倉山満『間違いだらけの憲法改正論議』をお勧めする

   本日、倉山満『間違いだらけの憲法改正論議』(イースト・プレス、2013年10月)を読んだ。倉山氏の書物を読むのは、『誰が殺した?日本国憲法』(講談社、2011年)以来、長谷川三千子氏との共著を含めて4冊目である。どの本も面白かったが、凄いと思ったのは今回が初めてである。と同時に、大日本帝国憲法に対する低評価と「日本国憲法」に対する高評価の時代に青年期を送った団塊世代としては、こういう縛りから自由な若い世代が羨ましいとも感じた次第である。

  それはともかく、本書には、改憲派・護憲派・無効論派の区別以前に、憲法の本質論議を行うときに非常に参考になる考え方が展開されている。全ての政治家諸氏に、そして憲法問題に関心のあるすべての諸氏にお勧めする。

  まず、目次を簡単に示そう。
  
  第一章 日本国憲法の何が問題か
  第二章 あるべき天皇の規定
  第三章 あるべき人権
  第四章 あるべき議会
  第五章 あるべき内閣
  第六章 あるべき司法
  第七章 あるべき財政
  第八章 あるべき憲法



  緊急事態が乗り切れるか、という問題意識 

 倉山氏の考え方で重要なものは、私なりにまとめれば、次の四点だと思われる。第一に、氏は、政府も存在しないような緊急事態を中心に、緊急事態に対処できる憲法かどうかということに最もこだわる。これは、氏が憲法問題を考えるときの原点に存在するようだ。氏は、「はじめに」を次のように始める。

  菅直人氏が総理大臣でも大丈夫な憲法でなければならない。
  本書の主張をひとことでまとめると、これに尽きます。
  想像してください。もし再び東日本大震災が起こったとき、総理大臣が菅直人氏でもいいですか。
                                (3頁)


  要するに、緊急事態すなわち有事を乗り切れるような憲法であることが必要だと氏は考える。その考え方から、政府も存在しない、或いは機能しないような事態に対応できる存在として天皇が考えられるとし、その意味で天皇論こそが憲法論議の中で一番重要なものだという。

  また、第一の考え方から、合憲か違憲かという基準よりも立憲か非立憲かという基準の方が大事だという。第一章の小見出しにあるように「日本人は誰も菅直人氏を総理大臣に選んだ覚えはない」のだが、これは「日本国憲法」に違反はしておらず、合憲である。しかし、どう考えても、非立憲である。合憲・違憲の考え方では、菅総理誕生を阻止できず、大災害の時に国民を見殺しにするしかなくなるのである。同じく第五章の小見出しからとれば、政党が談合すれば、「じつは誰も止められない『山本太郎総理』の誕生」ということになるのである。

  この立憲か非立憲かを重視する点、即ち立憲主義という点が、氏が重視する第二の考え方である。第三の考え方は、簡文主義という点である。この考え方も、第一の考え方と関連している。
 
  氏によれば、大日本帝国憲法の時代の方が、立憲か非立憲かという基準が生きており、立憲主義が根付いていた。なぜか。それは、大日本帝国憲法が簡文主義をとっていたからである。「日本国憲法」が繁文主義の立場をとったため、条文に書いていないことは何でもできる、条文に反してさえいなければ何でもできるとという考え方が根付いてきた。その結果、総選挙を経ないで菅内閣が成立したばかりか、衆議院選挙で信を問うことさえも行われなかったのである。

  「日本国憲法」の条文をいじる発想ではダメ  

  以上三点のうち、もう一度言うが、一番重要な考え方は、緊急事態を乗り切るにはどうしたらよいかという点である。要するに、日本国家を独立国家にするにはどうするかという問題意識から物事を発想する考え方である。同様の考え方から、氏は、日本を弱体化、ひいては破壊するためにつくられた「日本国憲法」を「当用憲法」と呼ぶ。それゆえ、内容的には、「日本国憲法」の改正ではダメだという。そういう「日本国憲法の焼き直し」に過ぎない憲法案として自民党改憲案と産経新聞改憲案を挙げ、両者を退けている。第一章の初っ端に、自民党改憲案を取り上げ、「『憲法改正』は永遠に恥を残す」との小見出し下、氏は次のように述べている。

  あの世からマッカーサーの高笑いが聞こえてきそうです。
  自民党改憲案のことです。一刀両断に評すれば、「しょせんは日本国憲法の焼き直しにすぎない」です。こんな代物を持ち出して、「戦後レジームの脱却」などと威張られても困ります。「戦後レジーム」とは、「日本を敗戦国のままにする体制」のことです。

  ダグラス・マッカーサー(通称・マック)と占領軍(GHQ)の下僚たちは、まさに「日本を永遠に敗戦国のままにする体制」として日本国憲法をつくりました。本来ならば、日本国の歴史と文化と伝統に則っていないばかりか、むしろ日本を破壊しようとしてつくられた憲法なのですから、無効です。それが、なんの間違いか、いまも日本国の最高法規として機能しています。言うなれば、「当用憲法」です。以下、本書では日本国憲法を当用憲法と呼びます。
                            (18頁)


  「日本国憲法」を当用憲法と位置付けた倉山氏は、当然ながら、内容的には、「日本国憲法」の条文をいじくる形ではダメだ、「日本国憲法」の改正ではダメだと言う。この考え方が、氏の第四の考え方である。


  「日本国憲法の条文を守るか? 変えるか?」だけにこだわって議論をすること自体が最悪の思想なのです。この意味で、これまでの改憲派も護憲派も同罪です。            (37頁)

  4章と5章を是非読まれたい

  以上四点で氏の考え方をまとめてきたが、いずれも重要な考え方である。四点のうち私が今回一番勉強になったのは、合憲か違憲かよりも立憲か非立憲かの方が重要だという考え方である。当たり前ではあるが、当たり前のことが忘れられているのが戦後日本である。確かに氏の言うとおりである。この考え方が一番端的に展開されているのが、第五章である。前に掲げた「じつは誰も止められない『山本太郎総理』の誕生」の小見出し部分から少し引用しておこう。氏は、「日本国憲法」第六七条を引用したうえで、次のように記している。

  要するに、衆議院の多数が賛成すれば、国会議員なら誰でも総理大臣になれるのです。現在を例に極端な話をすると、首班指名で自民党がこぞって「アントニオ猪木」と書けば、野党の一議員が総理大臣になれます。「山本太郎」と書けば、無所属の議員も、その瞬間から総理大臣です。当用憲法の規定では合憲であり、違憲ではありません。

  なんの冗談を言っているかと思うかもしれません。しかし、「第五党の党首」を衆議院議員の談合で選ぶなど、「山本太郎総理」と大差ありません。国民がいつ「細川護煕総理」という民意を示したのでしょうか。
                 (171頁)


  第五章よりも面白く勉強になったのが第四章である。特に教えられたのが、内閣法制局がなぜ異常に権力を振えるのかという問題に対する考察である。氏は六点の理由を挙げているが、六点目は「天敵だった枢密院がいなくなったことです」(150頁)という点である。要するに、帝国憲法時代では、枢密院が法に関する知識素養において法制局に対抗・凌駕する力を持っていたから「抑制均衡(チェックアンドバランス)」が取れていたということだ。ところが、「日本国憲法」下では、法制局に対抗できる法に関する知識素養を持った存在はおらず、法制局の傲慢が生じているということになる。

  第七章までは、非常に教えられることも多く、面白く読めるし、少し熱くなるものがあった。そのうちでも、特に四章と五章が私のお勧めである。

  氏の目指す憲法内容と方法との矛盾
  
  しかし、無効論に触れた第八章まで読み進めると、途端に熱は冷めてしまった。氏の目指す憲法の思想はよいが、氏が目指すものは、「日本国憲法」無効論の方式でしか実現できないのではないか。第七章までの箇所を読んでいるときにも、しばしばそう思わざるを得なかった。例えば、第一章で、氏は自民改憲案を批判して次のように言う。

  そもそも自民党は「自主憲法制定」を掲げて設立された政党です。「占領憲法の改正」とは違います。なぜマッカーサーの落書きをいじることに終始して、自分たちの憲法を考えようとしないのか、不思議なところです。      (30頁)

  私には、「日本国憲法」改正という形をとる限り、「占領憲法の改正」になるのは必然だと思われる。仮に、「自主憲法制定」と言う理念にこだわったところで、「日本国憲法」改正と言う形をとれば、基本となるモデルは「日本国憲法」となる。そうなれば、「日本国憲法」の条文をいじる、字面をいじる形になり、マッカーサーの掌で踊ることになるのは必然である。まだ、昭和30年代までならば、戦前の憲法学の考え方はかなり残存していたから、「日本国憲法」改正方式でも一定程度「自主憲法制定」の理念を生かした憲法内容を実現できたかもしれない。だが、今や、帝国憲法の理念を理解する者はほとんどいない、あるいは皆無である。それゆえ、当然に「日本国憲法」の焼き直しの憲法案しか作れないのは当たり前ではなかろうか。
  
  それから、当用憲法という言い方であるが、学問的には「暫定憲法」と称してほしい所ではある。暫定憲法或いは当用憲法の改正では、永久憲法はつくれない。永久憲法は永久憲法の改正と言う形をとらなければならない。すなわち、帝国憲法復原改正である。

  最後に少々批判を加えさせていただいた。だが、本書は、他にも二点ほど疑問の点があるが、憲法改正問題を本質的に考える場合の手引きをしてくれる優れた啓蒙書である。多くの人に一読、二読を勧めるものである。


  転載自由  

  

  

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この記事へのコメント

あき
2014年01月11日 10:54
小山先生 はじめまして
私は、帝國憲法を勉強しております。

さて、今の日本国憲法と称する物
GHQの隷属下で改正されたと称している パチモン憲法だと思います。
そもそも、occupied Japan の誰が改正権力を持っていたのでしょう。
すべての権力は、GHQが持っていたわけですから。

彼らが改正した表向きの理由
「世界制覇を目指した狂った侵略国、軍国主義国を解放し民主化させるため。」でしょう
お笑いなのは、帝國憲法を全面否定しているわけですが そこには ザ・フェデラリストの思想も入っているということで・・ アメリカ合衆国憲法の精神も否定することになることかと。
大東亜戦争を開戦せざるを得なくしたのはルーズベルト他ですから 真の目的は日本破壊だと思います。

すなわち、日本国憲法を認めることは、
日本が、侵略国、戦犯国であるという彼らの主張を認めることになると思います。
改正は認めることが前提ですから 同じです。
いかがでしょうか

彼らが書かせた 反省文である日本国憲法を無効である すなわち パチモンであったと宣言することが大切だと思った次第です。
「日本国民は、国家の名誉にかけ、全力をあげてこの崇高な理想と目的を達成することを誓ふ。」
統治者マッカーサーに誓ってますね。

GHQが、日本国憲法を帝国憲法の改正であるかのごとく偽装したのは 「無効」にする試みに対する防御手段だったようです。 *GHQ日本占領史-7(日本図書センター)P64より
90回帝国議会の議事録も面白いですね。

この辺も勉強していきたいと思います。
小山
2014年01月11日 13:02
あき様
 コメントありがとうございます。おっしゃっていることはよく分かります。GHQ日本占領史-7(日本図書センター)の情報はありがとうございます。是非、帝国憲法と「日本国憲法」成立過程に関する勉強をお続けください。私も、これ等の点、そしてさまざまなことについて勉強しなければならないのですが、なかなかする暇がありません。  
あき
2014年01月11日 18:38
小山先生 お忙しい中 レスありがとうございます。

あと私が、改正を言う方に聞きたいのは・・
帝国憲法は、それ自体単なる条項のかかれた物 それ以上でも以下でもありません。
それに、命を吹き込むのは、明治天皇の三誥(告文、発布勅語、上諭)です。
告文で、明治天皇が 皇祖 皇宗に御奉告され、率先して憲法、皇室典範を守るとお誓いなされています。
上諭では、「朕カ現在及將來ノ臣民ハ此ノ憲法ニ對シ永遠ニ從順ノ義務ヲ負フヘシ」 普段国体護持という人はどうするのでしょうね? 明治天皇を否定する気ですかね?

日本国憲法の制定過程で、国会の審議を経ずにGHQの承認で 英文官報で公布された
「THE CONSTITUTION OF JAPAN」はどうするのでしょう?
昭和天皇のサインつきですけど。
和文を改正しても これは、そのままで効力を有しますね。
これも秘密にしたい事でしょうか。

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