平成24公民教科書資料Ⅲ(5) 「日本国憲法」成立過程

              Ⅲ、立憲主義か全体主義か

             (5) 「日本国憲法」成立過程


   「日本国憲法」成立過程に関しては、出鱈目なことがまかり通っている。マッカーサーによる憲法改正の指示は書かれないし、「日本国憲法」は決して制定されたものではないのに、多くの教科書は「制定」と位置付けている。それどころか、松本案を明治憲法の一部改正と歪曲したり、国民が「日本国憲法」を支持したなどと書いている教科書さえも存在する。真実の「日本国憲法」成立過程を日本国民全般が知るようにならない限り、日本の独立はあり得ないであろう。

   7社の中では自由社が一番ましだが、自由社にしても、成立過程を国際法違反と断じた同社の歴史教科書のような記述がない。また、細かな点までGHQとの協議が必要だったとする育鵬社の歴史教科書のような記述が存在しない。もっとも、公民教科書の場合は、歴史教科書の場合と異なり、この二点を書いても検定で削られたであろうが、挑戦してみる価値はあろう。ただ、自由社は衆議院憲法改正小委員会のことを紹介し、それが秘密会であったこと、1995年までその議事録が一開されなかったことを記している。これは、評価できよう。

   ともあれ、各社の記述を掲げておこう。



○分析項目
備考①ポツダム宣言との関連付け
 ②マッカーサーによる憲法改正の指示……書いているか、「指示」とするか「示唆」とするか等々
 ③松本委員会案……書いているか、大日本帝国憲法の微修正版などと嘘をついていないか
 ④民間案……書いているか、民間案をGHQが参照してGHQ案を作ったなどの嘘話を書いていないか
 ⑤GHQ案……GHQが作ったことをごまかしていないか、また、日本側に押し付けたことを「促した」などとごまかしていないか
 ⑥帝国議会審議……GHQによる統制を書いているか
 ⑦国民の支持の有無……国民が支持したなどの嘘話を書いていないか。特に、成立過程で。
  備考⑧自由民権運動との関連付け……民権運動の思想が「日本国憲法」に現れたなどとと書いていないか
 ⑨憲法制定か改正か
 ⑩その他……ハーグ条約、検閲など


○東京書籍
 ①ポツダム宣言……有り
 ②マッカーサーによる憲法改正の指示……なし
 ③松本委員会案……なし
 ④民間案……なし
 ⑤GHQ案……有り
 ⑥帝国議会審議……議会が修正
 ⑦国民の支持の有無……なし
 ⑧自由民権運動との関連付け……なし
 ⑨憲法制定か改正か……制定
 ⑩なし
「第2章 人間の尊重と日本国憲法」「1 人権と日本国憲法」の節見出し下、「3 日本国憲法の基本原理」の単元見出し下、「日本国憲法の制定」の小見出し下、全文引用
 「1945年8月、日本はポツダム宣言を受け入れて降伏し、第二次世界大戦は終わりました。そして、日本は軍国主義を捨て、平和で民主的な政府をつくることになりました。政府は、GHQ(連合国軍最高司令官総司令部)の作成した原案をもとに、憲法改正草案をつくりました。改正案は、大日本帝国憲法下の最後の帝国議会で審議され、一部修正のうえ可決されました。日本国憲法は、1946年11月3日に公布されたのち、1947年5月3日に施行されました」(36~37頁)。

○日本文教出版
①ポツダム宣言……強力に関連付けている
 ②マッカーサーによる憲法改正の指示……求めて(前回は「指示」)
 ③松本委員会案……明治憲法の一部改正
 ④民間案……「国民主権や平和主義を明記した案もありました。」(前回なかった)
 ⑤GHQ案……「連合国軍総司令部が示した草案」と曖昧化
 ⑥帝国議会審議……「一部の修正」
 ⑦国民の支持の有無……特に、成立過程で。
 ⑧自由民権運動との関連付け……なし
 ⑨憲法制定か改正か……制定
―――恐ろしく出鱈目になった。
第2編1章1節「法に基づく政治と日本国憲法」下、単元「2 日本国憲法の制定と基本原則」下、「日本国憲法の制定」の小見出し下、
 「1945年8月にわが国は、ポツダム宣言を受け入れて連合国に降伏しました。ポツダム宣言には、軍国主義を取りのぞくこと、民主主義を強化すること、基本的人権の尊重を確立することなど、降伏後に日本がとるべき政治の方針が示されていました。そのため、大日本帝国憲法を根本的に改める必要がありました
  政府は、連合国軍総司令部が示した草案に基づいて憲法改正案をつくり、当時の帝国議会に提出しました。この憲法改正案は、戦後初めて行われた普通選挙によって新しく構成された議会で審議され、一部修正を経て可決されました。そして、1946年11月3日に日本国憲法として公布され、翌年5月3日から施行されました」(40~41頁)。
・側注①で「大日本帝国憲法を改正する案は、民間団体や政党などからも出され、国民主権や平和主義を明記した案もありました。いっぽう、政府案は、これまでの天皇制を維持するなど、一部改正にとどめられていました。そこで、連合国軍総司令部は、大日本帝国憲法の全面改正を求めて、政府に改正草案を提示しました」(33頁)。……すさまじい嘘話。
 ⑩なし

○教育出版
 ①ポツダム宣言……強力に関連付けている
 ②マッカーサーによる憲法改正の指示……なし
 ③松本委員会案……比較的正確に紹介
 ④民間案……民間案があったと書かれるのみ。内容はなし。
 ⑤GHQ案……「独自の案を作って日本政府に示しました」
 ⑥帝国議会審議……「修正を経て」
 ⑦国民の支持の有無……なし
 ⑧自由民権運動との関連付け……なし
 ⑨憲法制定か改正か……「誕生」
――――制定過程そのものは、歪曲ほぼなし。①②はひどいが。
第2章1節単元3「憲法はこうして生まれた」下、「日本国憲法の誕生」の小見出し下、
 「日本は、1945年にポツダム宣言を受け入れ、第二次世界大戦は終わりました。ポツダム宣言には、基本的人権を尊重すること、民主政治を強化すること、軍国主義を取り除くことなど、これからの日本がとるべき政治の方針が示されていました。そのため、大日本帝国憲法を、ポツダム宣言に基づいて全面的に改める必要がありました。各政党や民間の憲法草案も発表されるなか、政府は、国民の自由と権利の保障や、議会の権限の拡大などの内容を盛り込んだ改正案をつくりました。しかし、天皇の統治権が変わらないなど、その内容が十分ではなかったため、連合国軍総司令部は満足せず、独自の案を作って日本政府に示しました。
  政府は、示された案に基づいて憲法改正案を作り、国民に発表しました。
改正案は、戦後初の帝国議会で約4か月に渡って審議され、修正を経て可決されました。そして、1946年11月3日に日本国憲法として公布され、1947年5月3日から施行されました」(37頁)。
・「公民の窓 ベアテさんが残したもの」(37頁)
⑩なし

○清水書院 
 ①ポツダム宣言……関連付け
 ②マッカーサーによる憲法改正の指示……なし
 ③松本委員会案……なし
 ④民間案……なし
 ⑤GHQ案……「連合国軍総司令部から民主主義を基本とする憲法案を示された」
 ⑥帝国議会審議……単に「審議・議決」
 ⑦国民の支持の有無……国民が期待
 ⑧自由民権運動との関連付け……なし
 ⑨憲法制定か改正か……「誕生」
第1章1節単元3「日本国憲法の成立と基本原理」の下、「日本の憲法の歩み」の小見出し下、明治憲法について述べた後の分を全文引用
 「ポツダム宣言にもとづいて、憲法の改正を求められた日本政府は、連合国軍総司令部から民主主義を基本とする憲法案を示された。これをもとにつくられた改正案が、新たに20歳以上の男女による普通選挙で選ばれた新しい国会で審議・議決されて、日本国憲法が誕生した。新しい憲法は1946年に公布され、翌年5月3日から施行された。
 長く苦しい戦争体験をへて、専制的な政治がいかに危険かを学んだ国民は、日本が自由と民主主義と平和の方向に新しく生まれ変わることに大きな期待をよせた」(28頁)。
⑩なし

○帝国書院 
 ①ポツダム宣言……強力に関連付けている
 ②マッカーサーによる憲法改正の指示……なし
 ③松本委員会案……なし
 ④民間案……なし
 ⑤GHQ案……有り
 ⑥帝国議会審議……「審議」
 ⑦国民の支持の有無……なし。
 ⑧自由民権運動との関連付け……なし
 ⑨憲法制定か改正か……成立基本、制定も。
「第2章 日本国憲法について考えよう」単元1「日本国憲法とは」下、「日本国憲法の成立」の小見出し下、
 「1945(昭和20)年に、日本がポツダム宣言を受け入れ、連合国軍に降伏したのちは、平和で民主的な社会をつくるために、大日本帝国憲法を改正することが必要になりました。憲法の改正案は連合国軍総司令部の案が基礎となっていました。そして、総選挙で選ばれた衆議院議員もふくむ帝国議会で約3か月にわたり審議され、日本国憲法として制定されました。日本国憲法は1946年11月3日に公布、翌年の5月3日に施行されました。日本国憲法の成立は、日本のあり方そのものを変えました」(35頁)。


○育鵬社 
 ①ポツダム宣言……関連付けず
 ②マッカーサーによる憲法改正の指示……「憲法改正を求めた」
 ③松本委員会案……評価はない
 ④民間案……なし
 ⑤GHQ案……有り
 ⑥帝国議会審議……「一部の修正」。
 ⑦国民の支持の有無……一応、なし。微妙。
 ⑧自由民権運動との関連付け……なし
 ⑨憲法制定か改正か……制定
 ⑩その他……検閲、あり
第2章第1節単元2「大日本帝国憲法と日本国憲法」下、「日本国憲法の制定」の小見出し下、
 「第二次世界大戦で日本を破った連合国は、大日本帝国憲法の下での日本の政治体制が、戰爭のおもな原因と考えました。そこで、日本の民主主義的傾向を復活強化して、連合国にふたたび脅威をあたえないような政治体制にするために、連合国軍総司令部(GHQ)は徹底した占領政策を施しました。
 連合国軍最高司令官マッカーサーは、日本の憲法の改正を政府に求め、政府は大日本帝国憲法をもとに改正案を作成しました。しかし、GHQはこれを拒否し、自ら1週間で憲法草案を作成したのち、日本政府に受け入れるようきびしく迫りました。
  日本政府は英語で書かれたこの憲法草案を翻訳・修正し、改正案として1946(昭和21)年6月に帝国議会に提出しました。改正案は、一部の修正を経たのち、11月3日に日本国憲法として公布され、翌年5月3日から施行されました。
  日本国憲法は戦後の政治原理として国内はもちろん、国外にも広く受け入れられました」(40~41頁)。……この記述はひどすぎる。ただし、申請本にはなかった記述であり、検定で入れさせられたのであろう。だが、もう少しやりようがあったのではないか。ここまで書いてしまっているのは育鵬社だけなのだから。
・「検閲を受けた出版物」の写真説明で、「GHQは占領期間中、軍国主義の復活を防ぐためとして、徹底した検閲を行いました。また、その検閲の実態や、GHQが日本国憲法の起草にいて果たした役割への言及も禁止しました。そのため、自由な報道や表現は大きく制限されました」(41頁)。

○自由社 
 ①ポツダム宣言……関連付けず
 ②マッカーサーによる憲法改正の指示……「指示」
 ③松本委員会案……書かれているが、評価はない
 ④民間案……なし
 ⑤GHQ案……有り
 ⑥帝国議会審議……「一部の修正」。秘密の審議、半ば統制
 ⑦国民の支持の有無……なし。
 ⑧自由民権運動との関連付け……なし
 ⑨憲法制定か改正か……「成立」
 ⑩その他……事前検閲、あり
①②③④⑤⑨単元17「日本国憲法の成立」下、「GHQ案の提示」の小見出し下、
「日本を占領した連合国軍総司令部(GHQ)の最高司令官マッカーサーは、11月、日本政府に対して、民主主義化、自由主義化のために必要だとして憲法改正を指示しました。これを受けて日本政府は大日本帝国憲法の改正案を作成しましたが、マッカーサーは、天皇の統治権総攬を規定していることなどで、改正は不十分であるとして拒否しました。
GHQの民政局で新憲法案がひそかに英文で作成され、1946年2月13日、日本政府に提示されました。日本政府としては受諾する以外に選択の余地のないものでした」(50頁)。
⑥⑦⑧⑩「議員の追放と憲法改正の審議」の小見出し下、
GHQは……公職追放の指令を発令していました。そのため、この選挙のときは現職の82%の議員は追放されていて、立候補できませんでした。さらに5 月から7 月にかけて、議会審議中にも貴族院議員を含め多くの議員が公職追放されてしまいました。……信書(手紙)の検閲や新聞・雑誌の事前検閲が厳しく行われました。GHQ への批判記事は掲載がいっさい認められず、特にGHQ が新憲法の原案をつくったということに関する記事は掲載しないよう、厳しくとりしまられました。従って、憲法審議中、国民は新憲法の原案がGHQ から出たものであることを知りませんでした。
このような状況のなかで憲法改正の政府案は6 月から10 月にかけて帝国議会で審議されました。帝国議会では、主として衆議院の憲法改正特別委員会小委員会の審議を通じて、いくつかの重要な修正が行われました。しかし、小委員会の審議は、一般議員の傍聴も新聞記者の入場も認められない密室の審議でした。この小委員会の速記録は、1995(平成7)年に初めて公表されました
」(50~51頁)。


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