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zoom RSS 著作権を侵害され裁判を起こそうとしている人たちへの助言――『歴史教科書と著作権』を著して

<<   作成日時 : 2016/12/23 12:03   >>

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   いよいよ本日、『歴史教科書と著作権――育鵬社歴史教科書事件判決を批判する』(歴史教科書と著作権研究会発行、三恵社発売)が発売される。この本は、平成25(2013)年4月から27年9月まで行われた育鵬社歴史教科書事件裁判の一審と二審の過程を追いかけ、二つの判決に対する批判を試みた書物である。

 反省すべき点が多々存在する

 私は、この育鵬社歴史教科書事件裁判に対しては、一審の前半(平成26年2月ごろまで)と二審全体(27年1月から9月まで)に関わった。一審の後半についてだけは、諸般の事情からほとんど関与できず、裁判の行方を掴むことがほとんどできなかったが、二審判決確定後に裁判記録を読み進め『歴史教科書と著作権』を著すことを通じて、裁判全体の経過を把握することができた。

 裁判経過と一審二審判決を検討してみて、改めて判決の論理の出鱈目さを確認した。だが、同時に、多岐にわたって、ああすればよかった、こうすればよかったと考える反省点が幾つも見付かった。そこで今回は、その反省点をまとめておきたいと考える。今回のブログ記事が、著作権を侵害された人たち、著作権裁判を起こそうとしている人たちの参考になれば幸いである。

 複製権侵害も主張すること

 時系列に沿って反省点を探っていこう。最初の失敗は、翻案権侵害だけを主張し、複製権侵害を主張しなかったことである。もちろん、著作権侵害を主張した47箇所で目立ったのは翻案権侵害であったが、複製権侵害に当たる箇所も多数存在した。ところが、我々は翻案権侵害の主張だけで十分に勝訴できるという油断もあって、複製権侵害を主張しなかったのである。

 これが、理論的には最大の失敗であった。翻案権侵害しか主張しなかったから、一審裁判所は、翻案権侵害の判決として最高の権威である江差追分事件最高裁判決の論理だけをもっぱら適用することとなった。江差追分事件最高裁判決は翻案権侵害を認めなかったケースだから、江差追分事件最高裁判決の論理を用いることは、必然的に育鵬社歴史教科書事件においても著作権侵害を認めないこととなったのである。

  しかし、判例によれば、複製とは以下のようなものである。

 著作物の複製(著作権法21条、2条1項15号)とは、既存の著作物に依拠し、その内容及び形式を覚知させるに足りるものを再製することをいう(最高裁昭和50年(オ)第324号同53年9月7日第一小法廷判決・民集32巻6号1145頁参照)。ここで、再製とは、既存の著作物と同一性のあるものを作成することをいうと解すべきであるが、同一性の程度については、完全に同一である場合のみではなく、多少の修正増減があっても著作物の同一性を損なうことのない、すなわち実質的に同一である場合も含むと解すべきである。  (通勤大学法律書コース事件一審判決《平成17年5月17日》、二審判決《平成18年3月15日》)

 二番目の傍線部から知られるように、複製権侵害は、デッドコピーの場合はもちろんのこと、酷似している場合には十分に主張できるのである。いや、数々の裁判を検討してみると、酷似と類似との中間ぐらいの場合も複製権侵害が認められるケースがあるのである。しかも、実は、複製権侵害の方が翻案権侵害よりも認められやすい傾向にあるようだ。それゆえ、一審段階から複製権侵害を主張していれば、一審判決も江差追分事件最高裁判決の論理だけを振り回すことはなく、10箇所ぐらいの著作権侵害を認めていた可能性も少しはあったと思われる。

 複製権侵害を主張しなかったことと関連して、原告側はデッドコピーの存在を指摘しなかった。この点も失敗だったと言えよう。
 
 一般不法行為も主張すること 

提訴段階での二つ目の失敗は、一般不法行為の存在を主張しなかったことである。一件しか例がないが、著作権侵害ではないが不法行為に当たるとする判決が存在する。上記の通勤大学法律書コース事件二審判決(平成17年5月17日)である。一審判決では翻案権の侵害は認めず3件の複製権侵害だけを認めていたが、二審判決ではその複製権侵害も否定し、その代わりに不法行為成立を認めたのである。

 従って、著作権侵害だけではなく、同時に不法行為成立も主張すべきだったと言えよう。事実、多くの裁判では、翻案権侵害、複製権侵害と共に、一般不法行為も主張されている。

控訴審では翻案権侵害だけではなく、複製権侵害と一般不法行為も主張したが、既に時遅く、控訴審判決は、翻案権侵害かどうかという点にのみ焦点を当てて、育鵬社側を勝たせたのである。

 著作権侵害箇所は絞り込んだ方がよい?

 論理的には失敗と決めつけるわけにはいかないが、著作権侵害箇所を47もあると主張したことも、提訴段階の失敗であった。これが三つ目の失敗である。47箇所盗作されたと指摘したうえで、このうち少なくとも10箇所は著作権侵害に当たると主張すべきであったという気がしている。あるいは、47箇所云々は言わずに、単に10箇所は著作権侵害に当たると主張すべきであったと思われる。

 47項目も指摘したため、労力の観点からいって、裁判所の1項目ごとの判断が極めて雑になってしまった。何しろ、裁判所は、まず、47項目について扶桑社版と育鵬社版とを比較検証しなければならなかった。これだけで47×2=94件の基礎作業が必要となる。

 しかも、被告側は、「縄文時代」なら「縄文時代」について各項目ごとに平成8年版から23年版までの中学校歴史教科書25冊(扶桑社版、育鵬社版を含む)の記述を並べた乙45号証を提示した。従って、裁判所としては、真面目に検討するとすれば、47×25=1175件もの教科書検討作業を行わなければならなくなった。これ以外に高校教科書なども比較材料として検討しなければならなくなったから、労を厭わない真面目な裁判官であったとしても、到底きちんとした比較検討作業はできるわけがない状態となってしまった。結局、裁判官は、扶桑社と育鵬社との比較はそれなりに真面目に行ったが、東京書籍や教育出版など他社の教科書記述をきちんと検討せずに、扶桑社も育鵬社も東京書籍や教育出版などと同様のことを書いており、特に個性のある記述ではないと判断していったのである。

 ともかく、裁判官の労力を考えて、裁判官に真剣に検討してもらうためには、一審では10項目以下に絞るべきだったと思われる。

 もちろん、教科書以外のケースでは、1項目ごとに25もの比較材料が出てくることはない。しかし、大げさに言えば、1項目でも著作権侵害が認められれば、原告側の勝利ともいえる。従って、今回の裁判が教科書裁判ではないとしても、著作権侵害と主張する箇所を10項目程度に絞るべきだったと言えるのかもしれない。

  論理的には原告敗訴の理由とは言いにくいが、この三つ目の理由は、実際上、一つ目二つ目の理由よりもはるかに大きな意味を持ったように思われる。

 相手側証拠に対する批判をきちんと行うこと

 一審の裁判過程に入ると、ここでもいくつかの失敗を行っている。本書の第三章で述べているように、被告側を勝利に導いた証拠には、前述の乙45号証、国史大辞典や高校教科書などの写しを集めた乙3〜20号証等、育鵬社歴史教科書を実際に執筆したと称する中学校教員の陳述書である乙42号証の三種が存在した。しかし、三種とも、余りにも出鱈目な証拠すぎたこともあり、原告側はこれらの証拠の分析と批判をきちんと行わなかった。これが四つ目の失敗である。しかし、一審判決は、三種の証拠を信用し、これらの証拠を根拠に、被告側を勝たせたのである。

 依拠性問題、創作性問題への意識を高く持つこと 

五つ目の失敗は、あくまで、被告や実際に教科書を執筆したと称する中学校教員に対する尋問を追求し続けなかったことである。平成26年夏、裁判所から、著作権侵害論の判決と損害論(責任論)の判決を分けて、侵害論の中間判決を先に出したらどうかとの提案があった。早く裁判を終わらせたいと考えていた原告側は、負けるわけがないという油断もあり、この提案を受け入れ、被告本人尋問が行われなくなってしまった。結局は、中間判決という形式はとられず、通常の終局判決が出されたのであるが、被告本人尋問が行われなかった結果、どのように育鵬社教科書が作られたのかという重要な問題の掘り下げが行われなくなってしまった。

 もしも、被告本人尋問や中学校教員に対する尋問を行い、育鵬社版の作り方が具体的に明らかになり、例えば「稲作開始」の個所では扶桑社版を丸写ししたうえで少しだけ字句を変えたことが明確になっていたならば、原告勝訴の確率はかなり高くなっていたように思われる。従って、この五つ目の失敗も、実質上、原告敗訴の大きな理由である。

 ネットの論文で著作権裁判に詳しい人が「中間判決の提案には気を付けろ」と書いていたことを思い出すが、本当にそのように思う。

  この五つ目の失敗は、依拠性の問題に対する意識の低さに由来する。原告側は、今から振り返ると、著作権侵害を認定する場合に問題となる依拠性、類似性、著作物性(創作性)の三点のうち類似性に対する意識は高かったが、依拠性と著作物性に対する意識が十分ではなかったように思う。依拠性問題への意識が低かったからこそ、育鵬社がどういう教科書の作り方をしたのかという問題を十分に追求せず、被告本人尋問等を実現するための努力を怠ってしまったのだと言えよう。

  そしてまた、類似性問題に対する意識のみ高く、著作物性(創作性)問題への意識が低かったからこそ、著作権侵害箇所を絞り込むことができず、47箇所も著作権侵害を主張する失敗を犯したのだと言える。47項目のうち少なくとも数件は、類似性は高いが創作性が低いものであり、被告側からすれば攻めやすい項目であったといえる。例えば「摂関政治」などの項目がそれに該当する。

 比較対照表の作り方を工夫せよ 

一審では以上の五つの失敗をしたが、控訴審でも、三つ目の失敗と同じことをした。控訴審段階でも、21項目もの著作権侵害を主張した。21項目も主張すれば、控訴審裁判所は、21×25=525件もの教科書検討作業を行わなければならず、一審と同じく、きちんとした教科書比較を行うことが極めて難しくなったのではないだろうか。せいぜい、5項目ぐらいに絞るべきだったのではないか。5項目に絞ったところで、裁判官には5×25=125件という多くの教科書検討作業が必要であったことになるが、525件と比べれば、正確な比較検討、正確な判断ができたのではなかろうか。

 最後に指摘すべきは、失敗とまでは言えないが、少なくとも不十分だったのが、扶桑社と育鵬社の教科書記述比較対照表の作り方である。表の作り方については不十分な点があったように思う。原告側は類似性に対する意識を高く持ち、文章自体と【事項の選択】の面で互いに類似している範囲を選択して、比較対照表を作った。だが、その類似部分が創作性を持っているかどうか、そしてどのようにその創作性を説明できるかという点については、意識が少し不足していたように思われる。もちろん、原告側が勝訴した他の裁判の例でも、創作性の説明が不十分であるという例は多数存在するし、創作性の説明ほど難しいものはない。しかし、創作性の証明は原告側が行わなければならず、創作性に対する意識をもっと高く持って比較対照表を作っていれば、そして一審と控訴審を闘っていれば、もう少し何とかなったのではないか、という思いが少し残っている。

 この意識を高く持てば、どのように具体的に比較対照表の作り方が変わったかということまで示すことは出来ないし、ほとんど変わらなかったとも思われるが、著作権侵害箇所の範囲をどのように画するかで、著作権侵害が認められたり認められなかったりすることは事実である。
 *高部眞規子「著作権法の守備範囲」(『パテント』2013年11月号)参照のこと

 以上、原告側・控訴人側には五つの失敗と一つの不十分点が存在した。他にも、特に一審段階では、小さな失敗が何点かあったと思われるが、以上の六点を原告・控訴人側の問題点として指摘しておこう。この六点は、文章をめぐる著作権侵害裁判を起こそうとしている原告側にとって参考になる点だと思われる。あるいは、裁判を迎え撃とうとする被告側にとっても参考になるかもしれない。

  ともあれ、著作権裁判に興味のある方には、拙著ながら、購読をお勧めするものである。


補記 
  一審では多くの失敗をしているが、だからと言って、一審判決や二審判決が正当なものだったといえるわけではない。特に二審判決は、教科書の記述に一般歴史書と比較して創作性がなければそこに著作権は認められないと判断した。また、平成25年の書物に書かれていることを根拠にして、平成17年版の『新しい歴史教科書』には著作物性(創作性)がないと判断した。ほとんど正気を失ったとしか思えない基準を立てて、著作権侵害を否定していったのである。何としても、原告側を負けさせたい、被告側を勝たせたいという意思は、一審二審とも、特に二審の裁判所には強固に存在したようである。その意味では、原告側が一審過程において6点の失敗点又は不十分点を示していなかったとしても、原告側・控訴人側が勝利することは極めて困難だったと捉えられよう。

  思い起こせば、一審における被告側は出鱈目な証拠ながら多数の証拠を用意し、懸命に闘っていた。しかし、二審においては、被控訴人側は、熱心さが余りなく、一審以上におかしな論理を展開していた。それでも、控訴審は、とんでもない基準を発明して、被控訴人側を勝たせたのである。

 とはいえ、少なくとも、訴訟提起の段階から6点の失敗又は不十分性を予め克服していれば、ひょっとして勝つ可能性も開けたのではないかと思われるのである。そして、この6点の指摘は、著作権実務の専門家にとっては当たり前の指摘かもしれないが、文章をめぐる著作権裁判に臨む人たちの一つの参考になると思い、ブログ記事に認めてみた次第である。

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