中国の尖閣反日暴動に思うこと--原理・原則という投網の重要さ

   この間の中国における尖閣問題を巡る反日暴動を見て二つのことを思った。一つは、1920年代・1930年代の反日暴動もこんなものだったのかな、いや昔だからもっと過激だったのではないかということである。中国の反日のひどさに日本人が怒って戦争に入っていくという図式そのものは頭にあっても、その具体性がもう一つ分からないところがあった。だが、今回、その反日の具体性を映像で見ることが出来たという感じがした。この点は、多くの人が指摘しているようである。
  今後は、歴史教育において、戦前における中国の反日運動のひどさを教えていかなければならないだろう。

   原理原則の重要さ

   もう一つは、原理原則を確立し、それらを国民一般に浸透させ、国際的にも浸透させていくことの大切さである。同じく領土主権の問題で言えば、中国は、戦前から戦後にかけて、尖閣をめぐる手口と同じことを行い、例えば満州を手に入れていった。本来、満州の主権は中国人にはないにもかかわらず、主権の宣言をし、それを欧米や日本に認めさせ、人口を流入させ、そして最後には大戦の勝利者になることで、最終的に満州を完全に中国にしてしまった。中国が満州を手に入れていくときに決定的に重要だったのが、中国に満州の主権があるという原理原則の確立だったといえる。30年40年かけて、中国は満州侵略に成功したのである。

  今後、尖閣問題については二つのレベルがある。上位には、主権論という原理原則のレベルがある。下位には実効支配のレベルがある。中国は、二つのレベルで日本との戦いを進めている。主権論では、既に米国の中立を取り付け、ポーランドの支持を取り付けたともいう。そして、実効支配のレベルでも、漁船や漁業監視船を侵入させ、日本に対して挑戦し続け、少しずつ日本を押してきている。

  実は、中国のこのやり方は、竹島や北方領土問題をめぐって、日本にも参考になるものである。実効支配のレベルでは今の日本には韓国やロシアに対して挑戦しようがないだろう。だが、主権論のレベルでは、まず、10年乃至30年後をも見据えて、国民に対して徹底的に領土問題について教育するとともに、国際社会に対して徹底的に竹島や北方領土が日本固有の領土であることを宣伝していくことは十分にできるし、しなければならない。そして、理論闘争によって、韓国やロシアに対して主権論のレベルでまずは勝利していかなければならない。その上で、実効支配のレベルでもロシアや韓国に挑戦できるだけの自主防衛体制を整えなければならない。でない限り、韓国に対馬を奪われかねないとさえ言えよう。

  日本人は短期的な目でしか国家のことを考えられない。その場限りで現実的に見える政策を選択するが、決して、原理原則から、長期的視点から政策を選択することはない。原理原則のレベルで相手と戦わず、細かい所で押し返そうとする。そして、この押し返しは結構成功する。だが、この押し返しが、原理原則主義者である米国(恐らくは中国も)などを必要以上に怒らせる。そればかりか、短期的には押し返しが成功したように見えて、10年、20年、30年経過してみると、日本側は前よりも後退してしまっていることに気付く。

  尖閣問題でいえば、1960年代では尖閣問題など存在しなかった。ゼロの状態だった。それを、中国は、40年間しつこく尖閣=中国領土論という原理原則を言い続けることによって、そして中国漁船を尖閣沖に侵入させ続けることによって、段々30%40%のところまで持ってきたのである。

 なぜ、そうなるのか。日本側が主権論という原理・原則のレベルで中国側ときちんと戦わなかったからである。日本国民に対してさえも尖閣問題をきちんと教育してこなかったからである。原理原則のレベルで勝利した側は、細かいところでは負けても、大きなところや長期的なところでは、結局、勝利していく。尖閣をめぐる国民教育と国際社会への訴えを強力に推し進めることが重要であると言っておこう。

  国家は自衛戦争と自衛戦力を持つ権利があるという原理原則を浸透させよう

  尖閣を奪われないためには、主権論のレベルで勝利するだけでは足りない。実効支配を続けるためには、日米同盟も重要ではあるが、それ以前に、日本側が自分の国は自分で守る意思をもち、そのための自主防衛体制を確立することが必要である。
 
  だが、昭和27(1952)に独立回復して以来60年経つにもかかわらず、日本は自主防衛体制を築けないままである。それは、なぜか。国家は自己決定権があり、自衛戦争と自衛戦力を持つ権利があるという原理原則について、真剣に考えてこなかったからである。この権利を否定すれば、その国が衰退し、滅んでいくのは余りにも当たり前である。だが、戦後67年にわたって、日本の教育は、国家論を教えてこなかった。防衛が国家の役割であるということを教えてこなかった。それゆえ、国家は自衛戦争と自衛戦力を持つ権利があるという原理原則について教えてこなかった。

  この原理原則について真剣に考えれば、「日本国憲法」成立過程の問題を捨象しても、「日本国憲法」第九条は無効である、という結論に至らざるを得ない。あるいは、第九条から自衛戦力と自衛戦争を肯定する論理を生み出すことができることに気付くだろう。

  自衛戦力保有権の原理原則を、徹底的に国民一般に浸透させていけば、首相が率先してこの原則を強調し、九条解釈の転換を内閣が行っていけば、おのずから自主防衛体制は築かれていくだろう。あるいは、徹底して、自己決定権の原則を考え抜いていけば、この原則に反する形で作られた「日本国憲法」の無効ということに行きつくだろう。

  日本の生き残りを考える政治家は、まずは自衛戦力保有権の原理原則を、次いで自己決定権の原理原則を国民に対して説いていくことが必要になろう。そして、この二つの原則を、日本の自主武装に反対する諸外国に対して、いわば投網としてかぶせていくことが必要となろう。そして、諸外国に対して「独立国家には自衛戦争と自衛戦力を持つ権利がある。日本もその権利を持つ」という形で、自己主張し、反対論を論破していくべきであろう。
 
  ともあれ、中国の無法な主張が、それなりに結実しつつある動きを見るにつれ、原理原則から個別具体性へという流れの論理の使い方、運動の仕方が、日本にもつくづく必要であると思った次第である。

  平等権という原理原則は日本人を捕捉する投網である。

  更に言えば、戦後の公民教育は、憲法学に先んじて、平等権という逆差別思想を確立してきた。今から50年前ほどのことである。そして、平成に入ってから、平等権を説明する具体例として、在日韓国・朝鮮人の例がほとんどすべての公民教科書で1頁以上のスペースを使って語られるようになっていく。「平等権」という原理・原則が立てられた結果、参政権さえも日本人と平等に外国人に与えなければならないという考え方が生まれてきたのである。執拗に、民主党政権が人権侵害救済法案の成立を狙い続けるのも、彼らがこの原理原則に捉えられてしまっているからである。もっと言えば、学校教育を通じて、国民一般に「平等権」という原理・原則が押し付けられてきたからである。「平等権」という投網が国民一般に掛けられてしまっているということであろう。この投網を食い破るには、日本国家とは日本国籍を有する者から成り立つ団体であるという国家論が必要であろう。平等権を教えても国家論を教えないという歪んだ公民教育こそが、日本を内部から滅亡させていく人権侵害救済法案を準備したと思い至るべきである。



   

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