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zoom RSS 自己の体力との付き合い方につて(2017年1月16日)

<<   作成日時 : 2017/01/16 12:43   >>

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 頭が殴られたような感じ

 1月13日、上京した。滞在時間は5時間程度、そのうち会議に4時間強を費やした。13日の夜は疲れ過ぎて帰りの新幹線内と同じく朝5時過ぎまで眠れなかった。14日は、テレビをぼんやり見て11時過ぎに治療を受けるために出かけた。1時前に帰って来てから、ぼーっと過ごした。東京行きの後はいつものことだが、頭が殴られたような感じである。頭が働かない。新聞を読んでも全く頭に入ってこない。理解できないのだ。

 15日は、頭を殴られた感じがかなり減少したが、その意味では体が回復してきたのだが、頭痛がし、耳鳴りが始まった。この日も、横になって過ごした。

 本日、16日朝は、一昨日、昨日と比べると、大分回復してきた。今日からは、中断していた立作太郎『戦時国際法論』(昭和19年版)の読書に取り掛かるつもりである。ただ、数日間中断してしまったから、すんなり取り掛かれないかもしれない。
 
 退職後の変化

 さて、勤めていた時は、一コマの授業の後がいつも、頭が殴られたような感じだった。腰と首が痛くて、長椅子に横になっていた。そして、それ以上に、頭がぼーっとなって、頭が殴られたような感じとなっていた。それゆえ、大学には無理にお願いして、二コマ連続の授業とならないように時間割を組んでもらっていた。会議や授業の疲れを取るために最低2日、時には3日の休養が必要で、一応リフレッシュしたうえで次の週の仕事に向かっていた。

 退職後、昨年秋頃まで、異様に長い昼寝時間となった。特に、平成26(2014)年は当たり前に夜睡眠をとったうえで、平均的に、3時間、1時間、1時間の3回程度、計5時間昼寝をするようになった。その後3時間という分が徐々に減っていったが、勤めていたころと同じく、何度も昼寝をしたうえで資料読みと原稿書きをしてきた。

 退職後一番良くなったのは、座っておれる時間が長くなったことである。在職中は30分座っていることが難しかったが、昨年ぐらいから1時間ほどじっとしていることは普通に可能となった。とはいえ、トータルで腰痛が良くなったわけでもない感じである。

 意外だったのが、思ったよりも首痛が減少しなかったことである。退職して授業をしなくなったから、首が一番辛かったのは授業中及び授業後であったから、退職後には劇的に首の痛さ、辛さが軽減すると考えていた。しかし、ほとんど毎日、首の辛さに悩まされ続けている。一応、首や腰の治療を行って現状維持を図っている。

 退職後も、在職中と同じく、言ってみれば、寝たり起きたりの生活の中で、自分が遂行すると決めた仕事をしてきた。寝たり起きたりと言っても、家できちんとペースを守っていけば、在職中とは異なり、かなりの仕事をこなすことが出来る。

 東京行きを減らすこと

 ところが、東京に一度行くとなると、最低、当日と帰った後の2日間は完全につぶれてしまう。帰った後の2日間は休養のために使わなければならないのであるが、3日目になって反って疲れが出ることがあるから、2日間の休養が3日間か4日間に延びることもよくある。何回か、東京行きがきっかけで風邪をひいたこともある。結局、最低3日間、平均的には4〜5日間は、自分の進めている仕事は中断してしまうことになる。私が自己に課した仕事をこなしていくには、4〜5日間の中断は非常にイタイことである(もちろん、自己に課した仕事と関連した上京も一定あるのだが)。

 昨年10月アパの審査で上京した時は、2時間少しの滞在時間だったから翌日体がいつもより楽だったので少し自己の体力について強気になった。が、京都に帰って2日目、3日目ぐらいから疲れが出て風邪をひいてしまい、びっくりした。やはり慎重に自己の体と付き合わないと碌なことはないと、改めて思った。

 何と言っても、帰ってきた後の2、3日間の体の辛さから、もう行きたくないといつも感じてしまう。頭を殴られたような感じは毎度のことだが、そのたびに、行きたくないと強く思うのである。体が回復してくると、その思いは弱くなるのだが、東京行きを減らさないと、私は、自分のすべき仕事をほとんど出来なくなってしまうだろう。 

 体の辛さは、人に訴えてもほとんど通じない。そんな話を人は聞きたくないし、聞いたとしても人の体のことはわからない。いろいろ配慮を求めても、結局は無視される。私としては、エゴだと思われようと、東京行きを減らしていくつもりである。その方が、結局は人に迷惑が掛からないからである。

 2015年秋から異常に東京行きが増えた

  私の東京行きはいつから増えたのであろうか。2015(平成27)年夏の教科書採択戦で「つくる会」は惨敗した。その後解散も考えられたが、結局存続方針が決定した。秋には、存続問題・組織問題で何度も理事会が開かれ、私はそのすべてに出席した。丁度併行して『安倍談話と歴史・公民教科書』執筆のための基礎作業をしていた私は、本ブログでも記してきたように、多くの「つくる会」効果を発見あるいは再確認し、歴史戦との関係からも「つくる会」は存続しなければならないとの結論を出し、存続すべき理由をまとめていった。従って、存続という結論が出たときにはほっとしたことを覚えている。

 この2015年秋以来、私の東京行きは急増した。それまでは2月に1度くらいだったのが、1月に2度弱に増えた。4倍弱くらいに増えたのである。

 戦時国際法の研究会があるので2月に1度に戻すことは無理だし、研究会のために上京するのは私にとって有意義なことなのだが、せめて1月に一度に減らさなければと強く考えている。

又、潰れるわけにはいかない 

  振り返れば、本ブログで記したこともあるが、30代に研究に力を注ぎすぎたことから、1990年代に一度体を壊してしまった。40代初頭の事である。体力は3分の1から5分の1に減少し、40代は全く研究することが出来なかった。1990年代以来ほうぼうの治療を試み、そして寝たり起きたりの生活をする中で、少しずつ体力を回復させてきた。今は、何とか30代の4割程度に回復したか(?)という気がしている。それでも、人の半分程度しか活動できない自分がいる。

 又もう一度、潰れるわけにはいかない。強く自分に言い聞かせ続けてきたし、改めて強く言い聞かせることにした。

早く戦時国際法の原理と体系を掴まねばならぬ

  ともかく、無理せず、一定のペースを守って、『安倍談話と歴史・公民教科書』のあとがきで記したように、満州事変から昭和27年4月28日までの出来事―――戦争自体、「南京事件」など、「日本国憲法」、東京裁判他―――を斬るべき一つの物差しとしての戦時国際法の原理と体系を早く掴まえていきたいと考えている。うまく自己の体力と気分をコントロールして、この作業に本格的に取り組み始め、やり遂げたいと強く思ったところである。


  転載不可……誰も転載しようとは思わないだろうが、100%私的な事柄なので、敢えて記すこととする。



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