公民教科書は改善されたか 第四回―天皇をめぐる記述――『史』平成25年1月号

  『史』掲載の「公民教科書は改善されたか」のシリーズは、第四回の「天皇をめぐる記述」で終了した。この論文を以下に掲げる。小論でも触れているが、公民教科書記述の中で、あるいは公民教科書検定の中で最も歪んでいるのが天皇記述をめぐるものである。
  
  まさしく、なぜ、女系天皇論が出てくるのか。歴史教科書に即して言えば、易姓革命を否定した日本の政治思想の偉大さを歴史教科書が教えてこなかったからではないか(その意味で、自由社版歴史教科書が易姓革命の否定ということを日本の大きな特徴として紹介したことは画期的なことであった)。いや、それどころか、天皇に関する教育自体を拒否してきたせいではないだろうか。他方、公民教科書に即して言えば、天皇は単なる象徴に過ぎない、国事行為しかできない余り意味のない存在であるという考え方から、公民教科書が書かれてきたからではないだろうか。いや、公民教科書の場合も、ほとんど天皇に関する教育自体を行ってこなかったからではないだろうか。  





     公民教科書は改善されたか 第四回
    ――――――天皇をめぐる記述―――――
                                                             
                                     小山常実

  日本の元首を蔑ろにする―――教育出版など五社
 

  私は、これまで、公民教科書史の研究を行ってきたが、今年度から使用されている「つくる会」の公民教科書の作成にも関与し、その検定場面にも立ち会った。その中で、つくづく思ったことがある。教科書会社が描く教科書記述自体と教科書検定で最も歪んでいるのが、天皇に関する記述ではないかということだ。

  教科書の世界では、天皇に関する記述は、天皇制を解体していく方向にはかなり逸脱できる。そもそも、天皇に関する記述は学習指導要領では重要事項として指定されているし、天皇条項は「日本国憲法」の第一章として位置づけられている。したがって、本来からすれば、最低限、天皇をテーマにした単元を1つは設けるべきだと思われる。

  しかし、この基準に該当するのは、自由社と育鵬社だけである。自由社は一単元二頁と大コラム二頁を天皇記述に使っているし、育鵬社は天皇をテーマにした単元を一つ置き、一頁強の分量を天皇記述に当てている。

  これに対して、他の五社はわずか五行から十行程度で天皇の記述を済ませている。五社は、天皇という日本の元首を蔑ろにする教科書であると位置づけられる。五社の中でも最も蔑ろにする教科書が、教育出版である。この教科書は、単元4「憲法の三つの柱」下、「国民主権」の小見出し下、わずか五行で天皇に付いて記している。全文を引用しておこう。

 「国民主権のもとでは、天皇は日本国と日本国民統合の象徴であって、その地位は、『主権の存する日本国民の総意に基づく』としています(象徴天皇制)。また、天皇は、国の政治に関する行為は行わず、形式的・儀礼的な国事行為のみを行います(傍線部は引用者、以下同じ)。しかも、その行為には、内閣の助言と承認が必要とされています」(38~39頁)。

  右の記述に注目されたい。まず、教育出版は天皇に付いて何の見出しも付けていないことに、私は驚いた。五社のうち他の四社はすべて天皇記述に付いて何らかの小見出し(清水書院だけはサブ小見出し)をつけているからである。

  更に、私は、象徴天皇制という言葉に驚いた。象徴天皇制という言葉は、憲法解釈書にもよく出てくるものではあるが、天皇は象徴に過ぎない、君主ではないと言うためのイデオロギー的な用語でもある。したがって、国民教育で用いるのは適切ではないと考えられる。これまでは象徴天皇制という言い方はほとんど見られなかったが、他に帝国書院が用いており、二社が用いることになった。

  最も驚いたのが、「天皇は、……形式的・儀礼的な国事行為のみを行います」としていることである。外国訪問や国内巡幸などの公的行為が排除されているのだ。実例上も憲法解釈上も天皇の公的行為の存在は承認されている。それをわざわざ排除しているのである。「国事行為のみを行う」という書き方をする教科書は、他にも東京書籍、日本文教出版、清水書院の三社も存在する。しかし、実例を無視したこれら四社の記述に対しては、検定意見さえも付いていない。

  この「国事行為のみを行う」という表現も、天皇は象徴に過ぎない、という思想の端的な表現である。要するに五社は、最低、「国事行為のみを行う」と表現するか、象徴天皇制という表現をしており、天皇は象徴に過ぎないという思想から、記述を行っているのである。

  公権解釈は立憲君主制論、天皇・国民共同主権説

  しかし、「日本国憲法」下の天皇は、果たして象徴に過ぎない存在であろうか。あるいは、「日本国憲法」は象徴天皇制を定めたものであろうか。学問的には、君主制は専制君主制と立憲君主制に分けられる。専制君主制ではありえないから、立憲君主制と位置づけるのが正しい。象徴天皇制という言い方は、巷にあふれているし、憲法解釈書にもあふれているが、学問的な言い方ではないことを確認しておこう。それゆえ、公権解釈も、いずれかといえば、立憲君主制論を採用している(昭和48年6月28日参議院内閣委員会、内閣法制局長官)。

  立憲君主制云々と関連して、天皇は君主であろうか、元首であろうか。明らかに実例の上では君主、元首として遇されている。事実、「日本国憲法」上も、第六条は、天皇が最高裁判所長官と内閣総理大臣を任命すると規定している。立法・行政・司法の三権の長の二人までも任命し、その地位の正統性を保障する天皇とは、単なる象徴を超えた存在であり、明らかに政治的権威であり、元首であると位置づけることが出来よう。

  しかも、公権解釈上、「日本国憲法」上の天皇は、一般国民とともに主権(権力の意味ではなく、権力のありかを正統化する権威の意味)を担うと位置づけられているのだ。帝国議会で「日本国憲法」を審議した時、昭和二十一(一九四六)年六月二十六日衆議院本会議の場で、金森徳次郎憲法改正担当大臣は、社会党の鈴木義男の質問に対し、「この憲法の改正案を起案致しまする基礎としての考え方は、主権は天皇を含みたる国民全体に在りと云うことでございます」(清水伸『日本国憲法審議録』第一巻、一九七六年、原書房、二一〇頁)と答えている。

  また、七月二十五日に開かれた第一回衆議院憲法改正特別委員会内小委員会では、自由党の北昑吉は、前文の中に国民主権を明記する修正案を提出している。このとき北は、「人民を避けて、天皇を含んだ国民全体に主権が存する、之をはっきり此処で述べた方が宜しからう」(衆議院事務局編『衆議院帝国憲法改正案委員小委員会速記録』一九九五年九月、衆栄会発行、八頁)と説明している。要するに、帝国議会で示された公権解釈は、天皇・国民共同主権説に立っているのである。

   公権解釈を記すことを許さない検定 

  『新しい公民教科書』では、天皇の本質を政治的権威と捉える立場から記述を行った。まず、江戸時代以前の政治的伝統(権威と権力の分離など)から立憲君主制が生まれたと、大コラム「もっと知りたい 立憲主義の伝統を受け入れやすかった日本の政治文化」で記した。次いで単元一六「大日本帝国憲法」では、大日本帝国憲法下の体制を立憲君主制と記した。そして、単元二〇「天皇の役割と国民主権」では、右に述べてきたような公権解釈に基づき、天皇を君主、政治的権威、元首と位置づけ、現在の政治体制を立憲君主制と位置づける教科書記述を行おうとした。

  しかし、検定過程で、大きく修正を余儀なくされた。それでも戦前までの記述は、我々が書きたかった本質的なことはそのまま残された。ただ、江戸時代以前の政治的伝統を国体と書いていた部分は、削除されてしまった。国体はどの国にも存在するし、国体という言葉は、学問用語として明確に存在する。にもかかわらず、戦後六十年以上経ちながら未だに言葉狩りをしているのである。

  話が少しずれたが、「日本国憲法」下の天皇に関しては、ほとんど全ての文章が修正の対象にされたので、趣旨が随分歪められてしまった。立憲君主制という言葉も削除させられたし、天皇・国民共同主権説を記した部分も消されてしまった。そして、日本を君主国と書いた部分も、いずれの時代であれ、全て削除されてしまった。

  酷い話である。公権解釈を書かせない検定とは、もはや検閲に堕している面があることだけは確かであろう。それでも、何とか、天皇が単なる象徴を超える存在であり、諸外国から元首として遇されることがあるとする記述を行うことが出来た。

  立憲君主制という表現は出来なかったが、象徴に過ぎないとする象徴天皇制の思想を述べた五社に対抗する立憲君主制的な記述を行うことが出来たと考えている。単元二〇「天皇の役割
と国民主権」で、『新しい公民教科書』は、「歴史に基づく天皇の役割」の小見出し下、次のように記している。
 
  天皇は、国家の平穏と国民の幸福を祈ることにより、 長い歴史を通じて国民の信頼と敬愛を集めてきました。日本の歴史において、権威と権力が分離するようになったのちは、天皇はみずから権力をふるうことなく、幕府などそのときどきの政治権力に正統性をあたえる権威としての役割を果たしてきました。 

  日本国憲法のもとでの天皇も、日本の政治的伝統にならった役割を果たしています。天皇は『国政に関する権能』すなわち政治権力を行使する権能をもちません(4 条)。しかし、内閣の助言と承認に基づいて、さまざまの国事行為をとり行います(6条、7条)。法律、条約、政令なども、この天皇の国事行為としての署名によって、国家の手続きが完了します。また、対外的には、天皇は諸外国から日本国を代表する元首としての待遇を受けることがあります」(五八頁)。


  家族論などと異なり評価できる育鵬社の記述

  育鵬社も、右の記述ほど明確ではないが、天皇は単なる象徴を超えた存在であるという立場から記している。育鵬社は、「日本の歴史・文化と天皇」の小コラム下、次のように記している。

 「天皇は、国の繁栄や国民の幸福を祈る祭り主として、古くから国民の敬愛を集めてきました。また、その精神的・宗教的な権威によって自らは権力をふるわないものの、そのときどきに権力をにぎる幕府などに権限をあたえる立場にありました。例えば幕府の将軍も征夷大将軍として、天皇から任命される形をとることで正統な権力となりました。(中略)

 日本の歴史には、天皇を精神的な中心として国民が一致団結して、国家的な危機を乗りこえた時期が何度もありました。明治維新や、第二次世界大戦で焦土と化した状態からの復興は、その代表例です。」(四三頁)


  育鵬社の天皇論は、自由社と共に、天皇と言う存在を肯定的に捉える記述となっており、家族解体の思想を示した家族論などと異なり、評価できるものだと確認しておこう。

  以上述べてきたところから知られるように、天皇をめぐる教科書記述は、非常におかしなものになっている。特に天皇元首論や立憲君主制論を書いても排除される検定の在り方はおかしいと強調して筆を擱くことにする。


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