江差追分事件最高裁判決の分析―――育鵬社歴史教科書事件理解のために 補記2014年7月23日

 今回は、育鵬社が最も依拠していると思われる平成13年6月28日江差追分事件最高裁判決について分析していこう。
 
 原告書籍と被告ナレーション 

まず、三回前の記事で記した事件の経過を振り返っておこう。1990年10月18日、NHKはドキュメンタリー『ほっかいどうスペシャル・遥かなるユーラシアの歌声――江差追分のルーツを求めて』(函館局制作)を放送した。このドキュメンタリーは、木内宏氏のノンフィクション『北の波濤に唄う』(講談社、1979年。その後朝日文庫)を一つの参考文献とし此れに依拠して作られたにもかかわらず、その点を番組の中で断らなかった(最高裁判決の中での事実認定)。そこで、木内宏氏は、『北の波濤に唄う』等2冊の著作権を侵害したものだとして提訴した。一番の争点は、ドキュメンタリーで流されたナレーションの一部が『北の波濤に唄う』の翻案権を侵害しているかどうか、ということだった。

 両者の具体的文章表現は、比較のために再度以下に掲げておこう。
 
『北の波濤に唄う』プロローグ――むかし鰊漁で栄えたころの江差は、その漁期にあたる四月から五月にかけてが一年の華であった。鰊の到来とともに冬が明け、鰊を軸に春は深まっていった。
 彼岸が近づくころから南西の風が吹いてくると、その風に乗った日本海経由の北前船、つまり一枚帆の和船がくる日もくる日も港に入った。追分の前歌に、
  松前江差の 津花の浜で
  すいた同士の 泣き別れ
 とうたわれる津花の浜あたりは、人、人、人であふれた。町には出稼ぎのヤン衆たちのお国なまりが飛びかい、海べりの下町にも、山手の新地にも、荒くれ男を相手にする女たちの脂粉の香りが漂った。人々の群れのなかには、ヤン衆たちを追って北上してきた様ざまな旅芸人の姿もあった。
 漁がはじまる前には、鰊場の親方とヤン衆たちの網子合わせと呼ぶ顔合わせの宴が夜な夜な張られた。漁が終れば網子わかれだった。絃歌のさざめきに江差の春はいっそうなまめいた。「出船三千、入船三千、江差の五月は江戸にもない」(傍線部は引用者、以下同じ)の有名な言葉が今に残っている。
 鰊がこの町にもたらした莫大な富については、数々の記録が物語っている。
 たとえば、明治初期の江差の小学校の運営資金は、鰊漁場に建ち並ぶ遊郭の収益でまかなわれたほどであった。
 だが、そのにぎわいも明治の中ごろを境に次第にしぼんだ。不漁になったのである。
 鰊の去った江差に、昔日の面影はない。とうにさかりをすぎた町がどこでもそうであるように、この町もふだんはすべてを焼き尽くした冬の太陽に似た、無気力な顔をしている。
 五月の栄華はあとかたもないのだ。桜がほころび、海上はるかな水平線にうす紫の霞がかかる美しい風景は相変わらずだが、人の叫ぶ声も船のラッシュもなく、ただ鴎と大柄なカラスが騒ぐばかり。通りがかりの旅人も、ここが追分の本場だと知らなければ、けだるく陰鬱な北国のただの漁港、とふり返ることがないかもしれない。
 強いて栄華の歴史を風景の奥深くたどるとするならば、人々はかつて鰊場だった浜の片隅に、なかば土に埋もれて腐蝕した巨大な鉄鍋を見つけることができるだろう。魚かすや油をとるために鰊を煮た鍋の残骸である。
 その江差が、九月の二日間だけ、とつぜん幻のようにはなやかな一年の絶頂を迎える。日本じゅうの追分自慢を一堂に集めて、江差追分全国大会が開かれるのだ。
 町は生気をとりもどし、かつての栄華が甦ったような一陣の熱風が吹き抜けていく。


「ほっかいどうスペシャル 遥かなるユーラシアの歌声―江差追分のルーツを求めて―」のナレーション――日本海に面した北海道の小さな港町、江差町。古くはニシン漁で栄え、「江戸にもない」という賑いをみせた豊かな海の町でした。
 しかし、ニシンは既に去り、今はその面影を見ることはできません。    
 九月、その江差が、年に一度、かっての賑いを取り戻します。民謡、江差追分の全国大会が開かれるのです。大会の三日間、町は一気に活気づきます。 
 

  江差追分事件はジャンルの違う者同士の事件である 

  両者の文章表現の比較の前に、まず確認しておかなければならないのは、江差追分事件の場合はノンフィクションとドキュメンタリー番組のナレーションというジャンルの違うもの同士の問題だという事である。その点で、同じジャンルの歴史教科書同士の問題である育鵬社歴史教科書事件の場合とは異なるという事を確認しておかなければならない。同一ジャンルの場合には、当然に原告の著作権の保護は手厚くならなければならない。

  具体的文章表現は類似していない 

  ということを確認した上で、読み比べてみよう。両者は、具体的な文章表現のレベルでは全く類似していないというべきである。唯一類似しているのは「江戸にもない」という部分だけである。しかし、「江戸にもない」といわれたことは歴史事実であり、一般的知見であるという。育鵬社盗作問題は、そもそも具体的文章表現が酷似しているから問題となったのであり、この点で江差追分事件とは全く異なることを確認しておかなければならない。当然に、具体的文章表現が類似している育鵬社歴史教科書事件の場合には、原告の著作権の保護は手厚くならなければならない。

  要するに、文章表現が全く類似していない江差追分事件と類似・同一の育鵬社歴史教科書事件、ジャンルの違う者同士の江差追分事件とジャンルの同じ育鵬社歴史教科書事件、という二点の基本的な違いがあるのである。この二点から、育鵬社歴史教科書事件は、江差追分事件よりも、比較にならないほど原告を保護すべき事件である。

 最高裁判決を通じて見る原審判決 

  私の感覚からすれば、原告の怒りはもっともではあるが、これだけ具体的文章表現が似ていないケースで著作権侵害を認めるべきではないと思われる。しかし、一審と二審では、原告が勝訴し、著作権使用料相当損害金20万円,著作者人格権(氏名表示権)侵害の慰謝料20万円、弁護士費用20万円の支払いを命じた。一審二審の論理構成を、最高裁判決を通してみておこう。平成13年6月28日江差追分事件最高裁判決は、原審の論理を次のようにまとめている。

(1) 本件プロローグと本件ナレーションとは,①江差町がかつてニシン漁で栄え,そのにぎわいが「江戸にもない」といわれた豊かな町であったこと,②現在ではニシンが去ってその面影はないこと,③江差町では9月に江差追分全国大会が開かれ,年に1度,かつてのにぎわいを取り戻し,町は一気に活気づくことを表現している点において共通している。このうち,江差町がかつてニシン漁で栄え,そのにぎわいが「江戸にもない」といわれた豊かな町であったこと,現在ではニシンが去ってその面影はないことは,一般的知見に属する。しかし,現在の江差町が最もにぎわうのは,8月の姥神神社の夏祭りであることが江差町においては一般的な考え方であり,これが江差追分全国大会の時であるとするのは,江差町民の一般的な考え方とは異なるもので,江差追分に対する特別の情熱を持つ被上告人に特有の認識である。

 (2) 本件ナレーションは,本件プロローグの骨子を同じ順序で記述し,表現内容が共通しているだけでなく,1年で一番にぎわう行事についての表現が一般的な認識とは異なるにもかかわらず本件プロローグと共通するものであり,また,外面的な表現形式においてもほぼ類似の表現となっているところが多いから,本件プロローグにおける表現形式上の本質的な特徴を直接感得することができる。

 (3) したがって,本件ナレーションは,本件プロローグを翻案したものといえるから,本件番組の製作及び放送は,被上告人の本件著作物についての翻案権,放送権及び氏名表示権を侵害するものである。
 

  傍線と丸数字は私が付したものである。(1)では、両者の内容上の共通点を①②③の3点取りだしている。そして、《①江差町がかつてニシン漁で栄え,そのにぎわいが「江戸にもない」といわれた豊かな町であったこと》と《②現在ではニシンが去ってその面影はないこと》については一般的知見と捉える。これに対して《③江差町では9月に江差追分全国大会が開かれ,年に1度,かつてのにぎわいを取り戻し,町は一気に活気づくこと》については、木内氏特有の認識と捉える。

 その上で(2)では、番組のナレーションが、『北の波濤に唄う』プロローグにおける「表現形式上の本質的な特徴を直接感得することができる」ものであるかどうか検討し、肯定している。その理由は、以下の二点である。一つは、内面的表現形式で共通しているということである。

 内面的表現形式について説明するならば、通説判例とも、あるいは諸外国でも、思想(感情を含む)と表現の二分論をとっており、思想それ自体は保護されないが、表現は保護されるとする。そして、保護される表現には、内面的表現形式と外面的表現形式があるとされる。言語著作物の場合、外面的表現形式とは具体的な文章表現のことである。内面的表現形式とは、著作物の思想感情の体系のことであり、歴史本やノンフィクションなどに即して言えば、具体的には事実の選択と配列のことを指す。小説などでは具体的なストーリー(抽象的なストーリーは思想のレベルとなる)などを指す。そして、内面的表現形式の内部にある内容自身は思想と位置づけられ、直接には保護の対象とならない。  *中山信弘『著作権法』(有斐閣、2007年)47~48頁 

  このような内面的表現形式の点で比較すると、番組のナレーションとプロローグとは、共に①②③の3つの事実を選択し、①②③の順序で配列している。3者とも一般的知見ならばともかくとして、③は木内氏特有のものであるから、プロローグが行った選択・配列はありふれたものではなく、創作性のある保護すべき内面的表現形式ということになる。

 二つは、外面的表現形式が「ほぼ類似の表現」だということである。更に、傍線部の「表現内容が共通しているだけでなく,1年で一番にぎわう行事についての表現が一般的な認識とは異なるにもかかわらず本件プロローグと共通するものであり」という文言にこだわるならば、三つ目の理由を原審が挙げていると最高裁は判断したのかもしれない。とすれば、内容の共通性ということが三点目の理由となる。

 ただし、内容自身は著作権法の保護対象ではないから、三点目を理由として挙げるのは適切ではないことになる。

 余りにもおかしな一審二審判断

  さて、重要な一点目と二点目であるが、簡単な二点目からふれれば、これは全くおかしな判断である。一体、どこが「ほぼ類似」なのであろうか。原告を勝たせるために、歪んだ判断をしたとしか思えない。

  また、一つ目もおかしな判断である。ナレーションは①②③の三点にまとめられるけれども、『北の波濤に唄う』プロローグはナレーションの6倍程度の分量をもち、これを三点にまとめてしまうのはどうなのかという気がする。また、③は木内氏特有のものであるにしても、①②③という選択・配列には創作性はないとは言わないが大した創作性はないのではないかと言う気がする。

 もっとも、内面的表現形式の点でさほど創作性がないとしても、例えばナレーションの中に①②③のいずれであろうと、プロローグを引き写したような部分があれば、話は別であろうが。

 ともあれ、内面的表現形式で共通し、外面的表現形式で類似していると位置づけた上で、一審と二審は、ナレーションが、プロローグにおける「表現形式上の本質的な特徴を直接感得することができる」と捉えた。そして、原告木内氏の翻案権,放送権及び氏名表示権を侵害すると結論付けたのである。

 最高裁の理論構成 

  しかし、既に述べてきたところから分かるように、一審と二審の判断は当を失していると言わざるを得ない。それゆえ、最終的には、平成13年6月28日、最高裁は逆転で原告敗訴の決定を下した。次に最高裁の理論構成を検討していくこととしよう。

 まず、一審二審の(1)に相当する箇所では、一審二審と同じ判断をしている。すなわち、両者の内容上の共通点を①②③の三点で捉え、③だけを原告特有の認識と捉えている。

 そのうえで、一審二審の(2)に相当する箇所では、ナレーションが、プロローグにおける「表現上(原審では「表現形式上」と表記)の本質的な特徴を直接感得することができる」かどうか検討している。そして、「本質的な特徴を直接感得できない」として、原告の翻案権,放送権及び氏名表示権を侵害したものではないと結論付けている。最高裁では、裁判官の全員一致で、原告が逆転敗訴となったのである。

 その理由として挙げられているものを拾っていくと、4点存在する。第一に表現内容に関してであるが、①②については、一般的知見に属しありふれた事実であるから、表現ではない部分の同一性にすぎないとする。③については、ありふれた事実ではないが、アイデアないし認識であるから、同じく表現ではない部分の同一性にすぎないとする。

 第二に外面的な表現形式に関してであるが、「具体的表現においても両者は異なったものとなっている」と判断している。具体的表現が類似していたとしてもそれがありふれた表現とされる場合には著作権の侵害はないとされるわけであるが、そもそも類似していないとされたのである。一審二審とは正反対の判断である。

 第三に内面的表現形式に関してであるが、プロローグには記述順序に特に独創性が見られないとし、「表現上の創作性が認められない部分において同一性を有するにすぎない」とする。これも正反対の判断である。
 以上三点を挙げた後、最後に、最高裁判決は次のように結論付けている。
 
 しかも、上記各部分から構成される本件ナレーション全体をみても,その量は本件プロローグに比べて格段に短く,上告人らが創作した影像を背景として放送されたのであるから、これに接する者が本件プロローグの表現上の本質的な特徴を直接感得することはできないというべきである。 

 上記の記述を見るならば、第四の理由として、分量の違いに加えて、映像と書籍というジャンルの違いを挙げていると見ることも出来るかも知れない。

 こうして、最高裁は、以上四点の理由から、被告ナレーションは、原告プロローグにおける「表現上の本質的な特徴を直接感得することはできない」ものと位置づけ、プロローグを勝手に翻案したものとは言えない、原告の翻案権を侵害したものとは言えないとしたのである。

 最高裁判決の要旨 

  判例として見た場合には、第一・第三の二点が重要である。最高裁は以下のように判決要旨を二点まとめている。

【判決要旨】1 言語の著作物の翻案とは、既存の著作物に依拠し、かつ、その表現上の本質的な特徴の同一性を維持しつつ、具体的表現に修正、増減、変更等を加えて、新たに思想又は感情を創作的に表現することにより、これに接する者が既存の著作物の表現上の本質的な特徴を直接感得することのできる別の著作物を創作する行為をいう。
 
2 既存の言語の著作物に依拠して創作された著作物が、思想、感情若しくはアイデア、事実若しくは事件など表現それ自体でない部分又は表現上の創作性がない部分において、既存の著作物と同一性を有するにすぎない場合には、その翻案に当たらない。


  判決要旨1から言えば、翻案に関する傍線部のような定義は、判例学説に大きな影響を与えていく。「表現上の本質的な特徴を直接感得すること」が出来るか否かということが、翻案権を侵害しているかどうか判定する時の大きな基準となっていく。

 判決要旨2では、二つの著作物の間で同一性があるとしても、翻案に当たらないという場合が整理されている。ここには、上記四点のうち特に第一と第三の理由が込められている。

  判決要旨から抽出される3つの論理

  判決要旨から、後行著作物が先行著作物との間で同一性があったとしても、著作権侵害ではない場合を抽出してみよう。

 (1) 思想、感情若しくはアイデアは表現ではないから、著作権の保護を受けない。
   ……江差追分事件で言えば、内容の③
 (2)事実若しくは事件は表現ではないから、著作権の保護を受けない。
   ……江差追分事件で言えば、内容の①②
 (3) 表現上の創作性がない部分は、著作権の保護を受けない。
   ……江差追分事件で言えば、内面的表現形式すなわち①②③という選択・配列

 
  3つの論理そのものは一般的なものであり、妥当なものである。育鵬社は、最高裁判決要旨から抽出したこの3つの論理を使い、3つの論理を不当に拡大させて使っているわけである。

  江差追分事件と育鵬社歴史教科書事件は性格が違う 

  だが、再度言うが、江差追分事件はジャンルの違う者同士の事件である。そして、それ以上に、先行著作物と後行著作物との間に具体的文章表現あるいは外面的表現形式の点において全く共通性がない事件であり、「表現上の本質的な特徴を直接感得することができない」事例である。それゆえ、著作権侵害を認めた一審と二審の判断は当を失したものであった。その点を正す意識から、最高裁判決の要旨が書かれ、判決理由が書かれたということを忘れてはいけない。

  それに対して、育鵬社歴史教科書事件は、歴史教科書という同一ジャンル同士の事件である。そして、具体的な文章表現が酷似した事件であlり、「表現上の本質的な特徴を直接感得することができる」事例である。

  江差追分事件と育鵬社歴史教科書事件とは、余りにも違う性格の事件なのである。

  
補記……江差追分事件では、上記の様に具体的文章表現ではほとんど類似していないにもかかわらず、一審二審では著作権侵害とされた。比較の為、育鵬社『新しい日本の歴史』が先行する扶桑社『新しい歴史教科書』とどの程度類似しているのか知っていただくために、《稲作開始》をめぐる両者の記述を以下に掲げることにする。特に第一段落が完全な引き写しであることに注意されたい。……2014年7月23日記す

■資料《稲作開始》をめぐる扶桑社『新しい歴史教科書』(平成18~23年度使用)と育鵬社『新しい日本の歴史』(平成24~27年度使用)の比較

○扶桑社
単元4「稲作の広まりと弥生文化」下、「水田稲作の始まり」の小見出し下、
すでに日本列島には、縄文時代に大陸からイネがもたらされ、畑や自然の水たまりを用いて小規模な栽培が行われていたが、紀元前4世紀ごろまでには、灌漑用の水路をともなう水田を用いた稲作の技術が九州北部に伝わった。稲作は西日本一帯にもゆっくりと広がり、海づたいに東北地方にまで達した。 
  稲作が始まると、これまで小高い丘に住んでいた人々は、稲作に適した平地に移り、ムラ(村)をつくって暮らすようになった。人々は共同で作業し、大規模な水田がつくられるようになった。稲穂のつみ取りには石包丁が用いられ、収穫して乾燥させた稲を納める高床式倉庫が建てられた。ムラでは豊かな実りを祈り、収穫に感謝する祭りが行われた。」(24頁)


○育鵬社
単元4「稲作・弥生文化と邪馬台国」下、「水田による稲作」の小見出し下、
わが国には、すでに縄文時代末期に大陸からイネがもたらされ、畑や自然の湿地で栽培が行われていました。その後、紀元前4世紀ごろまでに、灌漑用の水路をともなう水田での稲作が、大陸や朝鮮半島から九州北部にもたらされると、稲作はしだいに広がり、東北地方にまで達しました。 
  本格的な稲作が始まると、人々は平野や川のほとりに住み、ムラ(村)をつくるようになりました。人々は協力して作業を行い、木のすきやくわで水田を開き、石包丁で稲の穂をつみ取って収穫しました。稲穂は湿気やねずみを防ぐため高床式倉庫で保存されました。」(24頁)






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