「日本国憲法」、公民教科書、歴史教科書

アクセスカウンタ

zoom RSS 交戦権を持たない国はどうなるか――安倍改憲案に関連して

<<   作成日時 : 2017/07/28 23:08  

ブログ気持玉 0 / トラックバック 0 / コメント 0

  23日前に認めた論考を掲載する

  安倍改憲案が発表されてもうすぐ3か月が経過する。安倍改憲案に触発されて、交戦権がないということはどういうことか、考え続けてきた。もちろん、他のこともしてきたが、この交戦権否認問題が私の頭を占め続けてきたことは間違いないところである。

 いろいろ安保関係の本を読んだり、専門家と話したりしてきたが、驚いたことに、交戦権否認問題は抽象的に考察されてきたことはあるが、具体的に考察されたことはないようであった。自衛隊の内部で本当の専門家が私的に考察してきたかもしれないが、大っぴらに考察したのは私が初めてのようである。ネット上で江崎道朗氏の《安倍総理「9条改憲」をどう読み解くか。日本人だけが知らない戦時国際法とは?》を見付けたが、全く具体性のないもので、やはり抽象的に論じたものに過ぎなかった。どうも、戦後日本では、交戦権否認問題の論及はタブーであり続けたようだ。「日本国憲法」無効論が前世紀までタブーであり続けたのと同じ傾向である。

 ともあれ、特に5月から6月にかけて、この問題を考え続け、20枚強の論考「交戦権を持たない国はどうなるか」をまとめた。7月5日に完成したこの原稿を大手保守系雑誌に送り、掲載が約束されゲラまで送られてきた。ところが、驚いたことに、結局不掲載になった。しかも何の連絡もなかった。問い合わせてみたが、結局は、安倍政権批判につながる論考は載せたくないという空気が存在するようである。腹は全く立たなかった。一定程度予想していた。私の論考はほとんどが安倍批判につながるものだからである。ただ、安倍政権批判はさせないといったことをどこかで止めなければ、保守言論界は「閉ざされた言語空間」となり(既になっているが)、所謂保守の言論・思想、そして学問までもが干からびていくことになろう。

 さて、不掲載という現実を前にしてどうするか考えた。この1月近く、小論は棚ざらしになってきた。これから1月も2月も棚ざらしにするわけにもいかないので、とりあえず、本ブログに掲載することにした。出来るだけ早く、交戦権否認問題について論じたものを出版し、世に問いたいと考えている。

 是非、以下に掲げる小論を読まれたい。そして、左右を問わず、全ての日本国民が交戦権否認問題について考察されるように希望する。国際法では認められる交戦権を国内法で否認することの恐ろしさは、総理大臣や防衛省関係者だけではなく、全国民が知っておいた方がよい問題だからである。特に軍事、国際法、憲法の専門家にお願いするものである。
 


             交戦権を持たない国はどうなるか
                          
                                           小山常実

戦時国際法と交戦権

 本年5月3日、安倍首相は、第9条@A項をそのまま護持する「日本国憲法」改正構想を発表した。安倍改憲構想が実現していくとするならば、2018(平成30)年に議会による改正発議と国民投票があり、2019年に公布、2020年に施行という順序となりそうである。

 第9条@A項を維持するとはどういうことか。安全保障の大枠が現状通りということである。ということは、その大枠は、以下のようであり続ける。

➀自衛戦争する権利も持たない
A自衛権はあるので、専守防衛の方針で行く。
B自衛戦力も持てない。自衛隊は軍隊ではない。
Cしたがって、ポジティブ・リストで任務に就く。
D交戦権、即ち交戦国として持つ諸権利――臨検・拿捕の権利、占領地行政の権利其の他――を持たない。
Eこれでは、自国を守れないので、守ってもらうために米国の「奴僕国家」(内田樹他『9条どうでしょう』ちくま文庫、2012年)になる。
 

  これまで改憲派は、一貫して「奴僕国家」から普通の独立国家になるために、第9条A項の削除を訴えてきた。此の6点のうちD以外の5点は、Bを中心として、これまでも雑誌などで議論されてきた。しかし、D交戦国として持つ諸権利を持たないという問題については、ほとんど議論されてこなかったように思う。「日本国憲法」成立過程史の研究者である筆者も、Dの問題を詳しく追求したことはなく、Bの問題に意識を集中させてきた。

 しかし、安倍構想を目の前にして、第9条A項後文「国の交戦権は、これを認めない。」とはどういう意味か、非常に気になりだした。憲法関係や軍事、国際法関係の文献を手当たり次第に調査したが、交戦権とは何か、具体的にはほとんど分からなかった。そこで、筆者は、戦前の戦時国際法学の第一人者であった立作太郎の『戦時国際法論』(昭和19年、日本評論社)を読み直してみた。そして、交戦国としての諸権利を持っている他の国家と、それらの権利を否定された日本国家とが戦った場合には、どういう戦いになるのか、どういう結果を招くのか、考えてみた。普通の交戦国が持つ主な権利を列挙しながら、その権利に即して考えていきたい。

一、戦闘自体――ミニ国家にも勝てない
 
(1)敵国領土、領水、領空で戦う権利、(2) 占領地行政の権利

  まず戦闘自体に焦点を当ててみていく。国際法上の戦争であれ、事実上の戦争であれ、戦争区域というものを考えなければならない。戦争区域としては、(一)自国の領土、領水及び空中領域、(二) 敵国の領土、領水及び空中領域、(三)公海、無主の土地及びその上に位置する空中領域の三つがある。

 日本と外国が戦争した場合、交戦権を放棄していない外国は、文句なく、この三つの区域で戦える。これに対して、日本は交戦権を否定しているので、自衛権及び専守防衛の観点から(一)で戦うことは文句なく出来るが、(二)で戦うことは出来ない。(三)で戦うことさえも限定的に認められるだけである。

 また外国は、日本の領土内でも戦えるから、当然に日本の領土を占領できるし、占領地の行政を行う権利をもつ。そして、日本を全面的に屈服させるために首都東京を占領することも出来る。これに対して、日本は、敵国領土で戦えないわけだから、当然に、敵国領土の占領さえもできないし、占領地行政の権利を持たないことになる。
 この戦争区域と占領地行政の問題だけを考えても、日本はどんな外国に対しても、ミニ国家に対しても、絶対に勝利することはできないことは明らかであろう。外国側からすれば、日本に対して侵略戦争を仕掛けて撃退されても、絶対に日本は追撃して攻め込んでこないわけだから、安心して日本に対してちょっかいを出し続けることができるのである。

 (3)突撃する権利、攻囲する権利(先に仕掛ける権利) 

  戦場が原則として日本の領土・領海・領空となる戦いとは、どういうものになるだろうか。特に陸戦の場合について考えておきたい。陸戦に於ける戦闘方法の代表的なものとしては、突撃、攻囲、砲撃の三種を数えることができる。普通の交戦国は、三種の戦闘方法を全てとることができる。

 これに対して、日本は、第9条@A項の下、専守防衛策をとっている。防衛白書平成28年版によれば、専守防衛とは、「相手から武力攻撃を受けたときにはじめて防衛力を行使し、その態様も自衛のための必要最小限にとどめ(傍線部は引用者)、また、保持する防衛力も自衛のための必要最小限のものに限るなど、憲法の精神に則った受動的な防衛戦略の姿勢」のことである。

 傍線部から知られるように、自衛隊は、自分の方から攻撃できないから、自国領土内であっても、突撃と攻囲を行うことは出来ないのではないか、という疑問が生まれることになる。もちろん、相手方が突撃してきて、それに対してやり返す形で突撃を行うことは出来るし、連続的に攻囲と砲撃を行うことは出来るのであろう。

 しかし、敵軍の上陸を許してしまい、膠着状態になって、敵軍と自衛隊が1か月も2か月も睨みあうという状態になった場合にはどうであろうか。その場合に日本側は、侵略軍を攻囲して、隙を見て突撃を行うということができるのであろうか。一旦、戦況が落ち着いてしまったならば、日本領土内であっても、新たに突撃したり、攻囲したりすることができるのであろうか。交戦権を否認した日本では、その場合に於ける突撃や攻囲は自衛行動とは言えないという理屈が十分成立するのである。

  (4)奇計を用いる権利、(5)一般的荒壊の権利 

  突撃や攻囲さえも制限される自衛隊は、原則として奇計も制限されるだろう。交戦権を持つ国家にとっては、奇計は原則として適法である。適法である奇計の例を示せば、A方面を攻めるふりをしてB方面を攻めること、間諜(スパイ)を使用すること、不意の襲撃をなすこと、虚報を伝えること、伏兵を設けること、といったことがある。専守防衛で臨まなければならない日本は、これらすべてではないだろうが、ほとんどこれらの手段を用いることは許されないことになろう。

 また、普通の交戦国は、既に占領した地方に於いて、頻繁に一般住民が武力で抵抗する場合や、敵軍が普通の戦闘を継続できなくなり、小部隊がゲリラ的に武力抵抗を続ける場合には、その地域一帯の建物や耕作物や樹木、水道、交通機関などを全面的に破壊し、荒廃させることもできる。これを一般的荒壊(devastation)という。一般的荒壊が行われれば、当然に、戦闘員と非戦闘員の区別なく、死傷者が出ることになろう。

 一般的荒壊の権利も、日本側は他国に侵入しないわけであるし、また自衛権の範囲内とは言えないだろうから、敵国には認められるが日本側には認められない権利となる。

 関連して言えば、日本は、戦争のルールについて定めた戦時国際法を大学、高校、中学で早急に教えていく必要があろう。特に中学校の公民教育で早急に行う必要がある。例えば、ジュネーブ第三条約(捕虜の待遇に関する条約)127条は、条約の原則について教育することを要求している。例えば、一般住民が民兵として捕虜の資格を得るためには、指揮官を選任すること、戦闘員と認識できる特殊の徽章を付けること、公然と武器を携帯すること、交戦法規を遵守すること、という4条件を満たす必要がある。条約締約国には、これらのことを教育する義務があるのだが、日本は、この条約に加入しているにもかかわらず、戦時国際法に関する教育を全くしてこなかったのである。

 従って、敵軍に日本の領土内に侵攻された場合、戦争のルールに従わずに、勝手に思い思いに侵略軍と戦う国民が多数生まれてくることが考えられる。仮に、中国軍に侵入された場合、戦わない日本国民も居るだろうが、必ず、戦う日本国民も出てこよう。だが、ルールを知らない日本国民は、先の4条件を守らず、公然と武器を携帯することという絶対最低条件さえも守らず、武器を隠し持って戦う可能性が高い。そういう戦い方をすれば、正式の捕虜になれず、大量虐殺されても法的に文句を言えないことになる。仮に中国軍が「東京大虐殺」を行おうと思えば、日本国民がそんな戦い方をするように方向づければよいわけである。

(6)空爆の権利 

  ここまで陸戦を中心に見てきたが、今日では、敵撃滅に最大の力を発揮するのは空爆である。未発効とはいえ、ハーグ空戦法規の第24条は、空爆の問題を考える場合の土台となるものである。陸戦の戦場の近辺では、都市等に対する無差別爆撃を原則としては禁止しつつも、例外的に許容している。これに対して、戦場から遠く離れた都市等に対する爆撃は、必ず、軍隊や兵器工場、軍事上の目的に使用される交通線又は運輸線などの、いわゆる軍事的目標を狙って行わなければならない。この場合には、無差別爆撃は決して許されない。

 普通の交戦国ならば、この二つの場合に対手国の都市等を空爆することができるわけである。しかし、戦場が常に日本国内となる以上、無差別爆撃もあり得る戦場近辺の都市空爆は、日本と戦う敵国だけに許された特権となる。また、戦場から離れた地域の都市空爆も、日本側は基本的にはできない。日本に向けてミサイルが発射されそうな時に、他に手段がない時はその基地を叩くことは出来ると政府は考えているようだが、それ以外の空爆は出来ない。敵国側は、軍事目標主義に基づき、自由に、戦場から離れた日本国内の兵器工場や軍事用の交通線や運輸線に対する空爆を行うことができるのである。

 要するに、最大の破壊力を持つ空爆を、敵国は自由に行えるのに対して、日本側はほとんど行えないことに注目されたい。日本は、大きなハンディーを背負って戦わなければならない。結局、一定程度軍事力を備えた国家との戦いでは敗北必至であるし、敵国領土・領海・領空で戦えない以上、ミニ国家にも勝てないのである。

二、補給戦――敗北は最初から決まっている

(7)海戦に於ける敵国私有財産没収の権利

 ここまで戦闘自体について考えてきたが、仮に戦闘自体は日本の連戦連勝になったとしても、日本が勝ち切ることは困難である。仮に戦線で優勢であったとしても、補給戦で日本は敗北を決定づけられているからである。

 補給戦で重要な位置を占めるのは、日本の地政学上の位置からして、当然海上であり、海戦となる。海戦法規は、敵国の私有財産に関する取扱いについて、陸戦法規と大きく異なる。陸戦法規では、原則として私有財産尊重の原則、私有財産没収不可の原則が存在する。これに対して、海戦法規の場合は、敵国の私有財産は没収できる。しかし、交戦権を放棄する日本には、この海戦に於ける敵国私有財産没収の権利は認められないことになる。

 この点は、日本にとって非常に大きなハンディキャップとなる。敵国は、公海上で日本の商船を自由に拿捕没収することができるが、日本側は敵国商船に対して手を出せないのである。こういう状態が長引けば、日本の資源はだんだん乏しくなり、敵国の資源はだんだん豊かになっていくだろう。第9条A項を持つ日本と戦うには、何も軍艦同士、陸軍同士の戦闘を行う必要はない。宣戦布告して国際法上の戦争に持ち込み、日本の海上私有財産を奪っていけばいいわけである。いや宣戦布告しなくても、国際的に事実上の戦争が行なわれているとみなされる状態に持って行けば、同じことが出来よう。それゆえ、第9条A項護持の日本は、普通の中小国と戦った場合でさえも、百戦百敗となるしかないのである。いくら優秀な自衛隊を持っていても、交戦権を放棄すれば、そういう結果になるしかないであろう。

(8)中立国に対する諸権利――中立義務要求、臨検・拿捕、戦時封鎖

  補給戦で重要なのは、中立国との関係である。事実上の戦争の場合は多少違うが、宣戦布告がなされて国際法上の戦争になれば、中立法規が適用される。中立国は、双方の交戦国に対して公平中立の態度を保たなければならない。従って、例えば、一方の交戦国に対して軍隊、軍艦などを供給してはならないし、一方の交戦国軍隊が自国の領土を通過することを許してはならない。

 もしも、これらの中立国としての義務に違反するようならば、交戦国は中立国に対して抗議し、武力行使することも出来る。しかし、日本側は、交戦権を持たないから、抗議することさえもできないことになろう。そうなれば、中立国は、必然的に日本ではなく敵国よりの対応をすることとなろう。中立国は、日本の敵国とは取引を継続し、戦時禁制品も敵国に対して輸出し続けることになる。

 中立国に対する権利で最も具体的な効果を持つのは、臨検・拿捕の権利であろう。交戦権を否認した日本は、敵商船に対しても中立国商船に対しても、少なくとも公海上や敵国領海内では臨検することは出来ない。臨検さえできないから、拿捕も没収もできない。しかも、公海上で敵軍艦の拿捕を出来るのかと言えば、日本にとっては戦争区域に公海は原則的に入らないわけだから、拿捕できないということになるのであろう。

 ところが、敵方にとっては、戦争区域は、もう一度言うが、交戦国双方の領海だけではなく、公海も含まれる。従って、敵方は、公海上に於いて、日本の商船や中立国船舶に対して臨検・拿捕の権利を持つし、日本の商船を没収することも出来る。そして自衛隊の軍艦を拿捕し没収することも出来る。

 こんな形では、日本は、絶対に海戦で勝利できないであろう。戦争に於いて決定的に重要なのは、資源物資の補給体制である。敵方に中立国商船を通じて資源物資が渡らないようにする重要な手段が、敵港に対する戦時封鎖である。戦時封鎖は、交戦国に認められた極めて重要な権利である。戦時封鎖が行われれば、封鎖された港への出入りは完全に禁止される。封鎖線を突破しようとした船舶は封鎖侵破とされ、その載貨も含めて拿捕没収される。

 日本と戦う敵国は、戦時封鎖権があるので、一定程度の海軍力があれば、自由に日本に対する封鎖線を設定し、食糧も石油も日本に入っていかないようにすることができる。これに対して、日本側にはその権利は存在しないのである。

 結局、普通の中小国と長期戦で戦った場合、日本は徐々に弱っていき、必ず敗北するであろう。補給が効かない日本と、補給が行われる敵国との間では勝負が見えているのである。

三、其の他の不都合

(9)宣戦布告の権利

 交戦権否認の弊害は、戦闘自体、補給戦という問題で現れるだけではない。交戦権の一つに宣戦布告の権利がある。意外に思われるかもしれないが、交戦権を放棄していない国家は、戦力を持っていなくても、宣戦布告することは出来る。宣戦布告して、他国と共同して、自衛戦争や制裁戦争をすることができる。勝利すれば、特に勝利のために金銭的に大きな貢献を行っていれば、講和条約締結交渉にも堂々と出ることが出来よう。嫌な言い方だが、勝ち馬に乗ることも出来るのである。

 これに対して、交戦権を否認した日本は、宣戦布告の権利を持たず、戦争の権利を持たず、勝ち馬に乗ることはできない。それどころか、講和条約の締結権はあるのか、という疑問さえも生まれてくるのである。ただし、締結権の有無にかかわらず、日本が敗北した場合には、敵国が日本を敗者として講和条約締結交渉の場に引きずり出すことになろう。要するに、「日本国憲法」の世界では、日本は勝者になることを予定されておらず、最初から敗者としての立場を割り振られているということであろうか。

(10)捕虜となる権利 

  また、交戦権の一つに、捕虜として扱われる権利がある。交戦権を放棄していない国の正規の陸海空軍軍人は、捕えられたとき、文句なく、捕虜として扱われる権利を有する。しかし、国内法で軍人と認められていない自衛隊員に関しては、どのように敵国は扱うであろうか。もちろん、捕虜の待遇に関するジュネーブ条約(1950年効力発生、1953年日本加入)にほとんどの国家が加入し、日本も加入している以上、国際法的には敵国も自衛隊員を捕虜として扱う必要があろう。政府もそのように解釈している。しかし、敵国が、「あなた方の憲法と法律では自衛隊員は軍人ではありませんね。ですから、こちらとしても、軍人とはみなさず、捕虜として扱いません。単なる犯罪人として扱います」と主張してくる可能性は十分にあるということは考えておかなければならないだろう。

 第9条A項護持がもたらす日本存亡の危機について考察されよ

 ここまで交戦権否認の意味するところについて考えてきたが、通常、否認された交戦権の例としては、占領地行政の権利と臨検・拿捕の権利だけが説かれる。例えば、宮沢俊儀『全訂日本国憲法』(日本評論社、1978年)は、「『国の交戦権』とは、国家が交戦国として国際法上みとめられている各種の権利の総体を意味する。船舶の臨検・拿捕の権利や、占領地行政に関する権利などがこれに属する」と記している。

 占領地行政の権利と臨検・拿捕の権利だけが放棄されるのであれば、大したことはないという錯覚があるかもしれない。だが、小論で見てきたように、交戦国が持つ権利は、他にも多数存在するし、それらの権利の放棄とは、とんでもない事態を招くのである。
 
 しかし、交戦権否認の怖ろしさは、以上では尽きない。その最大の問題は、国内対立が武力対立にまで至った場合に発生する。すなわち、日本政府に対して反乱を起こした団体が、日本の一地方を占拠して政府を組織した場合に、第三国がこの政府を交戦団体として承認すれば、この反乱団体は交戦権をもち中立国に対して色々な要求を行えるが、日本政府は色々要求する権利はないということになるのである。

 今日、一定の現実性を持つのが、中国が半ば公然と推進する沖縄独立運動が大きくなり、沖縄の全部と言わずとも、一部を占拠して「琉球共和国臨時政府」というようなものを組織した場合である。第9条A項を維持していれば、こういう独立政府が中国の支援を受けて各地につくられたとき、これらの反乱団体の方が、日本政府よりも優位な立場に立つ危険性があるのである。内乱を通じて外国の属国及び植民地になるというのはアジアの近代史で何度も繰り広げられて来た歴史であることを忘れてはならない。

 ここまで、細かく、交戦権放棄の意味を考えていくと、第9条A項護持、交戦権否認が日本国家の滅亡につながる可能性についてリアルに実感し、戦慄した。交戦権否認とは自衛権否認と同じ意味をもつのである。逆に言えば、自衛権を肯定するならば、交戦権も肯定しなければ意味が無いのである。

 東京オリンピックが終了し、安倍首相が退陣する2021年以降、尖閣有事又は「琉球共和国臨時政府」などの危険性は格段に高まろう。その時、日本が交戦権を行使できなければ、とんでもないことになろう。それゆえ、2020年代初頭には、第9条A項を始末して交戦権を行使できる国家になっておく必要があると述べておこう。

 軍事や国際法、憲法の専門家には、筆者が論じた問題について考察し、大いに議論していただきたい。そして、これらの問題についてどのように捉えたらよいのか、ご教示をお願いするものである。
                             
                     平成29年7月5日記


   転載拡散歓迎




 

テーマ

注目テーマ 一覧


月別リンク

ブログ気持玉

クリックして気持ちを伝えよう!
ログインしてクリックすれば、自分のブログへのリンクが付きます。
→ログインへ

トラックバック(0件)

タイトル (本文) ブログ名/日時

トラックバック用URL help


自分のブログにトラックバック記事作成(会員用) help

タイトル
本 文

コメント(0件)

内 容 ニックネーム/日時

コメントする help

ニックネーム
本 文
交戦権を持たない国はどうなるか――安倍改憲案に関連して  「日本国憲法」、公民教科書、歴史教科書/BIGLOBEウェブリブログ
文字サイズ:       閉じる