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zoom RSS 渡部昇一氏の逝去、憲法無効論と国際法・憲法

<<   作成日時 : 2017/04/23 12:35   >>

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  渡部昇一氏を悼む

 6 日前、平成29年4月17日、長く保守言論界を牽引されてきた渡部昇一氏が逝去されました。何とも残念です。心から、ご冥福をお祈り申し上げます。

 昨年10月にアパの審査で1年ぶりにお会いした時には、怪我されていたこともあり、随分衰えられたという感じがした。
 渡部氏とは3〜4回お会いしただけである。最初にお会いしたのは、12年前の2005年8月にチャンネル桜の人気番組である「大道無門」に呼んでいただき、「日本国憲法」無効論に関して対談した時である。1時間ほどであったが、私の言いたいことを上手く引き出していただいた記憶がある。30分座っていることが極めて困難であった私は、30分ほど経過したところで10分程度横になっていたことを覚えている。この私の無作法にも、氏は嫌な顔一つせず、柔らかく接していただいた。
 初対面であった私は、氏の物腰の柔らかさに感嘆した。テレビカメラにも慣れておらず、渡部氏という超大物と対談するということで緊張していた私は、氏の柔らかさと質問の上手さに随分助けられたように思う。割と一般的に言えることのように思われるが、大物は大体礼儀正しく、余り尊大にしない傾向がある。氏にも、この原則が当てはまるように思われた。
 また、対談時に、氏は、「日本国憲法」前文の「平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した」について、「安全を外国に依存する国は他にも例が存在するが、生存を他国に任せてしまう国はない」と言われた。その言葉の後半部分にはっとさせられたことを覚えている。
 ともあれ、氏との対談がきっかけで、私の「日本国憲法」無効論は、前よりも知られるようになった。私が最初に無効論を世に問うたのは平成4(1992)年乃至5年の『戦後教育と「日本国憲法」』(日本図書センター、今は学術出版会より)であったが、平成14(2002)年に『「日本国憲法」無効論』を出版し、その直後に『正論』に本の内容を紹介する論考を発表するまでは、全く世の中に知られることはなかった。この本以後、少しは認知度は高くなったが、更に知られるようになったのは渡部氏との対談の動画がネットで一定拡散したことが大きいと思われる。その意味でも、氏には大変お世話になった。

南出無効論と渡部無効論の違い 

氏との対談の時、私以外の無効論者として南出喜久治氏を紹介した。その後、チャンネル桜に対しても南出氏の出演を勧めたこともあった。そのことが少しは力になったのか分からないが、渡部氏と南出氏の対談が行われ、その成果は2007年4月に渡部昇一・南出喜久治『日本国憲法無効宣言』(ビジネス社)として出版された。もっとも、この著書は、主として、南出氏の履歴と理論を紹介するものだった。
 渡部氏の影響力は、南出氏や私とは比べ物にならないほど大きかった。この本がきっかけになって、また氏が南出氏の無効論を一番支持すると言明したことによって、更に無効論一般、特に南出無効論は広がっていったように記憶している。 
 しかし、実は、南出氏の無効論と渡部氏の無効論は異なるものだった。「日本国憲法」を条約と捉えるというところは共通していたが、渡部氏は、入り口条約であるポツダム宣言と出口条約であるサンフランシスコ平和条約の間の中間条約である「日本国憲法」は、平和条約の発効とともに失効したと捉えていたようだ。これに対して、南出氏は、今現在も(むしろ何十年も経過したことによって)条約として有効であると捉え、従って米国などに対してわざわざ破棄通告を行うと主張していた。この南出理論は、わざわざ外国の内政干渉を招き入れることになるものであり、通常の無効論や渡部氏の無効論とは全く別物であった。何とも皮肉なものである。恐らくは、渡部氏は、南出氏の理論よりは、その波乱万丈の人生、生き方に惹かれたのであろう。

 とはいえ、渡部氏が無効論を維持し、折に触れ、その主張を展開したことは、無効論の普及に大きく貢献したことは否めないであろう。残念なのは、氏が無効論の著書を残さなかったことである。もしも氏に無効論の著書があれば、もっと無効論は普及したと思われるからである。

 それはそれとして、私は、歴史戦の勝利のためにも、憲法の正統性を取り戻すためにも、無効論と戦時国際法の研究を深めていきたいと考えている。この10年間「つくる会」の仕事等に忙殺されて無効論の研究を出来なかったが、これから1年間ほどは二つのことに関する研究に没頭するつもりである。没頭しなければならないと考えている。渡部氏の逝去を知って、改めて上記想いを強くしたところである。
 
 「日本国憲法」無効論と国際法・憲法

 無効論と言えば、最近、憲法優位説に立って、ハーグ陸戦条規(陸戦の法規慣例に関する条約の付属文書=陸戦の法規慣例に関する規則)43条違反は無効論の主張の論拠に使えないのではないか、とする議論が行なわれていることを知った。要するに、「日本国憲法」成立過程に国際法違反があったとしても、帝国憲法違反はないのだから、憲法は国際法に優位する以上、「日本国憲法」は無効とはならないというものである。
 別に目新しい議論ではないが、この議論が今更ながら行われていることを知って、憲法・国際法と「日本国憲法」無効論との関係について考えなおしてみた。その結果、少し考えが深まった気がしたので、本ブログに記すことにする。
   
 国際法優位説か憲法優位説かは無意味な議論 

一般論として、国際法優位説か憲法優位説かいずれが正しいかは私の中では結論が出ていない。無効論をめぐる論争では、その結論を出す必要もないと考えている。
 「日本国憲法」が無効か否かという議論にとって、東大・宮沢系の国際法優位説に立つか京大系の憲法優位説に立つか(憲法優位説が多数派という)、などは本質的な議論ではない。無意味な議論である。前者でも、後者でも憲法無効論は成り立つ。
 そもそも、第一に日本占領中に憲法を作れるか、第二に占領中に作れるとしても日本人の自由意思なしに作れるか、ということに関して、国際法と国内法は対立していない。一般国際法(ハーグ陸戦条規)と大日本帝国憲法はともに、二点とも否定する立場である。特別国際法であるポツダム宣言も、少なくとも第二点は否定する立場である。それゆえ、国際法と憲法がいずれが優位なのか、というのは利益のない議論である。
第二点を肯定し、日本人の自由意思なしに憲法を作れると捉える立場を採るとすれば、それはもはや憲法学や国際法学の議論ではない。宮沢憲法学さえも、自由意思が必要だという理論的立場を採っている。

帝国憲法を物差しに考えれば「日本国憲法」は無効となる――自明の事だった

そもそも帝国憲法の立場からすれは、天皇と政府の自由意思が存在せず、帝国憲法の定める手続きを守っていないし、1条から3条・4条まで変えてしまったから、帝国憲法に反しているものとして無効と考えるしかなくなる。
これを有効に持って行くには、国際法優位説に立ち、ポツダム宣言が国民の自由な意思による憲法改正を求めていたから、その通りの改正を行った「日本国憲法」は有効であるという論理しかなかった。何が何でも「日本国憲法」を有効化しなければならない憲法学界では、八月革命説が一番有力であり続けてきた。
逆に言えば、憲法優位説に立つならば、無効論が原則的な立場となるのである。

 帝国憲法による法的判断と国際法による法的判断は基本的に矛盾しない 

では、国際法を物差しに考えれば、「日本国憲法」は有効と言えるのか。いや、有効とはならない。その点をもう少し細かく見ていこう。考え方としては、「日本国憲法」をめぐる事実の領域とそれに対する法的判断の領域に分けて考えていきたい。そして、「日本国憲法」をめぐる諸事実についての法的判断を、帝国憲法を物差しにしたものと国際法を物差しにしたものに分けて論じていき、基本的に、二つの判断は矛盾しないということを述べていきたい。
 
  「日本国憲法」をめぐる主な事実8点

 まず事実の領域であるが、これまでの「日本国憲法」成立過程史研究などで明らかにされてきた事実は、以下の8ポイントにまとめられる。

一、成立過程論
 ➀占領中に作られた、しかも占領初期に作られた−主権のない時に作られた
 A天皇政府の自由意思の欠如……今日では、この点を明確に否定する者はほとんどいない。政府案作成過程における押し付け性は研究されつくした観がある。
 B全文改正の提案
 C議会の自由意思の欠如……明確に議会の自由意思を否定するのは私ぐらいである。ただし、自由意思があったという積極的な研究は存在しない。基本的に、議会審議過程に関する研究は、積極的にサボタージュされてきた。護憲派はもちろんのこと、自主憲法制定派も無効論派も研究を行ってこなかった。多数を占める護憲派や自主憲法制定派は、「日本国憲法」有効論を維持するために、研究を出来るだけしてこなかったのである。
 D議会による原案修正……政府案に対するいろいろな修正が、議会審議過程で行われている。代表的なものが前文や第一条への国民主権明記や、第9条A項の「前項の目的を達するため」の挿入である。
 E議会による改正原案の存在……例えば「日本国民たる要件は、法律でこれを定める。」と定めた第10条や納税の義務を定めた第30条は、政府案には抜けており、議会審議中に提案されたものである。議会が新設した条文は、GHQにとってどうでもよい条文、憲法であるならば当然に必要な条文が多かった。

二、内容論
 F帝国憲法1〜4条改正……帝国憲法1〜3条乃至4条は国体規定であり、全く改正できないというのが少なくとも戦前期の多数派の立場であった。それゆえ、成立過程と関係なく、「日本国憲法」無効論が出てくることになる。
 G九条A項……自衛戦力の保持は自然法の命ずるところでもある。従って、成立過程の評価と関わりなく、第9条A項無効論が出てくることになる。以下の議論では、「日本国憲法」全体の無効とは必ずしも繋がらないGの事実については論じないことにする。


 美濃部−宮沢系と佐々木系――共に憲法制定権を外国に譲り渡す

 8点のうち最も重要な事実は、AとCである。先に言ってしまえば、この自由意思の欠如という最重要の事実を法的にどう判断するかという点では、国際法と帝国憲法は矛盾しない。いずれの立場からしても、日本側の自由意思が基本的に存在することが必要となり、日本側の自由意思なしに作られた「日本国憲法」は無効となるしかないのである。
 少し、「日本国憲法」成立過程史及び戦前戦後の憲法史及び解釈史を振り返っておきたい。連合国に占領された当時、戦前憲法学を代表した3名の学者が存在した。清水澄、美濃部達吉、佐々木惣一の三名である。
 清水は、政府案作成過程では枢密院副議長を務め、帝国憲法改正案が議会を通過した後の枢密院では議長を務めていた。立場上からか、枢密院では反対したわけではないが、「日本国憲法」成立に反対であった。清水は、昭和22年5月3日の「日本国憲法」施行日に遺書を認め、9月に「日本国憲法」に抗議して自殺している。
 二人目の美濃部も、枢密顧問官を務めていたが、政府案審議の枢密院では明確に反対し、議会通過後の枢密院では欠席して、「日本国憲法」反対の意思を示した。美濃部は内容面からも手続き面からも「日本国憲法」に反対であった。
 三人目の佐々木は貴族院議員を務めていたが、日本の自主性について疑問を提示し、昭和21年4月に行われた総選挙に於いて政府原案がきちんと示されなかったことを問題にし、政府案撤回を迫っていた。そして、最終的にも、「日本国憲法」に対する反対投票を行っている(拙著『戦後教育と「日本国憲法」』1992年、学術出版会、参照)。
 ともかく、3者とも、「日本国憲法」に反対であった事実を確認しておきたい。3者とも無効論を唱える気はなかったと思われるが、占領下にあった日本では、無効論を唱える自由はなかった。井上孚麿(無効論の元祖)は、帝国憲法改正の不要を占領下で記したが、出版禁止となった。
 自殺してしまった清水を除く2名、即ち美濃部と佐々木は、成立してしまった「日本国憲法」に対してどういう態度をとったか。その成立過程と内容に疑問を持ちながらも、いったん成立してしまえば、その合理化に乗り出すのが憲法学者の業というものであろうか。美濃部−宮沢系の学者も、佐々木系の学者も、その合理化、有効化に乗り出していく。
 美濃部--宮沢系はACの自由意思の問題にこだわり、有効論を唱えるために、八月革命説を発明し、二つの歴史偽造を行い続けている。ポツダム宣言は無条件降伏を規定したもの、議会の自由意思が存在した、という二つの嘘である。
 佐々木系は、ACの問題をスルーした。佐々木自身は帝国議会で自主性の問題を指摘していたにもかかわらず、佐々木以後の学者たちはスルーしたのである。そして、憲法改正無限界説に基づき、有効論を唱えたのである。
 要するに、両系統とも、自虐史観派であり、事大派である。共に歴史の正確な史実に向き合おうとしない。特に歴史を偽造する美濃部・宮沢系がそうである。また両系統とも、日本側に自由意思が存在しなかった事実に正面から向き合おうとはしない。つまり日本側が保つはずの憲法制定権を外国に渡していくのである。此の点では、自由意思が必要だと理論的には捉える美濃部・宮沢系よりも、佐々木系のほうがひどい。佐々木惣一そのものは違うかもしれないが、その後の佐々木系学者たちは、自由意思が必要だという理論そのものを確立しなかったからである。
 
 ➀AC―――占領下での憲法改正は帝国憲法違反、一般国際法違反

 では、8点の事実に対する法的判断はどうなるか。帝国憲法を物差しにすればどうなるか、国際法を物差しにすればどうなるか、見ていきたい。物差し自体に対する解釈が、美濃部・宮沢系と佐々木系で異なるので、両派による違いにも目を配り、見ていきたい。
 まず、最も重要な事実である➀ACに対して、法的判断を下せばどうなるか、見ていきたい。戦後憲法学の大きな欠点の一つが、制定法至上主義である。これは、佐々木惣一以来の京大学派の欠点である。この欠点は、美濃部−宮沢系にも伝染している。
 この制定法至上主義から、占領中に憲法改正してはいけないと帝国憲法に書いていないから、占領中に日本側の自由意思を尊重せずに憲法改正が行われても無効ではない、と説く者がいるという。
 しかし、実は、余りにも当たり前のことは法律や憲法には書かれることはない。独立国の憲法はその国の自由意思でつくるということは、国際法にも帝国憲法にもストレートに書かれていない。余りにも当たり前だからである。ただし、この趣旨に一番近いことは、一般国際法たる陸戦条規第43条に書かれている。また、フランス第四共和制と第五共和制の憲法には、ストレートに占領下における憲法改正の禁止がストレートに書かれている。さらに言えば、帝国憲法第75条は、「憲法及皇室典範ハ摂政ヲ置クノ間之を変更スルコトヲ得ス」と規定している。これは、統治者の自由意思が欠落する時には憲法や典範は改正できないという趣旨の条文である。占領中には尚更、統治者の自由意思が欠如することになるから、この場合にも憲法や改正の改正はできないことになると解釈できることになる。それゆえ、「日本国憲法」が占領下に作られた事実(➀AC)は、陸戦条規第43条という一般国際法に違反するし、帝国憲法にも違反すると判断できるのである。
 しかし、本来、陸戦条規43条やフランス憲法、帝国憲法第75条があろうとなかろうと、他国の憲法に手を出すべきではないという国際法と、自国の憲法は自国の自由意思で作るべきであるという憲法が存在するのである。他国の憲法に手を出すべきではないという国際法が守られている間には、フランス憲法のような規定は不要であった。フランスはナチにビシ―憲法を「押し付け」られて初めて、自国の憲法は自国の自由意思で作るものであるという法理を再確認し、占領下の憲法改正禁止を規定したのである。
 このように考えられるのが、国際法学者であり、憲法学者である。その意味で、日本には憲法学者も国際法学者もいないのかもしれない。このように考えられないのは、制定法主義の弊があるからであり、自虐史観に基づき独立国の思想が分からくなっており、従って国際法学と憲法学の根本(いや法学の根本)が分からなくなっているからである。

 バーンズ回答は、占領末期に政体規定の改正を要求したもの
 
  以上、➀ACの事実が帝国憲法違反であり、一般国際法違反であることを確認してきたが、ここに特別国際法たるポツダム宣言及びバーンズ回答に違反する否かを見ておかなければならない。
 ポツダム宣言は全く憲法改正を要求するものではなかったが、バーンズ回答は、一応、憲法改正を要求するものと捉えることが出来る。少なくとも、これまで私はそのように捉えてきた。バーンズ回答第五項と第六項は、次のように述べている。

第五項 日本国の最終的の政治形態は(The ultimate form of government of Japan)、「ポツダム」宣言に遵い、日本国国民の自由に表明する意思に依り決定せらるべきものとす。

第六項 聯合国軍隊は、「ポツダム宣言」に掲げられたる諸目的が完遂せらるる迄、仁保国内に留まるべし。


 上記第五項の訳文についてコメントすれば、「form of government」は政体という訳(国体と区別された)が正解である。わざと、国体規定に手を付けた「日本国憲法」を合理化する為に、国体をも含めることができる政治形態という訳語があてられている。
 また、第五項と第六項を続けて読めば、占領末期に国体と区別された意味の政体を「日本国国民」の自由意思によって決定することを謳ったものと読むことができる。政体を決めるわけだから、憲法改正問題が浮上することになるのである。
 しかし、実際には、占領初期に(➀)、議会や政府の自由意思を蔑ろにして(AC)、国体規定にまで手を付けた(F)憲法が作られた。つまり、最も重要な事実である➀ACに対しては、ポツダム宣言及びバーンズ回答に違反しているという法的判断が出て来るのである。結局、➀ACの事実は、帝国憲法に違反するだけではなく、国際法総体にも違反する。私が、憲法優位説か国際法優位説かという論争は意味が無いといったのはこういうことなのである。

 ハーグ陸戦条規とポツダム宣言及びバーンズ回答の関係

  ここで、一般国際法たるハーグ陸戦条規第43条と特殊日本に当てはまる特別国際法たるポツダム宣言及びバーンズ回答の関係について見ておきたい。
 宮沢系学説は、ハーグ陸戦条規第43条は戦闘が継続している間の占領地に関する規定であるから、日本の場合には全く適用はないと捉える。そして、日本の「日本国憲法」成立過程は、西ドイツのボン基本法やフランス憲法の場合と比較して論じるべきケースではないとする。宮沢系と連動した動きをし続けた高柳賢三に至っては、自らが会長を務めていた内閣憲法調査会の報告書の中で、日本の憲法成立の比較対象は、植民地であった東南アジアが独立していく過程で宗主国との交渉の中で作り上げていった憲法であるとまで言う。日本という独立国家であった国の憲法問題と植民地であった国の憲法問題を同列に論じるのである。宮沢系の人達も、高柳も、本当に正気を失っているとしか思えない考え方をしていることに注目されたい。
 宮沢系と正反対の考え方をするのが、「日本国憲法」無効論の元祖である井上孚麿である。井上の『現憲法無効論』(日本教文社、昭和50年)によれば、ハーグ陸戦条規は一般国際法であるが、ポツダム宣言及びバーンズ回答は条約に過ぎず、特別国際法ではない。だから、ハーグ陸戦条規に反することは全面的に出来ないと捉える。付言すれば、一般に佐々木系の系譜と言える自主憲法制定派は、そして無効論派もハーグ陸戦条規違反のみを強調する。ポツダム宣言の分析はそうでもないが、バーンズ回答の分析が弱い。
 これに対して、私は、ハーグ陸戦条規は一般国際法、ポツダム宣言及びバーンズ回答は特別国際法と捉える。従って、ポツダム宣言及びバーンズ回答が明確に規定している事柄については、ハーグ陸戦条規よりも優先する。規定していない事柄については、ハーグ陸戦条規43条の趣旨に従う形で物事を考える。その趣旨に従うならば、占領期に憲法改正するにしても、比較的冷静な判断もできるようになり、日本人の自由意思も比較的発揮されやすい占領末期に行わなければならないという解釈が出てくる。また、一般国際法からすれば、占領下の憲法改正は不能なのだから、国体政体のすべてではなく政体規定だけが改正可能であるというふうに限定しなければならなくなる。
 そして、《他国の憲法に手を出すべきではない》という一般国際法の趣旨からして、ポツダム宣言及びバーンズ回答を解釈する際、議会と政府の自由意思が十分保障されなければならないという解釈がでてくることになるのである。いや、そもそも、米国などがポツダム宣言及びバーンズ回答に「日本国国民の自由に表明する意思」と入れたのは、一般国際法を意識してのことだったのである。

 《天皇政府の自由意思の欠如》は佐々木系学説を否定する
 
  ここまで、➀ACを一括して論じてきたが、個別A《天皇政府の自由意思の欠如》と個別C《議会の自由意思の欠如》の事実と、その法的判断について説明しておきたい。
 美濃部・宮沢系の説によれば、ポツダム宣言及びバーンズ回答に存在する「日本国国民の自由に表明する意思」とは、天皇を除く狭義の国民の自由意思のことを指している。つまり、美濃部・宮沢系の説に於いては、国民の代表としての議会の自由意思が最も問題となるのである。
 これに対して、佐々木説では、全日本人の自由意思、あるいは日本側の自由意思のことを指している。従って、佐々木説に於いては、帝国憲法第73条の趣旨に従い、第一に天皇政府の自由意思が、第二に議会の自由意思が重要となるのである。
 周知のように、昭和30年代前半ぐらいまでは、天皇政府も議会もその自由意思が存在していたとされていた。従って、美濃部・宮沢系の学説も佐々木系の学説も存続することが出来た。ところが、昭和30年代の内閣憲法調査会による「日本国憲法」成立過程史の研究により、完全に天皇政府の自由意思は否定されてしまった。それゆえ、佐々木系の学説は一挙にすたれてしまった。

 議会に自由意思があったと歴史偽造する宮沢系学説
 

  これに対して、美濃部・宮沢系の学説は、通説又は最有力の位置を占め続けてきた。Aの天皇政府の自由意思が否定されても平気であった。彼等言うところの「八月革命」によって憲法制定権を握ることになったとされる国民の代表としての議会の自由意思さえ否定されなければ、生き残り続けられるからである。そこで、美濃部・宮沢系憲法学者やその影響を受けた政治学者や歴史学者、そして護憲派は、二つの歴史偽造を行った。一つは、必要とされる自由意思のレベルを下げるために、ポツダム宣言は無条件降伏を規定したという出鱈目な解釈を行い、その嘘解釈を学校教育で拡散してきたことである。無条件降伏したのだから、自由意思と言っても大したものではないですよ、と言うためである。何ともすさまじい歴史偽造である。
 二つは、議会審議で最も重要な役割を担った衆議院憲法改正小委員会の議事録を秘密議事録として一般公開されないようにするなど、議会審議の研究が進展しないようにしてきたことである。この議事録は、1995(平成7)年になってようやく一般公開されたが、それでも、議会審議の研究は、一向に進展していない。Cの議会の自由意思が否定されないように、研究そのものをサボタージュしているのである。このサボタージュという点では、多少ましではあるが、佐々木系も自主憲法制定派も同様ではある。
  ともかく、美濃部・宮沢系の学説とは、歴史偽造をし続けなければ生き残れないものであることを確認しておきたい。そして、この歴史偽造は、《日本が無条件降伏させられたのは侵略戦争を行ったばかりか極悪な戦争犯罪国家であるからである》と戦争史に関する歴史偽造を招来するのである。
  結局、もう一度言うが、帝国憲法からしても、国際法からしても、➀ACの事実を基に判断すれば、「日本国憲法」を無効と判断するしかなくなるのである。

 憲法改正手続きと帝国憲法、ポツダム宣言及バーンズ回答 

  ここまで最も本質的な事実である➀ACについて見てきたが、次に➀ACの事実を視界から消して憲法改正手続きに注目していこう。手続きとして重要なポイントは、B《全文改正の提案》、D《議会による政府案修正》、E《議会による改正原案提出》の三点である。
 帝国憲法という物差しから、この三点に対する評価を行おう。帝国憲法改正の手続は帝国憲法第73条に規定されている。Bから言えば、帝国憲法全文を改正することは、いかなる憲法解釈からしても許されなかった。全文改正を認める学説は全く存在しなかった。
 次にDであるが、議会による政府案修正は、美濃部説では可能であるが、佐々木説他多数説では不可であった。最後にEであるが、議会による改正原案提出は、美濃部説も含めて、全ての学説が不可としていた。結局、この三点だけに注目しても、「日本国憲法」は帝国憲法違反であるといえるのである。特に、憲法優位説の立場を採り、3点すべてを憲法違反と捉える佐々木説からすれば、「日本国憲法」無効論を採るしかなくなることに注意されたい。
 次に国際法という物差しから、三点に対する評価を行おう。一般国際法からすれば、そもそも占領中の憲法改正は不可であるから、細かく検討するまでもなく、三点の事実は一般国際法違反である。
 ポツダム宣言及バーンズ回答という特別国際法からすれば、DEはそもそも問題にするところではなく、Bだけが問題となる。Bについて言えば、全文改正を行うということは帝国憲法第1条から3条乃至4条までの国体規定にまで手を付けることになるから、特別国際法違反ということになろう。つまり、自由意思の問題と切り離して手続きだけに注意して評価してみても、帝国憲法から判断した場合だけではなく、国際法から判断しても、「日本国憲法」無効論に行きつかざるを得なくなるのである。

 憲法改正限界説か無限界説かに議論を矮小化した憲法学界

  Bと関連して、Fについて検討すれば、前述のように、帝国憲法第1〜3条乃至4条は国体規定であり、絶対に改正できないというのが美濃部他の多数派・通説の立場であった。つまり、憲法改正限界説が通説であった。これに対して、国体規定に手を付けることを黙認する学説が存在した。佐々木説である。黙認するとは言っても、佐々木は国体継続を望んでおり、だからこそ、憲法改正議会では、貴族院議員として国体規定は変更できないではないかと述べていた。だが、佐々木は、美濃部と異なり、国体規定改正は不可であるという帝国憲法第73条解釈を打ち立ててはいなかった。
 したがって、Fだけに焦点を絞れば、美濃部説では、帝国憲法第1〜3条乃至4条にまで手を付けた「日本国憲法」は帝国憲法違反で、無効憲法となる。これに対して、佐々木説では、第1〜3条乃至4条に手を付けることは可能となるから、「日本国憲法」は帝国憲法に違反していないことになり、有効憲法となるのである。
 最初の方で述べたように、佐々木も美濃部も、「日本国憲法」成立過程では、「日本国憲法」に反対していた。しかし、成立してしまってからは、両者とも、「日本国憲法」有効論の形成に力を入れていく。
 有効論を展開するために、美濃部・佐々木両系統の学者たちはどうしたか。前述のように、佐々木系の学者たちは、自由意思の問題は扱わず、問題の焦点を、憲法改正限界説か無限界説かに矮小化した。そして、憲法改正には内容的に限界がないのだから、「日本国憲法」は有効であるとした。佐々木系の学者たちは、「日本国憲法」成立過程には国際法違反の事実がかなり存在するが、憲法が国際法に優位するから、「日本国憲法」有効論は成立するとしてきたのである。
 これに対して、美濃部・宮沢系の学者たちも、問題の焦点をまず憲法改正限界説か無限界説かに矮小化した。そして、憲法改正限界説の立場から、「日本国憲法」を帝国憲法違反の産物と捉えた。そうなると、普通の考え方からすれば、「日本国憲法」は無効となる。それはまずいと考えた彼らは、国際法優位説に立ち、ポツダム宣言無条件降伏要求説を作り上げ、ポツダム宣言の「日本国民の自由意思」を足掛かりに「八月革命」を虚構し、議会の自由意思が否定されないように歴史偽造を行ってきたのである。

 しかし、美濃部系も佐々木系も、いずれの態度も極めておかしいものである。前述のように、法的判断で一番の問題は、第一に日本占領中に憲法を作れるか、第二に占領中に作れるとしても日本人の自由意思なしに作れるか、という事柄である。更に、ここまでの展開から明らかなように、事実認定の領域の問題であるが、第三に、そもそも、「日本国憲法」成立過程に於いて日本人の自由意思(特に議会の自由意思)はあったのか、ということも大きな問題である。
 この三点に焦点を絞った議論が、憲法学界や国際法学界、政治学界、歴史学界などで行われることを望むものである。

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