平成24~27年度中学校歴史教科書比較資料Ⅰ(17)日華事変(シナ事変、日中戦争)

    Ⅰ、中韓隷属史観

    (17)日華事変

   一頃、満州事変や日華事変を記した個所では、「侵略」の文字が大きく踊っていた。今回も「侵略」と位置付ける教科書が多数派ではあるが、その文字は目立たなく書かれるようになった。
  しかし、相変わらず、日本側が戦争を仕掛けたという、史実と正反対の記述を行うのが多数派教科書である。
  以下に、記述を掲げよう。

○分析項目
①いずれが仕掛けたとしているか
②盧溝橋事件
③名称
④「侵略」云々


○東京書籍……
①②③④
……「2 世界恐慌と日本の中国侵略」の節で、単元「4 日中全面戦争」下、「日中戦争と抗日民族統一戦線」の小見出し下、
 「満州を支配下に置いた日本は、さらに中国北部に侵入しました。1937(昭和12)年7月7日、北京郊外の盧溝橋付近で起こった日中両国軍の武力衝突(盧溝橋事件)をきっかけに、日中戦争が始まりました」(204頁)。

○日本文教出版
①いずれが仕掛けたとしているか……完全に日本
②盧溝橋事件……発砲の件はふれず
③名称……日中戦争
④「侵略」云々……目立たぬ形で、「侵略」
①②③④
 単元「日中全面戦争と戦時体制」下、「中国との全面戦争」の小見出し下、
 「中国では、国民政府の蒋介石が、反対する勢力をおさえこもうとして共産党を攻撃しました。共産党は、毛沢東が指導者になり、まず日本に抵抗することをよびかけました。いっぽう、日本軍は、華北を勢力圏にしようとして工作を進め、北京駐留の部隊を増強するなど、中国との対立を強めていきました。
  1937(昭和12)年7月、北京郊外の盧溝橋で、日本軍と中国軍が衝突する事件が起こりました。現地では停戦協定が結ばれたにもかかわらず、この機会に勢力圏を広げようと考えた軍人も多く、戦火は上海に広がり、宣戦布告のないままに全面的な日中戦争が始まりました。国民政府は、共産党との戦いをやめて、日本軍と戦うことを決めました。
  日本軍は、各地ではげしい抵抗にあいながらも戦線を広げ、12月に占領した首都南京では、捕虜のほか、婦女子をふくむ多数の住民を殺害しました(南京事件)。国民政府は、首都を漢口、次いで奥地の重慶に移し、抗戦を続けました」(226頁)。
   ・「日本の中国侵略」の図(226頁)
    
○教育出版……
①②③④
 単元「12 『話せばわかる』 軍国主義の高まりと日中戦争」下、「日中戦争の始まり」の小見出し下、「1936年、内戦は停止されました。そして、中国は、満州から華北へ勢力を拡大しようとする日本と、対立を深めるようになりました。
1937年7月、北京郊外の盧溝橋で、日本軍と中国軍の武力衝突(盧溝橋事件)が起こったのをきっかけに、日中戦争が始まりました。8月には上海にも戦闘が広がり、宣戦布告をしないままに、日本軍は次々に兵力を増強して戦線を拡大しました。」(213頁)
②盧溝橋事件……いずれとも書かぬ
③名称……日中戦争
④「侵略」とはなし

○清水書院……
①②③④単元「4 日中戦争と戦時体制」下、「日中の軍事衝突」の小見出し下、
 「満州国の実質的な支配をかためた日本はその後、華北を侵略しようとした。1937(昭和12)年7月、北京郊外での演習をおこなっていた日本軍の部隊と中国軍とのあいだで銃撃戦が発生すると、日本軍は現地での軍事行動を展開した。これに対して、当時内戦を続けていた中国の国民政府と中国共産党は、協力して日本に対する戦争を進めることを明確にした。」(232頁)。
   ①日本側
   ②盧溝橋事件では、中国側の発砲が書かれず。
   ③日中戦争
   ④「侵略」
③側注「① 当時の日本政府は支那事変と称し、宣戦布告をおこなわなかった。宣戦布告をした場合、中立国であるアメリカが重要物資の日本への輸出を停止するはずであった。日本政府はそうした事態をさけるため、宣戦布告をしなかったのである」(232頁)。
  ……この点は中国側にとってもあてはまる。リットン調査団報告書の場合と同じく一面的。

○帝国書院……
①いずれが仕掛けたとしているか……日本
②盧溝橋事件……発砲についてふれず
③名称……日中戦争
④「侵略」云々……「侵攻」
①②③④第5部7章、単元「4 戦争につき進む日本」の下、「日中戦争」の小見出し下、
「日本は国際的に孤立するなか、同じように国際連盟を脱退したドイツに接近し、アメリカやイギリスとの対立を深めていきました。また、『満州』にとどまらず、中国北部にも軍隊を進めていきました
 1937(昭和12)年7月、北京郊外の盧溝橋で日中両軍が衝突した事件をきっかけに、日中戦争が始まりました日本軍は中国南部からも侵攻し、上海や当時首都であった南京を占領しました。南京では、兵士だけでなく、女性や子どもをふくむ多くの中国人を殺害し、諸外国から『日本軍の蛮行』と非難されました(南京虐殺事件)。しかし、このことは戦争が終わるまで、日本国民には知らされませんでした」(208頁)。……前回は「南京大虐殺」
・続けて「抗日民族統一戦線」の小見出し下、
日本の侵攻のなか、中国では、孫文のあとをついだ蒋介石ひきいる中国国民党(国民政府)と、毛沢東ひきいる中国共産党が対立し、内戦が続いていました。しかし、共同して日本と戦うために対立を一時やめ、抗日民族統一戦線をつくりました。」(208頁)

○育鵬社
①②③単元「69 日中戦争(支那事変)」下、「日中戦争」の小見出し下、「日本は義和団事件のあと、条約により北京周辺に5000人の軍を駐屯させていました。1937(昭和12)年7月、北京郊外の盧溝橋付近で日本軍は何者かに銃撃を加えられ、中国側と撃ち合いになりました(盧溝橋事件)。
  これに対して日本政府は不拡大方針をとる一方で、兵力の増強を決定しました。その後も日本軍と国民政府軍との戦闘は終わらず、8月には日本軍将校殺害をきっかけに上海にも戦闘が拡大しました。ここにいたって日本政府は不拡大方針を撤回し、日本と中国は全面戦争に突入していきました (日中戦争)。日本軍は12月に首都・南京を占領しましたが、……」(209頁)
③名称……「日中戦争(支那事変)」
 ・側注③として「日本政府はこの戦争を『支那事変』とよんだ」(209頁)。
④「侵略」云々はなし

○自由社……
①いずれが仕掛けたとしているか……中国側
②盧溝橋事件……「日本軍へ向けて何者かが発砲する」
③名称……日中戦争(日本は当時『支那事変』と呼んだ)
④「侵略」云々なし
①②③単元「77 日中戦争」の下、「西安事件」の小見出し下、
 「同じころ、中国では、蒋介石が率いる中国国民党政権と中国共産党がはげしく対立し、内戦状態にあった(国共内戦)。中国共産党は、コミンテルンの方針に基づき、抗日で国共両党が協力することをよびかけた。しかし、蒋介石は、まず、国内の共産党勢力をたおし、そののち、日本と戦うという方針を変えなかった。
  暗殺された張作霖の息子・張学良は、蒋介石に共産党の討伐を命じられていたが、内心は共産党の抗日のよびかけに賛同していた。張学良は1936年、蒋介石を西安で監禁し、共産党との内戦をやめ、一致して日本と戦うことを認めさせた(西安事件)」(224頁)。
 「日中戦争の始まり」の小見出し下、「いっぽう、日本軍は満州国の維持や資源確保のために、隣接する華北地方に親日政権をつくるなどして、中国側との緊張が高まった。また、日本は義和団事件のあと、他の列強諸国と同様に中国と結んだ条約によって、北京周辺に5000人の軍隊を駐屯させていた。
1937(昭和12)年7月7日夜、北京郊外の盧溝橋で、演習していた日本軍(③)に向けて何者かが発砲する事件がおき、翌日には、中国軍と戦闘状態になった(盧溝橋事件)。事件そのものは小規模で、現地解決がはかられたが、日本は派兵を決定し、中国側も動員令を発した。その後も戦闘は絶えず、翌月には、外国の権益が集中し各国の租界がある上海で、二人の日本人将兵が射殺される事件がおこり、中国軍が日本人居留区を包囲した。日本は日本人保護のため派兵した。こうして日中戦争(日本は当時『支那事変』と呼んだ)が始まり、拡大した
  日本軍は国民政府の首都南京を落とせば蒋介石は降伏すると考え、12月、南京を占領した(⑥)。しかし、蒋介石は奥地の重慶に首都を移し、抗戦を続けた」(225頁)。
 *申請本の「当時、上海には、英米など各国の租界がもうけられ、居留民保護のため、各国とも数千人の兵力が常駐していた。日本は、海軍陸戦隊が駐留していた。
8月13日、12万人の中国軍が4000人の日本海軍陸戦隊をおそい、日本人居住区を包囲した(上海事変)。日本は3万人の在留日本人保護のため、陸軍を逐次派遣したが、戦意旺盛で近代化された蒋介石の軍隊に苦戦し、3か月後に平定するまでに、4万の死傷者を出した。」(225頁)削除。
 
 ・側注③で通州事件(225頁)
・側注④として「中国軍はドイツの軍事指導と武器援助を受け、強力な軍隊に変貌していたが、日本はそのことを軽視していた。中国は見返りに、希少金属のタングステンをあたえて、ヒトラーの軍備拡張を支えた」(225頁)。
・「歴史の言葉 事変」……検定で大きく変化(225頁)
・「南京事件」……側注⑤として「南京占領の際に、日本軍によって中国の軍民に多数の死傷者が出た(「南京事件」)」(225頁)。



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この記事へのコメント

耳庵
2011年11月21日 09:55
参考資料としてリンクさせて頂きました。
同じ教科書でも分かりやすく相違点をまとめてらっしゃるので、広く周知したいと思います。

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