「つくる会」は歴史教科書の著作権を守るため闘う―――コピペ教科書を合法とする東京地裁判決―――

今回は、『史』平成27年3月号掲載の以下の論稿を掲載する。
 下記論稿で記したように、東京地裁判決の論理が二審等でも認められていけば、今後は、単元本文などは、他社から気に入ったところを抜粋して新教科書を作ればよいことになる。盗作しても著作権侵害ではないのだから、どんどんやればいいという風潮が生まれよう。もはや、教科書検定制度は成り立たなくなっていくだろう。

 
「つくる会」は歴史教科書の著作権を守るため闘う―――コピペ教科書を合法とする東京地裁判決―――
                                                小山常実


 47箇所全ての著作物性を否定した地裁判決 

   平成26年12月19日、東京地裁は、不当判決を下した。25年4月15日、『改訂版 新しい歴史教科書』(扶桑社版、平成16年度検定、18~23年度使用)の代表執筆者である藤岡信勝氏は、伊藤隆・八木秀次他『新しい日本の歴史』(育鵬社、平成22年度検定、24~27年度使用)の記述が、『改訂版 新しい歴史教科書』の単元本文の記述を流用し、藤岡氏の著作権を47箇所にわたって侵害しているとして東京地裁に訴えた。原告は、『新しい日本の歴史』の市版本の出版停止や損害賠償は求めたが、教科書自体の出版停止は求めなかった。原告及び「つくる会」執行部が、教育現場を混乱させたくないと考えたからである。このように穏健な請求であったにもかかわらず、原告の請求は全て棄却された。

 一審で被告側は何を主張したか。著作権侵害が認められるには、①依拠性、②類似性、③著作物性の3つの要件が揃うことが必要である。①依拠性とは育鵬社教科書が扶桑社教科書を基にして作られたかどうかということ、②類似性とは育鵬社教科書と扶桑社教科書が類似しているかどうかということ、③著作物性とは、扶桑社教科書が育鵬社教科書と類似している部分が創作性のある表現であるかどうか、その部分に著作権法で保護される著作権が認められるかどうかということである。この三点が全て肯定されて初めて著作権侵害となる。

  被告側は、依拠性については否定しようがなく、類似性もあっさり認めてしまった。『新しい日本の歴史』には『新しい歴史教科書』と酷似した文章が散見されるからである。その上で、コラムと異なり教科書単元本文には著作物性はほとんどないと主張し、著作権侵害を指摘された47箇所全てに著作物性はない、著作権はないと主張した。判決は、被告の主張を受け入れ、47箇所全て著作物性を否定し、著作権侵害を否定したのである。

 歴史教科書の著作権を否定した地裁判決の論理 

   地裁判決が著作物性を否定する論理はどのようなものか。裁判過程で一番の焦点になったのは、47箇所それぞれにおいて『新しい歴史教科書』が行った【事項の選択】が創作性のあるものかどうかということだった。

 例えば、「リットン調査団」の箇所では、『新しい歴史教科書』は、a《調査団が日本軍の撤兵を勧告した事実》を記すだけではなく、b《満州における日本人の権益がおびやかされていた事実を調査団が認めたこと》、c《停戦協定が日本と中国の間で結ばれたこと》という二つの事項をも選択している。これに対して他社は、日本側に不利なaだけを取り上げ、日本側に有利なbcの歴史事実は無視してしまう。満州事変以降の戦は全て日本側が一方的に悪いのだという意識を生徒に植え付けるためである。他社に比べて、『新しい歴史教科書』はバランスのとれた【事項の選択】をしており、バランスのとれた歴史認識を中学生の中に育む効果を持つ。その意味で『新しい歴史教科書』の「リットン調査団」の記述は、創作性があり、著作物性がある。そして、育鵬社版教科書は、この創作性を模倣して同一の【事項の選択】を行い、同一の順序で表現し、類似した文章表現を行ったのである。

 しかし、判決は、『新しい歴史教科書』の【事項の選択】はありふれたものであり、何の創作性もないから著作物性はないと判定した。判決は、一般論としては創作性のある【事項の選択】があった場合には著作物性が認められるとするが、すぐに、歴史教科書の場合は検定基準他の制約があるから創作性が表れにくいとする。その上で、『新しい歴史教科書』が選択した事項を他社の中で1社でも取り上げていれば、それだけで『新しい歴史教科書』の創作性を否定する。更には、他社が全く取り上げていない事項を選択したとしても、『国史大辞典』や一般歴史書の中で既に記載があれば、創作性は認められないと言うのである。「リットン調査団」のケースでも、調査団が日本の権益を認めたことが『国史大辞典』に記載があることを以て、創作性を否定したのである。

  しかし、歴史書や辞典などで記載されていないことを教科書が取り上げることは許されないし、取り上げても検定不合格となってしまうだけである。ここまで言ってしまえば、判決は、歴史教科書には著作権は存在しないと宣言したに等しいのである。何とも非常識極まりない判決である。
 
 デッドコピーも不問にした判決

 今回の判決の非常識さは、デッドコピーも不問にしたという点にも現れている。例えば、「国分寺建立」の箇所では、育鵬社は『新しい歴史教科書』をほぼデッドコピーしている。二つの教科書を引用しよう。

○『新しい歴史教科書』
聖武天皇は、国ごとに国分寺と国分尼寺を置き、日本のすみずみにまで仏教の心を行き渡らせることによって、国家の平安をもたらそうとした。都には全国の国分寺の中心として東大寺を建て、」

○『新しい日本の歴史』
聖武天皇は、国ごとに国分寺と国分尼寺を建て、日本のすみずみに仏教をゆきわたらせることで、政治や社会の不安をしずめ、国家に平安をもたらそうとしました。また、都には全国の国分寺の中心として東大寺を建立し、」

 育鵬社版は、『新しい歴史教科書』の文体を敬体に変え、「政治や社会の不安をしずめ」を付加すればほぼ出来あがる。両者の文章は、複製として捉えられるほど酷似している。こういう例さえも、判決は著作権侵害としなかった。年表などの場合でも、デッドコピーは著作権侵害と見なされる。ところが、判決は、教科書の中心部分である単元本文のデッドコピーさえも不問にしたのである。

 今後の教科書はコピペで作れることになる  

   さて、今回の判決が確定すれば、どうなっていくか。今後は、歴史教科書は、他社の教科書と同一の事項を選択し同じ順序で表現しても、更には文章もそのまま盗んでも著作権侵害ではないということになっていく。コピペ教科書の合法化である。  

  これは、日本の検定教科書制度にとって深刻な事態である。筆者はこの10年弱ほど教科書執筆の経験をしたが、その時間と労力の掛け方は半端なものではなかった。数十枚の論文を仕上げるよりも一単元分の本文を仕上げる方が大変な感じさえしている。その単元本文に著作権が認められないとしたら、誰も、教科書執筆のために学説研究に時間をかけたり、文章執筆に頭を悩ませたりしなくなる。教科書作成のインセンティブが与えられなくなるのである。その結果、各社教科書の単元本文が酷似していき、指導要領の範囲内で多様な教科書が競い合うことを前提につくられた検定制度が崩れていくことになろう。そればかりか、教科書の質も当然に低下していき、ひいては、日本の文化が崩れていくことにもなりかねない。筆者は、非常にそのことを恐れる。それゆえ、控訴審では何としても勝訴を勝ち取り、歴史教科書の著作権を守らなければならない。

 育鵬社歴史教科書は有名人は誰も執筆していない

 最後に、裁判の過程で分かったことを一つ紹介しておきたい。それは、育鵬社版歴史教科書の単元本文を執筆したのは、伊藤隆氏や八木秀次氏などではないということである。

 育鵬社や八木氏によれば、単元本文すべてを執筆したのは、中学校教員の○○氏であるということだった。育鵬社側は、概略、次のように主張した。前に藤岡氏らから著作権訴訟を提起されていたから、一から本文を起稿する方針を立て、中学校教員の○○氏に依頼した。○○氏は、他社の教科書を参考にしながら、一から起稿した。伊藤氏や八木氏らは文章をチェックしただけである。

 この主張が事実なら、また新たな問題が発生する。育鵬社等は、『新しい日本の歴史』は伊藤氏や八木氏等の保守言論人が執筆したものですよ、という嘘をついて採択を勝ち取っていったということになる。育鵬社版を採択した教育委員会や教育現場に対する裏切り行為以外の何物でもない。ちなみに、「つくる会」の教科書は、歴史・公民とも、単元本文やコラムは奥付に名前を連ねた執筆者が自ら執筆している。八木氏や伊藤氏らは、教科書執筆のために学説研究と文章執筆に時間と労力をかけたくなかったのであろう。

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