藤岡信勝「歴史教科書『検定』に関与した中国人スパイ李春光」--『WiLL』平成24年10月号掲載

      歴史教科書「検定」に関与した中国人スパイ李春光
                     
                                   拓殖大学客員教授 藤岡信勝

 (『WiLL』平成24年10月号掲載。原文はタテ書き。文中にある【写真A】【写真B】の画像は省略させて頂きます)

●戦後最大の諜報案件

  警視庁公安部が摘発した中国共産党のスパイ・李春光。彼は、日本の政財官学界に幅広い人脈を築き、日本社会に深く浸透していたことが明らかになった。

 ところが、この件は、今では、個人的な蓄財目的の、大したことのない事件だったというイメージがメディアの主流になっている。その流れに先鞭をつけたのは、やはり、朝日新聞だった。

 読売新聞のスクープは五月二十九日付だったが、朝日新聞は早くも二日後の五月三十一日付紙面に、「中国書記官、蓄財目的か」という見出しの記事を掲載した。警察幹部の間では、「本来の任務とは別に、個人的な蓄財を図ったのでは」「李氏の個人的な不祥事と見るべきではないか」といった声も上がっている、というのが、記事の締めくくりである。

 しかし、本誌八月号で中西輝政氏は、「李春光」は「戦後最大の諜報案件」であったと位置づけ、日本がこの事件を軽視することの危険性を警鐘乱打した。

 私も本誌の同じ号で、中国共産党の対日工作の拠点となっていた中国社会科学院日本研究所が、松下政経塾に研修生を送り込み、そのルートから日本の保守系の運動体の象徴的存在となっていた「新しい歴史教科書をつくる会」に触手を伸ばし、当時の会長の八木秀次氏を欺罔して、「八木訪中団」としておびき出すことにまんまと成功していたことを報告した。

 その結果、「つくる会」を分裂させ、弱体化することに成功したのだから、中国共産党にとっては大成果、大勝利というべきである。

拙論への反響はさまざまで、「とにかく驚いた」とか、「読んでいて、中国共産党の手口の恐ろしさに、からだじゅうに戦慄が走った」という声があった。「どうしてもっと早くこの事実を教えてくれなかったのか」という注文もあった。

 そう言われても、「李春光」など今までは知るよしもなかったし、こんな形で七年前の事実が掘り返されるとは私自身、想像もつかなかった。

 しかし、私たちは中国共産党による日本の保守運動への介入・攪乱工作という大きな構図だけは当時からはっきり認識していたし、八月号でも紹介した通り、八木元会長の行動を批判する文書を「つくる会」として作成し、今読み返しても非の打ち所のない、原則的な立場を堅持していた。

●李春光と八木訪中団

  他方、拙文への批判の中には、相変わらず「つくる会という組織内部の内輪もめ」としてしか問題を捕らえられず、二十一世紀に日本が置かれた大状況の中で物事を見ることの出来ない視野狭窄の論評もあった。

  ただし、拙論について「李春光事件との関連が弱いのではないか」という批評があるが、これは半分当たっている。というのは、今回の事件の主役である李春光が、間接的にしか登場しないからである。「八木訪中団」事件と李春光とのつながりは、パイプ役となった福原慎太郎つくる会事務局員(前島根県益田市長。七月末の市長選挙で落選)が、松下政経塾で李春光と面識があったこと、そこから、日常的に李は福原氏などに中国との交流を勧めていたであろうことの推測である。

  この批判のポイントを言葉で表現してみれば、「李春光は、他の事件には様々に関与していたであろうが、日本の教科書問題には関わっていないではないか」ということになろう。

 はたして、李春光は教科書には関わっていなかったのだろうか?

●討論会に出席した李春光

  「八木訪中団」は平成十七年十二月十六日、何の準備もなしに、おっとり刀で中国の日本研究者と「討論」させられた。帰国した八木氏はお返しに、中国社会科学院日本研究所の研究者を日本に招待した。

 日本での日中討論会は、平成十八年五月十七日に行われた。その様子が当時、「つくる会」の教科書を発行していた扶桑社の教科書事業に関する読者向け刊行物「虹」平成十八年七月号に掲載されている。タイトルは「中国社会科学院との『扶桑社歴史教科書』をめぐる対話」。書き出しは次の通りである。

《去る五月十七日、都内のホテルで中国政府直属のシンクタンクである中国社会科学院日本研究所の蒋立峰所長ほか五名の研究者と、日本側研究者が「日中の歴史認識」について対話する機会があった。

 当社の歴史教科書に関しては、文部科学省の検定を経ているにもかかわらず中国、韓国からの批判があり、その真意について中国の要人と直接話をするよい機会であったので、他のマスコミ関係者とともに当社の担当者も参加した》

 中国からは所長以下、五名の研究者が参加した。「虹」には、蒋立峰所長の写真が掲載されている。それが前ページの【写真A】で、ネットのホームページにも掲載されている。

 今年、李春光事件が起こってから、産経新聞は六月二日付で、「中国元書記官 真の狙いは謎/親中派獲得 TPP情報 軍に送金か」というタイトルの分析記事を掲載した。その記事に添えられたのが、【写真B】である。

ただし、同じ記事がインターネットにも掲載されており、新聞紙面では名札から上の上半身のみがトリミングされているのに対し、ネットバージョンではテーブルの脚も写っている。そこで、【写真B】は情報量の多いネットバージョンを掲載した。

さてそこで、読者にお確かめいただきたいのは、この二つの写真に写っているのが同じ場所であるということだ。決め手となる共通点は三つある。第一は、「蒋立峰」と「李春光」の名札の書体が同じである。第二は、コーヒーカップの模様が同じである。第三に、後ろの壁のつくりが同じである。従って、蒋立峰と李春光は同じ会場にいたのである!

この二枚の写真の共通点を発見したのは、つくる会会員の空花正人氏だ。これで論証はほぼ完全だが、万が一ということもある。考えにくいことではあるが、李春光が同じ五月の別の日に、同じホテルの同じ会場で会合をしたのかも知れない。

 そこで私は産経新聞社に、掲載された写真のキャプションにある「平成十八年五月に、東京都内で開かれた会合」とは何か教えていただきたいと依頼した。回答は、「データがなくてよく分からないが、撮影時刻だけなら分かる」という。撮影時刻は「二○○○六年五月十七日十二時五十一分」。これで十分だ。

 摘発されたスパイ・李春光は、五月十七日の会合に出席し、八木秀次氏とも同席していたのである。

●歴史教科書介入の歴史

  平成十八年(二○○六年)五月十七日に行われた日中歴史教科書討論会の位置付けを考えるため、中国共産党の日本の歴史教科書に対する干渉と介入の歴史を簡単に振り返ってみよう。

〈1〉中国共産党が日本の歴史教科書に干渉し始めたのは、一九八○年代に入ってからである。一九八二年(昭和五十七年)六月、高校世界史の教科書検定で起こった「侵略・進出誤報事件」を奇貨として、機関紙「人民日報」が連日、激しい対日批判を繰り返し、これに屈服した日本政府が「宮澤官房長官談話」を出し、十一月には「教科用図書検定基準」に「近隣のアジア諸国との間の近現代の歴史的事象の扱いに国際理解と国際協調の見地から必要な配慮がなされていること」という一項目を付け加えた。これが「近隣諸国条項」といわれるものである。

 「近隣諸国条項」の制定によって、教科書検定はその機能を逆転させたということができる。それ以前は、教科書検定制度は不十分ながらも極端に偏向した歴史記述を是正し、日本の国益と尊厳を守り、日本の教育を共産主義勢力の浸透から防衛する制度だった。

 だが、「近隣諸国条項」の制定後は、国益を損ない、自国の歴史を卑しめる制度に変質した。文科省の内規によって、「侵略」という言葉や「南京事件」についても、いくら自虐的に書いてもおとがめナシとなったのである。

〈2〉一九八六年には「『新編日本史』外圧検定事件」が起こった。保守系の団体を糾合した民間組織である「日本を守る国民会議」は、原書房から高校用の日本史教科書として『新編日本史』を発行し、一九八五年度の文部省検定を受けた。

 まだ検定が終わっていない一九八六年五月二十四日、朝日新聞は社会面の見開き二ページを使った大きな記事を掲載した。見出しは、「”復古調”の日本史教科書/日本を守る国民会議/高校用作成めざす/原稿本で教育勅語礼賛/建国神話・三種の神器も」というものであった。『新編日本史』が極端に右翼的な教科書であるかのような印象を与えるように工夫されたキャンペーン記事であった。

 朝日の記事は、直ちに中国の反発を招いた。むしろ、それをあてにして外圧を誘導するために書かれた記事であると言っても過言ではない。

 それでも三日後に開かれた検定審議会は『新編日本史』を合格させた。これに対し、中国は内政干渉し、教科書の修正を要求した。

 要求の内容は、我が国の中国侵略を明示し、南京事件は「大虐殺」であったと明記すること、「日中国交の正常化」の写真説明文に、「責任を痛感し、深く反省する」という一九七二年の日中共同声明を入れよというものなど、四箇所であった。『新編日本史』は、執筆者の意に反するこのような屈辱的な書き換えを命じられたのである。

〈3〉一九九六年、「従軍慰安婦強制連行説」が中学校の全教科書に掲載されたことに憤激した人々が結集して、「新しい歴史教科書をつくる会」が結成された。「つくる会」は扶桑社から歴史と公民の教科書を発行し、二○○○年(平成十二年)四月、文部省に検定申請した。

 中国の唐家セン外相は、「つくる会」の教科書を検定で不合格にするよう日本の外交当局に水面下で働きかけた。その他にも、中国は様々なルートで検定不合格をしきりに求めた。それによって、「つくる会」の教科書をいわば胎児のうちに流産させようとしたのである。しかし、この干渉は失敗した。

〈4〉二○○一年(平成十三年)四月三日、文部科学省(この年の一月に文部省から名称変更)は、扶桑社の『新しい歴史教科書』と『新しい公民教科書』を検定に合格させた。

 中国は日本政府に圧力をかけ、再検定を求めた。五月十六日、中国外務省アジア局の担当者は日本大使館の公使を呼び、文科省の検定に合格した「つくる会」の教科書に対し、八項目の修正要求を文書で渡した。

●「八木訪中団」の異様

  以上、中国による日本の教科書への干渉の歴史を辿ってきたが、その流れの中に「八木訪中団」事件を据えてみると、この事件の異様さが浮き彫りになる。

 改めて事実を確認すると、二○○五年(平成十七年)十二月十六日、当時「新しい歴史教科書をつくる会」会長だった八木秀次氏は、中国社会科学院日本研究所を訪問し、「だまし討ち」の形で『新しい歴史教科書』をめぐる討論に誘い込まれた。事前に合意して決まっていたわけではない「学術討論」など断固拒否すべきであるのに、八木氏は人員的にも内容的にも何の準備もないまま、唯々諾々とこれに従った。常識では考えられない中国への屈従的な態度である。

八木会長が理事会などの同意を得ているかどうかは中国側にとってはどうでもよいことで、彼らから見れば、日本国の誇りを取り戻すことを趣意書に謳う組織の会長が、対日スパイ工作の拠点に、朝貢まがいに訪問してきたということになる。中国が日本政府に圧力をかけ、内政干渉したというのが従来の流れだったが、「八木訪中団」は執筆者の側が自ら出向いて内政干渉を引き出したという点が異様なのである。

 だから中国側の発言は、朝貢国に対すると同じ命令口調になる。『正論』二○○六年(平成十八年)三月号と四月号に掲載された討論の記録は、分量の上でも中国側の発言には日本側の三倍近い。その記録の中から、中国側の発言をいくつか抜き書きしてみよう。

 〈1〉中国社会科学院近代史研究所所長・歩平氏は、『新しい歴史教科書』に対する総括的な批判を四項目にわたって展開したが、そのうちの一つで、次のように発言した。「戦争に関する論述です。相当な問題があると思います。太平洋戦争を大東亜戦争といい、そしてこの戦争の性質を侵略戦争と認めていないということは間違いであり、大きな問題であると思います」

 そして、「戦時中の日本の軍隊の残虐的な行為、加害性についても、何も書かれていません」と批判した。

●対中隷属路線の出発点

 〈2〉日本研究所対外関係研究室長の金熙徳氏は「南京事件」について発表し、「これから中国の近代史の資料が発掘され、南京大虐殺三十万人がどういうものかという資料が次々と出るんですよ」とハッタリをかましている。相手がシロウトであることを見越して、嘗めきっているのである。

 日本研究所政治研究室副室長・王屏氏は同じく南京事件について発言し、「三十万人を殺すことと三万人を殺す、違いがないんですよ。みんな虐殺でしょう。人数だけ議論するのはあまり意味がない」と述べている。これもまた人を馬鹿にした驚くべき発言だが、現段階では、南京事件があったことさえ認めさせれば、中国は日本攻撃の材料となると踏んでいるのだ。

 〈3〉前出の金熙徳氏はさらに、「中国人が見て、近代史の面で明らかに受け容れられないものは外交問題になるんですよ。中国人が反論しないというのは無理です」と恫喝する。要するに、日本の検定教科書には中国の承認がいる、と金氏は言っているのである。それなら日本側も同じ権利を持つはずだが、対中屈服の「八木訪中団」は何の反撃も出来ない。

 〈4〉最後の討論で日本研究所所長の蒋立峰氏は、二つのことを強調した。第一は、「事実についてはもちろん意見が分かれても構わないけれども、まず侵略であったということを認めないと、これ以上話す必要はありません」という発言である。

 第二は、「私の言いたいことは、具体的な事件、たとえば南京事件、われわれが大虐殺といっている事件の犠牲者数は確かに双方の認識は違っています。しかしその事件があったこと自体も認めないのはおかしいということです」という発言である。要するに、「侵略」を認めよ、「南京事件」の存在を認めよ、と言っているわけである。

「八木訪中団」こそ、八木氏らの教科書づくりにおける、対中隷属路線の出発点となった出来事である。

八木氏は返礼として、今度は日本で二回目の討論会を開くとして、蒋所長らを日本に招待した。そして実現したのが、前述の五月十七日の討論会である。

 だが、その前に八木氏は二月二十七日の理事会で会長を解任され、四月三十日の理事会で「つくる会」を脱会した。二つの討論会の間に、八木氏の立場は全く変わってしまったのである。

●分裂の仕掛け人は誰か

「つくる会」を脱会した八木氏は、かねてからの計画通り、日本教育再生機構なる民間団体を立ち上げ、扶桑社から「つくる会」を切り離すことに邁進する。

 すでに四月十二日、私は八木氏から「自分がつくる会を辞めたら扶桑社は教科書を出さなくなる」と聞かされていた。観点を変えて言えば、扶桑社(およびその親会社のフジテレビ)こそ、「つくる会」分裂の仕掛け人と言ってもよかった。その構図をさらしたのが、五月十七日の中国社会科学院との教科書討論会であった。

 ところで、この会合ほど不可解なものはない。まず、会合名も主催者もはっきりしない。八木氏が呼びかけたのは確かだが、もはや八木氏は「つくる会」とは何の関係もない。八木氏はどういう身分、肩書でこの会合を組織したのだろうか。

 さらに、費用は誰が出したのだろうか。ホテルの部屋代は誰が出したのか。招待者の旅費は誰が出したのか。扶桑社が出したとすれば、実質的に扶桑社の主催となる。

 奇妙なことはまだまだある。その会合で、中国側の批判の対象に曝されている『改訂版 新しい歴史教科書』の代表執筆者は私(藤岡)なのである。だから、そういう会合を持つとしたらまず私に連絡しなければならない。そんな連絡は全くなかった。八木氏は歴史教科書については、何ら執筆に参画していない。それなのに『改訂版 新しい歴史教科書』を使って会合を設定した。

もともと、この討論会は、「八木訪中団」の失態の尻ぬぐいの性格が強い。へまをやってしまったので、それを二回目の討論会をもっともらしく設定することで、最初のへまを帳消しにしてやろうという作戦である。

 会合の中味は驚くべきものだった。前掲「虹」によれば、『正論』の三月号と四月号に掲載された中国側の批判の趣旨を三点にまとめた上で、それぞれについて、教科書の記述が実際にどうなっているかの検証発表を八木氏が行ったという。「虹」の報告文は言う。

 〈「日中戦争における日本ならびに日本軍隊の加害性について何も書かれていない」については、右表のように記載されていることが述べられた〉

 「虹」は一ページを使って、中国側の三点の批判の趣旨に合わせて、教科書からの記述が抜き書きされている。執筆者として許せないのは、その中に、検定で書かされた記述が多数存在することである。例えば、「多数の中国人や朝鮮人が、日本の鉱山などに連れてこられて、きびしい条件のもとで働かされた」という記述も、検定によって強要されたものなのである。

ところで、この議論のパタンは見覚えのあるものだ。かつて斉藤邦彦駐米大使は、アイリス・チャンと「南京事件」についてアメリカのテレビ番組に出演して論争し、あろうことか、「日本の全教科書に南京事件が載っている」と弁明した。八木氏のやっていることは、それと全く同じである。要するに、相手の批判を認めた上で、それはすでに書いています、と言い訳をする。

会合の中で、日本研究所の蒋立峰所長は「勇気をもって日中戦争は侵略戦争だったと書きなさい」とゲンメイした。

 この会合でも、中国の教科書の問題点には一指も触れていない。だからこれは実質、中国側による日本の教科書の一方的な「検定」の場であると言えるのである。

 しかも重大なことは、その場に教科書会社が参加していることだ。扶桑社が費用を負担し、実質的に主催したかどうかにかかわりなく、教科書会社が中国のスパイ機関にお伺いを立てているということは、教科書会社がみずから、中国による「検定」(チェック)を引き入れ、受け入れているということになる。こんなことをしている教科書会社は、他にはない。

 扶桑社(及びその子会社として設立された育鵬社)が保守系の教科書会社であるという触れ込みに惑わされ、多くの人々は錯覚しているのである。八木氏と扶桑社は、中国共産党の介入をさらに深く引き入れた。「八木訪中団」の中国における会合よりもさらに深刻な、中国共産党による内政干渉の新しい形式をつくりだしたという点で、彼らは根本的な誤りをしたといえる。

●「南京事件はあった」と

  「つくる会」会員の目から見れば、その後の八木氏の教科書づくりは急坂を転がるような転落ぶりである。朝日新聞発行の週刊誌「AERA」は平成十八年七月三日号で、「つくる会」内紛記事を掲載した。様々な人脈地図を掲載したその記事の末尾は、衝撃的であった。

 八木氏は、新たにつくる自分たちの歴史教科書の編集方針について語り、「南京事件や慰安婦など論争的な問題にこだわるのではなく、もっと歴史を大局的に見たものにしたい。朝日新聞に批判されるようなものにはならないはずですよ」と言い放ったのである。

 朝日新聞こそは、一九七○年代に中国共産党の要請で本多勝一に「中国の旅」を書かせ、「南京大虐殺」をデッチ上げた張本人である。また、一九九○年代には「従軍慰安婦強制連行」の嘘をデッチ上げた新聞である。教科書問題の改善にとって、中国共産党と並んで最大の敵ともいえる朝日新聞が批判しない教科書とは、いかなる意味でも私達が望む教科書ではありえない。

扶桑社はその後、資本金百パーセントの子会社、育鵬社を設立し、扶桑社の教科書事業を継承した。その育鵬社応援団として「教科書改善の会」(屋山太郎代表)が結成されたが、二○○七年七月二十四日の設立時に発表された「教科書改善の基本方針(概要)」には、次のように書かれている。

 「左右のイデオロギーから自由な立場に立ち、最新の研究成果を積極的に取り入れる」

 「南京事件については、事件の存否・規模について学説上の対立があり、実態が把握できていないことを明記する」

 「左右のイデオロギーから自由」という言葉はおそらく、検定意見と同じ立場に立つ、ということに実践的にはなるのだろう。しかし、検定そのものが歪んでいるのである。

 南京事件については、「最新の研究成果」に基づくならば、実態はほとんど明らかになっている。改善の会の幹部が単に勉強していないだけである。日本教育再生機構副理事長の石井昌浩氏は、「南京事件は、確かにありました」と発言し、その立場で教科書を書いたことを表明した(昨年七月十二日の名古屋における教科書討論会)。

 育鵬社の歴史教科書の文面には、「犠牲者の数」に諸説あるとして「規模」だけが書かれており、「存否」のほうには言及がない。南京事件がなかったという説だけは書いてはいけない、という中国の指示に従ったことになる。

九月二十一日の記者会見で八木氏は、教科書は「学説的に確定した内容」を書くべきだと発言し、「教科書は自説を発表する物ではない」(『教育再生』平成二十三年九月号)とも語っている。通説だから、通説でない東中野修道氏らの実証的な研究は切り捨てられて当然だ、というのが、八木氏の言わんとするところである。

 この立場は実は、教科書調査官の立場と全く同一である。私達自由社の教科書は、南京事件はなかったという立場で書いたところ、「あった」と書くように強要された(本誌五月号)。その根拠も「学界の通説」である。さらに、日中歴史共同研究での報告書には、やはり、事件否定説を立証した過去十数年の研究は一行も引用されていない。それらは「学界の通説」ではない、というのが、ここでも逃げ口上になっている。

●中国側の要求を受け入れる

 育鵬社の教科書に日本民族の汚名を雪ぐことを期待するのは、木によりて魚を求めるに等しい。

育鵬社の教科書を読んで、さらに驚いた点を二つあげておきたい。「新しい歴史教科書をつくる会」は、『新しい歴史教科書』の初版(扶桑社版)で、「大東亜戦争」という単元のタイトルを苦心の末、教科書検定で認めさせた。これは文科省が一度通したのだから検定で意見を付けることのできない、いわば教科書改善の保塁であり前進拠点である。ところが、育鵬社の教科書は、何と「太平洋戦争」というアメリカ占領軍が強制した戦争呼称に戻してしまったのである。

 なぜそんなことをしたか。本稿の読者にはすでにお分かりであろう。中国社会科学院日本研究所で「八木訪中団」は、歩平氏から、太平洋戦争を大東亜戦争と言うのは「相当な問題」があり、「間違い」だとゲンメイされていたのである。

 さらにもう一つ。育鵬社の教科書は、中国・韓国の人名・地名の固有名詞に、現地読みまがいのルビをつけている。蒋介石を「チャンチェシー」と読ませるなどである。育鵬社は朝鮮の過去の王朝である高麗についてまで「コリョ」というルビを振っているが、東京書籍でもそんなことはしていない。

「つくる会」の分裂を企てたのは八木氏だが、そのプロセスと中国共産党の対「つくる会」工作・破壊活動は同時並行で進んでいた。

本誌八月号で中西輝政氏は、李春光が従事したメインの活動は「相手国の政策や世論を自国の国益に添うようネジ曲げる特殊工作」だったと分析し、この種の工作を「日本にとって最大の脅威」と位置付けた。李春光らはやはり、巨大な成果を上げたと言うべきである。



なお、以下の論文も読まれたい。

藤岡信勝「『つくる会』分裂を仕掛けた中国人スパイ」―――【WiLL・2012年8月号掲載】
http://tamatsunemi.at.webry.info/201208/article_3.html




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