「日本国憲法」、公民教科書、歴史教科書

アクセスカウンタ

zoom RSS 通州事件(3)―――保安隊と29軍による民間人虐殺の具体像

<<   作成日時 : 2018/05/04 01:19   >>

なるほど(納得、参考になった、ヘー) ブログ気持玉 2 / トラックバック 0 / コメント 0

   次いで今回は、「通州事件(3)―――保安隊と29軍による民間人虐殺の具体像」を転載する。この記事は、虐殺の具体像を明らかにし、保安隊や29軍のやったことが法的にどういう犯罪になるのか考察したものである。

  興味を抱かれた方は、佐々木テン証言と濱口茂子証言を直接読まれたい。前者は、藤岡信勝編著『通州事件 目撃者の証言』(自由社、2016年7月)に、後者は 皿木喜久編著『通州の奇跡』(自由社、2017年5月)に所収されている。


     通州事件(3)―――保安隊と29軍による民間人虐殺の具体像


  14件の虐殺場面

 では、保安隊、教導総隊、29軍は、具体的にはどういう民間人虐殺を行ったのか。責任者は誰か、どういう戦時犯罪か、という点に注目してまとめていきたい。参考文献として挙げた4冊を基にして、分析していきたい。
 まずは、主な虐殺場面として14件挙げておこう。虐殺責任者を特に挙げていないところでは、保安隊や教導総隊に責任がある。国民政府軍即ち29軍が関与した件のみ、責任者を記した。
                                      
 1、午前4時から、各居宅で寝込みを襲う。
 2、午前4時、居留民会事務所
 3、安田公館での8名虐殺
 4、15、16歳くらいの娘とこれを助けようとした父を陵辱、惨殺
 5、十数名の男を数珠繋ぎにして虐殺(殺されたのは近水楼の近くの池)
 6、旭軒での女性の凌辱・虐殺
 7、近水楼と旭軒の間の松山楼の近く……路上で念仏を唱えて事切れた老婆
 8、松山楼の近く、木刀で抵抗した妊婦の夫の虐殺、妊婦の腹を割く…国民政府軍、保安隊、教導総隊
 9、東門近くの処刑場で50人以上の日本人を不法処刑……国民政府軍、保安隊、教導総隊
 10、日本人を40、50人、近水楼の近くの池で虐殺、池を真っ赤に染める……国民政府軍、保安隊、教導総隊
 11、近水楼で……24名、陵辱虐殺(旅館内で9名、北門近くの銃殺場で15名)
 12、北門近くの銃殺場で90、100名ほど不法処刑
 13、東門の近くの或る朝鮮人商店の付近の池、一家六名数珠つなぎで虐殺
 14、高粱畑で、29人殺される。新藤せつ子(節子)のみ生き残る。


 1から順にみて行こう。

1、午前4時から、各居宅で寝込みを襲う。

  「冀東政権と通州の日本側各機関を襲って都市機能を完全に麻痺させた保安隊は、ついに、あらかじめ印をつけておいた日本人居留民宅への襲撃を開始した(図表4)」(広中本75頁)。
 図表4をみると、「午前4時」の箇所に「日本居留民が保安隊に襲われる」(同73頁)とある。
 ◆法的評価……何の理由もない民間人虐殺、戦時国際法違反
 ◆責任者……保安隊、教導総隊

2、午前4時、居留民会事務所 

  「二十九日午前四時、突如銃声が各所に起こり、警察署及び特務機関と共に、居留民会事務所(写真70)もまた保安隊の襲撃するところとなり、当時民会事務所にいた幹部及び当直員は、大部分が惨殺された」(加藤本184頁)。
 ◆法的評価……何の理由もない民間人虐殺、戦時国際法違反
 ◆責任者……保安隊、教導総隊

3、安田公館での8名虐殺

 安田公館とは、満州綿花協会から派遣されて冀東地域の綿花栽培指導に当たっていた人たちが暮らしていた住居である。この安田公館も襲われ、二人の妊婦だけが奇跡的に助かった。その一人である濱口茂子の証言が皿木喜久編著『通州の奇跡』(自由社、2017年5月)に掲載されている。濱口証言に基づき、安田公館での出来事を簡単にまとめておこう。

 安田公館の住人たちは、外が騒がしくなる中で、リーダー格の安田秀一の提案で無抵抗主義でいくことを決めていた。だが、朝6時か6時半頃、保安隊が屋敷内になだれこんできて、小銃を撃ちまくったので、男性たちはつぎつぎに倒れていった。

 女性4人のうち、妊婦以外の2人は数発の弾丸を受けて死亡する。妊娠していた濱口茂子自身と安田正子も小銃で撃たれ、意識をなくしてしまう。濱口茂子は意識を戻すのだが、そのときの様子を次のように証言している。
 
 こうして私にたまがあたったのを最後に、小銃の音が聞こえなくなりましたが、そのうちに意識がもどりました。そうして反乱兵どもがなんだかわいわいしゃべりながら、私たちから時計や指輪や、さては眼鏡まで手荒くもぎとったり、私や安田さんの腹を靴で蹴りながら、どちらも身ごもっているんだなといった意味のことを言い、青龍刀で肩のあたりをおさえて、スーラ、スーラ(死んだ、死んだ)など言ったのが聞こえ、そのにくたらしさに腹のなかが煮えくり返る思いでした。 (皿木本45頁)

 傍線部のように、ここでも掠奪していることが分かる。結局、当日安田公館にいた10名のうち、8名が殺された。犠牲者は以下のとおりである。

 綿花協会の4人=安田秀一、石井亨・茂子夫妻、濱口文子
 満鉄から派遣されて通州綿作試験場勤務の4人=場長の岩崎元治、尾山萬代、小川信行、今井義勝
 安田公館の住人である濱口良二(茂子の夫)は、政府公館で殺された。

 ◆法的評価……何の理由もない民間人虐殺、戦時国際法違反
   敵国人の私有財産の掠奪……掠奪を禁止した戦時国際法に違反する。具体的には、陸戦条規第28条「都市其の他の地域は、突撃を以て攻取したる場合と雖、之を掠奪に委することを得す」に違反する。
 ◆責任者……保安隊、教導総隊

4、15、16歳くらいの娘とこれを助けようとした父を陵辱、惨殺 

  佐々木テンという人がいる。中国人と結婚して中国にわたり、事件当時は中国語も習得し中国人として暮らしていた人である。通州在住の日本人は、自分が襲われた現場しか見ておらず、襲われた場合にはほとんど殺されている。また、日本人と分かっただけで殺されることは必定であったから、通州城内を歩き回ることはできなかった。それゆえ、通州の虐殺現場に関する日本人の目撃談は極めて少ない。しかし、中国人として暮らしていた彼女は、夫と一緒に、朝9時頃から12時か1時頃まで事件当時の現場をリアルタイムで歩き回り、数々の虐殺現場を目撃することになる。

 その後、事件のトラウマなどが原因で夫と別れ日本に帰った彼女は、何十年も沈黙を守り続けたが、佐賀県の因通寺住職調寛雅に目撃談を語る。調は此の目撃談を文章化して自著『天皇さまが泣いてござった』(1997年、教育社)の中に収めた。現在、佐々木テンの証言は藤岡信勝編著『通州事件 目撃者の証言』(自由社、2016年)の中に再録されている。

 さて、佐々木証言で最初に出てくる日本人虐殺が、この4である。事件当日の朝、事件はもう終わったのかと一安心していると、「日本人居留区で面白いことが始まっているぞ」「日本人居留区では女や子供が殺されているぞ」という人がいるので、佐々木は夫とともに、日本人居留区に行った。そこで、まず4の場面を目撃することになる。

 日本人の家から一人の娘さんが引き出されてきました。十五才か十六才と思われる色の白い娘さんでした。その娘さんを引き出して来たのは学生でした。そして隠れているのを見つけてここに引き出したと申しております。その娘さんは恐怖のために顔が引きつっております。体はぶるぶると震えておりました。 (藤岡本75頁)。 

 この後、学生(教導総隊員)は、娘を平手打ちで殴り、服を破り、下着を取る。娘が「助けて」と叫ぶ。

 とそのときです。一人の男性がパアッと飛び出して来ました。そしてこの娘さんの上に覆い被さるように身を投げたのです。恐らくこの娘さんのお父さんだったのでしょう。 (同76頁)

 だが、この男性は、保安隊の兵隊にいきなり頭を銃の台尻で殴られ割られた。兵士は男性を娘から引き離して、再び銃で頭を殴りつける。男性の脳漿が飛び散る。更に保安隊の2、3人と学生2、3人が、身体を蹴ったり踏みつけたりする。保安隊の一人が、銃剣で腹を突き刺す。胸を突き刺す。又腹を、胸を突きさす。更には、男性の死体を丸太棒を転がすように蹴転がして、娘のところにいく。

 この後に娘への陵辱が書かれているが、結局、娘も殺してしまい、陰部を抉り取り、腹を割き、首を落とすなどする。更にはその首を父親の死体に投げる。保安隊と教導総隊は、殺人と死体損壊を楽しむのである。

 ◆法的評価……何の理由もない民間人虐殺、戦時国際法違反
  虐殺後、死体陵辱……これも戦争犯罪。1929年赤十字条約死者の保護規定第3条「各戦闘後戦場の占領者は傷者及死者を捜索し、且掠奪及虐待に対しこれを保護するの措置を採るべし」(日中とも批准)の趣旨に違反する。
 ◆責任者……保安隊、教導総隊

5、十数名の男を数珠繋ぎにして虐殺(殺されたのは近水楼の近くの池) 

 次に佐々木は、5の場面を目撃する。

 殆どの日本人は既に殺されているようでしたが、学生や兵隊達は、狂った牛のように日本人を探し続けているのです。あちらの方で「日本人がいたぞ」という大声で叫ぶものがいるとそちらの方に学生や兵隊達がワーッと押し寄せせて行きます。 

 私も沈さん(夫のこと――引用者)に抱きかかえられながらそちらに行ってみると、日本人の男の人達が五、六名兵隊達の前に立たされています。そして一人又一人と日本の男の人が連れられて来ます。十名程になったかと思うと学生と兵隊達が針金を持って来て右の手と左の手を指のところでしっかりくくりつけるのです。そうして今度は銃に付ける剣を取り出すとその男の人の掌をグサッと突き刺して穴を開けようとするのです。

 痛いということを通り越しての苦痛に大抵の男の人達が「ギャーッ」と泣き叫ぶのです。とても人間のすることではありません。……

 集められた十名程の日本人の中にはまだ子供と思われる少年もいます。そして六十才を越えたと思われる老人もいるのです。 (藤岡本82〜83頁)


 こうして10名ほどの日本人男性が、掌に穴を開けられて数珠繋ぎにされた。その中には、老人も子供に近い少年もいた。そして保安隊員らは、数珠つなぎにされた男性の下着をすべてはぎ取る。青龍刀で20才前後と思われる男性の男根を切り取ることさえ行う。

 このあと、この男性たちはどうなったか。佐々木証言を読み進めていくと、近水楼の池に連れて行かれ、青龍刀などで全て殺されたことが分かる(同106頁)。

 ◆法的評価……何の理由もない民間人虐殺、戦時国際法違反
   敵国人の私有財産の掠奪……これは、掠奪を禁止した陸戦条規28条「都市其の他の地域は、突撃を以て攻取したる場合と雖、之を掠奪に委することを得す」に違反する。
  ・数珠つなぎにするのは、いわば捕虜とした日本人男性を連行するためである。その意味では、掌に穴を開けて連行するのは、捕虜虐待にあたる。縄でくくるのは良いとしても、針金で括ったり穴を開ける必要は全くないからである。もちろん、10名の男性は正確には捕虜ではないが、保安隊側の行為は、陸戦条規第4条第A項「俘虜は人道を以て取り扱はるへし」の趣旨に反することは明確である。
   もっとも、最終的には、この人たちは処刑されてしまうから、掌に穴を開けた数珠繋ぎだけを取り出して議論することには、実益はないとも言える。
 ◆責任者……保安隊、教導総隊

6、旭軒での女性の凌辱・虐殺 

 佐々木は、次に6の場面について次のように話し出している。

 旭軒という食堂と遊郭を一緒にやっている店の近くまで行ったときです。日本の女の人が二人、保安隊の兵隊に連れられて出てきました。二人とも真っ青な顔色でした。  (藤岡本86頁)

 二人は複数の兵士に凌辱され、最終的に銃剣などで突かれて殺されてしまう。そのうちの一人は、肘から先を切り落とされてしまう。
 旭軒の話は、事件後の通州を視察した河野通弘の手記にも、簡略な記述だが出てくる。加藤本から孫引きしよう。
 
 十七歳から四十歳くらいまでの女性が七名、裸体で陰部を露出したまま射殺されていた。 (加藤本157頁)

この7名と前記2名が重なるのか重ならないのか分からないが、ともあれ、旭軒では7名ないし9名が、凌辱を受け虐殺されたのである。

 ◆法的評価……何の理由もない民間人虐殺、戦時国際法違反
 ◆責任者……保安隊

7、近水楼と旭軒の間の松山楼の近く……路上で念仏を唱えて事切れた老婆 

  続けると、次に佐々木は、7の場面に遭遇する。佐々木証言は具体性があり臨場感がある。それ故に、そこに書かれる残虐さが我々の想像を超えているので気持ち悪くなる箇所がかなりあるので、大きくカットして紹介している。まだ読む分にはよいのだが、パソコンに打ち込んでいくとなると気持ち悪くなるのだ。だが、この場面は比較的気持ち悪くはなく、佐々木が証言を決意するうえで大きな影響を及ぼしている重要な場面でもあるので、全文引用しよう。

 そこはもう何というか言葉では言い表されないような地獄絵図でした。沢山の日本人が殺されています。いやまだ殺され続けているのです。あちこちから悲鳴に似たような声が聞こえたかと思うと、そのあとに必ずギャーッという声が聞こえて来ます。
 そんなことが何回も何十回も繰り返されているのでしょう。私は聞くまいと思うけど聞こえて来るのです。耳を覆ってみても聞こえるのです。又私が耳を覆っていると沈さんがそんなことをしたらいけないというようにその覆った手を押さえるのです。
 旭軒と近水楼の間にある松山楼の近くまで来たときです。
 一人のお婆さんが、よろけるように逃げて来ております。するとこのお婆さんを追っかけてきた学生の一人が青龍刀を振りかざしたかと思うといきなりこのお婆さんに斬りかかって来たのです。左の腕が肩近くのところからポロリと切り落とされました。お婆さんは仰向けに倒れました。学生はこのお婆さんの腹と胸を一刺しずつ突いて立ち去りました。
 誰も見ていません。私と沈さんとこのお婆さんだけだったので、私がこのお婆さんのところに行って額にそっと手を当てるとお婆さんがそっと目を開きました。そして、「くやしい」と申すのです。「かたきをとって」とも言うのです。
  私は何も言葉は出さずにお婆さんの額に手を当ててやっておりました。「いちぞう、いちぞう」と人の名を呼びます。きっと息子さんかお孫さんに違いありません。私は何もしてやれないので只黙って額に手を当ててやっているばかりでした。
 するとこのお婆さんが「なんまんだぶ」と一声お念仏を称えたのです。そして息が止まったのです
 私が西本願寺の別府の別院にお参りするようになったのはやはりあのお婆さんの最期の一声である「なんまんだぶ」の言葉が私の耳にこびりついて離れなかったからでしょう。 (藤岡本89〜91頁)


 このお婆さんの「なんまんだぶ」が、佐々木をして、西本願寺の別府の別院に導き、そこで調寛雅と出会わせ、事件について証言する気にさせたのである。

 ◆法的評価……何の理由もない民間人虐殺、戦時国際法違反
 ◆責任者……教導総隊

8、松山楼の近く、木刀で抵抗した妊婦の夫の虐殺、妊婦の腹を割く 

  7の場面に続けて、佐々木は8の場面に出くわす。犠牲者は3名とはいえ、最も残酷な虐殺が8の場面である。引用するに耐えないので大きく端折って紹介する。

 学生と保安隊の兵隊、それに国民政府軍の正規の兵隊達が何かガヤガヤと言っていましたが、家の入口のすぐ側のところに女の人を連れて行きました。この女の人は何もしゃべれないのです。……
 ところが、一人の学生がこの女の人の着ているものを剥ぎ取ろうとしたら、女の人が頑強に抵抗するのです。……学生が二つか三つこの女の人の頬を殴りつけたのですが、この女の人は頑強に抵抗を続けていました。 (藤岡本92頁)


 妊婦に乱暴なことをするなという気運が拡がった時、夫が「俺の家内と子供に何をするのだ、やめろ」と叫ぴながら、飛び込んできた。夫は、木刀をもち7、8名の中国兵と闘ったが、健闘むなしく殺されていく。其の後に、頭皮を剥いだり、腸を引きずり出したりの残虐行為を働く。この場面が2頁ほど描かれているが、紹介はここまででとどめる。

 この後、妻が殺される場面が3頁ほど続く。要するに「国民政府軍の兵隊と見える兵隊」が妊婦のお腹を切り、赤ん坊を掴み出し投げたという。妻も赤ん坊も虐殺されてしまったのである。

 この場面の残酷さは、最後の3行が最も物語っているように思われる。
 
 あまりの無惨さに集まっていた支那人達も呆れるようにこの光景を見守っていましたが、兵隊と学生が立ち去ると、一人の支那人が新聞紙を持って来て、その新聞紙でこの妊婦の顔と抉り取られたお腹の上をそっと覆ってくれましたことは、たった一つの救いであったように思われます。  (藤岡本99〜101頁) 

 私も傍線部を読んだとき、ほっとした思いをした。しかし、それは、逆に兵士たちの行為の残虐さを際立たせ、再確認させるものでもある。

 ◆法的評価……何の理由もない民間人虐殺、戦時国際法違反
  虐殺後、死体陵辱……これも戦争犯罪。1929年赤十字条約死者の保護規定第3条「各戦闘後戦場の占領者は傷者及死者を捜索し、且掠奪及虐待に対しこれを保護するの措置を採るべし」(日中とも批准)の趣旨に違反する
 ◆責任者……国民政府軍(29軍)、保安隊、教導総隊

9、東門近くの処刑場で50人以上の日本人を不法処刑

 佐々木は、疲れ果てて二人で家に帰ろうとしたその時、「日本人が処刑されるぞ」と誰かが叫んだので、東門の東側にある空き地に行った。

 そこには兵隊や学生でない支那人が既に何十名か集まっていました。そして恐らく五十名以上と思われる日本人でしたが、一ヶ所に集められております。ここには国民政府軍の兵隊が沢山おりました。保安隊の兵隊や学生達は後ろに下がっておりました。
 集められた日本人の人達は殆ど身体には何もつけておりません。恐らく国民政府軍か保安隊の兵隊、又は学生達によって掠奪されてしまったものだと思われます。何も身につけていない人達はこうした掠奪の被害者ということでありましょう。
 そのうち国民政府軍の兵隊が何か大きな声で喚いておりました。すると国民政府軍の兵隊も学生もドーッと後ろの方へ下がってまいりました。するとそこには二挺の機関銃が備えつけられております。  (102頁)


 このあと、二挺の機関銃が火を噴き、日本人が殺されていく。ほとんどの日本人は「大日本帝国万歳」と叫んだという。死体の山に、保安隊が入っていき、死にきっていない人を銃剣で刺し殺す。全部の日本人が死んだことを確かめると、国民政府軍を初めとした兵士たちは引き上げていく。その後、「見物しておった支那人達が、バラバラと屍体のところに走り寄っていくのです。屍体を一人一人確かめながらまだ身に付いているものの中からいろいろのものを掠奪し始めたのです」(藤岡本104頁)。

 ここで注目されるのは、29軍の兵士が数も多く、しかも29軍が現場を仕切っていることである。

 ◆法的評価……何の理由もない民間人虐殺、戦時国際法違反
  敵国人の私有財産の略奪……これは、略奪を禁止した陸戦条規28条「都市其の他の地域は、突撃を以て攻取したる場合と雖、之を掠奪に委することを得す」に違反する。
 ◆責任者……第一に29軍、次いで保安隊と教導総隊

10、日本人を40、50人、近水楼の近くの池で虐殺、池を真っ赤に染める

 佐々木は、二人で北側へ歩き出し、城内西部にある自宅まで帰るために北門から城内に入り、近水楼の近くまで来た。そこで、10の場面に遭遇する。

 その近水楼の近くに池がありました。その池のところに日本人が四、五十人立たされておりました。……殆どが男の人ですが、中には五十を越したと思われる女の人も何人かいました。そしてそうした中についさっき見た手を針金で括られ、掌に穴を開けられて大きな針金を通された十人ほどの日本人の人達が連れられて来ました。国民政府軍の兵隊と保安隊の兵隊、それに学生が来ておりました。  (藤岡本105〜106頁)

 国民政府軍即ち29軍の将校が、最初に連れ出された50歳くらいの日本人の首を青龍刀で斬り、二番目の日本人男性の額を割った。
 
 国民政府軍の将校は手をあげて合図をして自分はさっさと引き上げたのです。
 
  合図を受けた政府軍の兵隊や保安隊の兵隊、学生達がワーッと日本人に襲いかかりました。四十人か五十人かの日本人が次々に殺されて行きます。そしてその死体は全部そこにある池の中に投げ込むのです。四十人か五十人の日本の人を殺して池に投げ込むのに十分とはかかりませんでした。
 
 池の水は見る間に赤い色に変わってしまいました。          (藤岡本107頁)


 9の場合もそうだが、この10のケースでは、完全に主導権は29軍にある。二つとも、大規模な処刑のケースである。

 ◆法的評価
……何の理由もない民間人虐殺、戦時国際法違反
 ◆責任者……第一に29軍、次いで保安隊と教導総隊

11、近水楼で……24名、陵辱虐殺(旅館内で9名、北門近くの銃殺場で15名)

  同盟通信記者で安藤利男という人がいる。彼は通州事件で被害にあい、辛くも生き残った数少ない人である。多くの証言記録を残している。安藤の証言を、加藤本に基づき、紹介しておこう。安藤が証言しているのは、近水楼という日本人経営の旅館での体験と、近水楼から連れて行かれた銃殺場での体験である。ここでは、近水楼での体験についてみて行こう。

  近水楼では8時ないし9時頃から騒がしくなり、畳を起こして防塁を築いたりしていたが、安藤を含む11人が天井窓から屋根裏に上がる。息詰まる屋根裏籠城を2時間送るが、12時近くに保安隊に発見される。

 皆、降りろ!保護をするから金を出せ!心配はいらぬ

 隊長らしいのが怒鳴ったので、間近にゐた連中から順々に立ち始め、撒くやうに五元、十元と札ビラを与へた。二階に下りたが、ここですぐに身体検査が始められ、武器を誰一人持ってゐない事がわかると、さらに有り金の要求を始めた。皆、撃たれるのが恐さに、持金は全部取られてしまつた。その他、指輪、時計、写真機、ペンシル、私は眼鏡、ハンカチまでも取られた。

 女を除いた男六名は、麻縄で腕をくくられ、数珠つなぎにされ、拳銃に脅かされながら引き立てられて階下へ下ろされた。二つ曲がりになった階段に足をかけると、一階の入り口には何といふ無残な光景であらう。髪を振り乱し、喰いしばった唇から生血を流し、胸のあたりから鮮血にまみれた女中が三、四人、そこに倒れてゐるではないか!男も居るやうだ。   (加藤本143〜144頁)


 加藤本によれば、近水楼の被害者は、旅館内で殺されたのは9名、残り15名は銃殺場で殺された。宿泊客15名のうち安藤だけが助かったので、犠牲者は14名である。旅館関係者は、主人夫婦以下、6名の女中など10名が惨殺された(加藤本147〜148頁)。

 7月31日に近水楼を視察し東京裁判で証言した桂鎭雄によれば、女将を含めた9名の女性と1名の男性の惨殺死体があった。女性たちのほとんどは強姦されており、男女問わず、遺体は著しい損傷を受けていた(加藤本230〜231頁)。
 ◆法的評価……何の理由もない民間人虐殺、戦時国際法違反
 ・虐殺後、死体陵辱……これも戦争犯罪。1929年赤十字条約死者の保護規定第3条「各戦闘後戦場の占領者は傷者及死者を捜索し、且掠奪及虐待に対しこれを保護するの措置を採るべし」(日中とも批准)の趣旨に違反する。
 ・敵国人の私有財産の略奪……これは、略奪を禁止した陸戦条規28条「都市其の他の地域は、突撃を以て攻取したる場合と雖、之を掠奪に委することを得す」に違反する。さらに、他の例も同一だが、陸戦条規第46条も参考になる。
 ・強姦等
 ◆責任者……保安隊、教導総隊

12、北門近くの銃殺場で90、100名ほど不法処刑 

  近水楼で保安隊に捕まった安藤たち13名は、冀東政庁の方へ連行される。そこには、既に80人ないし90人の日本人(朝鮮人を含む)がいた。

 間もなく隊長が我々の前に現はれ、無造作な調子でひと声しやべつた。
『諸君はこれから打槍場(銃殺場)へ行く。北門内だ!』  (加藤本144頁)

 
 安藤は先頭に立たされて、銃殺場まで歩かされた。歩いている間に、右腕の麻縄を解き、銃殺場につくと城壁に近いところに立ち、射手の銃が撃たれる直前に、「逃げませう」との女の声を聴くや、城壁を超え、川に飛び込み、裏道を抜け、北京城内にたどり着き、命が助かったのである。途中、百姓や漁師の親切に助けられたという。

 ◆法的評価……何の理由もない民間人虐殺、戦時国際法違反
 ◆責任者……保安隊だろう。明確には分からない。

13、東門の近くの或る朝鮮人商店の付近の池、一家六名数珠つなぎで虐殺

 7月30日に虐殺現場を視察し東京裁判で証言した桜井文雄は、次のように述べている。

 東門の近くの或る(朝)鮮人商店の付近に池がありましたが、その池には首を縄で縛り両手を併せて八番鉄線を通し(貫通)一家六名数珠繋ぎにして引廻された形跡歴然たる死体がありました。池の水は赤く染まって居ったのを目撃しました。  (加藤本233頁)
 
 ◆法的評価……何の理由もない民間人虐殺、戦時国際法違反
 ◆責任者……恐らく保安隊と教導総隊

14、高粱畑で、29人殺される。新藤せつ子(節子)のみ生き残る。

  事件の被害者で生き残った新藤せつ子(節子)という人がいる。当時5歳だった新藤は『ハンセン氏病よ、さようなら』という著書の中で、事件について書いている。加藤本から孫引きしよう。

 通県の城内で医院を開いていた私の父母は、暴動を起こした中国の保安隊に襲われ、その地にいた邦人二十七人といっしょに高粱の畑で虐殺されたのでした。二歳だった妹も、母に抱かれていたために同じ運命にあったのでした。 (加藤本175頁) 

 新藤が助かったのは、医院で働いていた若い看護婦・何鳳岐のおかげだった。

 保安隊が父母と妹を連れ去るとき、彼女は私のことを愛児だと言いはって私を助け、そのあと数日間も、遺書(新藤の父親の遺書……引用者)と私を抱いて、汗とほこりによごれながら、高粱の畑のなかを逃げまわってくれたのでした。  (加藤本176頁)

 若い看護婦の美談はあるが、高粱畑で日本人が29人虐殺されたことが確認できる証言である。

 ◆法的評価……何の理由もない民間人虐殺、戦時国際法違反
 ◆責任者……保安隊

 以上みてきたことから分かるように、日本の民間人が多数、何の理由もなく殺された。いや、保安隊や29軍にとっては理由がある。それは日本人であることだ。日本人皆殺しの思想に基づき、彼らは民間人さえも、いや民間人こそを狙って殺していったのである。

 なお、1から14まで列挙した場面における虐殺人数を足していくと、アバウトで250名ほどにもなり、信頼できる犠牲者225名という数字を越えてしまう。これはどう捉えたらよいのか。10の場面と12の場面は同一場面ではないかとも考えたが、場所も少しずれるし、何よりも殺害方法が全く違うから、別の場面と捉えるべきだろう。それゆえ、9、10、12の大量殺害の人数は、佐々木と安藤という目撃者の証言に基づくものであるが、現場において50名とか100名の人数をきちんと把握できるものではなく、大目に見積もったと考えるべきであろう。

 では、親日派と見られていた保安隊は、いつから反日派になったのか。次回は、この課題について追究していきたい。

参考文献 
 藤岡信勝編著『通州事件 目撃者の証言』自由社、2016年7月
 加藤康男『慟哭の通州』飛鳥新社、2016年10月
 広中一成『通州事件 日中戦争泥沼化への道』星海社、2016年12月
 皿木喜久編著『通州の奇跡』自由社、2017年5月


   転載自由



 

   

テーマ

関連テーマ 一覧


月別リンク

ブログ気持玉

クリックして気持ちを伝えよう!
ログインしてクリックすれば、自分のブログへのリンクが付きます。
→ログインへ
気持玉数 : 2
なるほど(納得、参考になった、ヘー)
驚いた

トラックバック(0件)

タイトル (本文) ブログ名/日時

トラックバック用URL help


自分のブログにトラックバック記事作成(会員用) help

タイトル
本 文

コメント(0件)

内 容 ニックネーム/日時

コメントする help

ニックネーム
本 文
通州事件(3)―――保安隊と29軍による民間人虐殺の具体像 「日本国憲法」、公民教科書、歴史教科書/BIGLOBEウェブリブログ
文字サイズ:       閉じる