明らかに、育鵬社のケースは、佐野氏のケースとは比べようのないほど悪質なものである。にもかかわらず、育鵬社のケースは、4年もの間、見過ごされ続けている。何とも理不尽な話である。

 デッドコピーした「鎌倉幕府の成立」の箇所 

 そこで、今回は、再び育鵬社盗作問題を取り上げ、育鵬社が扶桑社版から盗用した動かしがたい証拠を示しておこう。それは、鎌倉幕府の成立に関する記述の部分である。扶桑社、育鵬社の順に引用しておこう。傍線はほぼ同一と判断される部分に私が引いた。丸番号も、両社の記述内容を把握するために私が付したものである。

○扶桑社

単元19「鎌倉幕府」下、「鎌倉幕府の成立」の小見出し下、
 ①その後、義経が頼朝と対立し、平泉(岩手県)の奥州藤原氏のもとにのがれると、頼朝はその勢力を攻めほろぼして、東北地方も支配下に入れた。
 ②1192(建久3)年、頼朝は朝廷から征夷大将軍に任命された。③頼朝は鎌倉に、簡素で実際的な武家政治の拠点を築いた。これを鎌倉幕府とよび、④鎌倉に幕府が置かれた約140年間を、鎌倉時代という。 (68頁)

○育鵬社

単元16「武士の世の到来と鎌倉幕府」下、「武士の都・鎌倉」の小見出し下、
 ①頼朝は、平泉にのがれた義経を奥州藤原氏に討たせ、続いて奥州藤原氏を攻めほろぼすと、②1192(建久3)年、朝廷から征夷大将軍に任命されました。③頼朝は鎌倉に武家政治の拠点を築いたので、これを鎌倉幕府とよび、④幕府が鎌倉に置かれた約150年間を鎌倉時代といいいます。 (67頁)


  扶桑社と育鵬社を比べると、①義経が平泉に逃れ,頼朝は奥州藤原氏を攻め滅ぼしたこと,②1192年,朝廷から征夷大将軍に任命されたこと,③頼朝は鎌倉に武家政治の拠点を築き,これを鎌倉幕府と呼ぶこと,④鎌倉に幕府が置かれた時期を鎌倉時代ということ、以上4つの事項を選択し、①②③④の順序で配列している点で共通している。

  しかも、具体的文章を比較してみると、①は文章をかなり変えているけれども、②③④はほぼ同一であり、デッドコピーと言えるほど酷似している。扶桑社の文体を常体から敬体に変え、「簡素で実際的な」を削除して「140」を「150」に変えれば、育鵬社の記述が出来上がるのである。デッドコピーの分量は80字程度あり、教科書本体で調べてみると3行の分量である。

 なぜ、80字ものデッドコピーが出てくるのか

 80字程度もの分量がデッドコピーになることは、丸写ししない限り、通常は考えられない。しかも、現実に育鵬社の原稿を最初に執筆した中学校教員○○氏は、「まず各社教科書の本文記述に目を通し、大まかな内容と重要語句、分量を把握した後、一から文章を「一太郎」のソフトを用いて入力するという方法をとりました。執筆にあたっては、……他社の教科書記述を参考にしながら、教科書にふさわしいものとなるよう文章を紡いでいきました。」と説明している(乙42号証)。つまり、○○氏は、扶桑社版などを参考にしながら文章を紡いでいったことを明確に認めており、②③④に関しては、扶桑社版から丸写ししたうえで、文体を変え、「簡素で実際的な」を削除して文章を完成させたのである。明らかに、育鵬社は、鎌倉幕府の成立の箇所について、扶桑社版から盗作したと言えよう。

 他にも、「鎌倉幕府の成立」の箇所と同程度か、それ以上の分量をデッドコピーしている箇所は、既に紹介した「国分寺建立」の箇所以外にもいくつか存在する。それゆえ、育鵬社が扶桑社版を盗作していないということは到底無理なのである。
 
 鎌倉幕府成立1185年説に立っていた育鵬社

 他の箇所の例はともかくとして、それにしても、なぜ、育鵬社は、扶桑社と異なり、鎌倉幕府の存立期間を140年間ではなく、150年間と記したのか。私は、4年前になぜ「150年間」と記しているのか全く分からなかった。話の筋、論理の筋が扶桑社と全く同じなのに、なぜ「140年間」を「150年間」に変えなければならないのか、分からなかった。一審のやり取りで、その謎が解けた。育鵬社は、鎌倉幕府が成立し鎌倉時代が始まった年代を、守護地頭の設置権限を頼朝が得た1185年と捉える説を採用したから、「150年間」と記していたのである。私は、まさか育鵬社が征夷大将軍という役職の意義を軽視する1185年説を採用しているとは夢にも思わなかったから、本当に驚かされたものである。

 歴史観が異なるのに、なぜ同じ配列、同じ文章になるのか

 ここで一つの疑問は解けたが、途端に別の疑問が出てきた。育鵬社は、扶桑社と育鵬社は、共に執筆者の思想傾向が類似しているのだから、書く内容が似てくるのは当然であると主張してきた。同じ思想傾向の人間が書いても、自分の頭で一から文章を紡いでいけば、デッドコピーになるわけがないのだが、この理屈はまだ分からないでもない。ところが、鎌倉幕府成立については、実は、扶桑社と育鵬社は相対立する説に立ち、全く異なる歴史観から書いていたのだ。前述のように、扶桑社は幕府成立1192年説に立ち、育鵬社は1185年説に立っていた。歴史認識が決定的に異なるのである。つまり、天皇権威を重視する扶桑社と重視しない育鵬社の違いである。このように歴史認識が異なるにもかかわらず、育鵬社の記述はデッドコピーになっている。何故なのであろうか。

 説が対立しているのに、なぜ同じ配列、同じ文章になるのか

 また、もう一つ別の疑問が出てくる。1185年説と1192年説とでは、選択した事項の配列が異なってくるのではないか。配列が異なれば、具体的文章も当然に違うものになるのではないか。

 時代の画期を1192年の征夷大将軍任命に置くからこそ、扶桑社のように、①②③④という順序の記述が生まれる。時代の画期を1185年に置くならば、順序を変えなければならないのではないか。守護地頭設置権限以降に関する育鵬社の記述を引用して考えていこう。1)2)3)の番号も私が付したものである。

単元16「武士の世の到来と鎌倉幕府」下、「武士の都・鎌倉」の小見出し下、
 1)頼朝は都に軍を送って法皇を圧迫し、義経を捕えるためとして、自分の部下(御家人)を守護や地頭として各地に置くことを認めさせました。2)国ごとに置かれた守護は国内の警備に当たり、荘園・公領ごとに置かれた地頭は年貢の取り立てや現地の治安維持に当たりました。3)こうして頼朝の支配は全国に広がっていきました。
 ①頼朝は、平泉にのがれた義経を奥州藤原氏に討たせ、続いて奥州藤原氏を攻めほろぼすと、②1192(建久3)年、朝廷から征夷大将軍に任命されました。③頼朝は鎌倉に武家政治の拠点を築いたので、これを鎌倉幕府とよび、④幕府が鎌倉に置かれた約150年間を鎌倉時代といいいます。 (67頁)

  この文章を読んで誰が1185年説だと納得できようか。1185年説に立つならば、育鵬社は、③④あるいは最低限③の事項を、1)の次に移動すべきであろう。特に、育鵬社が強調するように「淡々と時系列に沿って配列していく」方針からすれば、そうするのが自然である。 例えば、扶桑社と同じ平成17年版の東京書籍は、育鵬社と同じ1185年説の立場から、鎌倉幕府の成立を次のように記している。1)と③は、私が付した番号である。
  
 1)平氏の滅亡後、義経が頼朝と対立すると、頼朝は義経をとらえることを口実に朝廷に強くせまり、国ごとに守護を、荘園や公領ごとに地頭を置くことを認めさせ、③鎌倉幕府を開いて武家政治を始めました。(52頁)

 にもかかわらず、育鵬社は、③④を1192年説の扶桑社と同じ位置に置き、しかもデッドコピーの文章を記してしまった。○○氏という人物が本当に自分の頭で文章を紡いだのだとしたら、あり得ないことである。○○氏は、ほとんどものを考えず、ただ丸写ししていったのであろう。そして、育鵬社の編集部も、執筆者として名前を出している人たちも、その不手際をチェックできなかったのである。

 それでも、育鵬社は著作権侵害を否定するのであろうが、盗作したことは否定しようがない事実である。そのことを如実に示すのが、「鎌倉幕府の成立」の箇所の例なのである。

  ○○氏には、是非とも説明してもらいたい。1185年説に立ち、一から自分の頭で書いた記述が、どうして、1192年説の教科書と同じ事項の選択と配列を行うことになるのであろうか。

  また、○○氏は、次のように陳述していた。

  執筆 に あ た り 、 そ の よ う な 方 々 の 著 書 の 内容 が 念 頭 に あ っ た こ と は 当然 で す し 、 記 述 に類 似 点 が あ る と い う な ら そ の よ う な 思 想 の 近 さ が 内容 に も 反 映 し て い る 点 が あ る も の と 思 わ れ ま す 。 無論 、 一 度 私 の 中で咀嚼し 血 肉化 さ れ た 歴 史 認 識に 基 づ く 文 章 は 、 そ の 素材が だ れ の も の で あ れ 私 自身 の 作 品 で あ る こ と は論 を 待 ち ま せ ん  (乙42号証)。

   それゆえ、○○氏には是非とも説明してもらいたい。「一 度 私 の 中で咀嚼し 血 肉化 さ れ た 歴 史 認 識に 基 づ く 文 章 」が、何故にデッドコピーになってしまったのであろうか。

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