「日本国憲法」、公民教科書、歴史教科書

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zoom RSS 身体がストライキを起こしている―――道具としての自己の使い方について

<<   作成日時 : 2018/05/09 15:54   >>

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 自己の体調について

  一昨日、昨日と、身体が辛くて仕方がなかった。首を休めるため、ほとんど横になっていた。30日に上京した際、新幹線の冷房がきっかけになって腹痛が襲ってきた。更に腰痛がひどくなり、座るのも立つのも辛くなった。ともかく、5時間強の会議を立ったり座ったりして終えて、どんどん人に抜かれながら、京都に這うようにして帰ってきた。京都での会議ならば、或いは私がまとめ役でなければ流会又は欠席にしただろうが、いずれも当てはまらないので、会議を最後までやり続けた。

 1日と2日は一日横になっていたが、きちんと眠ることはできなかった。それでも、3日にはかなり回復したので、会議の議事録を作った。4日には、《戦時国際法事始め》という別建ての拙ブログから通州事件に関する記事を、コメントを少し付けて転載した。

 このように3、4の2日間は多少活動したが、5日と6日の二日間はまた辛くなり、眠ってばかりいた。6日の夜には元気になったので、気になっていた《竹田恒泰氏の検定申請を聞いて》という記事を認め、8日あたりから公民教科書作成のための準備作業として資料読みを始めようと考えていた。だが、そうはうまくいかないもので、7日、8日と首が辛くてほぼ寝て暮らした。

 いつものことながら、毎度、身体の弱さ或いは辛さ、特に首の辛さには閉口する。
 
 そういえば、4月下旬から身体がストライキを起こしている。30日に会議がありレジュメなどを認めていたから、無理やり、身体の訴えを無視して仕事を継続していた。だが、いつものこととは言え、特に24日以降、首が辛くて、身体全体が辛かった。もう少し身体の訴えを聞いていかないと、まずいなと思う。

 公民教科書と他の仕事の制限について
 
  とはいえ、杉原誠四郎氏との対談本である『憲法及び皇室典範論――日本の危機は「憲法学」が作った』(2017年12月、自由社)の中で、公民教科書作成の責任者を引き受けたこと、どういう思想の公民教科書を作りたいかということを話している。本にそのように書いたからでもないが、これから一年間は『新しい公民教科書』作成のことに集中する予定である。この仕事に集中すれば、これ以外のことを行う体力は私には残らないだろう。そのように判断して、公民教科書作成以外の仕事はほとんど制限することにした。

 戦時国際法を武器として日本の冤罪を晴らすこと

 しかし、私が今一番したいこと、一番しなければならないことは、間違いなく、『安倍談話と歴史・公民教科書』の「あとがき」の箇所で述べたように、戦時国際法を1931年から1952年の時期に適用して(戦時国際法を武器として)日本の冤罪を統括的に晴らすことである。日本の生き残りのためには、是非とも必要な作業である。

 4月の本ブログ記事で展開したように、私は、この2年あまり戦時国際法を自己の頭に無理やり叩き込むことによってその原理を把握するとともに、昨年11月ぐらいから日中関係史の事実整理を行い、戦時国際法に基づき事実に対する評価を行う作業を行いだした。今年の1月半ばくらいから、いろいろなものが一つに繋がり出した。中国による日本叩きと其の反撃の繰り返しである歴史戦も、教科書も「日本国憲法」も東京裁判もすべては一つに繋がっていることが、より明確に見えてきた。抽象的には分かっていたことだが、1922年の九国条約以来一直線につながっていることが具体的に分かり出した。いろいろ資料を読み文章を認めていく中で一本の筋でつながっていることが見えてくるときの快感は、他にたとえようもないものである。もっとも、直ぐに又細かい疑問が生まれ、靄が少しはでき始めるものだが。

 無謀だが成功が見えてきた研究

 元々は、戦時国際法を武器として日本の冤罪を晴らすことは無謀な試みではないかと思って始めた。この試み自体が誤っているのではない。この試み自体は正鵠を得たものである。しかし、私の力量から言って無理ではないかと思っていた。何しろ、戦時国際法という物差し自体についても、日中関係史や日米関係史などの事実についても、私は基本的に素人だからである。と言っても、一方で、戦時国際法に関して玄人がいるかと言うと、5本の指にも満たないし、玄人たちは、戦時国際法で以て1931年から1952年までの全てを斬ろうとは考えないようである。
 
  他方で、歴史学者、戦争史を扱う歴史学者はあまたいるが、彼らのほとんどすべては戦時国際法を初めから排除して学ぼうともしない。多少齧った人でも、戦時国際法をトータルで把握しておらず、つまみ食いしているだけである。その意味では、彼らの多くも、或る意味、所詮、戦争史に関しては素人である。

  他人のことはともかく、話を進めると、無謀かもしれないと思った作業であったが、前述のように、1月半ば以来、私の中で全てが一本の糸でつながり出した。日中戦争が始まるまでの時期に対する戦時国際法による評価はおおよそ終え、残った作業で大きなものは日米関係史及び占領期に関する事実把握とそれらの事実に対する戦時国際法による評価である。更に日ソ関係史とそれに対する評価も必要だろうが、後一年間ほどあれば、おおよそのことは終わるというところまで来ている。もちろん世に問うためには作業の再点検が必要であろうが、先が見えるところまで来ているのは確かである。

 そのような時期に公民教科書どころではないだろう、という声が私の中から聞こえてくる。

 平成19年と同じ個人的状況

  こういうジレンマを感じると、平成18(2006)年から19年の時のことを思い出す。18年初めに、私は『憲法無効論とは何か』(展転社)を著し、「日本国憲法」の処理の仕方について提案を行った。そして、無効論を深化させ普及するため、帝国憲法の研究を20年ぶりぐらいに再開する予定であった。

 しかし、「つくる会」が分裂した。当時の私は、「つくる会」運動がなくなれば日本は終わりだと考えていたから(今も基本的には同じ考えだが)、そして八木氏側の教科書運動に本気度を感じていなかったから、「つくる会」を理論的に支えようと考え、平成19年に積極的に理事になった。その後、この10年間、7割ほどの時間を「つくる会」のために使ってきた。

  その代償は大きかった。私は、平成19年以来、公民教科書作成と教科書比較研究に追われることになった。教科書比較研究は、理事にならなくても継続する予定であったが、公民教科書作成は理事になった結果新たに加わった仕事である。このため、自由になる時間が無くなっていった。従って、何よりも、「日本国憲法」無効論も帝国憲法論も研究する暇がなくなってしまったのである。これが本当に痛かった。

  また、私が何を発表しようと、そのほとんどが教科書運動のことだったこともあり、無視された。目に見えて発表の機会がなくなっていくことを感じた私は、拙ブログ《公民教科書、歴史教科書、「日本国憲法」》を開設した。8年前の3月末のことである。

  育鵬社に肩入れする言論界の中では、私の主張は表に出てはならないものになった。特に、平成23(2011)年に育鵬社歴史教科書盗作事件が起きて以来、更にそうなった。しかし、そうなることは分かっていたが、私は盗作又は著作権侵害問題に最も力を傾注し、藤岡氏による裁判を支援し続けた。そして、平成28(2016)年まで、この盗作問題について考え続け、この問題に関する記事を拙ブログで発表し続けた。その考察をふまえて、平成28年12月には、『歴史教科書と著作権』(三恵社)を出版し、育鵬社側を勝たせた一審二審判決を批判した。

  同じ年、私は、『安倍談話と歴史・公民教科書』(自由社)を発表した。この書の中で、安倍談話と日韓合意等との関連を指摘し、安倍談話礼賛の声で満ちていた保守言論界に一石を投じたつもりだった。が、ぽちゃんと沈んだままである。談話を全面否定したわけではないが、恐らく、最も丁寧に談話を読み込み、最も広範で最も根底的な安倍談話批判を繰り広げた書である。

  「つくる会」理事になってからの私の言論史を振り返ると、私が何をしようと、何を発表しようとほとんど影響力を発揮できてこなかったことが良くわかる。

  この二年間で私が世の中に少しは働きかけたいと思い、且つそれなりに動いた事件が二つある。一つは日本人差別法である「本邦外出身者に対する不当な差別的言動の解消に向けた法律」制定事件である。「日本国憲法」21条にも、人種差別撤廃条約にも違反した法律を通した国会には、驚きあきれるしかなかった。この反対運動を行ったが、保守言論界にも国会にも何の影響力も持てなかった。二年前のことである。

  また二つは、昨年の安倍偽改憲の発表である。今もこの偽改憲策動が続けられているが、少しは政界と言論界をまともにしたいと思い、交戦権問題こそが重要であることを指摘した『自衛戦力と交戦権を肯定せよ』(自由社、2017年10月)を出版して、いろいろなところへ送付した。しかし、反応は皆無に近い。せめて、『憲法無効論とは何か』や『「日本国憲法」無効論』を発表した時ほど影響があれば、とも思うが、それは詮無いことである。

  こうしてみてくると、無謀だが成功が見えてきた研究を一年ほどで完成させても、世の中の状況に何かの影響を及ぼす成果は、今のところ期待できないだろう。

 公民教科書作成の意義

  これに対して、公民教科書作成の方は、一定の採択がとれれば、いや大して取れなくても、必ず一定の成果を生み出すものである。本音の所では、無謀だが成功が見えてきた研究を優先させたいこともあり、また他の理由もあり、やりたくない気持ちの方が強い。それは、『憲法及び皇室典範論』でも触れている通りである。

  しかし、公民教科書改善が必要だという想いは、私が日本の中で一番強いことも確かである。何しろ自虐意識ではドイツの方が強かったはずだが、ドイツはまだ自力で安全保障を行う気概を失わずにいる。対して、日本は今では自虐意識でもドイツを上回ったかもしれないが、かつてはそんなことはなかった。にもかかわらず、一貫して、自主国防体制の構築を放棄してきた。

  ドイツと日本の差は何か。もちろん「憲法」又は基本法の違いもあるが、決定的な違いは国家論を維持しているドイツと国家論をなくした日本の違いが大きい。

  何しろ、日本では、戦後70年間も、大学教育でもまともな国家論は教育されない。公民教科書の世界では、『新しい公民教科書』第三版が登場するまで、国家論がまともに展開されたことはなかった。第三版が登場するまでは清水書院が相当ましな国家論を展開していたが、自由社への対抗心からか、第三版が登場すると国家論を消滅させてしまった。

  私は、国家論と国際法の素養を日本国民の中に築くことが最も大事なことと考えている。この素養があれば、仮に自虐史観に多少囚われていても、国の根本政策を誤ることはないからである。安倍首相が偽改憲を考えてしまうのも、首相自身の中にある自虐史観よりもむしろ国家論の欠如が招いたことではないかとも思われるのである(時に自虐史観の方が大きな原因かもしれないと思うこともあるが)。安倍偽改憲についていく人達も、国家論が明確には分かっていないからついていってしまうのだろうと思う。

  国家論の欠如は、国防体制の不全につながっているだけではなく、国益意識の欠如にもつながっている。恐らく、プライマリーバランスに囚われ、財政健全化政策に囚われてしまうのも、国家論の欠如が背景にあるのである。

 私としては、このような考え方に基づき、これから一年間、公民教科書作成に専念することとする。とはいっても、本質的には、戦時国際法による戦争史評価の作業の方が重要であることに変わりはない。少し余裕があれば、無謀だが成功が見えてきた研究をリクレーション代わりに継続するかもしれない。

 身体を壊さないために、また自分のやるべきことを見失わないために、以上のことを記しておくこととする。


補記……6月3日記す 

  4月下旬からドーンと落ちた体調が戻らない。5月上旬に最悪となった体調はほんの少しずつ上向いてきていたが、23日に気候が寒くなると、身体が寒くなり気の量が一気に減少して2日間寝込んでしまった。その後少しずつ気の量は戻ってきているが、身体について再び自信がなくなった。仕事も全くはかどらない。

 とはいえ、平成に入ってからの30年間、こういう体力状態で何とかやってきた。7月頃には、また仕事ができるようになるだろう。


  転載不可……あまりにも私的記述が多いため



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内 容 ニックネーム/日時
>帝国憲法の研究を20年ぶりぐらいに再開する予定であった。

>帝国憲法論も研究する暇がなくなってしまったのである。これが本当に痛かった。

それは私にとっても本当に残念です。私は憲法無効論関連の書籍を何冊か読んできて、問題は大日本帝国憲法をどのように評価することに帰着するのではないか、という風に考えるようになりました。そこで帝国憲法について勉強したいと思い、佐々木惣一先生の『我が国憲法の独自性』を買ったのですが、残念ながらまだ積ん読状態です。

そういった当時の学者の本のほかに、帝国憲法を現代の視点から評価検証する本を読んでみたいと思うのですが、私のような浅学者には何から読んでいいのかよくわかりません。小山先生の帝国憲法論、いつか読める日を楽しみにしております。

井上孚麿先生の『現憲法無効論』を読んだとき、いわゆる右翼という人々が現憲法廃棄・新制定派であるとあって、少々意外に感じました。自虐史観にまみれた左翼だけではなく、右翼・保守といわれる人たちも帝国憲法に復帰することには少なからぬ抵抗感があるのでしょうか。帝国憲法には問題があったのかもしれません。なかったのかもしれません。本来であれば、終戦後にそのことをきちんと検証すべきだったのに、押しつけ憲法によりその機会を奪われ、左右ともにその状態に甘んじてきたことが、現在の我が国の惨状を招いているのではないか。そんな気がいたします。
弁信
2018/05/13 13:30
弁信様
 コメントありがとうございます。帝国憲法研究に戻りたいと10年以上前から念じて来ましたが、今後も少なくとも2年間は無理だと思います。私自身は帝国憲法が悪いものであろうと、一度帝国憲法に戻る手続きが必要だと考えていますが、言われるように、帝国憲法に対する悪評価が無効確認→復元改正論普及のネックになっていると思います。そう思うから帝国憲法論(及び史)をもう一度研究しなおしたいと思っているのですが、今は戦争史を戦時国際法で斬る作業の方が重要だと考えています。復元改正論を普及させるうえでのもう一つのネックが自虐史観に基づく日本犯罪国家論だからです。
 この作業の中には、1947年「日本国憲法」成立の評価も入ってきますし、偽南京事件などの評価も入ってきます。「日本国憲法」成立問題や日本国家の「悪行」問題を全て一斬りにしたいと考えています。この作業が自虐史観払拭にとって必須のことだからです。
 この作業が終われば、帝国憲法論について再研究するつもりですが、そういう時間がくるかどうかは正直分かりません。
小山
2018/05/14 12:30
小山先生

ご返信、誠にありがとうございます。

小山先生の帝国憲法研究の成果をお待ちしております。それまでに私なりに帝国憲法について勉強しようと思いますが、その前に、買ったのにまだ読んでいない憲法無効論関連の書籍をきちんと読んでいきたいと思っています。

これまで何冊か読んでみて、現憲法無効という点ではどの先生方も同じなのですが、その背後にある思想にはいろいろ違いがあるようで、そこが面白いなあと思っております。

さて、話は変わりますが、せと弘幸先生が主催する講演会がまた川崎市で開催されるのですが、反対勢力側は何としてもこれを阻止しようと考えているようです。この件についてもご留意いただけたら幸いです。

〈時代の正体〉市批判、ネットで続々「ヘイト防止指針」巡り形骸化懸念各地で http://www.kanaloco.jp/article/331253

この記事の最後で「やむを得ない市民力の行使」を示唆しているのは、騒乱状態を引き起こすことで、ガイドラインの「迷惑要件」、すなわち「その者等に施設を利用させると他の利用者に著しく迷惑を及ぼす危険のあることが客観的な事実に照らして明白な場合」を発動させようという魂胆でしょう。このまま川崎市が屈してしまう可能性はあるように思います。

こうした状況をみるにつけ、井上孚麿先生の「腫物扱ひにされる日本国憲法は、実は行はれてゐないのである」という言葉が思い出されます。本当に情けないことです。
弁信
2018/05/15 11:37

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