平成24~27年度中学校歴史教科書比較資料Ⅰ(13)日清戦争

Ⅰ、中韓隷属史観--近代編     


    (13) 日清戦争


○分析項目
①朝鮮が「清の属国」であることが書かれているか
中国による朝鮮植民地化の動きが書かれているか
②甲申政変他……独立党が親日派であったことが書かれているか
③防衛の観点があるか
補足④戦争の始まり……東学党の乱、日本の改革要求
⑤「侵略」とするか否か
⑥朝鮮人への差別云々あるか
⑦江華島事件


東京書籍……
①②③第5章3節、単元「1 欧米列強の侵略と条約改正」下、「東アジアの情勢」の小見出し下、
 「朝鮮半島では、日清修好条規を結んだ日本と、朝鮮への宗主権を主張する清とが勢力争いをくり広げていました。朝鮮国内では、明治維新にならって近代化をはかろうとする親日派と、清との関係を重視して欧米に対抗していこうとする親中派とが激しく対立しました。
1884(明治17)年に起きた甲申政変以後、日本の勢力が後退する一方、清の勢力が強くなると、日本は清に対抗するため、軍備の増強を図っていきました。日本国内では、……列強のアジア進出に対抗して、朝鮮に進出しなければ、日本の前途も危ないという主張が強まりました」(161頁)。
   ①「朝鮮への宗主権を主張する清」程度
   ②独立党の名称なし、しかし、親日派が近代化派であることが書かれている。
③防衛の観点があるか……少し弱くなるが、有り
④東学党の乱……第5章3節、単元「2 日清戦争」下、「日清戦争」の小見出し下、
「朝鮮では、日清両国の対立の中で、政治や経済が混乱したため、1894(明治27)年、民間信仰をもとにした朝鮮の宗教、東学を信仰する団体を中心とした農民が、朝鮮半島南部一帯で蜂起しました(甲午農民戦争)。かれらは、腐敗した役人の追放といった政治改革や、日本や欧米など外国人の排除をめざしました。
   朝鮮の政府が出兵を求めたのをきっかけに、日本は朝鮮に出兵し、8月に日清戦争が始まりました。日本は戦いを優勢に進めて勝利し、1895年4月、下関条約が結ばれました。この講和条約で……。
   台湾を領有した日本は、台湾総督府を設置して、住民の抵抗を武力でおさえ、植民地支配をおし進めました」(162頁)。
  続けて、「加速する中国侵略」の小見出し下、
「日清戦争での清の敗北により、古代から続いていた中国を中心とするアジアの国際関係はくずれました。朝鮮は1897年に国名を大韓帝国(韓国)に改め、清からの独立を宣言しました。清の弱体化を見て、列強は競って清に進出し、鉱山を開発したり、鉄道を建設したりするなどの、さまざまな経済上の利権を手に入れて、清の国内に独占的な勢力範囲をつくっていきました(中国分割)」(162~163頁)。
  次いで、「三国干渉」の小見出し下、「なかでも満州(中国東北部) への進出をねらうロシアは、日本が獲得した遼東半島を清に返還するよう……」(163頁)。
   ・「列強の中国分割」の図(163頁)
  ⑦江華島事件……単元「5 近代的な国際関係」の下、「清と朝鮮国との関係」の小見出し下、
側注①として「軍艦を朝鮮に派遣し、沿岸を無断で測量して圧力を加えたことによって起きた武力衝突」(155頁)。
 

日本文教出版
①②第5編5章、単元「1 朝鮮をめぐる日本と清の対立」下、「日清戦争」の小見出し下、
 「日本と日朝修好条規を結んだ朝鮮政府は、その後、開化政策へと転換しました。しかし、開化政策に反対する勢力も強く、さらに日本と清が政治に干渉したこともあって、朝鮮国内は不安定でした。また、開国による経済の混乱もあり、民衆の反発も強まっていました」(188頁)。
 ④続けて、「1894(明治27)年、キリスト教に対抗して創設された民間信仰の東学を信じる人々が、農民と結び、日本や欧米諸国の追放と政治改革をめざして兵をあげました(甲午農民戦争)。これに対抗するために朝鮮政府が清に出兵を求めると、戦争の準備を進めていた日本も、清との条約を理由に朝鮮に出兵し、日清戦争が始まりました。戦争は、近代的な軍隊を整えた日本の勝利に終わり、翌年、下関(山口県)で講和会議が開かれました」(189頁)。
  ①「清の属国」云々、一切なし。
②独立党も親日派も、一切なし。
③防衛の観点があるか……なし
④東学党の乱……少々、日本側を悪く書く。
⑦単元「4 領土の画定と周辺地域」下、「領土の画定」の小見出し下、「鎖国を続ける朝鮮に対しては、1875年に軍艦を朝鮮に派遣、その翌年、不平等条約である日朝修好条規を結びました」(178頁)。

○教育出版……
①②③④単元「8 朝鮮をめぐる戦い 日清戦争と三国干渉」下、「日清戦争」の小見出し下、
「19世紀の末、朝鮮国内では、日本にならって近代化の政策を進めようとする開化派と、これに反対する保守派が争っていました。開化派を支援して朝鮮に勢力を広げようとした日本は、朝鮮への支配を強めようとする清(中国)と対立を深め、軍備を強化していきました。
  1894(明治27)年、朝鮮の南部で、東学という宗教を信仰する農民たちが、腐敗した政治の改革を求めるとともに、外国の勢力を追い出そうとして立ち上がりました(甲午農民戦争)。これをしずめるために、朝鮮政府の求めに応じて清が軍隊を送ると、日本もこれに対抗して出兵し、日清戦争が始まりました。……」(168頁)。
③防衛の観点なし
⑥同単元下、「下関条約と三国干渉」の小見出し下、「日清戦争の勝利により、東アジアで勢いを強めた日本では、ロシアへの対抗心とともに、中国や朝鮮に対する優越感や差別意識も広まりました」(169頁)。
⑦単元「4 智識を世界に求めて 新しい国際関係の確立」下、「朝鮮との外交」の小見出し下、「ところが、1875年に江華島事が起こると、翌年、政府は軍艦を率いた使節を送って朝鮮に圧力をかけ、日本に有利な日朝修好条規を結んで、開国させました」(158~159頁)。
  ・側注として、「①ソウルに近い江華島沖で、日本の軍艦が無断で測量をしたため、朝鮮の砲台から砲撃され、日本側が反撃して砲台を占拠した事件」(159頁)。

○清水書院……悪くなる
①第4章「第5節 アジアの近代化と日本のうごき」、単元「1 近代化とむかいあう中国と朝鮮」の下、「動揺する清朝」の小見出し下、「中国を中心としたアジアの国ぐにの関係も、大きく変化した。1880年代には琉球が日本の領地とされ、ベトナムもフランスの支配下に組みこまれて、どちらも中国に朝貢しなくなった。朝貢していた国が少なくなるにつれて、清の皇帝の権威も失われていった」(188~189頁)。
②同単元下、「近代とむかいあう朝鮮」の小見出し下、
 「しかし、日本と日朝修好条規をむすんだあとには、朝鮮は清と日本に使節をおくつて、近代化の道をさぐりはじめた。軍隊の近代化も進めようと試みたが、旧式の軍隊が1882年に反乱をおこすなど、改革は順調に進まなかった。そして清の支持をえてゆるやかに改革を進めようとするうごきと、日本の明治維新にならって政治を改革しようとするうごきが衝突するようになった。1884年に、急進的な改革を求めたグループが、日本の支援を受けて政変をおこすと、清の軍が介入し、その後、朝鮮では清の影響力が強くなった」( 165頁)。
・独立党、事大党の言葉はない。また、両者の対立は、急進的か漸進的かに矮小化される。
③少しあった防衛の観点、完全になくなる。
④単元「2 日清戦争」下、「日清戦争と下関条約」の小見出し下、
 「開国後の朝鮮王朝では、日本との貿易がはじまると物価が上昇した。……1894年に農民が反乱をおこすと、東学を信じる指導者のもとで大反乱へと発展した(甲午農民戦争)。朝鮮政府が清に援軍を求めると、日本も軍隊をおくった。農民たちは政府と和解したが、日本軍はしりぞかず、朝鮮の改革案を清に提案した。清がそれを拒否すると、日本は清と戦争をはじめた。この日清戦争は、日本と清との戦争であったが、争ったのは朝鮮半島の支配権であった」(190頁)。
・東学党云々……改革とは何か書かれぬため、日本が悪いように読める。でも改革要求があるだけ、まし。
①続いて、同小見出し下、「日本は、清に朝鮮との朝貢関係をやめさせ、中国の勢力を朝鮮半島から引きあげさせることに成功した。朝鮮王朝は、近代国家としての体制をととのえようと1897年に大韓帝国と改称して、清と平等な立場をきずきながら改革を進めようとした」(190~191頁)。……韓国がロシアの影響下に入っていく点が書かれぬ。
  ・「図4 侵略される中国」で、日本、ロシア、ドイツ、イギリス、フランス、ポルトガルが登場(191頁)
⑦第4章第3節、単元「5 新しい国際関係」下、「日本は朝鮮半島の江華島付近に測量の名目でおくった軍艦が軍事紛争をおこしたのをきっかけに、朝鮮に使節を派遣し、1876年、日朝修好条規をむすんだ。」(177頁)。

○帝国書院……
①②③第5部「4章 帝国主義と日本」下、単元「1 『一等国』をめざして」下、「朝鮮をめぐる東アジアの情勢」の小見出し下、「欧米と対等の国になることに努力する一方で、日本は朝鮮半島に影響力を広げようと考えるようになりました。日朝修好条規によって開国した朝鮮では、日本にならって軍隊や政治を改革しようとする勢力が台頭しました。しかし、それに反発し清との関係を強めようとする勢力も強く、日本の進出は、はばまれました。こうしたなかで、アジア諸国と連携しないで日本の欧米化をめざす考え(『脱亜論』)が登場しました」(171頁)。
①②③単元「2 朝鮮支配と日清戦争」の下、「日清戦争」の小見出し下、
「19世紀終わりの朝鮮では、重い税金に加え、凶作と日本の商人による米の買いしめで、米の値上がりが続いていました。1894(明治27)年、キリスト教(西学)に反対する宗教(東学)を信仰する農民たちを中心に、日本と欧米諸国を追いはらい、朝鮮の政治改革をめざす反乱が南部で起こり、勢力を広げました(甲午農民戦争)。
  反乱をしずめるために朝鮮政府が清に援軍を求めると、日本も清に対抗して朝鮮へ軍隊を送りました。現地では農民軍と政府側は和解し、農民軍は解散しましたが、朝鮮へ勢力をのばす機会をねらっていた日本は、朝鮮政府に改革を要求して、朝鮮王宮を占拠するなどの内政干渉を行いました。そのため、朝鮮を勢力範囲と考える清との対立を深めました。1894年7月、豊島沖での衝突をきっかけに日清戦争がはじまりました。日本では、議会や内閣が派兵の拠点となる広島に移されました。清は大国でしたが、戦争は近代装備でまさる日本軍が勝利しました。
  ……(下関条約)。……」(174頁)。
  ・同単元下、「三国干渉と列強の清への進出」の小見出し下、「日清戦争のとき、日本は朝鮮を軍事占領し日本の影響下におきました」(175頁)
    *申請本では、下線部は「日本による保護国化を進めました」(175頁)。
②「歴史に挑戦 日本の行方を問う本が発刊される!」の大コラム下、「情報④ 当時の朝鮮の状況」下、「朝鮮では、日本を手本にした近代化と清からの自立をめざす改革勢力が、伝統を重視する勢力と対立し、清と日本の介入もあって混乱が続いていました。」(173頁)
    ①「朝鮮を勢力範囲と考えていた清」としかない。
    ②独立党も事大党も、言葉がない。親日派ともないが、親日派=「自立と近代化」派
    ③防衛の観点、全くなし
      日本側の改革の内容、一切書かれず。
      東学党の乱の箇所では、日本側が悪く書かれる。
補足④戦争の始まり……東学党の乱、日本の内政干渉
⑤「侵略」とはしない
⑥朝鮮人への差別云々あるか
⑦単元「1 欧米とアジアで異なる外交」下、「征韓論と日朝修好条規の締結」の小見出し下、「しかし、1875年、日本は軍艦を朝鮮沿海に派遣し、無断で測量を行うなどの圧力を加えました。そして、江華島近くに侵入した日本の軍艦に朝鮮側が砲撃する事件(江華島事件)が起こると、翌1876年、この事件を口実に日本は朝鮮と日朝修好条規を結び、開港させました。これは、朝鮮において日本が一方的に領事裁判権をもつなど、不平等な条約でした」(159頁)。

○育鵬社
①②③単元「55 朝鮮半島と日清戦争」下、「朝鮮をめぐる日清の対立」の小見出し下、「わが国が日朝修好条規で朝鮮を独立国とみなす一方、清は朝鮮を自らの属国とみなしていました。わが国は朝鮮の軍制改革を援助しましたが、朝鮮では、日本にならって近代化を進めようとする独立党と、清との関係を維持しようとする事大党が対立しました。そうしたなかで、1882(明治15)年、改革に反発する軍人の暴動(壬午事変)が発生し、1884(明治17)年には独立党の金玉均らがクーデター(甲申事変)をおこしましたが、いずれも清の軍隊に鎮圧されました。特に甲申事変では、わが国は清の軍事力を恐れて金玉金を強く支援できず、清に有利な結果に終わりました。こうして、朝鮮は清の勢力下に置かれ、日本の影響力は後退しました。
 また同じころ、大国ロシアがその南下政策により太平洋側に勢力をのばし、これに対抗しようとしたイギリスが朝鮮南岸の島を占領する事件もおこりました。こうした朝鮮をめぐる諸外国の動きのなかで、わが国でも、隣接する朝鮮がロシアなど欧米列強の勢力下に置かれれば、自国の安全がおびやかされるという危機感が強まりました。そして、まずは朝鮮を勢力下に置く清に対抗するため、軍事力の充実に努めました」(170頁)。
   ・側注①「このころ、長崎に寄港した清国軍艦の水兵が地元警察と乱闘して両者に死傷者が出る事件があり、日本国民のあいだに、清に対する反感が高まっていた」(170頁)。
補足④同単元で、続けて「日清戦争の始まり」の小見出し下、「1894(明治27)年、朝鮮で政府や外国勢力に反対する大規模な農民の暴動がおきました(甲午農民戦争、東学党の乱)。清は朝鮮の求めに応じて、『属国を保護する』という理由で出兵しましたが、これを認めないわが国も、清との取り決めに基づいて出兵したため、両軍は衝突し、日清戦争が始まりました。……
こうして、朝鮮は初めて中国から独立国と認められました。」(170~171頁)。
⑤「侵略」とするか否か……せず
⑥朝鮮人への差別云々あるか……なし
⑦江華島事件……単元「49 明治初期の外交と国境の画定」下、「朝鮮との交渉」の小見出し下、「1875(明治8)年、朝鮮沿岸で測量中のわが国の軍艦が砲撃された江華島事件をきっかけとして朝鮮と交渉し、翌年、日朝修好条規を結んで開国させました」(157頁)。
・則注③を新設。「日本の軍艦が無断で測量するなどの圧力をかけたために砲撃され戦闘となった」(157頁)。
・側注④を新設。「これは朝鮮にとって不平等な条約だった」(157頁)。 

○自由社
①②③「コラム 人物クローズアップ 福沢諭吉の『学問のすすめ』と『脱亜論』」(180~181頁)で、「属国とみている清国」とある。防衛の観点もある。
①②③単元「61 日清戦争と三国干渉」の下、「朝鮮をめぐる日清の抗争」の小見出し下、「日本は、朝鮮の開国後、その近代化を助けるべく、軍隊の制度改革を援助した。ところが1882(明治15)年、まだ改革のおよばない部隊に属する一部の朝鮮軍人が、冷遇されたと不満をもち、暴動をおこした(壬午事変)。宗主国である清はこれに乗じ、数千の軍隊を派遣してただちに暴動を鎮圧し、日本の影響力を弱めた。
 1884年には、日本の明治維新にならって近代化を進めようとした金玉均らのクーデターがおこったが、このときも清の軍隊は、これを鎮圧した(甲申事変)。
 朝鮮における清朝との勢力争いに2度敗北した日本は、清との戦争を予想して、急速に軍備を拡張し、やがてほぼ対等な軍事力をたくわえるにいたった」(182頁)。
・「金玉均と甲申事変」の小コラムで、開化派(独立派)VS事大党の構図(182頁)
補足④同単元下、「日清戦争と日本の勝因」の小見出し下、「1894(明治27)年、朝鮮の南部に甲午農民戦争とよばれる暴動がおこった。農民軍は、外国人と腐敗した役人を追放しようとし、一時は朝鮮半島の一部を制圧するほどであった。わずかな兵力しかもたない朝鮮王朝は、清に鎮圧のための出兵を求めたが、日本も清との申し合わせに従って軍隊を派遣したため、日清両軍が衝突して日清戦争が始まった。
   戦場は朝鮮のほか、満州(現・中国東北部)南部などに広がり、日本は陸戦でも海戦でも清を圧倒し、勝利した。日本の勝因は、兵器の装備に加え、軍隊の規律・訓練にまさっていたことである。さらにその背景には、日本人全体の意識が、国民として一つにまとまっていたことがある」(182~183頁)。
  ・「下関条約と三国干渉」の小見出し下、「1895(明治28)年、日清両国は下関条約を結び、清は朝鮮の独立を認めるとともに、日本政府の財政収入の約3倍に当たる賠償金3億円(2億両)あまりを支払い、遼東半島や台湾などを日本にゆずりわたした。古代から続いた東アジアの華夷秩序は崩壊し、中国はたちまちにして列強諸国の分割の対象となった」(183頁)。
    ・伊藤博文の大コラムで、申請本の「長らく清に服属してきた朝鮮」→合格本の「長らく清の朝貢国であった朝鮮」へ(192頁)。
⑤「侵略」となし
⑥差別云々なし
⑦江華島事件……169頁側注②として、「こののち、1875年、日本の軍艦雲揚号が朝鮮の江華島沖を測量して威圧した。朝鮮側がこれを砲撃し交戦となった(江華島事件)。日本は翌76年、日朝修好条規という不平等な条約を結び、朝鮮を開国させた」(169頁)




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