「日本国憲法」の性格―――平成19年5月5日、『日本国憲法無効宣言』への感想
本ブログは、二つのことを大きな目的としている。第一は、公民教科書と歴史教科書のひどさ、害悪を明らかにすることである。第二は、「日本国憲法」の性格を明らかにし、「日本国憲法無効論」の正当性を広めていくことである。
今の私は公民教科書や歴史教科書の研究に集中している関係から、本ブログの記事は教科書関係中心となっている。だが、無効論関係の記事も、掲載していきたいと考える。とはいっても、この3年以上、無効論関係のことをきちんと考察したり、研究したりしていないから、3年前あるいはそれ以前の論考を何点か掲載することとする。
まずは、南出喜久治・渡部昇一『日本国憲法無効宣言』が出版されたときに記した覚書である、「『日本国憲法』の性格」(平成19年5月5日記す)と「『日本国憲法無効宣言』が無効論者を紹介しなかった点について」(平成19年)を掲げることとする。
荒い論考であるが、私が「新無効論」なるものに感じている疑問が半分ほど記されている。
「日本国憲法」の性格
平成19年5月5日
「旧無効論」を歪めて紹介する「新無効論」
4月14日、土曜日。南出喜久治・渡部昇一著『日本国憲法無効宣言』が刊行されたことを、この本を買い求めた或る人に教えられた。「日本国憲法」無効論の本が出されることは、私にとっては喜ぶべき事である。だが、目次を見て嫌な感じがした。そこには、「日本国憲法」無効論とともに「日本国憲法」条約説が強調されていた。
私は、いずれ南出氏から本が送られてくるだろうと思い込んでいた。この数年間私が出した数冊の著書は全て南出氏に送っていたし、昨年出した『憲法無効論とは何か』については、南出氏の要請により二冊目を送付していた。それに、一年前には南出氏から無効論の本を出すことを聞いていた。それゆえ、当然に本が送られてくると思っていたし、送られてきたら本の内容に対する疑問点なりを手紙で記そうと思っていた。
だが、十日以上待ったが、一向に送られてこない。しょうがないから、26日に書店で買い求めた。その日本を読んだが、無効論としても条約説としても、余り分かりやすいものではなく説得力が感じられなかった。そして、嫌な感じはますます拡大した。
嫌な感じは主に四点にわたる。第一に、南出氏は「旧無効論」批判なるものを展開しているが、「旧無効論」者の名前を一人も挙げない。この本の中では、最も精緻な論理を積み上げた「旧無効論」の元祖である井上孚麿も、同じく元祖的な存在である菅原裕も出てこない。また、南出氏と近い関係にあった小森義峯氏の名前も登場しない。この数年間では最も精力的に「旧無効論」を展開している私の名前も出てこない。ともかく、これには驚かされた。
第二に、「旧無効論」の内容が歪めて紹介されている。南出氏によれば、「旧無効論」は、「日本国憲法」を絶対無効と理解しており、法的安定性を損なう理論だとする。だが、私も含めて体系的な理論を構築している「旧無効論」者はすべて、「日本国憲法」を憲法としては無効であるが、何らかの意味で有効なものと理解している。この点では、南出氏と同じなのである。「旧無効論」を歪めて紹介して叩くのは、単に自己顕示欲の表れなのか、それとも「旧無効論」を誤読しているからではないか。もっとも、南出氏の頭の中には、「旧無効論」の代表として石原慎太郎氏や小沢一郎氏らが存在するのかも知れない。しかし、南出氏は学問的に思想的に「日本国憲法」無効論を展開しようとしている。とすれば、南出氏が批判すべきは、井上氏や菅原氏、あるいは小森氏や私であろう。
第三に、南出氏によれば、南出氏がポツダム宣言受諾は講和大権に基づくという点を初めて指摘したという。だが、講和大権に基づくのは余りにも当たり前の話である。誰も当たり前すぎて指摘しなかっただけである。また、南出氏によれば、「日本国憲法」制定は明治憲法75条違反であるという点は南出氏以外には指摘されておらず、谷口雅春氏も指摘していたと知って意を強くしたという。だが、明治憲法75条違反の点は、憲法学会の重鎮でもあった井上孚麿が既に指摘しているし、私も『憲法無効論とは何か』の中で記している。谷口雅春氏にふれるならば、当然に井上 麿氏についてふれるべきであろう。私から見れば、南出氏の理論も明らかに井上孚麿や小森義峯氏らの先行研究に負うところが大きいし、先行研究から学んでいると思う。別言すれば、「旧無効論」なしに南出氏の理論は誕生しなかったであろう。謙虚な気持ちで、「旧無効論」者の名前を記して敬意を示すとともに、「旧無効論」と真っ向から対峙して批判すべきではないか。
「日本国憲法」条約・占領管理基本法説の誤謬
第四に、南出氏は、「日本国憲法」条約説を強調し、条約説を取ることによって法的安定性が保たれるとする。しかし、そもそも主権喪失の下でどうして条約が結べるのか。結べるとしても、条約説が成り立つためには、憲法説の場合ほどではないが、日本側に基本的に自由意思が必要である。ところが、『「日本国憲法」無効論』の中で私が展開したように、「日本国憲法」成立過程においては日本側にほとんど自由意思がなかった。条約説は憲法説と同じく到底成り立たないのである。しかも、南出氏は、米国は条約とは思っていないという。当然のことである。相手国が条約とは思っていない条約など成立するのであろうか。
条約説が成り立つと仮定しても、南出氏は、「日本国憲法」は条約であると同時に占領管理基本法だとする。あるいは条約であると同時に憲法だという。これは、極めておかしな事と言わねばならない。条約ならば作成主体は連合国・米国と日本である。占領管理基本法ならば作成主体は連合国・米国である。条約であると同時に占領管理基本法だとすることは到底出来ない相談なのである。つまり、南出氏の条約・占領管理基本法説は、到底成り立たない理論なのである。
また、条約・占領管理基本法説が成り立つと仮定しても、この説の方が「旧無効論」をとった場合よりも法的安定性が保たれるというわけではない。南出氏は、ポツダム宣言が入り口条約でサンフランシスコ平和条約が出口条約で、「日本国憲法」はその間の中間条約だという。とすれば、サンフランシスコ平和条約が結ばれて日本の占領が解除されて以降は、「日本国憲法」という条約はもはや役目を終えた、失効したと見なさなければならない。あるいは南出氏は、占領解除後も条約としての「日本国憲法」は失効していないとするつもりかも知れない。としても、占領管理基本法としての「日本国憲法」は、占領解除とともに失効するだろう。いずれにしても、失効した筈の「日本国憲法」が現実に機能している状態を説明するには、菅原裕と同じく、公的な失効確認が行われるまでは有効推定を受けると説明するしかないであろう。結局、南出氏の「新無効論」なるものは、氏がレッテル張りした「旧無効論」の一種に過ぎないのである。ちなみに、私は、有効推定の理論で十分法的安定性は保たれると考えている。
要するに、条約・占領管理基本法説は、「日本国憲法」成立過程史の立場からも、法学理論の立場からも、理論的に成立しない議論である。そして「旧無効論」以上に法的安定性を保障する理論でもないことに注意されたい。
条約説の有害性
さらに言えば、南出氏の条約説には二つの害毒がある。南出氏によれば、「日本国憲法」の処理の仕方としては、国会決議で「日本国憲法」無効確認を行うと共に、米国などに対して破棄通告を行うという。しかし、これは外国の内政干渉を招き寄せることになる。一般に、「日本国憲法」の処理は純然たる国内問題と見なされている。それでも国際関係を考慮しながら処理をしなければならないと考える人が多数存在する。それなのに、「日本国憲法」は条約であるから破棄すると通告すれば、中国はもちろん、韓国さえも喜んで「日本国憲法」に注文を付けてくるだろう。内政干渉を招き寄せる危険の存在が一つ目の害毒である。
二つ目の害毒は、条約説をとれば、日本側の自由意思を証明しなければならず、憲法説と同じく自由意思があったように歴史偽造が必要になることである。条約説とは、歴史教育の再建という課題に反する理論なのである。
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『日本国憲法無効宣言』が無効論者を紹介しなかった点について
本年四月、南出喜久治・渡部昇一『日本国憲法無効宣言』が刊行された。この本を見ると、付録を除くと全体で二百頁弱の本のうち、無効論関係といえる記述が77頁、そのうち「旧無効論とはここが決定的に違う」という部分が17頁もある(25~41頁)。無効論関係の四分の一弱もある。それなのに、無効論者の名前も理論も全く紹介されていない。他方で、宮澤俊義氏や谷口雅春氏を初め多数の人名が出てくる。何ともバランスの悪い事である。
確かに、啓蒙書の場合、特に論者の名前や理論に触れない事はある。しかし、氏は「旧無効論」というレッテルを貼り、「旧無効論」を絶対無効説と誤って紹介し、法的安定性を害する説であると批判している。批判していないのならともかく、「旧無効論」なるレッテル張りまで行い批判しているわけだから、名前と著書を挙げ、例えば井上孚麿氏か菅原裕氏の理論を紹介するのが最低限の礼儀である。そして、欄外の注で憲法無効論関係の著書をいくつか紹介すべきだったと思う。
しかも、氏は、「日本国憲法」が帝国憲法75条違反であるという点を述べた箇所(29頁)では、谷口雅春氏の名前だけを挙げている。無効論の元祖である井上孚麿氏も75条違反を指摘しているから、井上氏の名前が登場しないのもおかしい話である。
*なお、「新無効論」なるものに対する私のとらえ方については、更に「『日本国憲法』が無効である理由--条約説は成り立たぬ」を参照されたい。
2010/07/17 01:53
占領管理基本法学から憲法学へ(一)―――反日原理主..
http://tamatsunemi.at.webry.info/201007/article_39.html
2010/07/17 10:17
占領管理基本法学から憲法学へ(二)―――占領管理基...
http://tamatsunemi.at.webry.info/201007/article_40.html
2010/07/17 16:11
占領管理基本法学から憲法学へ(三)―――独立国精神...
http://tamatsunemi.at.webry.info/201007/article_41.html
今の私は公民教科書や歴史教科書の研究に集中している関係から、本ブログの記事は教科書関係中心となっている。だが、無効論関係の記事も、掲載していきたいと考える。とはいっても、この3年以上、無効論関係のことをきちんと考察したり、研究したりしていないから、3年前あるいはそれ以前の論考を何点か掲載することとする。
まずは、南出喜久治・渡部昇一『日本国憲法無効宣言』が出版されたときに記した覚書である、「『日本国憲法』の性格」(平成19年5月5日記す)と「『日本国憲法無効宣言』が無効論者を紹介しなかった点について」(平成19年)を掲げることとする。
荒い論考であるが、私が「新無効論」なるものに感じている疑問が半分ほど記されている。
「日本国憲法」の性格
平成19年5月5日
「旧無効論」を歪めて紹介する「新無効論」
4月14日、土曜日。南出喜久治・渡部昇一著『日本国憲法無効宣言』が刊行されたことを、この本を買い求めた或る人に教えられた。「日本国憲法」無効論の本が出されることは、私にとっては喜ぶべき事である。だが、目次を見て嫌な感じがした。そこには、「日本国憲法」無効論とともに「日本国憲法」条約説が強調されていた。
私は、いずれ南出氏から本が送られてくるだろうと思い込んでいた。この数年間私が出した数冊の著書は全て南出氏に送っていたし、昨年出した『憲法無効論とは何か』については、南出氏の要請により二冊目を送付していた。それに、一年前には南出氏から無効論の本を出すことを聞いていた。それゆえ、当然に本が送られてくると思っていたし、送られてきたら本の内容に対する疑問点なりを手紙で記そうと思っていた。
だが、十日以上待ったが、一向に送られてこない。しょうがないから、26日に書店で買い求めた。その日本を読んだが、無効論としても条約説としても、余り分かりやすいものではなく説得力が感じられなかった。そして、嫌な感じはますます拡大した。
嫌な感じは主に四点にわたる。第一に、南出氏は「旧無効論」批判なるものを展開しているが、「旧無効論」者の名前を一人も挙げない。この本の中では、最も精緻な論理を積み上げた「旧無効論」の元祖である井上孚麿も、同じく元祖的な存在である菅原裕も出てこない。また、南出氏と近い関係にあった小森義峯氏の名前も登場しない。この数年間では最も精力的に「旧無効論」を展開している私の名前も出てこない。ともかく、これには驚かされた。
第二に、「旧無効論」の内容が歪めて紹介されている。南出氏によれば、「旧無効論」は、「日本国憲法」を絶対無効と理解しており、法的安定性を損なう理論だとする。だが、私も含めて体系的な理論を構築している「旧無効論」者はすべて、「日本国憲法」を憲法としては無効であるが、何らかの意味で有効なものと理解している。この点では、南出氏と同じなのである。「旧無効論」を歪めて紹介して叩くのは、単に自己顕示欲の表れなのか、それとも「旧無効論」を誤読しているからではないか。もっとも、南出氏の頭の中には、「旧無効論」の代表として石原慎太郎氏や小沢一郎氏らが存在するのかも知れない。しかし、南出氏は学問的に思想的に「日本国憲法」無効論を展開しようとしている。とすれば、南出氏が批判すべきは、井上氏や菅原氏、あるいは小森氏や私であろう。
第三に、南出氏によれば、南出氏がポツダム宣言受諾は講和大権に基づくという点を初めて指摘したという。だが、講和大権に基づくのは余りにも当たり前の話である。誰も当たり前すぎて指摘しなかっただけである。また、南出氏によれば、「日本国憲法」制定は明治憲法75条違反であるという点は南出氏以外には指摘されておらず、谷口雅春氏も指摘していたと知って意を強くしたという。だが、明治憲法75条違反の点は、憲法学会の重鎮でもあった井上孚麿が既に指摘しているし、私も『憲法無効論とは何か』の中で記している。谷口雅春氏にふれるならば、当然に井上 麿氏についてふれるべきであろう。私から見れば、南出氏の理論も明らかに井上孚麿や小森義峯氏らの先行研究に負うところが大きいし、先行研究から学んでいると思う。別言すれば、「旧無効論」なしに南出氏の理論は誕生しなかったであろう。謙虚な気持ちで、「旧無効論」者の名前を記して敬意を示すとともに、「旧無効論」と真っ向から対峙して批判すべきではないか。
「日本国憲法」条約・占領管理基本法説の誤謬
第四に、南出氏は、「日本国憲法」条約説を強調し、条約説を取ることによって法的安定性が保たれるとする。しかし、そもそも主権喪失の下でどうして条約が結べるのか。結べるとしても、条約説が成り立つためには、憲法説の場合ほどではないが、日本側に基本的に自由意思が必要である。ところが、『「日本国憲法」無効論』の中で私が展開したように、「日本国憲法」成立過程においては日本側にほとんど自由意思がなかった。条約説は憲法説と同じく到底成り立たないのである。しかも、南出氏は、米国は条約とは思っていないという。当然のことである。相手国が条約とは思っていない条約など成立するのであろうか。
条約説が成り立つと仮定しても、南出氏は、「日本国憲法」は条約であると同時に占領管理基本法だとする。あるいは条約であると同時に憲法だという。これは、極めておかしな事と言わねばならない。条約ならば作成主体は連合国・米国と日本である。占領管理基本法ならば作成主体は連合国・米国である。条約であると同時に占領管理基本法だとすることは到底出来ない相談なのである。つまり、南出氏の条約・占領管理基本法説は、到底成り立たない理論なのである。
また、条約・占領管理基本法説が成り立つと仮定しても、この説の方が「旧無効論」をとった場合よりも法的安定性が保たれるというわけではない。南出氏は、ポツダム宣言が入り口条約でサンフランシスコ平和条約が出口条約で、「日本国憲法」はその間の中間条約だという。とすれば、サンフランシスコ平和条約が結ばれて日本の占領が解除されて以降は、「日本国憲法」という条約はもはや役目を終えた、失効したと見なさなければならない。あるいは南出氏は、占領解除後も条約としての「日本国憲法」は失効していないとするつもりかも知れない。としても、占領管理基本法としての「日本国憲法」は、占領解除とともに失効するだろう。いずれにしても、失効した筈の「日本国憲法」が現実に機能している状態を説明するには、菅原裕と同じく、公的な失効確認が行われるまでは有効推定を受けると説明するしかないであろう。結局、南出氏の「新無効論」なるものは、氏がレッテル張りした「旧無効論」の一種に過ぎないのである。ちなみに、私は、有効推定の理論で十分法的安定性は保たれると考えている。
要するに、条約・占領管理基本法説は、「日本国憲法」成立過程史の立場からも、法学理論の立場からも、理論的に成立しない議論である。そして「旧無効論」以上に法的安定性を保障する理論でもないことに注意されたい。
条約説の有害性
さらに言えば、南出氏の条約説には二つの害毒がある。南出氏によれば、「日本国憲法」の処理の仕方としては、国会決議で「日本国憲法」無効確認を行うと共に、米国などに対して破棄通告を行うという。しかし、これは外国の内政干渉を招き寄せることになる。一般に、「日本国憲法」の処理は純然たる国内問題と見なされている。それでも国際関係を考慮しながら処理をしなければならないと考える人が多数存在する。それなのに、「日本国憲法」は条約であるから破棄すると通告すれば、中国はもちろん、韓国さえも喜んで「日本国憲法」に注文を付けてくるだろう。内政干渉を招き寄せる危険の存在が一つ目の害毒である。
二つ目の害毒は、条約説をとれば、日本側の自由意思を証明しなければならず、憲法説と同じく自由意思があったように歴史偽造が必要になることである。条約説とは、歴史教育の再建という課題に反する理論なのである。
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『日本国憲法無効宣言』が無効論者を紹介しなかった点について
本年四月、南出喜久治・渡部昇一『日本国憲法無効宣言』が刊行された。この本を見ると、付録を除くと全体で二百頁弱の本のうち、無効論関係といえる記述が77頁、そのうち「旧無効論とはここが決定的に違う」という部分が17頁もある(25~41頁)。無効論関係の四分の一弱もある。それなのに、無効論者の名前も理論も全く紹介されていない。他方で、宮澤俊義氏や谷口雅春氏を初め多数の人名が出てくる。何ともバランスの悪い事である。
確かに、啓蒙書の場合、特に論者の名前や理論に触れない事はある。しかし、氏は「旧無効論」というレッテルを貼り、「旧無効論」を絶対無効説と誤って紹介し、法的安定性を害する説であると批判している。批判していないのならともかく、「旧無効論」なるレッテル張りまで行い批判しているわけだから、名前と著書を挙げ、例えば井上孚麿氏か菅原裕氏の理論を紹介するのが最低限の礼儀である。そして、欄外の注で憲法無効論関係の著書をいくつか紹介すべきだったと思う。
しかも、氏は、「日本国憲法」が帝国憲法75条違反であるという点を述べた箇所(29頁)では、谷口雅春氏の名前だけを挙げている。無効論の元祖である井上孚麿氏も75条違反を指摘しているから、井上氏の名前が登場しないのもおかしい話である。
*なお、「新無効論」なるものに対する私のとらえ方については、更に「『日本国憲法』が無効である理由--条約説は成り立たぬ」を参照されたい。
2010/07/17 01:53
占領管理基本法学から憲法学へ(一)―――反日原理主..
http://tamatsunemi.at.webry.info/201007/article_39.html
2010/07/17 10:17
占領管理基本法学から憲法学へ(二)―――占領管理基...
http://tamatsunemi.at.webry.info/201007/article_40.html
2010/07/17 16:11
占領管理基本法学から憲法学へ(三)―――独立国精神...
http://tamatsunemi.at.webry.info/201007/article_41.html
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