独立国を目指す憲法、属国化と滅亡を目指す「憲法」―――大日本帝国憲法と「日本国憲法」の違い、転載歓迎

  年末と1月下旬の2回、大日本帝国憲法と「日本国憲法」との違いを考察する機会を得た。まずは年末に、『インテリジェンスレポート』2014年2月号のために、【日本人差別「憲法」―――「日本国憲法」の憲法としての無効確認を―――】をまとめた。次いで1月下旬、日本史検定講座の8時間目として、【大日本帝国憲法と「日本国憲法」】という講義を行った。1月31日には勤務校で教員として最後の講義を行ったが、検定講座の講義内容のうち「日本国憲法」に関する部分を編集し直し、最後の20分程度の時間を使って講義した。詰め込み過ぎたため、学生諸君には分かりにくくなったのではないかと悔やんでいる。

  それはともかく、2回の機会を得て改めて強く想うことがあった。それは二点にわたる。一つは、大日本帝国憲法と「日本国憲法」との本質的違いは、主権論や権利論などにあるのではないということである。国際秩序との関係でどういうスタンスを取っているかという点に、両者の本質的な違いがあるのである。結論を先取りして言えば、大日本帝国憲法は半独立国であった日本が独立国を目指すために作った憲法であるのに対し、「日本国憲法」は独立国であった日本を属国化し、ひいては滅ぼすために作られた「憲法」であるということだ。

  二つは、一つ目の点から必然的に帰結することであるが、「日本国憲法」改正では日本はじょじょに滅んでいくということだ。安倍首相はそれなりに頑張っているが、「日本国憲法」改正路線でいく限り、転げ落ちていくスピードを緩めることしか出来ないであろう。もちろん、スピードを緩めて時間稼ぎを行うことは重要な役割ではあるけれども。

  なかなか文章にまとめる暇もなく気力も沸かなかったが、何とか一の点だけでもまとめ、大日本帝国憲法と「日本国憲法」との本質的違いを明らかにしていきたい。タイトルは【独立国を目指す憲法、属国化と滅亡を目指す「憲法」―――大日本帝国憲法と「日本国憲法」の違い】とする。



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     独立国を目指す憲法、属国化と滅亡を目指す「憲法」―――大日本帝国憲法と「日本国憲法」の違い  


 はじめに

  昭和11(1936)年2月初旬、岡田啓介内閣は、条約における天皇の呼称を「皇帝」から「天皇」へ、日本国の呼称を「日本国」から「大日本帝国」へ、変化させることを閣議決定した。この決定に基づき、例えば、昭和16(1941)年4月、日ソ中立条約では「大日本帝国天皇陛下」という呼称が使われている。国家の呼称に注目すれば、日本国家は対外的にもようやく「大日本帝国」となった。

  ところが、昭和21(1946)年、大日本帝国憲法を改正したと称して「日本国憲法」と称するものがつくられた。そして、条約上も「日本国」という呼称が再び使われるようになった。

  このような国家の呼称の歴史を振り返ると、大日本帝国という名称の思想性、日本国という名称の思想性を考察することが必要であるといわねばならない。「大日本帝国憲法」は、なぜ大日本帝国という名称を選んだのか。それは、開国以来の日本が英国を初めとした欧米列強にくらべて小さな国であったからである。小さな日本が気宇壮大に、英国やフランス等と対等に付き合っていくという意識を込めて、「大日本帝国」と称したといえる。したがって、「大日本帝国」という呼称には、独立国を目指すという気概が込められている、独立国を目指すという意味合いが込められているのである。その点は、先進国となったとはいえ、決して大きな国ではない韓国が「大韓民国」と称して独立を維持してきたのと同じ意味合いがあるといえよう。

  逆に「日本国憲法」は、なぜ「日本国」という名称をわざわざ選んだのであろうか。それは、独立国だった日本を少なくとも属国化することを目指している意味合いがあるといえよう。実際、現在の日本が米国の属国であるということは、左翼を含めて多数の人が述べている事実である。
 以下、国際秩序との関連に注目しながら、大日本帝国憲法が独立国を目指す憲法であること、「日本国憲法」が属国を目指す「憲法」であることを論じていきたい。
 
  華夷秩序体制と日本

  大日本帝国憲法が作られた19世紀後半の時代は、アジアでは、清を中心とする華夷秩序体制とイギリスを中心とする国際法体制とがせめぎあっていた。

  華夷秩序体制とは、簡略化すれば、中国側の視点からすれば、次のように諸国家が三階層に区分される体制であった。上位には中華=「上国」が位置し、ここには天朝の皇帝が君臨していた。中位には被冊封国といわれる諸国家が位置していた。被冊封国は、朝貢貿易を行い、朝貢使節を送るだけではなく、中国皇帝から王として任命されていた。朝鮮や琉球、ベトナム、シャム、ラオス、ビルマなど、多くのアジア諸国が被冊封国であった。下位には、朝貢国(狭義)と言われる諸国家が位置していた。これらの諸国は、朝貢貿易を行い、朝貢使節を送ることはあるが、冊封を受けない国である。19世紀半ばまでのイギリス、バチカン、ポルトガルといった諸国がこれに当てはまる。

  上に挙げた三階層の諸国は華夷秩序体制の中に位置する国であったが、この体制の外に互市国と言われる諸国が存在した。ロシアや日本がその代表例である。互市国は、中国との間で対等貿易を行う諸国である。日本がいち早く国際法体制に適応できたのは、被冊封国や朝貢国ではなく、互市国の位置にあったからである。

 国際法体制と日本

  これに対する国際法体制も、次のように諸国家が三階層に区分される体制であった。上位には独立国が位置していた。独立国には、西欧、米国、ラテンアメリカといった「ヨーロッパ親族」の国があった。中位には半独立国が位置していた。半独立国には、植民地になる以前のアジア諸国やアフリカ諸国があった。半独立国とはいっても基本的には主権国家であり、独立国や半独立国相互の間では主権平等の原則が認められていた。そして下位には被保護国や植民地が位置していたが、ほとんどのアジア・アフリカ諸国は、半独立国から被保護国を経て植民地に転落していった。

  開国によって半独立国と位置づけられた日本は、欧米人の治外法権を認め、関税自主権を失った。そのうちでも治外法権が、例えばノルマントン号事件のような理不尽な出来事を発生させていく。明治19(1886)年10月、英国船ノルマントン号が紀伊半島大島沖で難破し、日本人乗客25人または23人全員が溺死した。英国人乗組員40名(1名インド人給仕)のうち27名はボートで逃れたが、日本人乗客は見殺しにされた。ドレイク船長は、神戸で領事裁判を受けたが、無罪となる(11月9日)。さすがに日本の世論が沸騰したため、横浜で領事裁判をやり直したが、船長は、職務を怠った罪で、懲役3ヵ月の判決を受けただけであった(12月8日)。死者への賠償金は一文も出なかった。

  では、なぜ、日本は独立国になれず治外法権を認めざるを得なかったのか。理由は2つ存在する。1つは、「ヨーロッパ親族」ではないこと、特に西欧的法体制の欠如である。もう1つは、軍事力の弱さである。

  そこで、明治日本は軍事力を整備するとともに、西欧的法体制をつくるべく、民法や刑法などと共に大日本帝国憲法を制定した。明治22(1889)年のことである。つまり、独立国を目指して、大日本帝国憲法が作られたのである。事実、日本は、明治27(1894)年に治外法権を撤廃し、44年には協定関税制を廃止し関税自主権を回復し、条約改正を達成していくのである。
 
  独立国を目指す大日本帝国憲法 

  大日本帝国憲法は、独立国を目指すために何を心掛けているであろうか。第一に、日本人自身が憲法を作ったという点を特筆しておかなければならない。「日本国憲法」の場合は外国人が作ったとしか言いようがないから、比較の点からも先ずこの点を取り上げておきたい。こんなことをわざわざ取り上げなければならないところに、「日本国憲法」の異常さがあることを感じていただきたい。

  第二に、日本固有の原理を国際的・普遍的原理よりも価値的に上位に位置づけた点を挙げておかなければならない。つまり、国体・政体二元構造を作ったのである。大日本帝国憲法は、総論と各論に分けて捉えることが出来る。総論は、第1条「大日本帝国ハ万世一系ノ天皇之ヲ統治ス」から4条前半「天皇ハ国ノ元首ニシテ統治権ヲ総攬シ」までの部分であり、国体論を規定した部分である。これに対して各論は、第4条後半「此ノ憲法ノ条規ニ依リ之ヲ行フ」以下の部分を指しており、政体論を規定した部分である。この分け方は私の分け方であるが、戦前憲法学の多数派は、1条から3条までを国体論、4条以下を政体論と理解していた。

  私のように理解しようと戦前憲法学の多数派のように理解しようと、国体論と政体論の関係は以下のようになる。国体論は歴史、伝統を保守する部分であり、変えてはならない部分である。したがって、憲法改正の対象とはならない部分である。もしも国体論の規定に手を付ければ、それだけでその憲法改正は無効なものとなる。これに対して、政体論は文明化、西欧化の部分であり、国際的・普遍的原理を意識した部分であり、時代と共に変化していく部分である。したがって、憲法改正の対象となる部分である。価値的に言えば、国体論は政体論よりも上位に位置づけられていた。

  このような国体政体二元論は、戦前憲法学にとっても、国民教育にとっても常識となっていた。しかし、この二元論のことを戦後の憲法学と歴史学とは隠してしまった。この隠蔽工作には、左翼も保守もない。左翼と保守は協同して、「日本国憲法」無効論を発生させないために、国体政体二元構造を隠蔽してきたのである。恐ろしい歴史偽造ないし歴史歪曲である。

  第三に、政体論の内容に注目すれば、自己決定できる国家の構成を目指している点を挙げておかなければならない。大日本帝国憲法は、戦争の権利を前提に統帥権・編制権(11条12条)、戒厳大権(14条)、そして何よりも戦時又は国家非常時における非常大権(31条)を規定した。戦争や内乱などの国家非常時に対応できる体制を整えていない国家は、必然的に大国に国家非常時の処理を委任することになり、いかに平時の体制をきちんと整えていたとしても、自己決定できない国家になっていく。そして属国となって行くしかないであろう。

  第四に、特に治外法権を撤廃するために、立憲主義の内容の政体論をつくり上げたことを指摘しておかなければならない。立憲主義は、①三権分立(四権分立)あるいは権力の抑制均衡、②大臣責任論、③代議制-間接民主主義、④権利の法による保障、⑤法治主義といった点に現れている。

  先に言ってしまえば、以上四点のうち、最初の三点は「日本国憲法」には受けつがれなかった。「日本国憲法」は、三点については正反対のものとなった。ただし、第四の点すなわち立憲主義の点は、基本的に受け継がれているといえよう。

  ルーズベルト構想―――普通の国から武力を取り上げよ

   大日本帝国憲法の下で独立国となり、更には第一次世界大戦後には五大国の一つにまでなった日本であるが、第二次世界大戦に敗北し、新しい世界秩序の中で最下層に位置づけられることになった。その新しい世界秩序は、中心には国際連合が存在しているから、国連体制と呼ぶのが相応しいであろう。

  国連体制を構想したのは、米国大統領フランクリン・ルーズベルトであった。ルーズベルトは、1944年のダンバートン・オークス会談で、「一般的国際組織樹立に関する提案」を行っている。この提案は、世界の諸国を、米ソを初めとした五大国、中小の「平和愛好国」、日本やドイツなどの敵国の三階層に区分した。上位には米国、ソ連、英国、中国(中華民国)の四大国、将来的には仏国を含む五大国が位置づけられていた。五大国は軍隊を保有する特権を保有し、世界の秩序を維持する責任と権利をもつとされた。世界秩序は、原則的には安全保障理事会が主導して各国から兵力を提供させて国連軍を形成して守るものとされた。ただし、例外的には、国連軍ができないときには、五大国が相談して国連に代わって国際平和の維持にあたるとされた。

  中位に位置付けられた中小の「平和愛好国」は、自衛権も否定され、軍隊も保有できないこととされた。だが、五大国と中小の「平和愛好国」との間には、一応、「主権平等の原則」が認められていた。理念的、価値的には、両者は対等な関係にあった。

  これに対して、日本やドイツなどの敵国は、五大国や中小の「平和愛好国」との間で「主権平等の原則」を認められていなかった。敵国は理念的、価値的に五大国などより明確に劣る下層の国として位置づけられたのである。

  国連憲章上の三層世界秩序

   以上のようなルーズベルト構想は、1945年4月にルーズベルト自身が死亡したことにより、一定の修正を経て、国連憲章という形で結実する。簡単に国連憲章が規定する国際秩序について説明しておこう。
 
  国連憲章前文や第一条にあるように、国連は「国際の平和及び安全を維持すること」を目的として設立された。その目的からして当然のことであるが、国連憲章が国連加盟国に対して第一に求めるものは、他の国家との紛争を平和的に解決する義務である(2条33条)。したがって、国連加盟国は、ある特定国を仮想敵国と設定した同盟条約を結んだり、武力攻撃も受けていない段階で武力を使うことを許されていない。

  第二条第一項に規定するように、一応、加盟国同士には主権平等の原則が認められている。だが、国連憲章は、ルーズベルト構想の通り、世界の諸国を三階層に区分している。上位には五大国が位置している。五大国は常任理事国として常に安全保障理事会のメンバーとなり、理事会における拒否権を有している(第27条③)。また、特別協定による国連軍ができるまで、制裁のための軍事行動を共同でとることができる(106条)。すなわち、五大国は、自衛戦争と制裁戦争の権利を有するのである。

  中位には中小の国連加盟国が位置する。中小の国は、ダンバートン・オークス会議では武力を放棄させられることになっていたが、自衛権を認められ、武装の権利、自衛戦争の権利を承認されることになった。

  下位には「敵国」が位置付けられている。「敵国」とは日本、ドイツ、ハンガリー、フィンランド、ブルガリア、ルーマニアの六か国である(イタリアも含まれるとする見解もある)。国連憲章には敵国条項と言われるものがあり、特に第53条①後段と第107条が問題の条項である。五大国や中小国は、「敵国の侵略政策の再現に備える」(第53条①後段)という名目や戦後処理が不十分という理由付け(第107条)で、「敵国」に対して、国連憲章の規定に拘束されずに、武力行動を含めた強制行動をとることができるとされている。すなわち、敵国に対しては「平和的解決の義務」を負わないのである。

 以上の展開から明らかなように、国連憲章は、極めて差別的な三層世界秩序の思想を表明したものである。そして、日本は、下層国として差別される「被差別国家」として位置づけられていることを肝に銘じなければならない。
 更に言えば、1945年から46年2月頃までの連合国は、25年間の期限付きではあるが、日本やドイツとの間で非武装化条約を結ぼうと考えていた(憲法制定の経過に関する小委員会『日本国憲法制定の由来』時事通信社、1961年)。1945年当時の連合国の構想では、期限付きとはいえ、「敵国」は、武装の権利、自衛戦争の権利を奪われていたのである。

  「日本国憲法」とは、この1945~46年当時の連合国の構想がストレートに持ちこまれた「憲法」である。日本を戦前の大国から下層国、それも自衛のための戦争と戦力さえも持てない下層国に落とす目的で作られたのが、「日本国憲法」である。したがって「日本国憲法」は、必然的に日本及び日本人を差別する「日本人差別憲法」となるのである。
 *三層世界秩序については、拙著『「日本国憲法」無効論』(草思社、2002年)第5章で展開しているので参照されたい。 

  日本及び日本人を差別する「憲法」の作り方

  では、憲法問題において、連合国は日本を下層国に落とすために何をしたであろうか。あるいは、どのように日本人を差別しているであろうか。

  先ず何よりも、日本及び日本人を差別する形で、「日本国憲法」をつくらせた。本来、独立国の憲法はその国の自由意志によって作らなければならないから、占領下で憲法をつくるべきではない。だが「日本国憲法」は、占領下に、しかもGHQの完全統制下という異常な状態で作られた。その異常性は、特に以下の三点に現れている。西ドイツのボン基本法との比較で見ていこう。

  第一に、ボン基本法の場合はドイツ人自身が起草することが許されたのに対し、「日本国憲法」の場合はGHQが、それも素人集団が原案を作った。第二に、ボン基本法の場合は、かなり自由に審議されたが、「日本国憲法」の場合は議会審議も完全にGHQに統制されていた。第三に、ボン基本法の場合は、憲法ではなく、「基本法」と位置付けることを許されたのに対し、「日本国憲法」の場合は「憲法」と位置づけさせられた。

  西ドイツの場合に「基本法」と称したのには、二つの理由がある。一つは占領下で作成されたこと、二つは東西にドイツが分断されていたことである。二点とも日本の場合にあてはまることである。二点目について説明を加えるならば、「日本国憲法」が作られた当時、沖縄・奄美・小笠原の地は日本本土から分断されていたことに注意を喚起されたい(二点目は南出喜久治氏が指摘していたように記憶している)。

  二点とも日本に当てはまるわけだから、ドイツと比較した場合、「日本国憲法」という名称はそもそもおかしな名称だと言わねばならない。「日本国憲法」ではなく、「日本国基本法」とか「日本国運営臨時措置法」とか称するべきであろう。今からでもそのような名称に変えたらどうか、と最近よく考えるようになっている。

  ともあれ、事実としては米国が、法的に言えば連合国が、ドイツ及びドイツ人と比べて日本及び日本人を差別的に扱ったという事実を確認すべきである。にもかかわらず、戦後の憲法学と歴史学、公民教科書と歴史教科書は、日本側が自由に「日本国憲法」をつくったという嘘物語を維持してきた。米国による国際法違反を指摘することさえせず、この嘘物語を維持し続けてきた。その結果、「憲法」成立過程を通じて、日本に対しては国際法など守らなくてもよいという前例が作られたのである。中国が日中平和友好条約の反覇権条項を守らず、日本に対して強圧的に出てきているのも、この前例を踏襲していると見る事もできよう。韓国が日韓条約を守らず、「従軍慰安婦問題」等で日本攻撃を行い続けていることについても、同様の見方ができよう。
 
  日本固有の原理の抹殺―――人類普遍の原理だけを取り上げる

   「日本国憲法」の日本人差別性は、作られ方だけにあるのではない。その内容自身が日本人を差別するものである。その差別性は、前文にしっかりと現れている。長くなるが、前文の第一段落全文と第二段落第一文を引用しよう。
 
第一段落  日本国民は、正当に選挙された国会における代表者を通じて行動し、われらとわれらの子孫のために、諸国民との協和による成果と、わが国全土にわたつて自由のもたらす恵沢を確保し、政府の行為によつて再び戦争の惨禍が起ることのないやうにすることを決意し(傍線部は引用者、以下同じ)、ここに主権が国民に存することを宣言し、この憲法を確定する。そもそも国政は、国民の厳粛な信託によるものであつて、その権威は国民に由来し、その権力は国民の代表者がこれを行使し、その福利は国民がこれを享受する。これは人類普遍の原理であり、この憲法は、かかる原理に基くものである。われらは、これに反する一切の憲法、法令及び詔勅を排除する。

第二段落第一文
 日本国民は、恒久の平和を念願し、人間相互の関係を支配する崇高な理想を深く自覚するのであつて、平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した

  二番目の傍線部にあるように、前文は「人類普遍の原理」だけを述べている。前文全体を読んでも、日本の歴史や伝統・慣習に触れた部分は存在しない。日本固有の原理を抹殺したことが、真っ先に指摘すべき「日本国憲法」の内容的な特徴である。それゆえ、「日本国憲法」が支配した戦後言語空間の中では、日本固有の原理を表す代表的な言葉である「国体」という用語に対する言葉狩りが行われてきた。「国体」に対する言葉狩りは、今でも行われていることである。私自身が『新しい公民教科書』の検定過程で経験したことである。興味のある方は、拙著『公民教科書検定の攻防―――教科書調査官と執筆者との対決』(自由社、2013年)を参照されたい。

  日本固有の原理を抹殺し、「国体」という言葉を禁止した「日本国憲法」の世界では、当然に国体政体二元論は禁止される。その結果、前述のように、大日本帝国憲法の解釈においてさえも、国体政体二元構造の存在は隠蔽されていくことになる。

 反日主義を超え、日本の自殺を含意した「日本国憲法」 

  更に第一と第三の傍線部に注目されたい。単に日本固有の原理を抹殺しただけではない。「日本国憲法」は、反日主義の原理、下層国の原理を、国連憲章をはるかに超える形で表現している。一方では諸外国を「平和を愛する諸国民」として上位に位置づけ、他方では日本を戦争を起こした「侵略国」として下位に位置づけている。明確な反日思想がここで語られているのである。

  もっとも、ここまでならば国連憲章程度ともいえる。だが、第三の傍線部にあるように、更にとんでもないことを規定した。「平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した」というのである。「平和を愛する諸国民」とは連合国を指しているが、この中には当然に米国、ロシア、中国が当然に入ってくる。

  ロシアや中国、米国が「平和を愛する諸国民」とは冗談以外の何ものでもないが、ともかく、これらの国に対して「安全」だけではなく、「生存」までも委ねてしまっていることに注目されたい。渡部昇一氏がよく言うことであるが、「安全」を外国に委ねる国は小国ではさして珍しくないが、「生存」まで委ねる国は存在しない。もしも、米国や中国、ロシアなどが日本は滅ぶべしと判断したらどうするのか。その意思に従って自殺していくのか。あるいは、米中ロが日本の三分割を決めたら、それに従うのか。あるいは……。というような馬鹿なことを日本国民は許せるのか。
 「平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した」とは、以上のようなことを含意しているのである。制定過程に関する問題とセットで議論すべきことであろう。
 
  反日主義の震源地となった日本

  以上みてきた前文が表現した反日思想、日本人差別思想は、憲法学や公民教科書に加えて歴史学と歴史教科書、特に歴史教科書によって拡大再生産されていった。それゆえ、実は、1980年代以降日本が痛めつけられてきた歴史認識問題を探っていくと、その出発点は実は日本人であることが数多い。例えば、昭和57(1982)年の教科書誤報事件は、朝日新聞を初めとしたマスコミが中国に御注進することによって国際的な大問題となった。また、例えば「従軍慰安婦」問題も、日本人が韓国に行って日本を訴えようとアジテーションしたところから始まった。日本が反日主義の震源地となってきたのである。

  前に『公民教育が抱える大問題』(自由社、2010年)で指摘したように、1980年代以降の日本人は、国家的規模で反日主義総括運動を繰り広げてきた。一生懸命に「罪」を捜し、見付からなければ「罪」をでっち上げてでも、日本及び日本人は韓国と中国に対して、特に韓国に対して謝罪を繰り返してきた。まるで自殺を望んでいるかのようである。1980年代以降の異常な動きの背景には、生存までも外国に委ねた「日本国憲法」の思想があるのである。

  自己決定できない国家をつくった政体論

  さて、以上の日本人差別思想に基づき日本を連合国の属国化するために、「日本国憲法」は、自己決定できる国家を構成するために大日本帝国憲法が備えていた装置をすべて解体した。一つ目に、戦争の権利を否定し、戦力の保持を否定したとされる第九条を用意した。二つ目に戒厳の規定を設けず、三つ目に戦時又は国家非常時における非常大権も規定しなかった。更に、内乱等で国家がぐちゃぐちゃになった後に国家を再構成する時に決定的に重要となる国家元首、即ち権威を規定しなかった。

  上に挙げた三つの権限を行使するのは、一体誰なのであろうか。「日本国憲法」が含意するところは、これらの権限は、「平和を愛する諸国民」=連合国が持つという事であろう。実際には現在は米国が持っているということであろう。前述のように、戦争や内乱などの国家非常時に対応できる体制を整えていない国家は、必然的に大国に国家非常時の処理を委任することになる。いかに平時の体制をきちんと整えていたとしても、自己決定できない国家になっていく。そして属国となって行くしかないのである。

  なお、「憲法」内容を比べても、連合国は、日本を西ドイツと差別したということを指摘しなければならない。1949年につくられたボン基本法では、米ソ冷戦が始まっていたため、西ドイツは自衛のための戦争と戦力保持の権利を否定されなかった。この点に注目すれば、日本国は、「日本国憲法」によって下層国の中の最下層国に位置づけられ、しかもそこから脱出していない、ということになろう。

  敵国条項削除を

  しかし、属国で止まればまだよいのかも知れない。反日思想は世界に広がっている。日本は滅亡せよといった意思を米中ロの三大国が固めたとき、日本の中に同調者が出てきかけないのが、現在までの日本の思想状況である。その根源は、「日本国憲法」前文と第九条であり、国連憲章の敵国条項である。

  では、どうすればよいか。そこまで論ずるのは拙論の本旨ではないが、簡単にふれれば、まずやるべきは敵国条項削除の実現と、自衛戦力肯定・集団的自衛権肯定説への九条解釈転換の実現ではないか。中国は、敵国条項に基づき日本側のいろいろな言動を捉まえて「侵略政策の再現」だと騒ぎたてて日本と米国を牽制し、九条解釈の転換を阻止することによって日本の安全保障体制を脆弱なままにしておき、尖閣侵略から沖縄侵略、日本本土侵略へと突き進もうとしている。首相の靖国参拝を批判する勢力、それ以上に九条解釈転換に反対する勢力は、この侵略計画の一端を担うものであろう。恐ろしいことに、この侵略計画に知らず知らずに加担する人たちが自民党の中にさえ半分は存在するという現実がある。

 したがって、日本としては、迫りつつある中国による侵略を阻止するためには、敵国条項の削除と九条解釈の転換という二点は喫緊の課題だと言わねばならない。実は、この二点は、同じ思想に由来している。主権平等の原則の思想である。九条解釈の転換は、不十分ながら手を付けつつある。更に、元々日本が国際社会に向けて訴えてきた敵国条項の削除に取り組むべきではないだろうか。
 
 最後に拙論の課題に答えるならば、大日本帝国憲法と「日本国憲法」の本質的違いは、独立国を目指すのか、属国を目指すのかというものである。この本質的違いを見極めることからしか、本当の憲法論議は始まらないというべきであろう。 

参考文献 
   井上清『条約改正』岩波書店、1955年
   神谷龍男『国際連合の安全保障』有斐閣、1957年初版、1971年増補版 
   小山常実『天皇機関説と国民教育』アカデミア出版会、1989年
   稲生典太郎『東アジアにおける不平等条約体制と近代日本』岩田書院、1995年
   浜下武志『朝貢システムと近代アジア』岩波書店、1997年
   並木頼寿他『中華帝国の危機』(世界の歴史19)中央公論社、1997年
   小山常実『「日本国憲法」無効論』草思社、2002年
   小山常実『公民教育が抱える大問題』自由社、2010年
   小山常実『公民教科書検定の攻防――教科書調査官と執筆者との対決』自由社、2013年
   倉山満『間違いだらけの憲法改正論議』イーストプレス、2013年


 平成26年2月22日記す。



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