『新しい公民教科書』検定過程について(3)--検定過程の概略

   前回からのつなぎ 

   前回、『史』平成19年7月号掲載の「公民教科書はこう作りたい―――全体主義を予防し、独立国家意識を再建するために―――」という論文を、当ブログに転載した。この論文の副題に現れているように、『新しい公民教科書』を作成し普及させていく目的は、独立国家意識の再建と全体主義の予防(=立憲主義の再建)という二つである。この二つの目的を達成するために、5年前、公民教科書制作にかかりだした私は、大きく五点の方針を掲げた。

  ①侵略戦争史観を持ちこまない 
  ②国家の思想の再建
  ③英国と日本の政治史、モンテスキューの重視
  ④立憲主義(自由主義的民主主義)の立場から「日本国憲法」を説明する
  ⑤社会の紐帯を取り戻す

  そして、更に、総体的に言えば、⑥利益社会論と共同社会論とのバランスをとること、⑦日本の政治、経済、家族、地域社会その他の特色の明確化、という二点も方針として掲げた。

  更に、教科書作成が進むうち、私は、⑧「日本国憲法」と東京裁判が日本の手足を縛っているという認識につながる「石」を置くこと、を考えるようになった。もちろん、私とて、「日本国憲法」無効論及び帝国憲法復元改正論を展開するつもりはなかった。しかし、「日本国憲法」成立をめぐる出鱈目な過程を隠したり、美化したりすることは耐えられなかった。せめて、ハーグ条約違反の点や、議会における修正についてGHQの承認が必要だった点を記したいと思った。「日本国憲法」無効論者としては、ある意味、当然の想いである。

  以上、8点はどうなったか。⑧は原稿作成過程でほぼ完全に消されてしまった。これ自身は、覚悟していたことだった。私は無効論者だが、「つくる会」はおおよそ自主憲法制定論乃至「日本国憲法」改正論である。それに、指導要領にしても、教育基本法にしても、すべて「日本国憲法」の順守をうたっている。更には、教科書調査官は、本人の思想とはある意味無関係に、基本的に護憲論たらざるを得ない状況がある。そのようなことを考えれば、「つくる会」としては、無効論につながるようなことを展開する余裕はなかったといえよう。

  ただし、一つだけ、残念なことがある。検定結果が明らかになってから知ったことだが、『新しい歴史教科書』の中では、「占領期間中にその国の憲法まで変えることは行き過ぎで、戦時国際法で禁止されていました」(246頁)と記している。このようにハーグ条約違反の点を指摘しながら検定合格したことは、画期的なことである。公民教科書でも、是非、同じことを記して欲しかったと今でも思っている。

  これに対して、他の7点は、検定合格本においても、基本的には、私の構想が実現した。だが、特に③と④の点で、つまり立憲主義という点をめぐって、私からすれば不十分な結果となった。その理由はいろいろあるが、本質的には、私の側が立憲主義というものについて人に対して説明する能力が低かったことが大きい。立憲主義について私はわかっているつもりであったが、他の執筆者に対して、何よりも教科書調査官に対して、説得的に、立憲主義とはこういうものだからこのように教科書に書いている、という説明をし切れなかったことが大きかったように思う。逆に言えば、立憲主義に対する日本人の認識が進んでいないことが大きかったように思う。更にいえば、説明しきれないということは、私自身が立憲主義というものに対する深い理解に達していないということも出来よう。

  では、どのような点で、教科書調査官を説得出来なかったのであろうか。別言すれば、どのような点で、調査官と我々あるいは私とは対立したのであろうか。

  平成22年12月6日、検定意見を聞く

  その点を述べる前に、検定過程について、簡単にまとめておきたい。

  平成22年12月6日(月)、その何日か前に文科省から呼び出しがあり、教科書調査官から『検定意見書』を渡され、その説明を受ける形で検定意見を伝えられた。

  検定意見は、立憲主義関係を中心に、139件付けられていた。我々と調査官の意見の隔たりは、極めて大きかった。他社に比べて、極めて大きな数の検定意見数である。検定意見件数の多い順に、各社の意見数を記しておくことにする。検定意見数でみると、意見数が異様に少ない東書、20件から50件ほどの間の清水、帝国、教出、日文、育鵬社の5社、自由社、という三グループに分かれる。戦後レジームを墨守する教科書では少なく、戦後レジームに挑戦する教科書ほど多くなっていることが一目瞭然である。

自由社 139件 44.4%
育鵬社 51件 16.3%
日文 38件 12.1%
教出 28件 8.9%
帝国 28件 8.9%
清水 23件 7.3%
東書 6件 1.9%
計 313件 100(99.8)%
 

  139箇所については当方の間違いや落ち度ではない場合も、基本的には、何らかの修正を施して、1月17日(月)までに修正表を提出しなければならなかった。他社に比べて修正件数が圧倒的に多いわけだから、修正作業も圧倒的に大変な状況であった。しかも、単元12「国家と私たち国民」のように全面的な修正が必要な単元や大コラムもあったから、なおさら大変な状況であったと言える。

  12月20日、「意見及び質問書」に基づく質疑応答  

   もしも検定意見を受け入れられない場合には、「通知のあった日の翌日から起算して20日以内に」「検定意見に対する意見申し立書を文部科学大臣に提出することができる」(教科書用図書検定規則第9条①)。従って、受け容れられない検定意見に対して意見申立書を用意することも考えられた。期限は12月27日(月)であった。実際、我々にとっては、検定意見の中には一部の偏った見解の押し付けと思われる意見も相当あったから、意見申し立て書の提出も真剣に考えられた。

  だが、この申し立てが却下された場合には期日内にしかるべき修正をしなければならず、1月17日までにすべての作業をやり遂げる余裕は到底なかった。17日に修正表を出せなければ、そこで検定不合格となる(検定規則10条③)。それに、意見申し立てが却下される可能性も極めて高いように思われた。

  そこで、我々は、平成22年12月20日(月)、意見申し立て書という形ではなく、まずは「意見及び質問書」というものを用意して、文科省で調査官と質疑応答を行った。そのうえで、我々は「意見申立書」を提出して対応すべきかどうかを検討したが、今回は「意見申立書」は提出せず、「修正表」を作成して1月17日までに提出する方針を立て、12月24日(金)付で、その旨を文科省に通知した。

  私は正月一応休んだけれども、私以外の2名は正月休み返上で「修正表」作成の仕事にとりかかった。そして、
平成23年1月6日(木)、「修正表下書き」を文科省に提出し、1月12日(水)に調査官の意見を聞いた。この時、教授会と重なったため、私は文科省に行けなかった。録音を聴くと、杉原氏と調査官との激烈な論争があったようである。

  1月25日、「修正表」に対する調査官の意見  

  とはいえ、期限内最後の日、1月17日に正規の「修正表」を提出した。平成23年1月25日(火)、正規の「修正表」を基に調査官の意見が提示された。この時も、授業日に重なったため、私は文科省に行くことはできなかった。録音を聴くと、この時も杉原氏と調査官との激烈な論争があったようである。調査官は、この日、冒頭に次のように述べている。

  現在のところ合格も不合格も決まっていない留保という形です。それでこの修正表の修正結果を見て、合格または不合格が決まるというシステムになっております。合格か不合格かを決める判断基準は何かといえばこの検定意見に従った修正は認められるかどうかというところにひとえにかかっています。

   したがって我々のこの検定意見に対する修正としてこれで審議会で説明しきれるかどうかという形で私たちはぜんぶ判断しております。

  言い換えますと、私たちはあくまでもこの修正を審議会で説明した場合に、先生方がああなるほどこれが検定意見に対する修正なのか、直っているなと説明できるか、ということを申し上げているわけです。

  言い換えますと、私どもとしてはなんとか合否の宙ぶらりんの状態を解消して、何とか合格にもっていきたいという基本的姿勢でりますので、何とか(執筆者側の)みなさんもここまでもってくれば何とかいくよということを虚心坦懐に今回から申し上げられますので、それをお聞きになって、もちろん先生方もおっしゃりたいことはあるでしょう。そのあたりでおりあっていって何とか合格までもっていくという作業が2月21日までに行われるというふうになりす。

  したがって期間が短くなりました。ですから、このままでいいものもたくさんあるが、これからこれでは駄目だ、これでは説明しきれない、というところを順次申し上げますから。(そこで)もうそれこそ、この修正はできあがったというものから、ファックスでも何でも送っていただきたい。「修正表」を作るという細部作業は最後の最後にやっていただくということがいちばん(よい)。意見数も多いし、時間のロスになるし、そういう限りで我々何回でもお目にかかりますし、ファックスも受けますし、そのあたり、ちょっと汗をかいていただきたいと思っています。
 

   2月16日、「立憲君主制」をあきらめる
 
  25日に示された調査官の意見に基づき、「修正表」の修正を行うことになった。期限は2月21日(月)であった。21日までの経過を振り返ると、上記引用のように、随時、ファックスや電話等で修正指示が届いていたようである。例えば、2月8日には、立憲君主制の言葉は使用できないとの指示があった。要するに、天皇=君主、元首、権威ととらえる立憲君主制の思想を認めない立場を、教科書調査官は、より強固にしてきたのである。

  これに対して、こちら側は14日に反論を送ったが、調査官側は15日、再度、立憲君主制という表現はダメだという回答を自由社編集者に対して行う。そこで、16日、公民執筆者だけではなく、当時の会長藤岡信勝氏や副会長福地惇氏も含めた会議を行い、あくまで立憲君主制という表現にこだわるかどうか議論を行った。検定不合格覚悟で突っ張ることも考えられたが、それでは教科書を中学生に届けられないということで、検定合格することを第一に考え、立憲君主制という表現をあきらめることにした。そして、2月21日、再修正表を提出したのである。

  形式的には、この2月21日段階の「修正表」に基づき、教科書用図書検定調査審議会が、あくまで合否の決定を行う。しかし、実際には、21日の後も、随時、調査官側から、出版社(自由社)に修正の要請が入り、執筆者側はさらにその修正要請に応じて、「修正表」を変更していったようである。その中には、後に見るように、重要な修正もあったようである。私がそのことに気付いたのは、4月以降の事であった。

  以上のような過程を通じて、我々と調査官の意見は様々な点で隔たりがあり、様々な点で対立した。両者の対立とはどういうものであっただろうか。その点の理解を進めるために、まずは、12月20日に我々が提出した「意見及び質問書」を掲げたい。

  とはいえ、スペースの関係で入らないだろうから、次回記事の冒頭で「意見及び質問書」を掲げることにする。





ブログ気持玉

クリックして気持ちを伝えよう!

ログインしてクリックすれば、自分のブログへのリンクが付きます。

→ログインへ

なるほど(納得、参考になった、ヘー)
驚いた
面白い
ナイス
ガッツ(がんばれ!)
かわいい

気持玉数 : 0

この記事へのコメント

この記事へのトラックバック