「日本国憲法」、公民教科書、歴史教科書

アクセスカウンタ

zoom RSS 反日ギルドとしての歴史学界……通州事件(5)―――広中一成『通州事件』に関するコメント

<<   作成日時 : 2018/05/04 11:02   >>

なるほど(納得、参考になった、ヘー) ブログ気持玉 1 / トラックバック 0 / コメント 0

 最後に、 「通州事件(5)―――広中一成『通州事件』に関するコメント」を転載する。この記事は、題名通り、
広中一成『通州事件』を読んだうえでコメントを加えたものである。

 反日ギルドとしての歴史学界

 対象となった広中氏の本は、記事でも記したように、私の通州事件把握の作業に於てかなり役立ったものである。通州事件というよりも通州戦の経過、梗概を知るうえで参考にさせていただいた書である。

 しかし、いい意味ではなく、悪い意味であっと驚く本でもあった。この本は、既成の歴史学界の研究者が初めて扱った通州事件研究という位置づけになるようだ。また、本の題名は、『通州事件』である。しかし、事件に関する記述自体は8頁しか存在しない。しかも、29軍の存在に目をつぶり、虐殺という言葉も使わず、民間人虐殺そのものには全く焦点を当てていない書物である。つまり、通州戦の研究にはなっていても、通州事件の研究には全くなっていない本なのである。

 あまつさえ、本書が力点を置くのは、民間人虐殺を行った保安隊や29軍に対する責任追及ではなく、香月司令官を初めとした日本軍に対する責任追及である。つまり、日本軍が悪いから通州事件が起きたという考え方なのである。そして、中国の民間人が日本人を助けてくれたというイメージ作りに力を入れるのである。

 これは、正気を失った書である。民間人虐殺という戦争犯罪を犯した保安隊と29軍を全く批判せず、香月司令官などをひたすら批判し罵倒する書物は、どう考えてもまともではない。反日思想の毒が骨の髄まで達した書である。

  だが、正気を失っているのは、広中氏というよりは、氏が属する歴史学界というものだろう。仮に、広中氏がまともに民間人虐殺の実相を追いかけて、保安隊や29軍の行為を虐殺として、戦時犯罪として位置付ける書物を出そうとしても、氏の周辺からの圧力を受けて出版できなかっただろうと推測できるからである。

  氏は40前後のこれから研究者として売り出していかなければならない立場にある人である。その人が、まともに通州事件を民間人の虐殺事件として取り上げた研究を発表したならば、氏の研究者人生は、下手すれば終わってしまわざるを得ないと思われる。いわば、歴史学界の掟に逆らったものとして、氏の研究者人生は、出発点において暗雲が立ち込めるものになっていくだろうと予想されるのである。

  歴史学界の第一の掟は反日である。特に中韓がらみでは、反日の掟は絶対となる。一定程度名を成してからならば、まだこの掟に逆らうことも出来ようが、出発点にある研究者には不可能であろう。びっくりするほどバランスの崩れた氏の書物を読み、歴史学界の反日ギルド性を思わざるを得なかったものである。

  ともあれ、広中本に対するコメントを、以下に転載することにする。


   通州事件(5)―――広中一成『通州事件』に関するコメント」

  通州事件について理解する一助として、広中一成『通州事件』(星海社、2016年)を読んだ。通州事件の中の通州戦部分については、ある意味一番参考になった本であり、その意味では意義のある本である。だが、同時に、特に虐殺事件そのものを扱った部分の中に、戦後歴史学の偏りが異常なまでに現れていることを感じた。
 以下、広中本の目次構成に沿って、コメントしていきたい。

 目次
  はじめに
  第一章 通州事件前史
  第二章 通州事件の経過
  第三章 通州事件に残る疑問
  おわりに


 「はじめに」……広中氏の問題意識

 当然ながら、ここで問題意識が語られる。当然広中氏は、通州事件をめぐる研究史にふれる。そして、「つくる会」による記憶遺産登録運動に言及し、この運動自身は否定しないとしたうえで、次のように言う。

 しかし、敢えてひとつだけ意見を述べるなら、なぜ通州事件で日本居留民が中国人に無惨に殺害されたことばかりに目を向けるのか。 (10頁)

 本書の帯にも、「なぜ、中国人による日本居留民殺害だけにこだわるのか?」と同じことが記されているから、氏の言いたいこと、問題意識はここにあるのだろう。

 しかし、世紀の虐殺事件を検討するのに、まずは虐殺自体を検討課題、中心課題にするのは当然である。藤岡信勝氏も、広中氏の言葉に対して、「通州事件は『日本居留民殺害』が中心的内容で、戦後その実態は殆ど日本国民に明らかにされてこなかったのだから、それに『こだわる』のは当然である」(藤岡信勝・三浦小太郎編著『通州事件 日本人はなぜ虐殺されたのか』勉誠出版、2017年7月)と批判している。その通りである。

 何しろ、全体の犠牲者数こそほぼ分かっているが、第一にその人たちがどのように虐殺されたのか、第二に虐殺の実行者は誰か、第三にこれら虐殺は法的にどういう犯罪なのか、第四に通州事件はジェノサイドではないのかといった点について、研究は進展していない。第一の点は多少は進められてきたが、第二、第三、第四の点は手付かずである(第二の点だけ、少しは意識されつつある)。したがって、まずは、虐殺そのものについてきちんと研究しなければならないのは当然すぎるのである。

  「第一章 通州事件前史」 

  第一章に入ると、今日の歴史学者の通弊に従って、侵略戦争史観で記述している。侵略という言葉が使われるだけではなく、中国側の挑発行動は適宜省略される。例えば、「満州事変から塘沽停戦協定へ」の小見出しの下、「熱河作戦を実行するにあたり、……昭和天皇は、熱河省とその南の河北省を分ける万里の長城を越えない範囲内で関東軍の作戦行動を認めた。しかし、関東軍は中国軍と戦うなかで、長城線を突破し、河北省東部……に進軍した」(35〜36頁)と記すだけである。見事に中国軍が攻撃してきたことが省略されている。

  こういう偏りをおかさなければ今日の日本史や中国史の学界では追放されてしまうのかもしれない。そのようにも思うから、第一章の記述には特に思うことはなかった。

  「第二章 通州事件の経過」

 あまりにも少ない日本居留民殺害の記述

  第二章に入ると、極めて読みやすく、わかりやすい整理がなされている。さすがに通州事件を初めて専門に研究してきた学者の仕事だとも感じた。この部分は意義がある記述になっている。

 しかし、驚くのは、75頁から始まる「日本居留民の殺害」という部分である。そもそも、虐殺と言う位置づけをしないのもおかしい。だが、それ以上に、75頁から83頁まで8頁の分量しか割いていないことは更におかしい。この部分を読んだとき、最初に引用した「はじめに」にある言葉の意味がわかった。ともかく、広中氏は、通州事件の本体である「虐殺事件」についてみたくないのだ。いや、正確には「虐殺事件」について日本国民に広く知られることを恐れているのだ。

 もう一度言うが、先ずは虐殺自体を検討課題、中心テーマにすべきであろう。仮に、そうでないとしても、余りにも少ないのではないか。これでは、通州事件の研究とは言えないのではないか。

 中国人に助けられた少数の例を強調する

 分量の少なさもさりながら、8頁の内容を読み進めると、取り上げる証言は、(一)村尾こしの(保安隊日本人顧問村尾昌彦の妻)、(二)安田正子と浜口茂子(安田公館)、(三)安藤利男(近水楼に泊まっていた同盟通信社特派員)の三件のみである。東京裁判で証言した桂鎭雄などの証言も、佐々木テンの証言も取り上げていない。

 その点はいいとしても、広中氏がまとめた証言内容は、余りにも簡略であり、一方的である。広中本で描かれる中国兵の乱暴は銃剣で刺すとか、銃殺と言った普通のものしか出てこない。青龍刀による遺体損傷や女性凌辱さえも全く出てこない。虐殺とは位置づけたくないから、銃剣と銃による殺害だけを記すのであろう。

 あっと驚いたのは、79頁の次の記述である。広中氏は、(一)(二)の証言を取り上げた後、「村尾、浜口、安田のケースは、いずれも通州の中国人住民に匿われて助かっていた。通州事件は、通州にいたすべての中国人が日本居留民の殺害に係わったと想像しがちだが、事件を起こしたのはあくまで保安隊であり、通州の中国人住民までも日本居留民の殺害に加わっていたわけではないことは留意しておく必要がある」と記す。

 虐殺自体のことをほとんど省略しておきながら、ことさら、中国人住民のおかげで助かったと強調する。安田公館で浜口と安田を助けた中国人家主まで、親切な人と描かれている。濱口は、中国人家主が、保安隊側が有利なときにはしっかり浜口たち安田公館の人達から服を掠奪していたこと、日本側が勝ちそうだと判断した途端に掌を返して助けてくれたことを証言している(皿木喜久編『通州の奇跡』自由社、2017年、50〜51頁)。

 このように打算的な中国人まで親切な人にすりかえていることに驚かされた。単に証言をきちんと読んでいないだけなのであろうか。

 ともかく、広中氏が(一)(二)の証言を取り上げたのは、中国の民間人の親切さを強調しようとする目論見からである。(三)の安藤証言の取り上げ方も奇妙である。安藤証言を取り上げるならば、近水楼での虐殺を書かなければならないのに、広中氏は全く記さない。氏は、あくまで安藤が銃殺場に連れて行かれ、そこから逃亡する話に焦点を合わせるのである。

 さらに言えば、氏は29軍が虐殺に加わっていたことを無視している。住民も、少なくとも略奪に加わっていたが、その点を無視している。

 ともかく、通州事件に関する専門家であるはずの広中氏の研究は、通州事件の一番のテーマである「虐殺事件」については何も語っていないに等しいと言えよう。 

 第三章 通州事件に残る疑問
 
 しかし、最も唖然とするのは、第三章である。氏は、第三章の冒頭で次の四点の課題を掲げ、検証していく。
   @なぜ保安隊は反乱を起こしたのか
   A通州事件によって生じた問題はどのようにして解決されたのか
   B通州事件で亡くなった日本居留民は通州で何をしていたのか
   C通州事件は日中戦争にどのような影響を及ぼしたのか

 「@なぜ保安隊は反乱を起こしたのか」 

  この部分は、何の違和感もなく読めた。まぁまぁ妥当なことを書いている。広中氏は、デマ宣伝説(南京からのラジオ放送で、華北で中国側が大勝利したというデマが流された。このデマを信じて保安隊が動いたとするもの)や保安隊誤爆説ではなく、軍統(国民政府軍事委員会調査統計局)謀略説と中国共産党謀略説の合わせ技に重きを置いている。

 「A通州事件によって生じた問題はどのようにして解決されたのか」 

 ここでも、それほどおかしなことは書いていない。

 ただ、「(二)中国人住民の帰還作業」の箇所で、5万人の住民のうち1万人が外に避難して食糧難で窮乏しており、彼らの通州城内帰還問題があったことを記している。ここで、広中氏は、「八日の帰還作業中、通州城外にいた中国人住民計五〇〇人が城門の前まで来たにも拘わらず、日本軍に対する恐怖心から入城を拒んだ」(117頁)と記す。

  この帰還問題を取り上げたのは評価できるのだが、ここで中国人を被害者然として描いている。恐怖心はなぜあったのか。例えば、それは、報復を恐れたからであろう。中国人としては、報復されても当然のことをしたという意識が働いたのであろう。だが、この点を広中氏は追求しようとはしない。

  また、冀東政府などからの弔慰金が、朝鮮人は平均して日本人の半分以下だったということを氏は強調する。そして、弔慰金の基準問題を分析もせず、不当な差別だとしている(125頁)。氏が挙げている1936年12月末時点の日本人(朝鮮人を含む)居留民の職業別人口表(110頁)を見ると、無職と分類される家が、日本人ではゼロであるのに対し、朝鮮人では2割を超えている。恐らくは、朝鮮人への弔慰金が少ないのは、職業などによる収入の差の反映であろう。

 「B通州事件で亡くなった日本居留民は通州で何をしていたのか」

 この部分を読み始めて、段々唖然とすることが多くなった。でたらめ極まりないことを書いている。そもそも、この問題設定に意味があるのであろうか。

 大略、氏は、密輸や麻薬に手を染める日本人(含む朝鮮人)が多かったということを強調する。密輸や麻薬に手を染めているから殺されてもしょうがないという雰囲気づくりを狙っている。しかし、【密輸や麻薬に手を染める日本人(含む朝鮮人)が多かった】という点の証明が全くできていない。

 この証明のために、広中氏は、前述の日本居留民の職業別人口を示し(図表10)、日本人には無職はおらず、朝鮮人87戸のうち4分の1近くの20戸が無職であったという点を強調している(137頁)。この137頁を読むと、無職の朝鮮人が密輸や麻薬に手を染めていたように読者は読むだろう。しかし、日本人も朝鮮人もほぼ二人に一人が殺されており、朝鮮人がより多く殺されたわけではない。したがって、虐殺と密輸や麻薬とは無関係だということになる。そもそも広中氏の問題設定が無意味なのである。

 仮に「B通州事件で亡くなった日本居留民は通州で何をしていたのか」という問題設定に意味があるとすれば、研究者は何をすべきであろうか。まずは、通州の日本人(含む朝鮮人)が麻薬や密輸に手を染めたと強調するが、そもそも密輸や麻薬は中国全体に広がっており、中国平均よりも特にこの地域に広がっていたという証明が必要である。だが、この証明がない。

 更にもっと必要な研究は、現実の犠牲者自身の職業などを調査し、まさしく「通州事件で亡くなった日本居留民は通州で何をしていたのか」を調査すべきである。だが、この調査も全くしていないのである。

 最後になったが、密輸という位置づけは、国民政府から見た位置づけである。国民政府から独立した冀東自治政府にとっては密輸ではないということを述べておこう。

 「C通州事件は日中戦争にどのような影響を及ぼしたのか」 

  この部分もでたらめ極まりない。日本が通州事件をプロパガンダに利用し、国内では成功したが海外ではうまくいかなかったとしている。しかし、これも藤岡氏が指摘しているように、プロバガンダの定義がない。事実の報道かプロバガンダかという区別の基準が何ら示されていない。

 プロバガンダとして事件が利用されたという証明のために、広中氏は、139頁に郎坊事件、広安門事件、通州事件の三事件における報道写真について比較した点数表を掲げている。その表によれば、郎坊事件が31点、広安門事件が16点であるのに対し、通州事件が88点である。氏は、このように通州事件の点数が大幅に多いから、通州事件がプロバガンダに利用されたと言えるとしている。しかし、事件の大きさ、衝撃度からすれば、通州事件の点数は少なすぎると考えるべきであろう。

 最も驚いたのは次の記述である。広中氏は、事件から一年後の1938年7月の新聞を取り上げ、次のように記している。

 しかし、残虐な写真が見られなくなっても、読者は事件の犠牲者を悼む場面を報道写真で目にすることにより、事件直後に報じられた残虐な現場写真を思い出すことができた。通州事件の報道写真は、慰霊の現場を写すことで、事件後も国内向けの反中プロバガンダとして機能し続けた。  (167〜168頁)。

 慰霊の写真さえも反中プロバガンダだとされていることに本当に驚かされた。

  「おわりに」

 ここでは、176頁半ばあたりまでは普通に読めることを書いている。しかし、この頁の真ん中あたりから、本書の中で最も出鱈目なことをいいまくる。大筋、次のようなことである。
 @事件が起きた責任の一端は「保安隊を統制できていなかった日本側にあった」(176頁)。
 A弔慰金は、朝鮮人が日本人の半分以下であり、不当な扱いを受けていた。
 B香月支那駐屯軍司令官の責任問題は、「歴史的に厳しく問い直さなければならない」(177頁)。
 C「これだけで終わっていたら、通州事件は日本が主たる原因をつくり出し、暗に責任を認識しつつも、その後、一転して被害者の立場になって事態を収拾し、a責任を一方的に冀東政権に押しつけて賠償金を得るというマッチポンプ(自分で問題を起こして自分で解決するという意味の和製英語)のような事件であったと評価できよう。しかし、日本は自らマッチでつけた火を消すどころか、新聞を使ってさらに大きく燃え上がらせた。
  通州事件が日本の主要各紙で報じられると、日本国民は事件の動向に関心を向けた。日本軍は外務省とともに、国民政府の宣伝工作に対抗するため、報道機関を統制して、国内外に向けて、b通州事件を反中プロバガンダの道具とした」(177〜178頁)。

 しかし、4点ともでたらめ極まりない主張である。@Bについていえば、藤岡氏が言うように、事件を起こした保安隊(29軍はそもそも隠されている)など中国側の責任を追及しないのは余りにもおかしい。

 中国側の責任を日本側に擦り付ける広中氏

 Aについては、前述のように、弔慰金配分の基準について研究しなければ、このようには言えない。

 Cのaについて言えば、傀儡政権であろうと冀東政権は日本軍とは別個の組織である。保安隊の統制責任は一次的に冀東政権にある。冀東政権に属する保安隊が加害者になった以上、冀東政権が責任を負うのは当然である。正確には、賠償金ではなく慰謝金である。日本側は、誤爆をした自分たちにも責任があるという誤った認識に基づき、損害賠償ではなく慰謝料にとどめてしまったのである。

 bについて言えば、前述のようにプロバガンダの定義さえなしに反中プロバガンダとは言えない。日本側のやったことはプロバガンダどころか、普通の宣伝にさえなっていない。

 もう一度、aとBについて言うならば、香月司令官の責任を厳しく追及し、事件が日本側のマッチポンプだとまで言う広中氏には、本当に、本当に唖然とさせられた。その反日思想の深さには、びっくりせざるを得なかった。香月司令官ら日本軍に油断が、過失があったことは確かであろう。しかし、事件における虐殺を隠すとともに、加害者である中国側の責任追及を全くせず、被害者であった日本側の責任追及にのみ情熱を燃やす広中氏とは、一体、何なのであろうか。

 広中氏の著書へのコメントは以上で終える。しかし、コメントをしていく中で、中国における反日教育、反日思想の流布のことを思い出した。「通州事件(4)」では、1928年の済南事件で北伐途上の国民党軍が猟奇的な虐殺事件を起こして以来、自分たちの虐殺を糊塗するために異常な反日教育が行われ、反日思想が自己増殖していったことを指摘した。広中氏の本を読んだとき、日本の歴史学者といわれる人たちに、1930年代の中国人のような反日思想が残っていることに驚いた。まだ、我々団塊世代のような老人たちの世代ならばともかくとして、40歳前後の若手学者に残っていることには正直ショックを覚えた。明確ではないが、この反日思想は、容共思想からも生まれるのであろう。

 広中氏の本の第二章の価値だけは認めるものの、日本のアカデミズムの将来に、暗澹たる想いを抱いてしまった。


   転載自由






テーマ

関連テーマ 一覧


月別リンク

ブログ気持玉

クリックして気持ちを伝えよう!
ログインしてクリックすれば、自分のブログへのリンクが付きます。
→ログインへ
気持玉数 : 1
なるほど(納得、参考になった、ヘー)

トラックバック(0件)

タイトル (本文) ブログ名/日時

トラックバック用URL help


自分のブログにトラックバック記事作成(会員用) help

タイトル
本 文

コメント(0件)

内 容 ニックネーム/日時

コメントする help

ニックネーム
本 文
反日ギルドとしての歴史学界……通州事件(5)―――広中一成『通州事件』に関するコメント 「日本国憲法」、公民教科書、歴史教科書/BIGLOBEウェブリブログ
文字サイズ:       閉じる